1‐5 対峙
千鶴が飯田を見たという公園は、店から出てすぐ、首都高につながる道に面する、かなり大きな公園だ。
家族連れや犬の散歩、年配の夫婦やテニスの練習をしている若者など、地域の様々な人が利用する公園だ。
夜は発展場という、同性愛者のたまり場となっているという話も聞いたことがある。
木々に囲まれて、周囲とは隔絶された空間は、人目を避けるには絶好の場所なのだろう。
夜風に撫でられながら、複数ある入り口の一つに立つ、車の音、虫の声が、夏の名残を感じさせる。
奇妙なオブジェの前に立ち、後ろをついて歩く千鶴に声をかける。
「まだ確定したわけではないけれど、危険な目に合うかもしれない。というのは、把握しているよね?」
もし本当に"アレ"がかかわっているなら、千鶴にとって二度目の危機になりかねないだろう。
前回との違いは、当事者か部外者か、というだけで、いつ彼女が被害者となってもおかしくはない。
「大丈夫、です。前みたいに、守ってくれるんでしょう?先輩っ」
何の不安も感じていない、とでも言いたげな表情だ。
「……あまり過大評価はしないでもらいたいんだけどね」
ポケットに手を突っ込み、目的のものを探す。
「あった。入る前にこれ、飲んでおいて」
液体の入った小さな瓶を千鶴に差し出す。
「これ、何です?」
不思議そうに瓶を見つめ、中に入る液体を揺らしたりしている。
「エリキシル剤、まあ、お守りみたいなものだと思っておいて」
「えりきしる?」
瓶を開けて香りをかぎ、一気に飲み干す千鶴。
すぐ近くにいる僕にもハーブのような香りが届く。
「甘っ、苦いっ!?ってこれ、もしかして……」
「うん、お酒と言っても差支えないと思うよ。まあ僕はお酒はあまり詳しくないから、よくわからないけど。」
「わたし未成年!」
「バレなきゃいいのよ、バレなきゃ」
自分が笑っていることに気付いた。
柄にもなく、少し緊張してしまっていたらしい。
こんな時に笑えたのは、千鶴のおかげかもしれない。
「むー……これに何の意味があるのよぅ……」
ぶつぶつと文句を垂れている千鶴に、やはり頬が緩んでしまう。
「さて、それじゃあ行こうか、それで千鶴は大丈夫のはずだから。」
「?」
公園に足を踏み入れる。
周囲の音が、一気に聞こえなくなった。
それだけではない、あたり包む空気が質量をもったかのように重くなる。
あたりを包むこの圧力は間違いなく"アレ"そのものだ。
……間違いなく、居る。
テリトリーに入ったものを値踏みするかのような視線を感じ、背筋にゾクリと寒気を感じる。
「先輩?」
急に立ち止まったのを不審に思ったのだろう、千鶴が心配そうに声をかけてくる。
「あぁ……僕は大丈夫だから」
千鶴に飲ませたエリキシルは、霊薬などと呼ばれたりしていた事もある。古くは不老不死の伝説もあったほどだ。
だからだろう、千鶴には何の悪影響もない。
少しでも彼女を心配させないよう、気丈に振る舞ってみせる。
この先に居るであろう"アレ"の存在を確信したなら尚のこと、彼女を心配させるわけにはいかないだろう。
彼女は自衛のすべをもたない一般人なのだ、僕だけが頼り、というのも大げさな話ではない。
「しかし……」
諦めたように声を漏らす。
「?」
「これは、飯田はもう……だめかもね」
「え!?そんな……だって私さっき……」
「その時さ、この公園には誰かいた?飯田と千鶴以外に」
「え……うん、あまり沢山ではなかったけど」
「今はね、飯田と、多分僕たちだけだよ」
「やっぱり……"アレ"なんだ……」
以前のことを思い出しているのだろう、千鶴は少し辛そうな顔をしてうつむく。
僕はこの圧力を発するものに意識を向ける。
吊り橋や広場のあるあたりだろうか、そこに何かがいることはわかったが、正体まではつかめない。
しかし相手には、こちらのことがわかるのだろう、異常なことに対しては慣れっこだが、僕はあくまで人間であって、異常な存在そのものではない。
異常な存在そのものである"アレ"と僕とでは、周囲の敵の気配を気取ることに関して言えばやはり、僕にとって分が悪いだろう。
「仕方ない、一応いつでも逃げられるようにはしておいてね」
「う、うん」
「さあ、それじゃお待ちかねみたいだし、行きましょうか」
圧力の強く感じられる方に向け、歩き出した。
ほぼ同時に、相手もこちらに向かって来るのを感じた。