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第二章

 物置小屋の中に、二つの人影。

 異邦人の少年が蹲り、そこから少し離れた位置にいるリール人の青年がいた。

 少年が完全に把握しきれていない言語で喚きながら、周囲の物に当り散らしていた青年の視線が自分の方に向き、

「立て」

 若者の一言に、浅い呼吸を繰り返し、震える膝に力を込めて、必死に立ち上がる。

 彼が少年の頭を両手で掴んだ途端、

「……ッ!?」

 加減の知らない膝蹴りが一度、二度、三度と立て続けに無抵抗な少年の腹に命中。

 彼の手から解放され、 身体中の酸素をすべて吐き出し、後ろによろめいている自分の右頬に衝撃が奔り、殴られた、と思った時には、少年の細い身体が宙に浮く。

 横向きに倒れ伏している少年の焦点が定まらない瞳が愉快そうに見つめ、嘲りの交じった笑い声を立てる男性に映し、自分を買った主人の憂さが晴れるまで、時間が過ぎるのを待つしかなかった。意識が薄らぎはじめた。



 そこで、目が覚めた。

 横向きの体勢から仰向けになったロジェの額には、多量の汗を浮き出ており、整然と切られていない前髪に張り付いている事に気づかないほどに頭の回転がきちんと働いていないまま、何度か目を瞬かせてから、天井に吊り下げられている照明代わりのランタンを呆然と見入っていた。

 数十秒経過して、自分が体験したのが夢である事を理解すると安堵の息を漏らし、強張らせていた身体から力が抜ける。ようやく、ここがあの場所ではないのだ、と思いと共に完全に思考が回りだす。

「あぁ、良かった……」

 と、左腕で目元を覆い、かすれ気味の声で呟く。

 身体に掛けている布を除けて上半身を起こすと、服を着ていない自分の上半身には、多数の切傷と火傷の跡が残っており、汗がその上を滴り落ちていく。

……いつものことだというのに、未だに僕は慣れないよな

 虚脱感を拭いきれず、右耳の上を擦りながら、毎日見る夢について、思う。

 酒場の二階にある三部屋の内の一つ。木材で構成された寝台の頭上部分は東向きに置かれ、東側の壁には小さな卓上があるだけの窓一つない簡素な造りを見渡した後、

……昨日、色々とあったもんなぁ

 と、感慨深げに思い、額の汗を手の甲で拭ってから横向きに降りる。

 ひとまずは、と考えた僕は、扉を開けて二階の廊下に出た。丁度、数メートル先に窓を外向きに開けられており、窓の近くで両腕を上にあげ、背筋を伸ばすと共に、深呼吸する。

 そして、朝の空気を体内に入れたロジェは、部屋に戻ると小さなテーブルに近付き、無造作に置かれている薄手の服を手に取り、着替えていると、背後にある扉を軽く叩く音を耳にすると共に、昨日と同じく、頭に布を巻いているアニエスが顔を覗かせ、

「起きて……いるわね」

 と、言ってきた。

「えぇ。今、起きたところです。どうかされたんですか?」

 はい、これで顔を洗って、と彼女が抱えていた容器を手渡され、中には半分近くほどの水が満たされていた。

「朝食の用意が出来たから、君の身支度が終わり次第、一階に降りてきて」

 と告げたアニエスは、自分の反応を待たずに背を向けて、階段の方へと歩き出す。



 天井の照明は消え、各テーブルには椅子二脚が逆様にして置かれ、残りの椅子は壁沿いに重ねて、片付けられていた。

 夜の喧騒とは対照的に、閑散としている朝の酒場ではあったが、表扉の両横に設置されている窓から入ってくる陽射しに照らされている中央付近のテーブル一台の上には、簡素な食事が並べられており、それを囲んでいる三人。

 椅子に腰掛けている三人の中でも一番年上の女性が祈りの言葉を紡ぎ終えると、

「さぁ、食べましょうか」

 と言った。

 食事を開始するクローデットとアニエスを余所に、ロジェだけは食事に手をつけていない。

……てっきり、一人だけで食べるものだと思ったんだけどなぁ……

 胸の奥で言葉にしたロジェにとって、誰かとテーブルを囲み、食事を共にするという今の状況に、動揺を隠せず、視線をさ迷わせていた。

「もしかして、食欲なかったりする?」

「い、いえ、そんな事は無いですよ」

 気遣わしげな口調でクローデットに話しかけられ、ロジェは否定の言葉を発して、黒パンを掴み、慌てて口に入れる。

「それならいいわ。……けど、そんなに口一杯に食べ物を詰め込むと危ないわよ」

 アニエスの姉の言葉に、ロジェは身振り手振りで了解の意を伝え、ゆっくりと噛み締める。 


 

 数分後。静かな口調でアニエスが喋り、その話を聞き、様々な反応をみせるクローデットという彼女達のやり取りがを耳にしながらも、話に加わらず、黙々と食べ続けているロジェの頭を支配していたのは、

……当ても外れてしまったし、これから、どうしよう……。

 今後の行動方針について、良い案が纏まらず、長い息を吐きだした。

 目の前にある彩りの良い野菜スープが入った皿から顔を上げると、彼女達の視線が自分の方に集中しており、当惑の声音を含めながら、訊く。

「……えっと、僕の顔に何かついてます?」

「ロジェ君の顔には何もついていないけど、渋い顔をしているから、なんだろうって思って」

「渋い……」

「もしかして、料理がまずかったかしら?」

 首を左右に動かして、否定を伝える。

 小首を傾げているクローデットを見て、別に話した所で問題はない、と思い、率直に語り始める。



「……それなら、暫くの間、ここの仕事を手伝ってもらえないかしら。昨日の騒ぎみたいなのが起こってしまうと、私達だけでは無理だと改めて思い知らされたし、やっぱり、男手が必要だと思っていたところだったのよ。」

 開口一番、カルカソンヌ人の女性が口にした内容に、目を見張り、どうしたものか、と判断に迷い、片頬を人差し指で掻きながら、言葉を選んでいた時、

「……ねえさん、彼が困っている」

 ロジェのクローデットのやりとりを静観していたアニエスがたしなめるように呟いた。

 クローデットと目線が合い、微笑みを見せる女性から無言の圧力を感じたロジェは、肌が粟立ち、思わず、かくかくと首を縦に振ってみせる。

「……しかし、酒場の主人に確認もせず、勝手に決めてしまっていいのですか?」

 自分の問いに、レイモンにはあたしから言っとくから問題はないわよ、という答えが返ってきたのを聞き、そうですか、と言葉にした後で顔を下に向ける。

……どちらにせよ、他の都市に移動できないんだから、受けたほうがいいよね

 と考え直し、

 「よろしくおねがいします」

 そう言った。


 ●


 太陽を覆い隠さんとばかりに雲が一面に広がり、強風と共に潮の香りが商業都市にも流れ込んでおり、不機嫌そうに口元を引き締め、通路を歩いている人々の多くが陰鬱な雰囲気を漂わせていた。

 都市内の北西部にある商業都市全体の面積を四分の一を占める市場。そこにいる者達の声、表情は明るく、陰鬱な雰囲気とは無関係に、喧騒に包まれていた。

 市場からの帰り道を歩いているロジェとアニエス。

「噂には聞いていましたが、まさかあれほどとは……」

 と感慨深げに呟いたロジェの言葉に反応したのは、

「商業都市の大市場は、列島諸国全体を支える交易の要所って事もあって、初めて都市に訪れた君みたいな人にとって、あの活気と規模のでかさに圧倒される事が多いんじゃない?」

 左斜め横にいたアニエスが冷静に言った。

 石畳の通路を踏みしめる音を耳にしながら、自分の脳裏にあったのは、アニエスと二人っきりで歩く発端となったクローデットの言葉。

『暫くの間とはいえ、都市の地利を知っておいた方が不便が無くていいと思うのよ。アニエス、ロジェ君を都市案内してあげて』

 そういえば、と考え、彼女がすんなり了承していた事を思い返し、疑問に思うと、自然に言葉を出してた。

「都市案内を引き受けてくれたのは、どうしてなんです? 都市を巡るだけなら、僕一人だけでも……」

「私は、ねえさんの頼みだから引き受けただけよ」

 なるほど、そういうものなのか、と心の中で一人納得していた僕と彼女が大広場が存在するメインストリートに差し掛かった所で前方数十メートル先にある光景が目に止まった。

……祭術だよね?

 そこには、二つのグループが異なる祭術を披露し始めているところであった。僕らが歩き続けて広場に出てみると、その周りにはそれぞれの祭術を見遣る人々の姿があり、わぁ、おぉ、とも、各集団の祭術を見ていた観客達から楽しげな声がのぼる毎に活気付いているのが一目で見てとれる。

……どんな祭術を魅せているんだろうかなぁ

 と、気もそぞろな面持ちで祭術師たちと観客達の様子をちらちらと横目で窺う度に、ロジェの歩行速度が落ちていき、しまいには祭術を披露している各集団が全体を把握できる位置で完全に足を止めて、彼らの方に向き直っていた。

……この機会逃したら、間近で見れる事はそうそうない

 祭術師が見世物を披露している場面を間近で見た回数は片手で数える程度に少ないと自分でも思っていた。

 それゆえに。

……今の今まで、祭術の事柄に関する記憶の紐を手繰り寄せながら一人で練習してきた訳なんだけど、それが本当に祭術として成立しているのかとか、もしそうなら、自分の実力がどの程度ついてきたのかという比較する対象が曖昧な思い出だけだからこそ、分らないままなんだよね……

 少しでも祭術を扱う腕を磨く為にも最前線で活躍している彼らの動作を見逃すまいと熱心に観察している先にいる十人以下の規模で構成された二つの集団は、綺麗なまでにリール人とカルカソン人別に分かたれており、それぞれが祭術の根幹として看做している祭術体系が異なっているゆえにそうなっていた。

 確か、と心中で言葉を作り、祭術師に関する知識の引き出しを開ける。

 カルカソン人の集団は、エンリコ派と呼ばれている祭術体系を扱い、リール人の集団は、ジェローム派と称される祭術体系を披露している。

 ジェローム派とエンリコ派は、それが現在において、列島諸国の人々に認められている祭術体系の名称。

 前者は、"演じる"という要素を取り入れた祭術体系であり、動作と感情を併せた体系化されている種目に含有されている解釈の物語性が在り、演じる事で表現する。

 後者は、"奏でる"という要素を取り入れた祭術体系であり、道具と感情別に体系化された種目に含まれている解釈を音色として、奏でる事で表現している。

……だからこそ、リール人の祭術師が扱うのはジェローム派であり、カルカソンヌ人の祭術師が操るのはエンリコ派なんだよな。また、過去の歴史から互いに不干渉を貫く傾向にあるリール人とカルカソンヌ人は、相手方の祭術を祭術と認めていないんだったっけ? あれ、違ってたかな。

 前に人から聞いた祭術の話を頭の中で整理しながら、二つの集団の動作を右へ左へと視線が動かしていた。

「あー、そうか、ああいう動きも祭術には有りなのか。なるほどね」

 と、一人得心顔で呟いたと同時に、視界の片隅に警邏隊の制服を着用した人間達の姿が映りこむ一瞬、小さく息を呑みこんだロジェは、疑問視という形を得る寸前で、警邏隊の人達がますます増え続ける観客の人員を機敏に整理しつつ、時には観客同士の口論を仲介している様を目の当たりにして、自分を捕まえにきたわけではないのだと知り、一安心する。

 ふと、昨日とは異なる動きをみせる警邏隊に違和感を覚え、首を捻っていると、彼女が話してくれたこの都市で祭術を披露する際におけるルールを思いだす。

 ……そう、そうだよ。どうして、彼らはあんなにも祭術を大々的にやっている事に気づかなかったのだろう? ……これほどまでに賑わっているにも関わらず、警邏隊は祭術師達の方を捕縛する素振りもみせていないし、ここでは見世物は禁止されていたはずなのに? あっ。そういえば、市議会から許可が下りているならば、こうした場所で披露しても良いとも言っていたっけかな。そう考えれば、警備隊の人達の行動も納得できる。あぁ、でも、彼女は確か、許可される事はそうそうないとも言っていたような……。

「それじゃあ、この祭術師達は特別って事になるよね。なら、特別な理由がどこかにあるはず」

 と、独り言を口に出していた自分の肩が叩かれ、なんだろうという思いでそちら側に身体の向きを変えた瞬間、これ以上ないと言うほどに両目を大きく見開いて顔を強張らせる。

 そこには、透徹なまでの眼差しで僕をみつめ、両腕を組んで仁王立ちしているアニエスの姿があり、自分が彼女に都市案内されている最中である事をすっかり忘却の彼方へと追いやっていた事に気づき、焦りだす。

「……」

「すみませんでした」

 彼女から発せられる無言の圧力にたじろぎ一歩後退しながら、僕は条件反射的に謝った。

 腕組みを解き、浅く息を吐いて両肩の力を抜いたアニエスは、まぁ良いわ、と告げて、数秒の間を置いてから、

「……うん、そうね。君はこの宣伝を見たそうにしてるし、ここら辺で都市案内を切り上げる?」

 と、訊かれる。

「祭術の方は色々と学べたんで十分なので、都市案内は続行でお願いします。……それよりも、彼らがやっている祭術が宣伝ってどういうことです?」

「どういう意味もなにも……って、あぁ、君は、ここに来て日が浅いから知らなくて当然だもんね。宣伝っていうのは、近々開催される祝祭に参加する祭術師達の一部が都市の各場所で突発的にああいう事を行って、祝祭の日まで盛り上げているのよ」

 祝祭に参加する祭術師達の一部……ですか、と首を傾げながら小声で言うロジェに、彼女は息継ぎすると同時に瑠璃色の瞳が動き、ロジェの背後。そこにいる二つの集団と観客の方を見据えて、

「一部っていうのは、祝祭までの間に早く到着してしまった祭術師のことよ。……元々、祝祭に参加する祭術師達は、……なんでも祝祭の為に市議会から祭術師斡旋所を通して、各都市にある旅団へと招待状を送って、了承を受け入れた旅団から祭術師が派遣されている人物に限るらしくて。そうした形で集められてきた祭術師達が毎年恒例となっている祝祭に於ける一大イベントでもある大規模な祭術を披露しているの。リール人とカルカソンヌ人に別れて、ね」

 と、話しているアニエスの両眼に宿る感情が不安定そうに揺らいでいる。

「ちょ、ちょっと、待ってください。それって、つまりは招待されていない者は参加できないってことですか!? ……それじゃあ、あの祭術師募集は、一体???」

 彼女の変化に気付かないくらい、次から次へと湧き出てくる疑問と情報量を頭に入れたり自分なりに整理しようと試みようとしていたものの先に己の思考回路が音を上げて、自分が何を考えていたのかが分らなくなるほどにがんじがらめとなり、一杯一杯になっていた。

 そんなロジェの内心を知ってか知らずか、アニエスが小さく小さく口の端を吊り上げたのもつかの間、仕方ない、とばかりに息をつき、他者の気持ちを落ち着かせる穏やかな音の響きで、

「何をそこまで慌てているのかは知らないけど、とりあえず落ち着いて。深呼吸」

 と、アニエスの声。僕は一回だけ頷きを返してから、肺の中に溜まっていた酸素を吐き出し、新たな酸素を取り入れる。

 頃合を見計らった彼女から、

「これは、客さん達から聞いた話なんだけど・・・・・・、この都市で祭術師募集されてるとしたら、ただひとつ。祝祭に参加する祭術師達の埋め合わせ兼サポート役らしいわよ。市議会やらなんやらがお祝祭当日に都市全体を巻き込んで祭術を盛大に行うのに必要な人数が揃いきらないと判断した場合、状況に応じて一募集をかけてるみたいよ? ……もしかしたら、また募集が再開されるかもしれないわね」

それは本当ですか!? と、興奮した様子でロジェは右足を一歩前に踏み出すとアニエスと距離を詰めていく。

「えっ!? あっ、ちょっ……ちょっと、待って。私が言ったのは、あくまでそういう可能性が有るんじゃないかっていう話なのよ? だから、喜ぶのはまだ早いと思う。……それに声大きいわよ。周りの人達がこっちを見ているじゃない」

 アニエスは、両肘を軽く曲げて胸元近くで左右の掌を返し、ロジェが近付いてくる毎に後退りつつ、焦りが内包された声で囁く。

 ロジェは、興奮状態から我に返ると足を止め、周囲を見回してみると彼女の発言通りに幾人かがこちらを見ている事に気付き、

「あぁ、確かにそうですよね」

 肩をすくめて頷き返した僕は、まぁ、それでも、と胸中で呟き、おとがいに指先を当て俯き気味になりながら彼女が話してくれた祭術の事について考えを廻らせ、

……もし、募集が再開されたら、されたで僕にとってチャンスが一つ増えるだけの事だからね。それに、彼女が言っていた突発的に祭術師達が祭術を披露する、って話も僕にとってチャンスかもしれない。公の場で僕が祭術を披露しても観客達から祝祭に参加する者として見られれば、都市追放される事も無く、まして、評判がよければそれに越したことは無い訳だから、うまくいけば……

 と、そんな思いを抱いた瞬間。

「あぁ、それはそうと念の為にも言っとくけど……。もし、君が祭術師達に紛れ込んで祭術をやろうとしているなら、やめといた方がいいわよ。警邏隊に捕縛されるだけだから」

 と、彼女の発言を意識した途端、自分の心臓が大きく脈打ちだし始めた事を感じながら俯いたまま、視線を左右に激しく行き来させているロジェは、喉元を鳴らして唾を呑みこんだ。

……落ち着け

 まぶたを閉じ、そのひと言を念じるようにして己に言い聞かせる事で戸惑う心を静めるのに要した時間は、数秒。

……本当の所、さっきのはどっち? 彼女が僕の思考を読み取った上での発言なのか。それとも、たまたまタイミングが合っただけなのかな

 と、目を開ける動作に併せて上方に顔を動かしたロジェは、少しでも良いからもやもやした気持ちを晴らそうとも判断材料を増やしてみようと思い立ち、アニエスの表情を注意深く目で追いつつ、都市案内を再開する前に会話を続ける。

「なるほど、わかりました。……ですが、警邏隊がそう簡単に参加する祭術師と参加しない祭術師を見分けているとでも言うんですか?」

 唐突な問いかけに、仕方ない、とばかりに小さく首を横に振ったアニエスは祭術師を志している少年の横に並ぶとリール人とカルカソンヌ人の祭術師集団がいる方向に指先を当てながら、たとえば、と唇を開けた。

 ロジェは振り返り、自分の隣にいる彼女が指し示す祭術師達を視界に入れながら、アニエスの解説に耳を傾ける。

「リール人とカルカソンヌ人の祭術師達の服装なんかでも分かるの」

 服装? と首を捻りつつ、見世物を披露する大人達を流し見るロジェ。

 しかし、全員の服装は、組み合わせや色合いも全体的にまとまりがあるわけでもない事が僕の目からでも一目瞭然であり、統一された制服を着用していない限りは分からないのではないかと一考していた。

 だが、そんな自分の考えを読み通していたかのような言葉がアニエスから苦笑気味に返ってくる。

「パッと見れば、君が不思議そうになるのも分からないでもない。でも、あの人達の腕や脚辺りをよく見てみてれば、私が言った意味がきっと分かるわ」

 ロジェはどこか訝しげな眼差しで祭術師たちを切り揃えられていない前髪越しに向けて、アニエスが言うとおりの見世物を披露する大人たちの身体の各部位へと視線を動かした矢先、徐々に瞳孔が見開き、あれは……、と呟く。

 紅い瞳に映りこんできたのは、一人の祭術師の片腕に貼り付けられている記章。まさか、という思いが生まれ、他の祭術師の方に視線を流してみると、二人目、三人目、四人目以降も記章と思わしき物を肩の横やふくらはぎの横などといった身体の部位に必ず付けられているのを確認してから、うん、と一度首を縦に振り、僕は感慨が含まれた声色で口にする。

「記章を付けているのが祝祭に参加する祭術師を証明する物なんですね」

 傍らから、えっ、という声が零れ落ちたのを聞きとめ、目線をアニエスの方に移している最中に彼女から意外そうな声音で言葉が紡がれていく。

「……君は、もしかして祭術師を見た事が無いの?」

 瞬きするだけの一時が流れ、顔を真横に動かし終えるとアニエスの方も肩越しにこちらを見ており、目が合い、互いに相手の瞳に映る眉を上げている自分の姿を捉え、二人は同時に微苦笑交じりの吐息をこぼす。

「いえ、昔に見たことがありますよ。ただ、今に至るまで片手で数えられるほどでしか祭術師が扱う祭術を間近で見る機会がなかったので……」

 人差し指で片頬を掻きつつ、返答した。

 そう、と言った彼女は、そのまま僕から視線を外して正面を見据える。

「あの記章は、祭術師と認められた者の証であり、その紋様には各々が属している旅団がある都市の旗に描かれているのと同じ絵柄が記されているの。だから、祭術師であれば記章を見れば、その人がどこの都市の者なのかが判断できるってわけ。それに今回の祝祭みたいなイベントだと、あそこに祭術師達は委任状も持っているはずだし、身元確認が簡単なはずよ」

「あぁ、なるほど。それで警邏隊の方々が判断しているわけですか。ん? でも、それって記章さえ身に付けていれば、他の人達から祭術師として見られるって事ですよね?」

「そこまで、詳しくはないわよ。私は祭術師でもなんでもないんだから。それじゃあ、いい加減に都市案内を再開するわよ」

 と、素っ気ない物言いで囁き、踵を返したアニエスがそのまま北東の方角へと早足で歩き出す。

 ロジェは、しばしの間、未だに祭術を披露している大人達の方を名残惜しそうに目を凝らしてから、アニエスの後を駆け足で追いかける。

 

 

 広場がある街路を通り過ぎた頃に、ロジェは前方を行くアニエスに声を掛ける。

「次は、どこに案内していただけるですか?」

 ……そうね、と俯き、思案に耽っている彼女の様子を横目に見ていた時に、

「アニエスおねえちゃーん!!」

 という甲高い声を耳にする。

 二人は、前方に視線を向けると、長い金髪を一括りに結んでいる女の子が駆け寄り、アニエスに抱きついた。

 女の子の後に数秒遅れて、リール人の男の子がやってきた。

「リリー。いきなり、アニエスさんに抱きつくのは止めろって何度も言っているだろ」

 目尻が垂れ下がっているリール人の男の子は、開口一番、そう言うと、アニエスから離れたリリーと呼ばれた女の子は、後ろに振り向くと、

「良いじゃないのよ。ジャンはうるさいわねぇ」

 不満げな声音で言った。

「あのなぁ……」

 ジャンと呼ばれた男の子は、呆れ気味に頭を左右に動かしてから次の言葉を発しかけた瞬間、

「二人とも追いていかないでよぉ……」

 と二人の会話に割って入ってきたのは、涙声で喋るカルカソンヌ人の男の子。

 リリーとジャンは互いに顔を見合わせてから、両膝に両手を置いて、肩で息をしている男の子に視線を移動する。

「フィルマンを置いていった俺が悪かったから、あぁー、もう、だから、泣くなって」

頭を掻きながら、宥めようとするジャンと、

「泣き止まないと、もう遊んであげないんだからね!?」

 腰に両手を当て、言い切る金髪の女の子に、フィルマンと呼ばれた男の子は、そんなぁ~、と情けない声をだしていた。

「あの三人は、貴方の知り合いなのですか?」

 頭に布を巻いている彼女の背中越しにそう問いかける。

 半身に振り返り、まぁね、と肯定したアニエスは、再度、子供達の方に向くと、息を大きく吸い、言葉を発する。

「リリー、フィルマン、ジャン。おはよう」

 彼女の挨拶に気付いた子供達は元気良く返事する。

 この後、思い思いにアニエスに話しかけている子供達の様子を数歩後ろで眺めていたロジェの存在に気付いたリリーが目をこれ以上ないほどに見開き、驚きの声を上げる。

「も、もしかして、お姉ちゃんの恋人!?」

 リリーは、ロジェに近付いた途端、自分の身体を下から上、上から下へと視線を行き交いさせた後、身体ごとアニエスの方を振り向き、喋り始める。

「こんな見るからに冴えなさそうで、背が低い男にはお姉ちゃんの恋人に相応しくないと私は思うの!!」

……背、背が低いって言われた

  顔を引き攣らせているロジェを凝視している金髪の女の子に、気の弱そうな男の子の口が開き、

「それはお兄ちゃんに失礼だと思う……」

「なによ、フィルマン。文句あるわけ?」

「う、ううん。そんな事ないよ」

 フィルマンは、リリーに睨まれ、激しく首を左右に振っていた。その様子を傍らで見ていたジャンは、楽しそうに腹を抱えていた。

「リリー」

 金髪の女の子の名前を言ったアニエスは、子供達と同じ目線の高さまで屈み込むと、一呼吸、間を置いて、ロジェを都市案内している経緯を話し始める。



 彼女の話を聞き、自分たちの自己紹介を終えたリリー達に囲まれたロジェに、次々とお気に入りの場所を話し続ける子供達に、気の抜けた返事をするので精一杯であり、どう対応していいものか、と当惑していた所に、

「それじゃあ、リリー達のお気に入りの場所に案内してもらえる?」

 というアニエスの提案に、大きく頷く子供三人。

「お姉ちゃんは?」

「もちろん、一緒に行くわよ」

 喜びを表したリリーは、フィルマンとジャンと共に、どこを案内しようか、という話で夢中になっているを傍らで見守っているアニエスの方にロジェが歩み寄り、彼女の右手首を掴み、引っ張る。

「な、なに……?」

 戸惑いの色を漂わせている瑠璃色の瞳を向けられたロジェは、疑問の言葉を投げかけていた。

「どういう事ですか。子供達に都市案内させるという話は」

 当惑から納得の表情へと変化した彼女は声を潜めて、言った。

「あの子達の方が私よりも都市の地利に詳しいの。それに、祭術の練習を行うのに最適な場所が見つかるかもしれないけれど、どう?」

「最適な場所ですか……?」

「そうよ。警邏隊に追っかけまわされたくは無いでしょう?」

……それは、確かに避けたいかも

 昨日の警邏隊とのやり取りを思い浮かべながら、この都市内での優先順位を確認し終え、アニエスを見据えて、分かりました、と告げる。



 商業都市の東側に、唯一、旧城壁が残っている一区画。

 周囲には、旧城壁の残骸が点在している中で、一ヶ所だけ、崩壊を免れた旧城壁の前に五人の姿があった。

「ここは、僕達のとっておきな場所なんだぁ~」

 自慢げに言うフィルマンの方を見下ろしながら、そうなんですか、と相槌を打つ。

 その時、鐘楼の音が鳴り響く。

 音の余韻がかすかに残っている最中、

 あっ!? と声を上げたジャンの方を一斉に振り向くロジェ達。

 リール人の男の子は、焦りの混じった口調で、皆に訊ねた。

「鐘が鳴ったのって、これで何回目だっけ!?」

「三回目ぐらいじゃないかな」

 自分がそう答えると、息を呑んだジャンが言葉を発するより先に、お昼、食べ損ねちゃうのは嫌だなぁ……、とぼそりと呟いたフィルマンの顔を凝視したジャンは、情けない声をだしていた。

「フィルマン、気づいていたんなら言ってくれよ……」

「う、うん。……言うタイミングを見失っちゃって」

 片手で顔を覆う仕草をするリール人の男の子に対し、リリーが呆れ気味に喋りだす。

「良いじゃないの。一度ぐらいお昼が食べ損なっても」

「それだけならいいさ。けど、今日は俺も給仕当番の一人なんだよな……」

「あー、うん。それは院長にこっぴどく叱られるね。……あの人は怖いもんね」

 リリーの言葉に頷き、肩を落とすジャン。

……大人に叱れるというのは、あの子が僕と同じような扱いを受けているという事かな?

 子供達の会話から、叱られる、という言葉に反応したロジェは、今朝、見た夢の事を脳裏に浮かべ、右耳の上に触りながら、眉間に皺を寄せていた。

「なに、怖い顔しているの」

 とアニエスが囁きかけてくれた事で、沈思から解放され、なんでもないです、と述べる。

「それじゃあ、早く帰ったほうがいいわ。案内してくれて、ありがとうね」

 彼女は、ジャン達の方に顔を向けてから、言った。

「いえいえ、そうですね。……それじゃあ、帰るぞ。フィルマン。リリー、またな」

 ジャンは、アニエスを見上げてからフィルマンの方に視線を移動させ、言葉を紡ぐ。

「えっ!? 僕も!?」

「当たり前だろ。一緒に怒られてもらうからな!! ほら、いくぞ」

「ううっ~、分かったよぉ~」

 自分達に背を向け、ジャンとフィルマンは駆け出すのを複雑な表情で見つめていたリリーに、

「一緒に行かなくて良いの?」

 と訊くアニエスは、自分と彼女を交互に見遣っているリリーの頭を撫でながら、私達のことは気にしなくて良いから、と付け加えていた。

 金髪の女の子は、こくりと頷き、男の子達の後を追っていく。

「さてと……、私もそろそろ帰らないと、準備に間に合わなくなるし、その前に上がってみる?」

 城壁を指差すアニエスにそう問われ、ロジェは肯定の言葉を告げた。

 


 旧城壁に隣接している塔から狭くて長い螺旋階段を上ったロジェ達は、城壁の上に到着。地上にいた時以上の風の直撃をまともに食らい、体勢を崩し、後ろ向きに倒れるアニエスを支えたロジェは、

「大丈夫ですか?」

 と声をかける。

「……えぇ、ありがとう」

 一拍を置いてから、そう言葉を放ったアニエスは、足を進める。

 己の頭に巻いている布を押えながら、先行する彼女の後を追うロジェは、城壁の上には、自分達同様の目的であろう人々の姿を視界に捉え、質問する。

「ここは、観光名所なのですか?」

「有名かと言われれば、そうかもしれない。……こんな所に来たいと思える物好きな人達にとってはね」

……物好きな人?

 不思議そうな眼差しで彼女の背中を見つめている最中、アニエスは西側に身体を反転させ、のこぎり型狭間の崩れていない場所で足を止め、片手を置く。彼女の視線に釣れられるようにして、西の方角に顔を動かすと、

 「あっ……」

 都市全体を見下ろす事の出来る光景に小さく声を漏らしたロジェは、もっと近くて見ようと自然と彼女の横に並んだ。

 ロジェのそんな様子を一瞥したアニエスはのこぎり型の狭間の表面を擦りながら、

「所々、けっこう脆い部分があったりして、転落死する人も少なからずいるの。危険な場所としても認識されているにも関わらず、こうして、人が集まっているのは、この城壁の上から見えるこの風景を好きな人達がいるからだと思う」

 彼女が話す内容を耳にした自分が今、いる城壁の回廊を見渡し、所々に崩れている部分がある事を確認し、頭に浮かんだ疑問を発する。

「よく、それで閉鎖されませんでしたね」

 私も詳しくは知らないけれど、と前置きした後、

「ここら一帯は、昔に何度か行われた都市の規模拡張工事が為される以前の名残がそのまま、手付かずで放置されている事と何か関係しているっていう話があるくらいだから……。それが本当かどうかは知らないけれどね」

 放置、という単語に小首を傾げていると、自分を一瞥したアニエスの唇が開き、

「気付かない? ほら、メインストリート沿いは石畳で舗装されていたのに、ここら辺の道は舗装されていない事に……」

 そういえば、と思い返し、のこぎり型の狭間から少し身を乗り出したロジェは、視線を下にずらせば、街路を行き交う人々の姿があり、地面の方を注視していると、土の路面が広がっていた。

 微かに見える舗装している道と舗装されていない道のちぐはぐな境目を視界に入れながら、

……これだけの大規模な工事が必要になるくらい、価値があるのかな。この都市には……

 と考え、その事を問うてみた。

「商業都市が列島諸国の北部と南部を繋ぐ唯一無二の交易拠点であると同時に、他大陸との貿易を重視し、異邦人の移住を積極的に受け入れるらしいわよ。その為にも居住地区を増やす必要があったんじゃない? そういった意味でも、寛容な都市だからこそ……他の都市では居場所を失った者達が多く住んでたりする」

 抑揚の無いアニエスの説明に、

……あぁ、それでなのかな

 今まで訪れた都市の全て、自分を好奇な目で見る者達が多かったからこそ、それゆえ故に対処の方法も身につくようになっていた。商業都市に訪れてからは、そんな視線に晒される事もなく、どうしてだろう、と奇妙に思えて仕方なく、逆に気味悪さを覚えていた。だが、彼女の言葉で、ようやく合点がいった事に対する安堵の吐息を漏らす。

 それにしても、と思い、ロジェは感心した口調で告げる。

「色々と詳しいのですね」

「……まぁね。酒場に来たお客さん達やリリー達から色々と話を聞いたりしてたから」

 その言葉を訊いたロジェは、アニエスの酒場に来ていた客達と会話する様子や子供達と接する時の様子が脳裏に過ぎり、あの喧騒の中は、自分には関係ない、と考える。

 そして、隣にいる彼女をちらりと見遣り、自分とは正反対の生活を送っている側の少女なのだ、と改めて認識する。

「そろそろ、戻ろう」

 そう言うと、彼女も同意し、のこぎり型の狭間から離れ、身体の向きを反転させ、出入り口へ向かっている最中、階段を上り終えた老年の男性とすれ違いざまになる前に、自分達の目の前で足を止めたかと思うと、アニエスの方に顔を向け、声を掛けてきた。

「こんにちは。……おや、珍しいね。お嬢ちゃんが誰かと一緒にここに来るなんて」

「そ、そうでもないと思いますよ……? 今、観光に訪れている彼を案内しているところなんです」

 上擦った声で返事をしたかと思うと、すぐにいつもの彼女の声音に戻った。

 老年の男性から、ここの景色はどうだったかい? と訊かれ、

「ロ、ロジェ!?」

 慌てた様子で、自分の名前を呼ぶアニエスの声に気にも留めず、

「素晴らしかったですよ」

「そうか、そうか。なかなか見所のある少年じゃのぉ」

 ロジェの答えに目を細め、頷いている老年の男性は、自分の肩を何度も叩きながら、嬉々とした声で、ここから見える都市の風景について、いかに素晴らしいものかと語り始める。

……えっと、これは僕はどうしたら良いのだろう?

 突然の出来事に当惑の表情を浮かべていたロジェは、傍らにいたアニエスに懇願の視線を向けるも、彼女は、ただただ、諦めろ、と言わんばかりに首を横に振った。

 

 老年の男性の話が終わったのは、それから数十分後の事であった。


 城壁の回廊へと繋がる塔の中にある螺旋階段を下りているロジェとアニエス。

 薄暗く、ひんやりとした空気に包まれ、涼しさを感じていたロジェは、後方にいるアニエスに向かって、疲れの入り混じる声で、

「あのおじいさんの話が長い事をなんで早く教えてくれなかったんですか……」

 と言った。

「何、行っているのよ。私の声を無視したのは、君じゃない」

 淡々とそう言われてしまい、反論の余地も無かった。

「それに、おじいちゃんの話は、都市の事とか分かりやすかったんじゃないの?」

 老年の男性の話は、彼女から聞いた話と被る部分はあったものの、それでもこの商業都市について、色々と知る事が出来て有益なものであると理解していたロジェは、ふと、ある疑問が芽生え、言葉を発する。

「それにしても、あのおじいさんが都市の事に詳しかったのはどうしてなんでしょう?」

 螺旋階段は、大人二人が並ぶと窮屈な程の狭さである故に、階段を降りている途中、城壁の上に行こうとする人達とすれ違い様に、身体を少し半身にさせて、互いにぶつからないようにして、進んでおり、今もその為に足を止めていたアニエスの顔がこちらの方に向き、話は続く。

「そこまでは私も知らないわよ。ただ、塔の中や城壁の回廊の掃除をしている姿を頻繁に見かけるから、よかなり好きなんだと思う。あの風景が」

 彼女がそう言い終わると、階段を上っていく人達が通り過ぎたのを確認してから、歩きだす。

……ん?

 彼女の言葉に引っ掛かりを覚えたロジェではあったが、何が気になったのかが分からず、数秒、思案してみるものの結局、答えを得られず、思考を放棄した。

……確かに、あそこからの景色は良かったから、おじいさんが好きになるのも分かる気がする。そういえば、一番、綺麗に見える時間帯とかって、あったりするのかな。おじいさんに聞き損ねてしまったなぁ

 と思いを巡らしていたロジェは、後方にいる少女に尋ねる。

「なんで、私にきくのよ」

「今、他にきける人がいませんから」

 あっ、そう……、と素っ気無く呟いたアニエスは、深い息を吐き出してから、喋りだす。

「夕刻なんかが一番良いんじゃない。ロジェも見たと思うけど、城壁の上からだと海をかすかに見渡せるから、夕陽が映し出された海はとても綺麗だと、私は思う。逆に、夜だと、この周辺は、照明が殆ど無いから全体的に暗すぎて都市の景色が見えずらかったりするのよ。……これで良い?」

 徐々に熱を帯びた口調で饒舌に語るアニエスの声に、理解した旨を告げる。

 それ以上、訊く事は無く、二人の会話はそこで終了し、酒場まで歩く。



 メインストリート沿いから離れ、ひらけた路地裏。

 爛々と陽射しが降り注ぐ中、滴り落ちてくる汗を拭う事はせず、小刀一本と布で固められたいびつな球を用いて、独特なテンポで動きに専念しているロジェの思考にあるのは、うまくなりたい、という想いだけであった。

 宙に投じ、回転している小刀。

 動き続けるロジェの瞳に額から落ちてくる汗が入り、目を閉じ、動きが鈍った瞬間、甲高い金属音を耳にした。 

 目を開けると、ニ歩先の地面に小刀が落ちていた。

 掴み損ねた、という認識した途端、身体が思うように動かず、膝から崩れるようにして、四つんばいの体勢になったロジェは、そのまま、乱れた息を整える為に深呼吸を繰り返す。

「一休憩するかな……」

 立ち上がり、ロジェは両手についた砂を払い落としながら、壁に寄りかかった。肩が激しく上下しており、落ち着かせようと、辺りを見渡し、呼吸を整える。

 自分が立っているこの路地は、三日前に都市案内された時に子供達に人気が少ない路地を聞き、教えてもらった場所。他にも、いくつかの場所を教えてもらったり、自分でも、ここ数日は、下見したりして、人通りの少ない事を確認済みであった。

 ふと、

……なんだかんだで、慣れているのかな? 酒場の手伝いの合間にこうして、祭術に取り組んでいるこの生活に……この僕が?

 と、自嘲めいた笑みが思わず零れだす。

……まぁ、それもこの生活も祝祭が終わるまでのこと

 そう、己に言い聞かせていたロジェは、両頬を叩き、首を激しく横に振った後、寄りかかっていた壁から離れると、地面に転がっている数少ない道具を拾い上げ、酒場に戻る時刻がどうかを確認しようと、北東地区にある小さな時計塔がある路地まで足を運び始める。

 入り組んでいる細い路地裏を進むこと十数分。目的地である路地が自分の視界に入った途端、周囲に響き渡る人々の声が聞こえてきた。

 なんだろう、と疑問符が浮かべつつ、歩みの速度を緩めたロジェは、そのまま、出る事はせず、路地の方に少しだけ顔を覗かせ、声がした方向を窺う。

 ロジェから見て、左側の生活路にいたのは、何かを叫んでいるリーダー格と思われるリール人の男性であり、彼の右腕には、腕章が付けられていた。

 彼の背後にはリール人、カルカソンヌ人の老若男女。集団の規模は数人程度であり、リーダーと思わしき人物同様、彼らの片腕には腕章をしていたが、デザインは各々、異なっていた。

「「我々は、祭術師制度の廃止を求める者達である!! 我々がジェローム派やエンリコ派を扱わないだけで、どうして迫害されなくてはいけないのだ! ましてや、あの災厄を引き起こした愚人共と同一視した挙句、われわれの仕事を奪う権利は無い!!」」

 リーダー格の男性が周囲に通るような声で、言った。

……愚人って、確か……

耳にした内容から、彼らが抗議活動を行なっている事が分かり、思考を巡らしていた時。

 そこに、そうだ、そうだ、と同意の声を上げる彼らの表情から鬼気迫るものを感じ取ったロジェは、関わりたくない、と無性にそう思い、片頬を引き攣らせて、怖気づいていた。

 しかし、己の目的である小さな時計塔は、謎の集団の向かい側にある為に、自分が立っている位置からでは、時刻が把握出来ない故に、結局は彼らの横を通り過ぎなければいけない事に、頭を悩ますロジェは、周囲に視線をめぐらす。

 生活路は、謎の集団以外にも通行人の姿もあったものの、その殆どが謎の集団を目にした瞬間、眉間に皺を寄せ、踵を返したり、彼らと視線を合わせないように俯きながら、通り過ぎていた。

 また、集団がいる場所とは、反対側の方向からやってきた黒を基調とした服を身に纏った警邏隊の出現に通行人達は表情が和らいでいくのを見ている傍らで、ロジェは、数日前の出来事から警邏隊に苦手意識を覚え、自然と苦虫を噛み潰した表情を浮かべていた。

「君たち、ただちに解散しなさい!? 往来で抗議活動をこれ以上、続けるようなら、君達を取り締まる事になる!!」

 声高らかに宣告する警邏隊に、

「市議会の狗共に、用は無い!?」

「こんな所にまで、出しゃばってくんじゃあねぇよ!! とっとと帰っちまえ!?」

 警邏隊に気付いた謎の集団にいた血気盛んな幾人かが罵詈雑言を飛ばす。

「おまえ達、やめないか。俺たちの目的は、あいつ等と衝突する事ではないだろう?」

 先ほどから、何かを説き続けていた先頭にいたリーダー格の男性は、一端、言葉を中断したかと思うと、肩越しに後ろにいた仲間達にそう窘めると、罵詈雑言が止むも、それでも、警邏隊相手に、罵詈雑言を発していた者達は、剣呑な眼差しを向け、一触即発の雰囲気は続いていた。

 だが、リーダー格の男が身体ごと抗議活動に参加している者達の方に向き、何かを囁くと、目を大きく見開いた彼の仲間達ではあったが、不平をいう事も無く、頷いていた。その光景に互いに顔を見合わせ、話し合っている警邏隊。

 そして、謎の集団は、来た道を戻り、あっという間に解散していく様子を呆然と見つめていたロジェは、すぐに自分の目的を思い出し、小さな時計塔へと向かいだす。




 酒場の喧騒も落ち着いた頃。

 ロジェは酒場の手伝いを一通り終え、酒場の片隅にあるテーブルの席に着き、おそくなってしまった夕ご飯を黙々と食べている傍らで、同席しているクローデットとアニエスの会話が聞こえてきた。

「……うん。これは、なかなかいけるわよ。あたしより料理の腕が上なんじゃないの? アニエス」

「ねえさん。それはなんでも、言い過ぎだと思う」

「あら、あたしがそう思ったから、そう言ったまでの事よ? 誉められたら、そのまま受け取ればいいのよ」

 アニエスが作った料理から目線を外して顔を上げたクローデットの瞳が三日月の形にして、苦笑交じりに言う。

「そういうもの?」

 アニエスは、小首を傾げる。

「えぇ……そういうものよ。ねぇ、ロジェ君?」

 クローデットから見て右側の席に座っている自分の方を振り向き、尋ねてきた。喋ろうとしかけるも口の中に入っていた食べ物が邪魔した為に、こくりと首を縦に振る事で、肯定する。

 その後も、姉妹が会話を続けている横で、ロジェは、ただ、ひたすらにこの時間が過ぎるのを待っていた。

……彼女達と夕食を共にするのは、回数重ねているのに、どうにも慣れないな……

 ぼんやりと考えながら、未だにこの雰囲気に苦手意識を抱いている自分自身に、おもわず心の中で苦笑していたところに、

「そういえば、北東地区の方でなんか騒ぎがあったみたいって聞いたんだけど、二人とも、何か知らない?」

 クローデットは、ロジェとアニエスを交互に見渡して、呟いた。

 知らない、と首を左右に振っているアニエスの横で、ロジェがおずおずと喋りだす。

「僕は、その場にいましたから。なんでも……」



 そして、祭術師制度に対する抗議活動の事を伝え終えたロジェは、ほっと吐息をもらす。

「……なるほどね。そういう事があったのね」

 クローデットが静かな声音で言った。

……そういえば、この二人は、愚人について、何か知っているのかな?

 愚人の事が脳裏に過ぎったロジェは、姉妹を一瞥しつつ、そんな事を思うと、

「そういえば、先頭に立っていた男性が言っていたのですが、『あの災厄を引き起こした愚人』ってどういう意味は分かりますか?」

 疑問を口にした瞬間。

 顔を上げず、食事に専念していたアニエスの身体が一瞬、固まったような気がして、なんだろう、と不思議そうな眼差しでみつめていた時、クローデットが咳払いしてから、

「愚人について、どれくらい知っているの?」

 と、質問してきた。アニエスから目線を外したロジェは、思考を整理し始める。

 ……えっと、北部都市国家同盟や南部都市国家同盟が認可している祭術体系ではなく、祭術と似ている動作を行う者の事を愚人とそう呼ばれているんだよな……そういえば。にしても、彼らが祭術師制度に対する抗議活動する理由が僕には分からないな。どうして、彼らは認可されている祭術体系を行わないだろう? ……まぁ、僕には関係ない事だよな

 自分が知っている愚人に関する事を話すのを聞いていたクローデットは、一度、目を伏せて何かを考え込む仕草を見せた後、目を開けて、自分の方を直視しながら手に持っていた木のスプーンを置いた。

「あんまり、愚人の事を大っぴらに口にしない方がいいわ。ただでさえ、彼らの事となると過敏な反応をみせる人々がいるからね?」

 そこでクローデットが言葉を一区切りした時。

「……ごちそうさまでした」

 アニエスは低い声音で言い、席を立つと、皿を手に持って、足早に調理場の方へと移動した。

「そうね。『あの災厄』と言っていたのは、祭術師狩りの事を指しているのだとあたしは思う。そうすれば、ロジェ君が遭遇した抗議活動している人達が愚人と同一視されることに嫌悪感を懐くのも分かる話だと思うのよね」

 頬杖をついて、己の考えを語ったクローデットは、深い息を吐き出した。

……祭術師狩りって、七年前だかに首謀者が処刑されて終わった事件だよね。確か、数多くの祭術師達が犠牲となり、過去の戦争にも迫るほどの混乱を列島諸国全体に及ぼしたとされているとかの……? それと愚人にはどんなかんけ……ああっ!? そういうことか!?

 目を見張り、祭術師狩りと愚人の関連性に一つの可能性に思い当たり、喉元を鳴らす。

「つまり、あの事件の首謀者が処刑されたのって、愚人の事だったんですね」

 と、呟く。

……愚人は相当、処刑されて当たり前の事を平然とやってのけたという事なのか……。なんて、最低な……

 ロジェは、顎を引き、腿の上に置いていた左手を血の気が無くなるほどに握り締め、祭術師狩りに関わった愚人に対する憤りを覚えていると、

「あら、料理が冷めてしまったわね」

 顔を上げると、スプーンを口に入れるクローデットの残念そうな表情を目にし、自分もまた、話が長くなってしまい、冷え切った食事に取り掛かった。

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