第十章
一夜が明け、小鳥達のさえずりが鳴り響く早朝の時刻から商業都市全体を包み込むように、異様な活気に満ち満ちている。
都市に居住している者達や観光客達や出稼ぎに来ている者達の殆どが興奮冷めやらない面立ちで街路を闊歩していたり、何時にも増して、商業都市の各地区では人でごった返している。
商業都市において、八月一日である本日は、人々の幸いを希う祭事。
だが、多くの人々にとってそんな事は関係なく、ただ、単にどんちゃん騒ぎする事で日々の鬱憤を晴らす口実になっていた。
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太陽が真上から西に傾き、教会の頂上に付けられた鐘が朝六時の一回目から数えて、七回目の甲高くも澄み切った音が響き、都市全体に伝わる。
昼食時になり、各地区にある食事が提供される場所や北西地区の大市場にある多くの出店にも大多数の老若男女が集まりだしている。
その中には、アニエスとクローデットの二人も含まれていた。
姉妹は、出店で買ったサンドウィッチを食しながら街路を歩いていると、道行く通行人の会話が漏れ聞こえてきた。
「おいおい、早く走らないと間に合わないんじゃないか?」
「あぁ、確か。一時過ぎにやるんだったもんな? だから、もうすぐか。これじゃあ、最初の方は間に合わないかもな」
「かもな……じゃないつーの!? とにかく、走ろうぜ!!」
忙しなく走り出そうとしている二人組の男性が話し合う内容から、アニエスは、予想ついていたとはいえ、もうすぐ始まるのか、という落胆の感情が込み上げてきた。
また、
「今年もついに来たわねぇ~~~。去年以上の色々な祭術が見れるかしらね?」
「あれ、すごいもんね!! ボク、早く見たいな!!」
お互いの手を握り締めて楽しく会話する親子の姿。
私は、親子と通り過ぎる間際にどこか羨ましげな瞳でちらりと見遣る。
だからこそ、アニエスは、そろそろ頃合ね……、というクローデットの呟きを聞き逃がす。
「あれ? ねえさん。そっちは、北東地区への道じゃない?」
「えぇ、そうよ。だけど、メインストリートの方で、そろそろ始まるみたいだし、そっちを通るのは、今はまだ、無理でしょう?」
先を進んでいる目尻が垂れ下がっている女性が妹の方に顔を動かし、声を掛けた。
アニエスは、こくり、と頷く。
●
メインストリートの大広場。
警備を担当している者達とは別に、大広場の中央付近に白と黒を基調とした服を纏っている男性が辿りつき、声を張り上げて自分が進行役である事を告げた後で、各ルールやマナー説明が為される。
進行役の男性が口を閉ざしたのは、それから五分後の事であり、進行役が自分の出番が終わったとばかりに端の方に移動している間に、観客達がいる方向とは逆側で待機していた祭術師達がジェローム派を扱う祭術師とエンリコ派を扱う祭術師が続々と所属している旅団や流派によって幾つもの輪を構築し、集まりだす。
そして、祝祭の目玉である各都市の旅団に所属している祭術師達による大規模な祭術が開始された。
中央の空間に線を引くようにして、左右に別れている集団がいる。
左側には、演じるを主眼としたジェローム派の者達による演劇。
右側には、奏でるを主眼としたエンリコ派の者達による協奏曲。
二つの流派は、異なる方法の感情表現の立ち振る舞いにも関わらず、観客達側からすれば、時に反発しながらも、見事に一体となって調和している錯覚に陥り、誰しもがその目を奪われる。
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……どうして、こうなってんだろう……?
と、胸の裡で困惑の思いを表わしているロジェは、祭術師達の中に紛れて混んで、彼らの動作に何拍分も遅れて付いていっている最中であった。
ロジェの右肩には、祭術師の証である記章が付けられている。
勿論、それは現段階では偽造に近いものではあったが、周囲にいる彼らは、ロジェが正規の祭術師ではない事に見抜けられない。
なんせ、各都市から呼び寄せられている祭術師達で構成されているからこそ、互いの顔を見るのは、交流がある者を除けば、一年毎ゆえに新参の者が現われれば、どこの旅団に所属しているかなんて事は覚えていられない。
息継ぎの際に、自分がここにいる事になった元凶となった人物との会話を思い出す。
祝祭前日。昼過ぎのいつもの練習場所となった路地裏。
『明日の昼間は、俺は用事があって、遅れる事になると思うから先に練習始めといて構わないぞ』
と、モンドの言葉を昨日耳にしたロジェはその通りにしていた。
そして、数十分過ぎになった頃、モンドが現われる。
「おぅ遅れてすまんな。唐突だが、明日の祝祭に出る事になった」
「えっ? そうなんですか? 師匠、じゃなかった……」
と、喋っている途中で、師匠、と思わず呼びかけそうになった時、モンドの片眉が少しだけ吊り上る。
……危ない、危ない。
と、この前に指摘された事を思い返す。
『俺を師匠なんで大層な言い方で呼ぶな。こそばゆくて敵わないんだよ!? 俺の事は、モンドって呼べば良い。返事!!』
『分かりました』
練習初日の深夜に、師匠と呼んでしまった時に、そんなやり取りがあったからこそ、師である男性に対して、今では呼び捨てにせざるを得なかった。
しかし、いつもの癖が抜けるには、まだまだ時間が掛かりそうであった。
「えっと、モンドがこの都市を訪れた理由は祝祭なんでしたっけ? あぁ、でも祭術を扱う側の人間なんですから当たり前ですよね。……あれ? なんで最初からじゃなくて突然になって決まったんですか?」
「はぁ? 何を言っているんだ? 坊主。お前が出るんだよ」
「えっ、えぇぇぇぇぇ!!!!!」
「ちょっと、ど、ど、どうして僕が出る事になったんですか!? だって、祭術師募集締め切りは、とっくに終わっていたはずでは……」
「そんなのはなぁ~~~、セレスタンに頼み込んだに決まっているだろう」
祭術師斡旋所の局長と云う肩書きを持つ男性の表情を頭に思い浮かべながら、
「そんな、胸を張って断言しなくても……」
と、師である男性の行動力に呆れ、脱力気味に呟く。
「どうして、そのような事を決めたんですか?」
「ん? あぁ……、その方が坊主にとって、あの時の嬢ちゃんに己の祭術を披露するのに一番良いチャンスだと思ったからな。お前、言っていたよな? 彼女は祭術を避けているって。そんな人間に真正面から僕の祭術を見てください、と言えば、断られるに決まっているだろう? 後は、その嬢ちゃんを祝祭の目玉の時にどうやったら連れ出させることが出来るかは、自分で考えろ」
ふぅ、と一息を入れ、疑問点を述べる。
「ですが、貴方に祭術を教えてもらってから数日しか経っていませんよ?」
「それゃあ、他の祭術師との腕だけを比較すれば、差は歴然なのは当たり前だ。だけどな? 自分が祭術を通して、何をしたいかを理解している今のお前なら、大丈夫さ」
何故だか、分からないけれど、師匠の言葉一つ一つを耳にする度に安心感が芽生え、抱いていた不安が消えて失せていた。
だからこそ、
「分かりました。」
と、覚悟が込められた両眼でモンドを見据えて、告げた。
その返答に、満足そうに首を縦に振ってからモンドは笑みを深めつつ、ボサボサ髪の少年に近付く。
師匠がポケットから何かを出すと、ほれ、と言って、その何かを眼前に差し出した。
「これは……」
驚きのあまり目を見開いたロジェは、次に発する言葉が見つからないまま、差し出された物とモンドを交互に見遣る。
「何を呆然としているんだか。坊主も当然知っているだろ? 祭術師の記章くらいは……。これが無いと明日に紛れ込めないからな」
「えっ、紛れ込むですか? 正式なものじゃなかったんですか!?」
「当たり前だろう? 正式な祭術師募集締め切りは終わっているんだからな」
「まぁ、それはそうですけど……。しかし、これだと警邏隊に捕まりませんか?」
「そこら辺は、安心して俺に任せとけ」
不敵な笑みを浮かべるモンドを見上げ、不安ばかりが募るロジェであった。
そして、モンドから祝祭当日における行動順と祝祭の知識を頭に叩き込まれていく事となった。
現在に至るまでの経緯を思い返していた意識が現実に戻る。
その間は、数瞬に過ぎない。
数歩分の距離を後方に跳躍しながら、自分が間近に祭術師達が作る輪の中に入って、肌で感じた事に思いを馳せる。
それは、互いに相手側の流派を意識し、どちらが上か証明させてやる、とばかりに競い合う事で生じたものであり、祭術師一人一人の意気が非常に高い事を示している、という事実。
昨日、意気が高い要因としてモンドから聞きかじった話の記憶を掘り起こす。
……たしか、商業都市に招待されている各都市の彼らにとって、所属している旅団の代表であるという誇りであり、ひいては、己の都市を大々的に宣伝する好機でもあると共に、別の旅団に居る優秀な祭術師を見極め、自分達の組織に引き抜く材料にもなっているんだっけか……。
「にしても、すごいな……」
口内で声には出さずに喋りながら動き回り、視界一杯に捉えられている祭術師達の一挙手一投足に対して、尊敬の念を抱き、
……これが祭術師、と呼ばれる人達の領域か。
と、息継ぎの際に感嘆の息が漏れる。
だからこそ、彼らとの間にかなりの隔たりを有する実力差と己の未熟さを痛感する一方で、目の前に広がる光景に興奮が収まらず、
……僕もあの領域に行きたい。
心の底から強く希う。
そして、ロジェ自身にとって公の場に立ち、祭術を披露している間中、自分の鼓膜を打ち続け、今もなお、鳴り止む事のない音を浴びるように身を浸している。
音の発生源は、祭術を見ている人々の口から、おぉ、とも、あぁ、と云ったそれぞれ異なった声量の単音がこぼれており、一人また一人と重なり続ける事で大市場全体に轟き渡る。
また、観客達の声とは別に、ある者は片足だけで、ある者は両足一緒に、幾度も石畳を踏む事で己の感情を曝け出すと共に、地鳴りを生じさせていた。
「「ジェローム派の底力をみせてやれ!!!!!」」
「「エンリコ派の凄さをみせてやれ!!!!!」」
「「奏でることしか出来ない能無し連中に負けんじゃねぇぞ!!!!!」」
「「ジェローム派なんかに負けるじゃないぞ!!!!!」」
観客達からは、応援している方への励ましや意気込みと応援していない側の罵詈雑言や嘲笑が祭術師達が居る左側と右側に向かって、飛んできた。
両隣の祭術師と連動して、ロジェは左右に跳躍し、宙に球体を投げる。
師匠から己の祭術を披露するまでの行動手順を思い浮かべる。
まず、前半に始まるのは、祝祭の目玉となる祭術師達のジェローム派とエンリコ派の集団に分かれて、披露される祭術。
ロジェは、この時にジェローム派が作り出す輪の中に紛れ込んでいた。
これには、ジェローム派では、個人主体での動作が多い為に、個々の力が肝心とされている。それに引き換え、エンリコ派の方では、集団主体での動作が多岐に渡り、集団の連結力を必要とする点があり、全てにおいて、実力不足のロジェには、モンドが後者は向かないという判断を下したからであった。
そして、中盤から後半から開始される一人ずつ、又はグループずつに分かれて、祭術を扱う自由競技の時間帯となる。
……そこから、僕の本番になる。
だから、それまでは周囲の動きに必死で食らい付いていく。
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北東地区。旧城壁の跡地。
都市全体の風景を見渡せる旧城壁の頂上にある回廊に義理の姉妹が訪れていた。
祝祭の目玉イベントにより、見ている人々の興奮した声が回廊にも届いており、二人の耳にも勿論聴こえていた。
「ねえさん? なんでこんな所に来たの?」
「ふふっ……、見れば分かるわよ」
アニエスより前を進みながら楽しそうな声音で話すクローデットは、一定の位置に辿り着くと歩みを止めた。
クローデットが左側にあるのこぎり型の狭間に方向転換して、凹凸部分に両手を置き、
「……本当に出ているのね」
と呟き、目尻が垂れ下がっているその目を柔らかく細めた。
……どういうこと?
姉の行動に疑念を抱きつつも、姉と同様に、アニエスは都市の風景を眺め、自分達が見下ろしている位置からだとメインストリートが視界に入る。
メインストリートの大広場では、イベントの中盤に差し掛かり、祭術師達の自由競技が披露されている途中であった。
「……なっ!? なんで!? ロジェがあそこにいるの!?」
大広場の奥の方に見覚えのある少年を発見した瞬間、声を荒げる自分がいた。
条件反射的に首を動かし、クローデットに疑問の視線を投げかける。
「あら? そんな怖い顔してたら、せっかくの綺麗な顔が台無しになるわよ」
「私が問いたいのはそういう事じゃないの!! ……はっ!? ねえさん、知っていたのね。ロジェが今日あそこで祭術をやるって……。だから、ここまで私を連れてきたの?」
と、一番の理解者に裏切られた気分に陥りつつ、詰問する。
「まぁね」
隣から単純明快な返答がきた。
帰る、と感情を込めないように一言告げたアニエスは、身を翻して階段の降り口まで歩きだそうと右足を前へ踏み出し、地面に着地すると同じタイミングで左手首を掴まれる。
それ以上、前進する事が出来ず、肩越しに顔を動かして、
「ねえさん。離して」
と、声にすると共に、大広場の方を見続ける姉に抗議の視線を向ける。
「今はまだ、駄目よ。ロジェ君の出番が始まっていない」
……なんで、たかがそんな理由で祭術を見なくちゃいけないのよ。
胸の奥底から憤りが沸き起こり、奥歯を噛み締める。
「私には関係ないじゃない!?」
自分の手首を掴むクローデットの手を勢いよく振り解き、その反動で身体が半回転して、向き直る。
「大いに関係あるわ。だって、あの子が頼んできたんだもの。僕の祭術をアニエスに見て欲しいから、だから、絶対に連れて来て欲しい、と……ね。あそこまで、本気で言われてしまっては、こっちも本気で応えないわけにはいかないでしょう?」
どこまでも穏やかな口調で語りかけるクローデットは身体の向きを変え、瑠璃の輝きを放ち続けている瞳を持ってるアニエスの表情を見据えた。
「何よ……それ……。全然、意味分からないわ。彼がそう言ったからって、なんでねえさんがそうしなきゃいけない理由がどこにあるというのよ? ねえさんは今まで、私をあそこから連れ出してくれた時から、一度も祭術に関わらせないようにしてくれていたじゃないの。それがなんで今更になって……」
「そうね。今まで、そうしてきたわ。祭術の事で複雑な想いを抱えている貴方が苦しそうにしているのに耐えられなかったから。でもね? あたしやリリーちゃん達だけに心を開いていたアニエスがあのロジェ君に対しても、心を開くようになってきたから……。まぁ、あの子が祭術師を目指しているって聞いた時、最初はあたしもどうしようかと思ったけれど、でもまぁ、あたしの人を見る目が確かなら、大丈夫だって、思ったのよ」
「私が彼に心を開いてるって? あり得ないわ。そんな事……」
姉の話しだした内容に、怪訝そうな表情で精一杯に声を絞り出すようにして否定する。
「喧嘩したんでしょう?」
「ロジェから聞いたの?」
「うん」
余計な真似を……、とここには居ないボサボサ髪の少年に対して、内心で毒突く。
あ、あれは別に喧嘩じゃないわ、と慌てて言い返し、
「……どちらにせよ!? その事とはねえさんには関係ないじゃない」
「あら? 侵害だわ。あたしの大事な妹が誰かと喧嘩しているなんて、黙っていられないに決まっているじゃない。だからこそ、ロジェ君から色々と聞きだしている内に原因が祭術絡みの事であるのも分かってた。でもね? あたしは、その時、安心した。アニエスにもようやく、年の近い……己の感情をぶつけられる相手を見つける事が出来たんだって……、心の底から本当によかった、と思ったわ。だって、貴方はいつも誰かと接する時は、自分が思っている肝心な事を隠してしまうんだもの」
それにね、とクローデットは一言を付け加え、瞬きする一時が流れ、
「頼み事された時、理由を訊ねてみたら、こう言ってきたのよ」
と、言った直後に、ロジェの台詞を一字一句間違えないようにしつつ喋りだす。
『彼女には笑顔が似合うから少しでもわらっていてほしい。ですから、こういう事をするには僕には祭術を扱う以外の方法しか思いつかなくて……。それに、祭術は、決して人を不幸をするものじゃないと証明してみせます』
「……」
両眼を瞠り、言葉に詰まる。
意味が分からなかった。
……わらっていてほしい? 私に対して? 彼にはまったくもって無関係な事じゃないの。
押し黙るアニエスを優しげな表情で見つめていたクローデットから、
「だから、お願い。一度だけで良いから、ここで披露されるロジェ君の祭術を見てあげて」
過去に自分を救ってくれた女性からの懇願に対して、
「……見るだけだからね」
溜息混じりに呟いた。どちらにせよ、姉は言い出したら聞かない性質なのだから、と思うと同時に、自分から折れたもう一つの理由は、
……まぁ、誰かに祭術を教えられたからって、そうそう簡単に変わる訳が無い。
と、昨日、遭遇したリール人男性が話した内容を思い浮かべてロジェの祭術が決して変化する事がないと判断したからであった。
姉は、えぇ、と笑顔で言った。
のこぎり型狭間の凹凸部分に右肘を付き、右の掌に顎を載せて大広場をつまらなさそうに見下ろす。




