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義眼の少女は異世界を旅する  作者: 夜寧歌羽
第二章 辛く厳しい世界へと
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第十五話 修行

「え……と、その、お、おはようございます?」


 いつもと違う雰囲気の師匠に、思わず挨拶の言葉に疑問符を付けてしまった。

 彼が持つ三本の木刀。うち二本はかなり使い込まれているのか、傷や汚れなどが目立っている。一本はまだ新品のようで、ピカピカのままだ。何に使うつもりなのかは一目でわかる。わかるけど、それを誰がするのかまではわからなかった。


「おう、おはよう。早速で悪いが、腕立て百回」

「……え?」

「もう一度言う。腕立て百回やれ。今すぐ。カイはもうやってるぞ」


 突然の命令口調に戸惑うも、隣のカイのことを見る。彼は師匠の『腕立て百回』という言葉の、『う』という音が発せられるかられないかという瞬間にはもうすでに動いていた。


「は、はい……」


 よ、よくわからないけど、やらなくちゃいけないみたい。

 カイと同じように腕立て伏せを始める。

 一回、二回、と少しゆっくり目に続けていると、


「もっと速く」


 師匠がそう小さく呟くのが聞こえた。少しペースを上げて三回目。しかし、


「もっとだ」

「え、も、もっとって……」


 別にキツい訳ではないので、できるだけ早く腕立て伏せを続ける。


「回数を声に出して数えろ!」

「は、はいっ!」


 し、師匠に怒鳴られた……戦いの時以外で怒鳴られたことなかったのに……。

 それでも、言われた通りに声を出す。


「四! 五! 六!」

「よしいいぞ。そのまま百まで続けろ」

「はい! 七! 八!」


 言われたことを遂行するために、何も考えずに腕立て伏せをし、その回数を声に出して数える。


「九十八! 九十九! 百!」

「よしよし、良い感じだな。じゃ、次は腹筋百回」

「え、は、はい!」


 ようやく終わった、なんてことを考える前に、師匠は私に次の命令を下した。厳しい顔で。

 私はもう何でもいいから、この人に言われたことを続けようと思い、すぐに腹筋を始めた。


「一! 二!」

「カイはいもう百回だ」


 師匠の言葉にカイのことを見ると、彼もまた同じように筋トレをしていた。師匠に言われるがまま。

 腹筋が終わると、次に師匠は、


「よし、じゃあ、レイラはこの町を走ってこい」


 と言った。


「え、町を、ですか?」


 町中を走れということだろうか。首を傾げながら問いかける。


「そうだ。町の外を五周だ」


 あ、外なのか。まぁ、そうだよね。いくら人が少ないとはいえ、早朝から町中を走り回るのは流石に迷惑だろうし。


「わかり、ました」

「全力で走ってこいよ」

「はい」


 頷いて、外までの道を少し走りながら、昨日馬車で来た時にくぐった門を今日もくぐった。

 さてと。全力で五周、だったよね。

 義眼に昨日作ったばかりの町の地図を表示する。

 スタート地点はここ、ゴールもここ。カウントを五に設定……よし、ついでにタイムを測ることにして、と。これくらいかな。

 色々と設定をして、走る準備を整えた後、最後にカウントダウンを表示させ、それに合わせて走り始めることにした。


「……三、二、一」


 スタート。

 走る。ただひたすら、全力で足を動かし続ける。単純に、自分の力だけで走り続ける。周りの景色を楽しみながら。

 この町の周りって、こんなに乾いてたっけ? 昨日はもう少し湿気があった気がするけど……気のせいかな?

 そんなことを考えているうちにカウントが一つ減った。残り四周だ。少し早い気もするけど、全力だし、こんなものだろう。


 それからちゃんと五周走り終えたので、師匠のいた宿の庭に戻った。


「えっと、師匠。戻りましたよ」

「何? ……早くないか?」


 まったく疲れた様子のない私を見ると、師匠は少し不審そうな顔になった。


「お前、ちゃんと五周走って来たのか?」

「え、してきましたよ?」


 カウントはちゃんとゼロになっている。あ、そうだ。時間も測ってたんだった。

 思い出したので義眼に表示されているストップウォッチを見ると、その数字はおよそ十分半で止まっていた。一周にすると二分半くらいだ。町の外周が十キロほどだったので、普通に考えると確かに速い。


「本当か? もしかして、また無意識のうちに魔法使ってたりしないか?」

「それは大丈夫ですよ。今回は体から何かが抜ける感覚もなかったですし」


 だから、多分大丈夫、だと思いたい。いや、大丈夫だ。

 何となくそう思っているだけだけど、なぜか自信を持てた。


「本当か?」

「本当です」


 疑ってくる師匠の目をまっすぐ見つめる。


「……そうか」


 私のことを信じてくれたのか、師匠はそう言って、私に次の命令をしてきた。


「じゃあ次に、これを使え」

「え、これを?」


 彼が私に渡してきたのは、さっき持っていた三本の木刀のうちの一本。新品と思われる一番綺麗な物だった。


「素振り百回。とっとと始めろ」

「は、はい」


 もう、指図されるのにも慣れてきたな。

 言われた通りに素振りを始める。


「一! 二!」

「そうだ。そのまま続けろ」


 これも何事もなく終了。


「終わったか」

「はい。それで、その、次は何をすればいいんですか?」


 今朝からずっと色々なことを言われるがままにしてきたけど、次は何をするんだろう?

 素振りが百回終わる頃には、そんな風に次を期待できるほどにまで、この運動というかトレーニングを楽しめるようになっていた。


「じゃあ、俺と模擬戦するか」

「模擬戦、ですか?」

「そうだ。それを使って、俺と勝負しろ。三本勝負だ。ルールは、魔法なし、武器はこいつだけ、自分の体に相手の刀が当たったら負けだ。いいな」

「は、はい」


 つまり、私と師匠がこの刀を使って戦えばいいのか。練習試合という形で。よし、理解できた。やってやろうじゃないか。

 さっきまでのトレーニングよりも、俄然がぜんやる気が出てきた。


「じゃ、カイ。審判を頼む」


 師匠はそう言って、いつの間にかいなくなって、いつの間にか息を切らして戻ってきていたカイに残っていた木刀を渡した。

 彼は私達がある程度の距離を開けて剣を構えたのを確認すると、開始の合図をしようとした。


「双方、準備はいいな」

「ああ」

「はい」


 カイの最後の確認に頷いて、戦う相手となった師匠を見据える。

 ……人を相手に戦うのは、私が覚えている限りでは初めてだな。

 そんなことを考えているうちに、審判が試合の始まりを告げた。


「それでは、始めっ!」


 彼の持つ木刀が、私達のちょうど真ん中で勢いよく振り上げられる。

 しかし、私も師匠も、一歩たりとも動かなかった。


「お? どうした? 来ないのか?」

「……」


 師匠の問いかけに、私は何も反応しない。言葉を発するよりも、向こうがどう出てくるかを予測する方が重要だから。

 ……足と腕に、不自然に力が入っているな。

 目で見える範囲の情報から算出された師匠の動きが義眼に表示される。私はその予測に基づいて、彼の攻撃を最小限で防ぐ手立てを考える。


「来ないのなら、こちらから行かせてもらうぞっ!」


 彼は中々動こうとしない私に痺れを切らして、そう言いながら先に踏み込んできた。


「……ふふっ」


 師匠の顔が、一瞬にして木刀の間合いに入ってくる。

 流石は、師匠。人並み外れた速さだな。でも、そう来ることは予測済み。

 義眼の予想通り過ぎるその動きに思わず口元を吊り上げ、こちらも素早く体を、腕を動かし、刀を振る。

 カンッ、という音が聞こえた頃には、師匠はすでに私の後ろに移動していた。


「……レイラの勝ちだな」


 カイの言葉に、ふっと力を抜く師匠。


「完璧なカウンターだったな」

「それは、どうも」


 皮肉かな? 絶対にそうだろうな。

 頭の中で自問自答しながら私も剣を下ろし、振り向いて師匠を視界の正面に捉える。


「手を、抜きましたね」


 木刀を一振りし、強い眼差しで師匠に問いかける。


「……なんだ、わかってたのか」

「そりゃまぁ、ね」


 私にも、彼が全力を出していないことくらいわかる。


「魔物と戦っていた時と、顔つきが全然違いましたから」

「ほう」


 その言葉に、彼は少し眉を吊り上げ、私を試すかのように先ほどとは違う構えを取った。


「よく言うぜ。お前だって全力じゃないくせに」

「当然じゃないですか。全力を出して、間違って殺してしまうのは嫌ですからね」

「ほお? 俺を殺す? 間違ってもそんなことできるもんか」

「わかりませんよ? あなたは私の全力を見ていませんし、私もあなたの実力を知らない。そんな不確定要素の多い二人が戦えば、どちらかが死傷してしまう可能性があるとは思いませんか?」


 可愛らしく小首を傾げ、ニヤッと笑う。

 ふふふっ……段々楽しくなってきた。


「はっ、小難しいことを言う。そんなこと言ってる間に、少しは警戒したらどうだよっ!」


 言いながら、師匠が繰り出した斬撃をいなして反撃を決める。


「チッ、やられたか」

「また、レイラの勝ちだ」


 ああ、やっぱり、勝負といいのは楽しいなぁ。次の一本はどんな攻撃をしてくるんだろう?


「お前それ、本当に自分の力だけか?」

「そうですが、何か?」


 師匠の問いに、首を傾げながら答える。確かに、これもちゃんと私自身の力のみでやっている。なぜかわからないけど、これにも自信がある。


「そ、そうか。自力でその速さか……やっぱお前は凄えな」

「それはどうも」


 師匠は感心した様子でうんうんと頷いている。何がそんなに凄いのだろうか。師匠だって、人間だとは思えない速さなのに。


「流石だ。じゃ、最後一本だが」


 そう言いながら、師匠は木刀を地面に捨てた。


「組手と行こうじゃないか」

「ん? 組手、ですか?」

「そうだ。組手だ。刀は使わん」

「でも、さっきこれを使えって師匠が……」


 自分で言っていたのに、まさか忘れてたのか?

 そう非難する私に、彼は言った。


「確かに、俺はさっき、武器はこれを使えと言った。でも、武器を使わないといけないとは言ってないぞ」


 ……そうだったっけ。まぁ、師匠の言っていることはほんとだし、そういうことにしておくか。


「わかりました」


 私も、彼にならって木刀を地面に置いた。


「じゃ、頼む」

「わかった」

「あ、先に言っとくが、変なとこ触っちまったらすまんな」


 そんな保険かけなくても……。

 私は少し呆れながら、申し訳なさそうな師匠に告げる。


「大丈夫ですよ。それくらい覚悟の上です」

「そうか」

「じゃあ、始めるぞ」


 カイの言葉に二人して頷く。


「では、始めっ!」


 三度目の試合でも私達は動かなかった。

 ルールが変わっても、やることは変わらない。気を緩めずに師匠と睨み合う。


「……やはり、来ないか」

「……」

「無暗に突っ込まないのはいい心がけだな」


 上から目線な師匠の言葉。


「だが、そのままではいつまで経っても終わらないぞ?」


 ……師匠がそう言うということは、向こうも待ちに入るつもりなのか。まぁ、私もそろそろ待つことに飽きてきたし、今回はこっちから行かせてもらうかな。

 ふっと力を抜いて構えを解き、ゆっくりと師匠に近付く。そんな私を、師匠が不審そうに見てくる。当然だろう。この行動は、私が突然やる気をなくしたようにも見えるから。


「何だ? どうした?」


 そんな師の問いかけを無視して、彼の腕が届くか届かないかという距離で止まる。


「師匠。私、戦う時にいくつか心がけていることがあるんです」

「ほう? それはなんだ?」


 義眼でこれから私がしようとしている動きと、師匠がしようとしている動きの愛称を分析しながら言葉を発する。


「一つは、さっき師匠が言った通り、無暗に突っ込まないこと」


 右手を挙げ、親指を左手で折り畳む。


「ほうほう」

「もう一つは、迷わないこと。迷うと動きが鈍りますからね」


 右手の一指し指を畳む。


「確かにそうだな」

「そして、もう一つは……」


 私が心がけていること。その三つ目を言う前に、素早く師匠の後ろに回り込み、首に手を回す。


「敵と、できるだけ会話をしないことです」

「んな……」


 師匠の耳元でそう囁いて、首を絞める。私が移動した後には土埃が舞っていた。それが私の動きの速さを物語っていることを理解できたのは、この場では私と師匠だけだった。


「ちょ、ぐっ、く、くるし……」

「降参しますか?」


 少しずつ腕に込める力を強くしていく。もちろん容赦などしない。本気で殺しにかかる。ちょっと前にも、こんなことをした気がするな。


「わ、わかった、する、するから、は、はなし……」


 私が首から手を放すと、彼は少し咳をしながらも落ちていた木刀を拾った。


「ケホッ、ケホ……いやー、凄いなレイラ。完敗だ、ははは」

「……完敗、ね」


 よく言うよ。わざと負けていたくせに。

 私には見えていた。最初のカウンターも、二回目の反撃も、三回目の回り込んだ時だって、すべての攻撃を防がれ、反撃され、私が負けている、という未来が。

 しかし、彼はそうしなかった。勝てる試合だったのにもかかわらず、負けを選んだのだ。

 私に華を持たせたつもりなのか、本気を出せない理由があったのか。確かなのは、私があの人に勝った、ということだけだった。


「さ、飯行くぞ飯」

「ああ」

「そうですね」


 そんなこんなで、今日の朝の運動は終わった。


「あ、レイラ。これから毎日、朝はこういうことするからな。ちゃんと毎日起きろよ?」


 という師匠の言葉を残して。


 その後、昨日の様に朝食を食べて、身支度を済ませた私達は、今日もまた町に出ていた。


「今日は聞き込みをする」


 自分の部屋で髪を整えていた時、師匠が言っていた言葉を思い出しながら町を歩く。


「聞き込み、ですか?」

「ああ。昨日は他人が話してるのをただ聞くだけだったが、今日は、こっちから聞きに行くんだ。ちなみに言うと、聞き込みはいつも、昨日やった噂を仕入れる作業が終わってからやる。大きい町だとこの二つを別々にやっていると時間がかかりすぎるから、一緒にやったりもするな」

「そうなんですか」


 結構大変そうな作業だな。それを私もやっていかないといけないのか……。


「そうだ。で、次はそうして集めた情報をもとに町の状態を分析する。場合によっては、その時点でしかるべき機関に応援を頼む」

「しかるべき機関?」


 その言葉を聞いて、私は何となく、昨日会ったあの刺青いれずみの人のことを思い出していた。


「それって、もしかして昨日の……?」

「おう、そうだ。その通り、あいつらもその一つだな。よくわかったな?」


 感心したように師匠が言う。


「えっと、その、あの人達は、国が認めた団体だって言っていたので、何となくそう思ったんですけど……」


 控えめに言葉を返すと、師匠はやっぱり感心したように頷いて、


「そうそう、お前が言った通りだ。国が認めてるから、あいつらもちゃんとした公的機関だ。他には、他の町のお偉いさんとか、もっと上の上の方の、いけすかない役人とかだな。あいつら以外のお人好しもいる」


 と、詳しい説明を聞かせてくれた。


「まぁ、今回は先にあいつらがいてくれたから、そんなとこに連絡する必要はないだろう」


 へぇ、あのお手伝いさん達も公的機関なのか……んー、イメージとしては、非営利組織って感じかな?


「……おい、レイラ。レイラって」

「……え? なんですか?」


 ほんの少し前のことだけど、昔を思い出せることに感動を覚えていた私の耳に、師匠の声が入ってきた。


「話、聞いてたか?」

「あ、えと、き、きいてない、です……」


 な、何か話してたの? まったく聞いてなかったけど……。

 師匠に注意されてしまい、申し訳なくて頭を垂れる。


「ご、ごめんなさい」

「まったく、一応大事な話なんだからちゃんと聞いといてくれよ。いいな」

「はい……気を付けます」


 前にもこんなことがあった気がする……本当に、気を引き締めないと。


「よし、じゃあ、もう一回言うぞ。今日は二手に分かれる」


 え、二手? 分かれる?

 心して話を聞こうと構えていたが、まったく予想していなかったその内容に少し戸惑いを覚える。


「俺と、カイとお前の二人で分かれる。これはもう決まったことだ。いいな」

「は、はい……」


 同意を求められたので反射的に頷くが、私の頭の中では彼の言葉を完全に呑み込めていなかった。

 えっと……と、とりあえず、カイについて行けばいい、のか?

 そんな納得できない気持ちのまま、カイと二人、師匠とは反対方向の道に進むことになってしまった。


「じゃ、そっちまかせたぞ。仲良くしろよ?」

「ああ。ほら行くぞ」

「は、はい」


 カイの背中について、道を進むことを少し。


「ああ、そうだ。これを持っておけ」


 と言って、カイが私に、昨日彼が使っていた紙とペンを渡してきた。


「え、は、はい……」


 渡されるがままに受け取る。

 えと、これで何をすればいいのかな?

 彼が何でこんな物を渡してきたのか、理由がわからずに首を傾げてみせる。


「これを使ってメモを取ってくれないか?」

「え、メモ? で、でも、私、みんなが読める字を書けないんだけど……」


 そのことはカイも知っているはずだ。そう言う私に彼は、


「お前がわかる字で書いてくれればそれで問題ない。後で訳せばいいんだからな」


 と言った。


「そ、そういうことなら……」


 大丈夫、なのかな?

 彼の言っていることがよくわからない。


「まかせたぞ」

「は、はい」


 よくわからないけど、とりあえずは聞いたことを書いて行けばいいだけのようなので、一応頷いておいた。

 それからは、昨日よりちょっとだけ忙しく町を歩いて回った。と言っても、町の人からカイが聞いた話を、紙に書き留める作業が増えただけなのだが。


「町の人達も、俺ら騎士も、生活に苦しんでいる。それなのに、国は何を訴えても今まで動いてくれなかったんだ」

「そうなのか……上は無能だな。ここまで酷い状態だというのに、今まで放置していたなんて」

「それでも、今日からあのボラ・ティーアが来てくれたからそこまでのことは言えんさ。確かに、対応の遅さには怒りも覚えるが、応援をよこしてくれただけましさ」


 私は、カイがいつもと違ってよく喋ることに驚いていた。

 彼は昨日見たお手伝いさん達と一緒にいたこの町の騎士と思われる人の一人に話しかけ、自分達も同じ騎士であることを利用して、私がメモするべき話を沢山聞き出していた。

 凄い手腕だ。私も見習わないといけない。


「それもそうだな。さすがに無能は言い過ぎか」


 カイが騎士さんの言葉に頷いて、先ほどの発言を撤回した。


「んまぁ、正直なこと言うと、俺らもそれくらいのことを言いたいんだよな……だけど、ま、仕事中なんで口に出すのはちょっと」


 言いたいことはわかる。とてもわかる。偉い人が見ているかもしれない所で、その人の悪口をいう訳にはいかないもんね。

 そんなことを言う騎士さんに、カイはなんだか意地悪そうにニヤリと笑って、


「仕事中、ねぇ。悪いが、こちはまだ仕事場にすらついてないもんでね。愚痴なんか言い放題だ」


 と言った。

 その言葉で、私達は勤務地まで移動中の旅の騎士という説明を、ついさっきカイがしていたことを思い出した。


「こう言っちゃなんだが、羨ましいぜ」

「ま、気持ちはわかるさ。じゃ、その仕事終わったら、一緒に酒でも飲まないか? 一杯奢ってやるよ。そこでなら上への愚痴をいくらでも言えるだろ?」

「お、それはいい話だな。悪いね。じゃあ、その言葉に甘えさせてもらうとしよう」


 ということで、今日の夜もまた、あの酒場に行くことになった。なってしまった。

 だから、私はお酒飲めないって言ってるのに……。


「ん? 何か言いたげな顔だな」


 騎士さんと夜飲みかわす約束を取り付けたカイが、そんな私の心中を察したのか、こちらを振り向きながらそう言った。


「あ、えと……き、今日もあそこに行くの?」

「なんだ、嫌なのか?」

「い、嫌っていう訳じゃ……」


 嘘だった。本当は、酒場に行くのが嫌で仕方なかった。

 人は多いし、うるさいし、お酒は飲めないし、干し肉は美味しくないし。あんな所のどこがいいのか、私には理解できない。

 お酒と同じで、ああいう所にはあまり良いイメージを持てない。昨日の演説でそういう印象を持ってしまったせいで、苦手意識まで持ってしまったようだ。

 そんな私にカイが言う。


「もし嫌なら来なくてもいいぞ。別におれは強制しないし、お前が無理していく必要もないからな」

「え、でも……」


 カイが行くのに私が行かないというのは……それに、師匠もどうせ来ると思うし、余計に断りづらい。

 昨日と同じように、同じような理由で迷ってしまう。


「……まぁ、まだ夜まで時間はある。それまでどうするか決めといてくれ」

「う、うん」


 カイがそう言ってくれたので、今のところは保留ということにしておいた。ずっと悩んでいたって、答えが出てくるわけではないのだから。

 そんな会話があった後、何やら誰かのお腹が鳴る音が聞こえた気がしたので、お昼ご飯を食べることになった。

 あれは、私のお腹の音ではないはずだ。そう、たとえ私のお腹がちょうどそのタイミングでゴロゴロ動いていたとして、違うんだ。

 昨日も来たご飯屋さんで師匠と待ち合わせして、そのお店で昼食を食べる。

 今日もお肉美味しかったです。


「午後はどうするんですか?」


 食事が終わったので、これからの予定を聞いてみると、師匠は、


「そうだな。正直、ここまで人が少ないとは思ってなかったから、もうやることがないんだよな」


 と言って、窓の外に目をやった。風に舞う落ち葉を見ているようだ。


「え、もうないんですか?」


 おかしい。今日の朝、『今日は昨日よりも忙しくなるから、覚悟しとけよ』なんて言っていたくせに、もうないのか?


「ああ。やることと言ったら、報告書を作るくらいしかないな。目測を誤っちまった」


 彼は少し残念そうに頬杖を付き、深いため息を吐いた。


「そ、そうですか……じゃあ、本当にどうするんですか?」


 やることがないのはわかったけど、それなら何をすればいいのだろう。こっちは指示がないと何もできないよ。


「……帰って先に書類作らないか? 仕事がないならそうするしかないだろう」

「……そうだな、そうするか。はぁ、今回は仕事を取られちまったな」


 とにかく早く終わらせたい、といった表情のカイの言葉に、師匠が頷いて席を立った。


「お勘定頼む」

「はいっ! わかりやした」


 師匠の出した銀貨数枚を数え、お釣りを渡す元気な店員さん。私達はそんな愛想のよい人がいるお店を出て宿に戻った。


「さて、とっとと終わらせちまうか」


 師匠のその言葉を合図に、私達は三人で、この町についての報告書作成に入った。と言っても私は字が書けないので、ただひたすら机の上の紙に向かって意味不明な記号を書き表していくのは二人だけだったが。


「これが終わったら、明日にはこの町を出るぞ」

「え? もう、ここを出ちゃうんですか?」


 書類作成がひと段落ついたところで、師匠が目元を押さえながらそう言った。あまりにも早い出発の話に思わず聞き返す。


「ああ、俺らよりも先にあいつらが来てたからな。もうここに俺らの仕事はないし、いつまでもここにいたって意味はない」

「そう、ですか」


 もう少しこの町のこととかを知りたかったんだけど、仕事がないなら次の町に行かなくちゃいけないのか……。

 そのことが残念で仕方なくて少しがっかりする。


「まぁ、そう気を落とすな。また何年かしたらここに来る事もあるさ。確かに、もう少しだけ早く着いていれば、もうちょっと長くいられたけどさ」

「はい……」


 はぁ、そう言われても、やっぱり残念だ。折角アケルを出て初めての町だったのに……。

 そんな私を見た師匠が、ペンを置いて私の頭を撫でながら言った。


「よし、じゃあ、今夜は景気づけに、またあの酒場に飲みに行こうぜ!」

「……え?」


 だ、だから、私は酒飲めないって言ってるのに……。


「よっしゃ、そうと決まれば、こんなのとっとと終わらせて酒場行くぞ酒場」


 師匠は自分で言ったことになぜかやる気を出して、さっきよりも速いペースで白紙にインクを散りばめて行った。

 け、結局、今日も行くことになっちゃった……。

 戸惑いを隠せない私の視界に、ふっ、と笑うカイの姿が映った。


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