第十二話 馬車での旅路
「本当にやるのか?」
闇が深くなった真夜中のこと。空には雲がかかり、月の明かりもない道を進む、一台の馬車があった。
「ああ。こいつも覚悟の上だろう」
その荷台の中にいる二人の男――アドレとカイが、目も前ですやすやと眠っている一人の少女を見ながら何事か話し合っている。
「ん……フェニ、さん……」
彼女の頬には何かが流れたような跡があり、その寝言はどこか寂しそうだった。
「気持ちよく眠ってるとこすまないが……しょっと」
アドレはそう呟きながら、泣き疲れて眠ってしまった少女――レイラを軽々と持ち上げ、御者にも他に乗っている人にも気付かれずに馬車から降りる。
「……こいつの荷物だ」
馬車に残ったカイが中くらいの革袋をアドレに渡し、再度確かめるように問いかける。
「本当に――」
「わかったから。みなまで言うな。お前の時もやっただろう」
荷物を受け取ったアドレは弟子の言葉を遮って、馬車の進む道から少し離れた地面の上にレイラと彼女の荷物を下ろした。
「後は、これだな」
彼はポケットから小さな紙切れを取り出し、地面の上に置いたばかりのレイラの荷物の上に置いた。その紙には、『俺達を追いかけてこい』と書かれている。
「……生きて、付いてこいよ」
アドレは眠ったままのレイラにそう声を掛けると、また誰にも気付かれずに馬車に乗り込んだ。
「さて。俺達も寝るか」
「……そうだな」
自分がどれだけ酷いことをされているのかわからないまま、レイラは眠り続ける。夢の中で、楽しく平和だった日々を思い出しながら。
◇ ◇ ◇ ◇
「う、うーん……」
うう……風が、冷たいな。
目が覚めて、最初に感じたことはそれだった。
目を開ける前にもう少しだけゆっくりとしようと思い、しばらくこのままでいようとしたのだが、
「みゃ~ん」
という何者かの鳴き声と、ペチペチという柔らかい何かの感触を顔に感じて、目を開けざるを得なくなった。
「んー、もうっ! 何?」
そんなことを口走り、手で顔の前をはらいながら飛び起きる。
「……って、え?」
そして、視界に飛び込んできた景色は私が寝たはずの馬車の中ではなかった。そのことを自覚してから、今更ながら、私のいる地面がまったく揺れていないことに気付く。
「ちょ、嘘、何が……」
慌てて周囲を見渡すが、近くに私が乗っていたはずの馬車は見当たらない。代わりに、馬車に置いてあったはずの私の荷物が地面に落ちていた。
い、いったい何が、なんで、どうなって……そ、そうだ。あの二人、アドレさんとカイさんは、今どこに?
義眼を使って、目の前の街道に沿った範囲をくまなく探す。
う、嘘だよね? まさか、見捨てられたりなんて、してないよね?
不安な心を押さえつつ、近くから遠くまでを探すと、ここよりずっと先に二人が乗っている馬車を見つけた。壁のない、ほとんど荷台と言っても過言ではないほどの小さな馬車。間違いない。私が乗っていた馬車だ。
……なんか、私がいないのに普通に話してる。
いつもと変わりない彼らの様子を不審に思い、そして、そのことに少し苛立ちを覚えた。
もしかして、これは、あの人達の仕業だったりして? ……確認、しないと。
ゆっくりと、自分の荷物とその上に落ちていた紙切れを無造作につかみ、立ち上がる。その時、手の甲にポツリと、水滴が落ちてきた。
む、雨か。くそう、風邪引いたらどうするんだよ。もしそうなったら、あの二人に治してもらわないと。
そんなことを考えながら、馬車を追いかけるために街道を走った。
雨の中をひたすら走る。最初はポツポツとしたものだったが、今ではもう、フードを被っても意味がないくらいの土砂降りだ。
「まったくもう!」
二人はどうしてこんなことをしたんだっ!
彼らの考えが理解できなくて、思わずそう吐き捨てる。
そろそろ、見えてくる頃だな。
雨で視界が悪くなっているが、ここまで近付けば向こうも気付くだろう。
「あーどーれーさーんーっ!!」
「え……は?」
一切速度を落とさずに、馬車を追い越す勢いで師となった男の名を呼ぶ。
彼はその大声でようやく私がすぐ近くに来ていることに気付いたようだ。まったく腹立たしい。
「なっ、おま、はやっ……」
「ふんっ!」
口を大きく開けて驚くアドレさんの胸倉を、馬車の隣を通り過ぎる時に強く掴み、そのまま外に引きずり出した。
「え、は、はぁ!?」
カイさんの方にも目をやると、彼も同じように驚いていた。彼だけではなく、馬車に乗っている人全員が。
そんなみんなの顔を見ながら、ズザーッと大きく滑ってから止まる。アドレさんの襟を掴み、上に持ち上げて。
「さて、アドレさん? 何か言うことがありますよね?」
にっこりと笑って手に力を込める。すると、彼は苦しそうに私の腕を掴んできた。
「……苦しいから、離してくれないか」
「やです」
「え……」
当然、彼の足は地面に付いていない。彼は私よりも背が高いが、腕の力で頑張って持ち上げていた。凄い力を込めているが、不思議と疲れは感じない。
「他には?」
ちょっとだけ手の力を強める。私の腕を引き剥がそうと抵抗するアドレさん。しかし私は、どんなことをされても力を全く緩めなかった。
「ぐ……も、もしかして、あそこに置いてったことを怒ってる、のか?」
「いいえ? 全然起こっていませんよ?」
私は、怒ってなどいない。怒っている訳ではない。怒りが全くない訳ではないが。
「いや、でも、お前、すげえ力で……」
「怒ってなど、いませんよ?」
「そ、そうか。そうなのか……て、てか、紙に理由を書いたはずだが……」
「紙? ……ああ、これのことですか」
荷物と一緒に服の中にしまった、アドレさんが言うその紙を取り出す。それは途中まで手に持っていたせいで雨に濡れ、書いてある文字が読めないほどしわしわになってしまっていた。
まぁ、仮にしわしわになっていなかったとしても、私にはこの文字は読めないんだけどね。
「あ……」
「あなたにはこれが読めますか?」
アドレさんは、私が手に持つその紙を見て目を逸らした。
「これは、私が字を読めないと知っての行為ですか? ん?」
「あ」
今度は、馬車にいたカイさんが小さくそう呟くのが聞こえた。
……これは、二人とも忘れてた感じだな。何てことだ。まさか忘れられていたなんて。まったくもって腹立たしい。
「ふ~ん……」
「……い、一応、最初の修行のつもりだったんだがな」
私が彼らへの信頼を失いかけたその時、目を逸らしたままのアドレさんがそう言った。
「しゅ、ぎょう?」
馬車から落として置いてけぼりにすることが? 何言ってるのこの人。
言い訳にしか聞こえない。
「あそこでお前を降ろして、無事に俺達について来いっていう修行。カイの時にも同じことをしたんだ」
「は、はぁ」
え、何その無茶苦茶な修行。一歩間違えれば魔物に襲われて死に至る世界で、そんな修行をしてたのか……怖い。この人怖い。カイさんの言った通り、この人は本当に鬼だ。弟子入りする相手間違えたかな……。
「本当に、修行、だったんですか」
確認のためにカイさんの方を向くと、彼は無言で頷いた。そして、
「……すまなかったな」
と言った。私もアドレさんを地面に下してから頭を下げる。
「こちらこそ、すいませんでした。修行だとは知らず、こんなことを」
しばらくの間、周囲が気まずい沈黙に満たされる。
そんな空気を、アドレさんが破った。
「まーその、そろそろ馬車に戻ろうぜ。風邪引いちまう」
「……そう、ですね」
彼の言葉に従って、止まったままの馬車に乗り込む。
「えと、水は切ってくださいね」
「ああ。すまん」
「お騒がせしました」
ずっと止まってくれていた御者さんに謝って、上着を外で軽く振る。すると、濡れていたはずの上着が一瞬にして乾いた。
よし、これで水はなくなったかな。
「……お前、この雨の中を走って来たのにしては全然濡れてないな」
「え? そうですか?」
まったくといいほど濡れていない私を見たカイさんがそう言って、私の持つ上着を不思議そうに見てきた。
「ああ、これですか」
この服にも清潔な状態を保ち続ける機能が付いているから、それのおかげで水がすぐに乾いたのだろう。何ともありがたいことだ。
「こういう物なんです」
「……そうか」
でも、カイさんにはそう説明した。何となく、本当のことを言っても理解してもらえない気がして。彼もそこまで気にしていなかったようなので、この一言で一応は納得してもらえたみたいだ。
「いやー、それにしても驚いたな」
そんな便利な衣服に身を包んでいる私とは違うアドレさんが、服を絞りながら馬車の中に入ってきた。
「お前、あんなに足が速かったのか」
「足、ですか?」
そういえば、かなりのスピードで走って来たな。でも、そこまで早かったか?
首を傾げてみせる。すると今度はカイさんが、
「ああ、確かに速かった。お前、起きた場所からどのくらいでここまで来た」
と質問してきた。
起きてからここまで? んー、どうだったかな……。
「えっと、確か、十分もかからなかったと思います」
「……は?」
よく思い出しながら答えた私の言葉に、彼は驚いてそれ以上何も言わなくなった。
「……あれ? カイさん?」
私、何か変なこと言っちゃったかな?
「……お前、本当に人かよ」
「えちょ、何てこと言うんですかっ!」
カイさんが小さく呟いたその言葉に、思わず声を荒立てる。
人じゃない、だって? 流石にそれは、酷い言いようじゃないか。何てこと言うんだ。やっぱり弟子入りする相手を間違えたか? ……いや、今のにアドレさんは関係ないか。
「カイ。今のは流石にいただけないな」
「……すまん」
「い、いえ、こちらこそしみません。急に大声出しちゃって」
私達の他にも人はいるのに……。無遠慮なことをしてしまった自分を恥じる。なんだか、さっきからずっと謝ってばかりな気がする。
「……あそこからここまで、馬車でも数時間かかる距離なんだが、本当にお前は十分できたのか?」
「はい、そのはずですが……」
再度確認してきたカイさんに頷くと、彼はやっぱり驚いた様子で、
「……魔法でも使った、のか?」
と言った。
魔法? ああ、そんな便利な物もあったっけ。でも私、魔法使えないんだよなぁ。
一通りはフェニさんに教えてもらっているのだが、いつまで経っても、『魔力を使う』という感覚がわからないため、諦めてしまっていた。
「いやいやまさか。私、魔法使えませんし」
「ああ、そういえばそうだったな。じゃあ、本当に脚力だけなのか……だとしたら、どんだけ力あるんだよ、お前」
カイさんは納得がいかないようだ。私も少し引っかかる所があったので、もう一度よく考えてみることにした。
うーん、私は本当に、カイさんの言う通り、足の力だけであんなに速く走ったのかな。走っていた時はこの馬車のことばかり見ていて気付かなかったけど、改めて考えてみると、周りの景色がとても速く流れていた、気がする。
流れると言えば、あの時、武器を変形させる時と似たような、身体から何かが抜け出るような感覚があった気もするな。……もしかして、あれが、『魔力を使う』感覚なのかな。
少し不思議な気持ちで、自分の足を、自分の掌を見つめる。それから雨が降り続ける外に目をやると、そんな私の様子を見たアドレさんが話しかけてきた。
「ん? どうかしたのか? そんな黄昏ちまって。あの町が、あいつのことがそんなに恋しいのか?」
「い、いえ。そういう訳では……」
まったく恋しくないと言えば嘘になるが、そんなつもりで外を見たのではない。
「ただ、さっきの話について考えていただけです。私があの速さで走るのに、魔法を使っていたのかもしれないと思って」
「お前が魔法を? でも、お前は魔法を使えないんだろ? さっき自分で言ってたじゃないか」
彼は私の話に首を傾げた。まぁ、当然の反応だろう。私だって彼と同じ心境なのだから。
「それはそうなんですけどね。少し気になって」
「何がだ?」
「……何か、身体から力か何かが抜けていく感じがしたんです。走っている時に」
そう言って、もう一度外を見る。壁がないせいで雨が降り込んでくるが、屋根があるだけましだった。
「そうなのか。それで、その抜けた力が魔力だと?」
「はい、多分。武器の時と同じでしたし」
「そうか……それは意識してやったことなのか?」
「いえ」
首を横に振り、否定する。フェニさんから魔法のなんたるかを教わった時に何度もやろうとして見たのだが、自分で意識してやろうとすると、どうしても原理とかその他とかがよくわからなくてできなかった。それは今も同じだ。
「やっぱり、難しいんです。何をどうすればいのかがわからなくて」
「まったくの無意識ってことか……それは、ちょっと不味いな」
え? 不味いって、なんで?
「な、何がいけないんですか?」
深刻そうな顔のアドレさんが発した言葉の意味がわからず、そう問いかける。無意識だと、何か問題があるのだろうか。
「何がって、そりゃあもう何もかもに決まってんだろ」
「え……ちょ、そんな、なんで」
彼は驚いた私の顔を見て、その理由を説明してくれた。
「いいか。魔法ってのは本来、きちんとした知識を身に着けてようやくできるようになる、高度な技術だ。どんなに簡単な魔法でも、使えるようになるまでには最低でも一年はかかる。種族、頭の良さ関係なくな」
「は、はぁ」
つまり、魔法というのはかなり難しい物だということか。誰もが苦労して、習得するのにも時間のかかる技術だと。
「そんな魔法を、お前は無意識に使える。つまりは、お前は基礎ができていないのに魔法が使えるってことだ。わかるか?」
「え、えっと……まぁ、何となくは」
言いたいことは伝わった。アドレさんが言いたいのは、魔法について何もわからない私が、魔法を使えるのはおかしいということだろう。それがどう関係していけないのかはまだわからないが。
「わかってくれたか。で、そのことがなぜ不味いかなんだが」
「あ、はい」
よかった、それもちゃんと説明してくれるのか。ここで終わったらこけてしまいそうだと思っていた。座ってるけど。
「無意識ってことは、自分の意志で制御できないってことだろ? てことは、お前の意思に関係なく魔法を使っちまって、下手したら暴走しちまう危険があるってことだ。感情的になった時とか、とてもショックなことが起こった時とかにな」
「ぼ、暴走する……って、わ、私が?」
「そうだ。お前がだ」
ちょ、ちょっと大袈裟すぎやしないか?
少し引き気味の私を見つめる彼の目は、真剣だった。あまりに真剣すぎるので、アドレさんの目を直視できない。
「そ、そんなこと、本当に私がすると思うんですか?」
少し酷いことを言われたと思って言い返す。すると、
「思う」
と、アドレさんは即答した。
「え……」
思わずカイさんの方を見ると、彼も、
「俺も、思う」
と言った。
え、えー……なんで二人とも、私が危ないって、暴走するかもって思うの……。
変なところで仲が良い二人だ。
「ど、どうしてですか」
「んー、まぁ、そうだな。戦いを楽しんだりするし、色々とわからないとこがあるからな。お前には。どうしても信じ切れないっていうか、どうして疑っちまうというか。まぁ、そんな感じなんだ。すまないな」
「はあ」
私はまだ、この人達に信用されていないのか……その理由にも、納得はできなくもないから、仕方ないと思うけど。
「そう、ですか」
そうは言っても、残念な気持ちになったことに変わりはなかった。少し俯いて、ため息を吐いてしまう。
「はぁ……」
「あー、なんか、すまんな」
そんな私を見たアドレさんが謝ってくる。
「いえ、そんな、謝るようなことでは」
一週間に一度は言っているこの台詞。
「そうは言われても、な」
「……何回目だよ、このくだり」
カイさんは気付いていたようだ。
「何回目、なんでしょうね」
私もよくは覚えていない。
「何言ってんだよお前ら。二人だけで俺にわからない話をするなよ。俺も混ぜろ」
少しむくれながらそう言う師匠に、カイさんは、
「子供か」
と鋭い突っ込みを入れた。二人のやり取りを見て微笑む私。何とも平和な日々だ。
そんなことがあった他には特筆するような事件はなく、パカパカという軽快な音を響かせながら、ゆっくりと、しかし歩くよりは早く、平穏な馬車の旅は続いて行った。
◇ ◇ ◇ ◇
「おい、起きろレイラ」
「……ふぇ?」
アケルを旅立って五日目の朝。どこまでも広がる草原を見飽きた頃。気持ちよく眠っていた私の耳に、そんなアドレさんの声が聞こえてきた。
「んにゃんですか……?」
目を擦りながら身体を起こし、私も起こしてきたアドレさんのことを見る。彼は少し呂律が回らなかった私の返事を聞いてニヤニヤと笑っていた。
「おぉ? 可愛らしいじゃないか。もう一回言ってくれないか?」
「え? や、やーですよー。なんで私がそんなことしなくちゃいけないんですかっ」
この人は朝からいったい何を言い出すんだ……でも、おかげで目は覚めた。今日も気持ちの良い目覚めだ。
「なんだ、やってくれないのか。つまらんなぁ」
アドレさんはまだニヤニヤ笑っている。
「いい加減にしてくださいよ、もう」
流石にふざけすぎだ。
いつまでもこの話題について話すのは嫌なので、少し強引に話の方向を変える。
「それで、何のご用ですか?」
いつもはわざわざ起こしたりなんかしてこないのに、今日はどうしたんだろう?
「ああ、それがな。ちょっとこっち来てみろ」
「あ、はい……」
手招きする彼に続いて、馬車の中から首をひょいと出す。
「あれが見えるか?」
アドレさんの指が示したのは、私達が乗る馬車が進む道の先。目を凝らさずとも、そこに何かがあることがわかる。
「えっとぉ……あれで、いいんですか?」
「ああ。あれが俺達が目指してる場所。『農業町ホスアル』だ。その名の通り、農耕牧畜が盛んな町だな」
「の、のうぎょうちょう?」
は、はぁ……聞いたことのない言葉だ。農業町って、なんだか不思議な表現。
「あそこで、次のお仕事をするんですか?」
そう問いかけながら、義眼を使って、町がどのくらいの大きさなのか、どのような構造なのかを把握し、今のうちに地図を作っておく。
これも、この義眼の便利な機能の一つで、ある程度の時間をかけて遠くの場所を、今自分がいる場所を自動的に、小さな地図として視界の端に表示することができた。ゲームのミニマップのように。
今まで私がいたアケルも、この街道沿いも、一応は地図を作ってある。この機能のどこが便利なのかというと、生体反応や熱源反応、音の発生源、上空から見た写真などを表示できることだ。
これのおかげで、いちいち周りを見なくても周囲の状態を把握することができた。そしてさらに、アドレさんにもらった眼帯のおかげで、それに表示されているマップを見ているみたいになって違和感もそこまでない。
アケルと同じか、少し小さめの規模か……うーん、どんな所なんだろうなぁ。楽しみだなぁ。
義眼のおかげでどんな所でも見ることはできるが、やはり自分本来の目で見てみたい。
期待に胸を躍らせる私に、アドレさんは言った。
「そうだ。お前の修行もな」
「修行……」
その言葉を聞くと、自然と気が引き締まる。この人の弟子としての生活が、あの町についたら始まるのか。
「いよいよ、なんですね」
ゆっくりとそう言うと、彼は、
「……もう始めてるつもりだったんだがな」
と、どこか遠くを見る目をしながら言った。
「あー……そういえばそうでしたね」
あれから何にもなかったから、すっかり忘れてた。
「まったく。忘れてやがったな」
「す、すみません」
少々きつめに怒られてしまい、しゅんと頭を垂れる。
「まあいい。てことで、ずっと許容してきたが、そろそろ俺のこと、『師匠』って呼んでくれないか。お前ももう、ちゃんとした弟子なんだから」
彼はそう言って、そんな私の頭を優しく撫でた。
「はい。わかりました、あど……し、師匠」
いきなり間違えそうになってしまった。そのことが少し恥ずかしくて、思わず口元を押さえる。
「はは。ま、いきなり呼び方を変えるのは難しいか。段々でいいぞ」
「すいません。なんか、師匠って呼ぶの、慣れなくて……」
「そういうもんさ。これから気を付けてくれればいい」
本当に、これから気を付けないとな。アドレさん、イコール、師匠、アドレさん、イコール、師匠、と……。
そんな風に頑張って覚えようとする私の耳に、カイさんが、
「……俺の時と扱いが違う」
と呟く声が聞こえた。その言葉はアドレ――師匠にも聞こえたようで、
「はぁ? 何言ってんだよ。な訳ねえだろ」
「へえ、よく言うな。俺の時は、俺が呼び方を間違えると手を上げてきたくせに。そんな丁寧にお願いなんかしてこなかったくせに」
「な、そ、それは、だな……」
口喧嘩が始まり、アドレさ――師匠は段々と、カイさんの言葉に追い詰められていった。
あ、あれ? も、もしかして師匠、口喧嘩に弱い……?
「え、えっとぉ……」
止めた方がいい気がする。そう思って声を掛けるが、私のその控えめな声は二人の耳には入っていない様子。
「なぜそこで言葉に詰まる。違うと言い切れないのか? え?」
「それは、その……」
ぐうの音も出ないアドレさん、じゃなかった、師匠だった。そんな彼を、カイさんはさらに責め立てる。
「こいつが女だから、俺と違って優しくしてるのか?」
「なっ、何を馬鹿なことを。んな訳ねえだろうが」
「本当か?」
「ほ、本当だ……」
そうは言うものの、師匠の目は泳いでいる。この人は嘘が苦手なようだ。
「あ、あの」
先ほどカイさんが言ったことが本当なら、私も黙っている訳にはいかない。そう思って、今度は少し大きな声で声を掛けた。
「なんだよ」
「さっき言ってた、私が女だから優しくしてるって、本当ですか」
「な、お、お前までそんなことを……」
「本当、なんですか?」
口調を変え、再度問う。私は真剣なんだ。答えてもらわないと困る。
「どうなんだ」
カイさんも、私と同じように真剣な顔で、あ――師匠の顔を見つめている。
「それは、その……そう、かもしれんが、そうだとしたらなんだってんだ」
「やめてもらいます」「やめさせる」
綺麗に揃った弟子二人の言葉に、流石の師匠もたじろいた。
……や、やばい。少し楽しくなってきちゃった。
「な、なんでだよ……俺は、その、一応お前のことを思ってそうしようとしてるんだぞ」
私達の問いを認めたうえで、開き直ったように言う師匠に、
「そんなこと私は望んでなんかいません」
私は、ありのままの本音をぶつけた。
私は、この人達と一緒に旅して、自分の記憶を探すため、そして、その中でこの国の、この世界のことを学ぶために、この人の弟子になったんだ。それなのに贔屓されるとか、カイさんよりも扱いが――下ならいいんだけど――上になるとか、そんなのは嫌だ。
「え……そ、そうか。そう、なのか」
すると彼は何かに気付いた様子で、
「わかった。すまんな、カイ、レイラ」
と言った。
「わかったのならいい」
「わかってくれれば、いいんです」
「ああ、ちゃんとわかったよ。俺が、少し甘かったようだ。これからはきちんと、弟子として厳しく接していくから、覚悟しとけよ?」
「はい! わかりました」
贔屓は駄目だ。やっぱり、同じ弟子として平等でなくちゃ。
「カイも、もう一回修行し直してもいいんだぞ?」
「遠慮する。……俺は、俺が弟子を取った時のために、外から見学させてもらう」
「お、カイも弟子を取る気があるのか。その時は俺にも紹介してくれよ」
「……師匠が生きてればな」
「おいおい、縁起でもないこと言うなって。はっはっは」
……弟子を取る、か。私も、この人に教えてもらったことを後世に伝えるために、弟子を取ったりするのかな。いや、そんなことを考える必要があるのは、何十年も先の話か。今はとにかく、この人と弟子として、いろんなことを学ばないと。
そんなことがあったりもしたが、私達は無事に、農業町ホスアルに辿り着いた。
町の中に入り、乗っていた馬車の御者さんにお礼を言う。
「ありがとうございました」
「いえいえ、これが仕事ですから」
五日間の付き合いだった御者さんと別れ、物珍しい周りの景色に目を奪われつつも、この後どうするのかをアド――師匠に聞いてみる。
「えっと、あ、し、師匠。これから、どうするんですか?」
彼は呼び方を間違えそうになった私を軽く睨んでから、
「そうだな。まずは宿を取る」
と言った。そして続けてこうも言った。
「あ、そうだ丁度いい。レイラ、お前が宿を取ってこい」
「え……わ、私が、ですか?」
そんな、いきなり言われても……。
突然の決定に戸惑う私が断ろうとする前に、師匠は小さな皮袋を渡してくる。
「金はこれを使え。三人部屋を頼むな。ま、これも修行の一環だ。いい宿を取ってきてくれよ。俺達はここで待ってるから」
中を覗くと、金貨やら銀貨やらがたくさん入っていた。
た、大金を持たされてしまった……。
「じゃ、よろしく」
「よ、よろしくって……え、えぇぇー!!」
この時私は思った。弟子というのは、ある意味、師匠の召使いのような存在なのではないか、と。




