16 戦闘開始
鬱蒼と茂る森の中に、襤褸を身にまとい、手枷をはめられた一人の女性が横たわっている。
それを取り囲んでいるのは、頭に布を巻き、鞭を持った中年の男と、鉢金を身につけ、革鎧を身につけた盗賊のような風体の若い男、そして、大人の男二人分ほどの巨躯を持つ、獣のような風貌の大男だった。
横たわる女性は身体中に傷を負っており、一行に同行する女性の医師から治療を受けている。しかしそれが終わらないままに、頭に布を巻いた男は女性医師の腕を引いて治療を中断させ、鞭で横たわる女性を打ち据え始めた。
「治療など要らん! 魔物どもに喰らわせてやる前に、存分に傷めつけてやる!」
「あぐっ……うぐっ……うぅっ……」
「っ……やめて……クロエに酷いことしないでっ……あぅっ……!」
打ち据えられる女性を見かねて、もう一人の手枷をはめられた少女が声を上げる。しかし革鎧を身につけた男に抑えこまれ、動けなくなる。
「サリバンさんよ、そろそろいいだろう? どうせこいつらは、もう商品になりゃしねえんだ。勇者の奴らも選り好みしやがってよ。こんな上玉、ちょっと逆らったくらいで殺せなんざ、贅沢が過ぎるってもんだぜ」
「余計なことを言うな、ウェイグ。我々から見れば、勇者も魔王もさして変わらん……まだ他人から搾取することを覚えていないだけ、この森に住むという魔王の方が可愛いものかもしれんな」
「ははは、あんたは奴隷じゃないからそう言えるのさ。こいつらを見てみろよ、できるわけねえのに逃げようとしやがって。俺らより魔物の方が怖えってんだろ? 全く、失礼な話じゃねえかよ」
ウェイグは押さえ込んでいた少女を、何も言わずにいる大男――ガズールに任せると、サリバンの鞭を受け、無残に服を引き裂かれた女性に近づいていく。そしてその頭を掴んで引き起こした。
「うぁぁっ……!」
「まだ声を出す元気があるじゃねえか。俺が終わっても、ガズールの相手が残ってんだからよ。どうせ死ぬんだ、その前に精々楽しんでくれよ。なあ?」
「やめて……クロエの代わりに、私を……私を好きにしていいからっ……!」
そう涙ながらに叫ぶ少女の手首は決して細くはないのに、ガズールは片手で掴み、造作もなく自由を奪っている。ウェイグはそれを見て酷薄な笑みを浮かべると、倒れている女性の胸ぐらに手を掛け、破り裂いた。
「いやぁっ……!」
「女らしい声も出せるじゃねえか……そうだ、女は護衛なんてやるもんじゃないんだよ。どうせどれだけ強い女でも、こうなっちまえば男には勝てやしねえ。女は守るだけの生き物で、男は殺す生き物なんだよ」
「この……下衆がっ……アーシャお嬢様に手を出したら、貴様ら……貴様らっ……殺してやるっ……!」
「俺にそう言った奴は、これまで全員死んだ。おまえもそうなるかは、これからの態度次第だな。さあどうする? 媚びを売って生きのびて、復讐の機会を狙ってみるか? まあ、勧めはせんがね」
「この、外道っ……んぐっ、んぐぅぅっ……!」
クロエと呼ばれた女性に冷たい目を向けていたサリバンは、今は笑みを浮かべていた。ウェイグに協力し、クロエの口に猿ぐつわを噛ませる。
「サリバンさん、あんたはどうする? 奴隷女には興味がないんだったか?」
「……それは商品になる場合の話だ。勇者の目にもう一度この女が映れば、まず意味もなく殺される」
「回りくどい言い方だな。まあ素直になれよ、あんたがそこまで鞭を振るうのは、執着してるからだろ?」
ウェイグの挑発するような言い方にも、サリバンの表情は変わらなかった。
その視線は、肌を露わにされたクロエに向けられていた。彼女は自分に向けられる蛇のような視線に、痛みで麻痺し、疲弊しきった身体に悪寒を覚える。
「どのみち、ガズールには『餌』をやらねえとな。お嬢様は家から金が取れるまで生かしておかなきゃならない。この護衛の女には申し訳ないが……おい、お嬢様は大丈夫か? また気絶してるじゃねえか」
「……仕方がありません。生命に別状はありませんので、終わるまで処置はしません。もう、耐えられる状態にありませんから」
「ファナ、お前は見張りをしていろ。見ていてもいいが、いい気分がするものでもあるまい」
「昔の自分を思い出すからか? ああ、そうか、何とか商品にされずに済んだんだったか」
気絶したアーシャの傍らで彼女の気付けをしていた少女――ファナは、ウェイグに無言で視線を向ける。ウェイグが口の端を吊り上げて笑うと、ファナはただ目をそらした。その横顔には、嫌悪の色が浮かんでいる。
ファナは立ち上がると、サリバンに命じられた通りに見張りに立つ。木の陰に隠れて彼らの視界から外れると、彼女は着ていた外套のフードを被り、その上から耳を塞ぐ。
そうしてなお、彼女は最後に、これから何が行われるのかをその目で見ようとする。
森の中にくぐもった呻きが響く。冷徹に見えたサリバンが服の前をはだけ、ウェイグに羽交い締めにされたクロエに近づき、その肌に手を伸ばす。
今は薄汚れていても、本来は輝くような光沢を持つだろう白い肌。それに触れようとするサリバンの表情は、もはやファナにとって正視に耐えるものではなく、その顔に恐怖の色が浮かぶ。
◆◇◆
映し出されていたのは、三匹の獣に襲われる女性たちの姿だった。
奴隷商人と強盗が、連れている女性の奴隷に乱暴し、殺そうとしている。私は管理球から送られてきたメッセージを見たとき、信じたくないと思いながら、想像せずにはいられなかった。
誰もが言葉を失っていた。サクヤの顔は哀れなほどに青ざめていて、アムネシアさんも何も言えずにいる。
私は振り返り、魔王さまを見た。
この光景に最も怯えるとしたら、彼なのかもしれない――そう思ったことが間違いだと、すぐに悟った。
少年の目は見開かれていた。その目に宿るものは、紛れも無い怒りの炎だった。
「……勇者どもに差し出す女奴隷が、逆らった。それだけで、彼らは処分を決め……魔物の餌にするまえに、全ての尊厳まで奪おうというのか」
「はい。もう、一刻の猶予もありません……私に、命令を下してください!」
一秒も待つことができない。けれど私は、それを魔王さまに命じられなければならない。
ここは魔王の迷宮であり、私は魔王軍の参謀なのだ。しかしそれは、魔王の権限の全てを代行するという意味ではない。
――人間と戦うことを決めるのは、魔王さまでなくてはならない。そうでなければ、私は望まない戦いを始め、それが終わるまで魔王さまを苦しめ続けることになる。
「……我は、人間と戦いを避けることが、血を流さぬ術だと思っていた。あまりにも、甘かった」
それは訣別を意味する言葉だった。全ての甘えと、優しさという名の弱さとの。
「しかし、違ったのだな。我は、人界を征服しなくてはならない。腐り果てた地上が、これ以上腐らぬように。無用な血が流れ、憎しみが連鎖することのないように」
アムネシアさんもサクヤも、魔王さまを見る目が変わっている。それは彼女たちが、ベテルギウスを本当の意味で主君として認めた瞬間だった。
私はベテルギウス様の前に膝を突いた。『魔王と参謀』の始まりも、プレイヤーが参謀として魔王に忠誠を誓うところからだった。
――人界を征服する。魔王さまがそうおっしゃるのなら、私はそれを何としてでも果たしてみせる。
「我が参謀、ミリエル・ランパードよ。我が領域に入りこみ、狼藉を働く者どもを断罪せよ!」
「かしこまりました、魔王さま!」
∽ 現在の状況 ∽
・あなたは第一部隊に命令を下しました。
・《ハウンド》が『遠吠え』を使用、敵の注意を惹きつけました。
・《ハウンド》が移動を開始しました。
・《スケルトンA》が指示位置に向かいました。
・《スケルトンB》が指示位置に向かいました。
・《スケルトンC》が指示位置に向かいました。
・第二部隊の応答確認……
・《ワーム》は待機しています。
『っ……なんだ、今の鳴き声は。魔物が出てきやがったか……?』
『興を削いでくれたな……ウェイグ、ガズール、探し出して始末しろ!』
迷宮管理球に、サリバンたちの動きが映し出される。クロエという女性は今は難を逃れたが、サリバンはまだ周囲を窺っている――すぐに邪魔が入らないのなら、蛮行を続けるつもりだろう。
それに対する対策は打ってある。ハウンドと一緒に編成していたスケルトンたちは、既にサリバンの周囲に伏せており、いつでも襲撃できる体勢を整えているのだ。
《ハウンド》はレベル1でも移動が速く、逃げに徹すれば捕まることはない。ウェイグとガズール、両方にハウンドを追わせてくれたことは幸いだった。サリバン一人なら、レベル1のスケルトン三体でも事足りる。
問題はファナという医者の動き。彼女がウェイグたちに合流することだけは避けないといけない。それに関しては、森の中に仕掛けてある罠を利用すれば、動きを封じることはできるはずだ。
(冷血のサリバン……初めての相手として不足なし。でも、ノーダメージで完封させてもらう……!)