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月明かりの精霊舞  作者: ふぇんねる
4/28

4-1

 神事を滞りなく終えた後日、人々の話題は精霊のような巫女の少女のことで持ちきりになっていた。

 ティジットが知らなかったように、神官以外は誰も、やはり名前はおろか顔すら見たことがなかったらしい。

 普段はがらがらの礼拝堂が、精霊祭の後からは、信仰とはほど遠かったはずの無骨で粗野な男たちで賑わう。館の男の多くが少女に興味を抱いたらしかった。

 少女は御霊入れという舞手の巫女ではあるが、日常では他の神官同様らしい。日々、粛々と奉公を重ねる。

 その姿に男たちが熱い視線を送るのだが、少女の方はまるでその視線の意味を理解していないのか、いつも微笑みながら軽く会釈をして、何事も無かったかのようにすり抜ける。

 黒い絵の具が白い絵の具を侵食するくらい当然と、俗世の血肉にどす黒く穢れた男たちの興味は、纏った純白の法衣のような清らかな少女にへとますます注がれていった。



 今日も館の中庭で、少女が男たちに囲まれている。

 最近、奥方付きの神官に任ぜられて、館に出入りするようになったのを好機とばかりに、男たちが待ち伏せているのだ。

 なにやら少女の抱える書簡や神具を持ってあげようというやりとりらしい。そう重そうな荷物ではなさそうなのだが。

 遠慮する少女に、男たちは人の良さそうな、それでいて鼻の下の伸びきった満面の笑みを見せている。珍しい光景ではない。

 ティジットの数ある私室のひとつである、その庭を見下ろせる部屋の窓辺に置かれた小机から、部屋の主が少女たちの様子を遠目に眺めていた。

 いくらかやりとりがあったのち、男たちが少女の荷物をなかばおせっかいに引き受ける。

 こんな会話をいちいちしていれば、逆に仕事ははかどらないだろうに。それでも少女は申し訳なさそうに頭を下げ、道案内を始め、奥方がいるだろう執務室に通じる階段を上っていった。

 その影がすっかり見えなくなる。ティジットはため息をついて、手元の書類に目を戻した。だが直後、背後に何者かの異様な気配を察知して振り返った。

「いいよなあ……『月明かりの精霊姫』……」

 案の定、エイクが間延びした顔で部屋の扉のそばに立っていた。

「エイクですか。ノックぐらいしてくださいよ」

「わりいわりい」

 エイクは断りなく入ってきて、歓迎しない空気を発するティジットのそばの長椅子にどかりと座りこんだ。その図々しい友人にティジットは問いかける。

「で、精霊姫、ってなんですか?」

「うわ、お前知らねえのかよ」

 エイクが軽くのけぞる。

「すみません。世間の噂には疎いもので」

「ったく。あの例の彼女、兵士たちの間で『月明かりの精霊姫』って呼ばれてるんだぜ」

 呆れたようなエイクが、さっき少女が立っていた場所を大きな身振りを加えて顎で示す。

 感心したように、ティジットは目を細めた。

「そうなんですか……。精霊姫……まさしくその通りの人ですね」

「ああ。そうなんだけど……あのイカツイ筋肉達磨たちが、そんなロマンティックな呼び名を考えてたなんて思うと俺、は、腹が痛くてよお!」

 エイクはもだえながら、あげた笑い声を部屋の外まで突き抜けさせる。

「ロマンは誰しも持ち合わせていますよ、エイク」

 ティジットがたしなめるが、エイクにはそれすらも可笑しかったらしい。収まるどころか、ますます騒がしくなった。

 諦めたティジットは、頬杖をついてまた窓の外に目をやる。

「彼女は中津森の出じゃなさそうですね。どんな事情でここへやって来たのでしょう?」

 ティジットがそう思ったのは、一部の者しか精霊祭まで少女のことを知らなかったことや、その人の体つきや顔つき、空気感などが、中津森の者とは少し違うように思われたからだ。

 エイクが身を乗り出す。

「おっと、女殺しのティジットですら興味津々か?」

「そんなんじゃありませんよ。それに、あの少女に興味が湧かない男がいたらお目にかかってみたいものです」

「珍しくすごい褒めようだな。ま、かくいう俺も、彼女が気になってしょうがねえけど」

「そうなんですか?」

 ティジットが驚いて目を丸くする。エイクが女性にもてたがるのは良くあることだが、本気で好きになったという話は聞いたことが無かった。

「お前と同じだよ。憧れの存在、ってやつだ。近づいたら火傷しちまわあ!」

 だがエイクの顔も口調も冗談染みていて、他の男が少女に見せるような純粋な熱烈さは感じられない。

「ですね。火傷どころか、手すら届かないでしょうが」

 ティジットがどこか寂しそうに笑った。その表情を見て、エイクがさらに笑う。

「がっはっは。まあ、そんな顔すんな。……コホン。それじゃあ、仕方ない。噂に疎いお前に、せめて俺がこれまで仕入れた情報を提供してやろう!」

「話したいんですね?」

「まあ、そうとも言うな。がはは!」

 一層エイクはけたたましくなる。それをぴたりと止めて話し始めたエイクは、急に真面目な顔になっていた。

「彼女、西津森から来たらしいぜ。西津森といやあ、あれだよな……半年前、アンデルアに滅ぼされた……」

「話には聞いています。凄惨な戦いが繰り広げられたのだと……」

「なんかそんなこと聞くと、この館であんなに男どもが腑抜けて浮かれてていいのかね? なんて思っちまうぜ。彼女も引いてんじゃねえかって」

「それであなたは彼女には近づかないのですね」

「っていうわけでもねえんだけど」

 エイクが顔を赤らめて頭を掻いた。単純に恥ずかしさが勝っているだけなのだろう。

 照れ隠しだろうか。エイクが急に早口で色々と喋りだす。

「えっとよ……それから、あんな若さで、かなり高位の神官らしいぜ。神前舞踊はもちろん儀式にも精通してるんだと。なんでも、まだ物心もつかない幼い頃から修行してきたんだとさ。西津森の主の遠い血縁者で、なにかと目をかけてくれてもいたらしい。ってことは、血は繋がってないかも知れないが、奥方様の縁者ってことにもなるよな。昔に面識もあるって噂だし。どうりでこんなすぐに奥方様付きの神官に任命されるわけだぜ」

「なるほど……」

「だけどなにより実力が半端ねえよ。説明はいらねえな。お前も精霊舞見ただろ? 西津森では、ここ数年はずっと彼女が舞手を務めていたんだって……すごくねぇか? まだ年なんか十六、七だぜ? 何歳からだよ。まあ、頷けるけどな。西津森から来た兵士たちは郷里を思い出して、感極まって泣いてたってハナシだ」

 ティジットが深く頷く。例年に無い見物人の多さ、それにあの場の空気の異様さはそういった事情もあったらしい。

 赤らんでいたエイクの顔色がようやく普段のものに戻ってきた。

「精霊祭の半年くらい前に来たらしいけど、ずっと姿を見せなかったのは、こっちの祭事を憶えるのに忙しかったとか手続きとか色々あったらしいが、祭りまで身を汚さないために神殿に篭ってたってのが一番の理由なんだとさ。まー、ここは穢れでいっぱいだからなあ。戦の本拠地だからな」

 ティジットが、その男にしてはやや細い顎に手を添える。

「では、私があの回廊で見たのは……この館に着いたその日なのかもしれませんね……」

「え? なに?」

「いえ、独り言ですよ」

 どこかあの夜の光景は神聖だった。入り込まれたくない自分だけの記憶としてしまっておきたくて、つい漏らした言葉をティジットは引っ込めた。幸い、エイクは自分の話に夢中で、気にも留めない。

「あそ。にしてもあれだよなー。西津森の奴らって、男でもそんな感じの多いけど、とりわけ色白で華奢だよなあ、手足もすらっ、と長いし。山羊の乳を入れた紅茶の色っていうか……薄い亜麻色の髪もいいよな……あああ、イーシュちゃん……」

 救いをもたらす神の使いでも拝むように、エイクが見上げて自分の両手を握り合わせた。

「イーシュという名なのですか?」

 真顔のティジットに吹き出して、エイクは本気で長椅子から落ちそうになる。

「ぶっ! お前、名前も知らなかったのか!? 情報遅すぎるぜ!」

「す、すみません…」

 いつも挨拶のように当たり前に口から出るティジットの「すみません」も、今は本当にどこか申し訳なさそうだ。

 哀れむような変な顔で友人をまじまじ見ると、エイクはまた深く長椅子に腰掛け直した。かと思うと、今度は慌ただしく急に飛び起きる。

「ちょ、そうだ。お前、彼女に聞いてくれよ」

「なにをですか?」

「なにって、趣味とか好みの男はどんなのだ、とかよ」

「……好みの男って……彼女、巫女でしょう? つまり神、精霊に身を捧げた乙女ですよね? 異性とは付き合えないのではないですか?」

 ティジットは妙に事務的な口調だ。対照的に、エイクは感情丸出しで渋い顔で目を覆う。

「そうなんだよ。泣いてる男どもあまただぜ? 生き地獄だぜ?」

「わかってるなら……。そんなこと聞いてどうするのですか?」

「いや、そうなんだけど、それでも仲良くなりたいだろ? お前だったらイーシュちゃんに近づいても、誰も文句言わないだろうから頼むよ」

「文句?」 

「そうだよ。怖えんだよ! 彼女が歩いてるだけで男がみーんな立ち止まって見つめてる。話しかける奴には、羨望と嫉妬の眼差しだぜ。後から刺されそうだ」

「戦場で背後からぐさっ、と?」

「そうそう……って、笑い事じゃない!」

 悪戯っぽく笑うティジットの横で、いつもとは逆で、エイクが真面目な顔で憤慨する。

 笑い終えたティジットが少し首を傾げて見せた。

「すみませんが、他の人に頼んでくださいよ」

「お前もやっぱ刺されるのが怖いか……」

「はは。いくらなんでも本当に刺されることはないでしょう」

「じゃあなんでだよ? 俺を理由にしてうまいこと彼女に話しかけられるんだぜ?」

「私は皆に囲まれているのを遠くから見るだけで十分ですよ」

「ほんとかー? ほんとにかー?」

 しつこく顔を覗き込んでくるエイクに観念したのか、仕方なさそうに、ティジットは苦笑いを漏らす。

「正直、話をしてみたい気持ちは無い訳ではないですが……気後れしてしまいます」

「まあ、その気持ちは良く分かる……けどお前だって普段、娘らに囲まれてるだろーが」

「それとこれとは、また話が別です」

「ふーん……そんなもんか?」

 経験の無いエイクには、理解できそうにないという表情がありありと浮かんだ。だが諦めがついたらしい。大きな伸びをひとつする。

「っかー。仕方ねえ。他の奴に当たるか。ってか、お前が駄目なら一体誰に頼めば……」

 エイクは頭を掻きながら立ち上がると、挨拶もそこそこに去っていった。

「結局、何しに来たんでしょうねえ……」

 もう次の話し相手を見つけて遠ざかるエイクの野太い声を聞きながら、呆れつつも、ティジットはほほえましげに顔を緩めた

 部屋は前のように静まり返る。

 なにか思いついてティジットは立ち上がると、蔦の葉茂る窓辺にそっと佇み、さっき少女がいた辺りを見下ろした。

「イーシュというのですか……」

 呟き、そして頬をわずかに染め、この上ない穏やかな笑みを湛える。

「どんな瞳の色をしているのでしょう……もしいつか話しかけられたら、その時は……」

 中庭のイーシュがいた辺りの草地に、雲間から零れた白い光の柱がさあっと降りていた。




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