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月明かりの精霊舞  作者: ふぇんねる
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 盛夏、中津森は沸いていた。

 森の生き物や植物に扮した人々が行列を作り、輪になり、踊り、馳走に喜び、酒を呑む。

 新年の祭りだ。森の民の暦では、新年は真夏に訪れる。

 一般には精霊祭と呼ばれるこの新年祭は、当然一年に一度の、森の民にとって大切な七日間だった。

 あれから皇国とは何度かの会戦が起こったが、かつての領土を奪い返すことはできなかった。しかし地形的に中津森軍に有利なナルディムの丘もまた、同様に落とされることはなかった。気を抜けないとはいえ、例年になく 館には比較的平穏な空気が漂っていた。

 本祭である今日、陽が落ちた闇の中、かがり火の明かりを頼りに人々が集まる。

 神殿と湖に面した館の横手、いつもはただの草地に立派な祭壇が組まれていた。その下にはすでにたくさんの森の民が持ち寄った飲食を共にしながら戯れ遊び、旅の道化や楽師などを眺めて、その目と耳を喜ばせていた。

 けれど、見落とすはずのない祭壇のせいなのか、くだけた人々の談笑が響きあう中でも、そこは、どこか崇高な空気をはらんでいた。聖と俗とが奇妙に交わる。

「よう! ティジット! 楽しんでるか?」

 その、どこにいても聞き落とすことの無い大声を張り上げるのはエイクだ。愉快に笑い合う人々を掻き分け、酒に酔った赤ら顔で鼻歌を歌いながらティジットに近づいて来る。

 いつもとはまるでいでたちが違う。がっちりとした体に黒い熊の毛皮を肩から掛け、のしのしと大股で歩くその姿はまるで本物の熊さながらだ。森の民ではないエイクも、入った郷の習慣に従って、森の民のように仮装をしているらしい。

 ちらりとエイクの呼びかけに反応したティジットの横顔は、娘たちからの歓待の輪の中で困り果てていた。

 その青年を囲むのは花々や鳥の羽、動物の毛皮で豪華に着飾り、仮装した華やかな娘たちだ。上等な娘たちばかりだが、ティジットの目はあさっての方角を向き、話の半分も聞いていない。

 エイクに気が付くと、その存在をいいことに娘たちに丁寧に軽く会釈をして、そっけなく、するりとその輪を抜け出る。

 娘たちが熱い視線で見送るティジットを出迎えて、エイクがその肩口にいきなり太い腕をかけた。

「……って感じじゃねえな。もっといい顔しろよ。今日は精霊祭だぞ? 精霊祭!」

 むあっとした酒臭いエイクの息がかかり、ティジットは顔をそむけた。おまけに熊の仮装をしたエイクの襟巻きの固い毛が、それを纏った本人のように遠慮なく不躾に、ちくちくと肌を刺してくる。どちらもあまり心地よいものではない。

「気分じゃないんです」

 のしかかられた重みで軽くふらつきながら、ティジットは色々な意味がありげに大きなため息をつく。

 つれない。だがエイクはそれには慣れ切っている。大きな笑い声をあげた。

「ああ、そうだな。毎年な」

 エイクが下品に笑うと、また大量に酒の匂いが漂った。しらふのティジットは、多少顔をひきつらせながら苦笑いを返す。

 それに気づいているのかいないのか、エイクはまた臭い息をお構いなしに浴びせた。

「やっぱり仮装もしてねえのな。今年はするって言ってなかったっけか?」

「いつもながらエイクの記憶力の素晴らしさには感心します」

 記憶違いだ。ティジットが冷ややかな視線を向ける。しかし大男はめげない。

「俺がここに流れ着いた十年くらい前はやってたろ? 鷹とか鴉とか、ああ、狼なんてのもあったな。またやれよ。似合ってたぜ?」

「ごめんです。もうする気はありません」

 いつも以上にそっけない。辺りはお祭り騒ぎだというのに眉間に軽く皺すら寄っている。エイクでなくても一層声が大きくなるというものだ。

「つーまーんーねー奴! お前、生粋の森の民だろ? もっと祭りを楽しめよ。新年だぞ? 無礼講だぞ?」

「精霊祭とは本来そういうものではありません。神事を行う期間です。無礼講はついでです。今年も変わらぬ精霊の加護を求めるため、神事の中で巫女であり舞姫である御霊入れ様に精霊と交わっていただき、この森の安泰をお願いするという……」

「はいはい。とかなんとか言って、お前だって昔は娘らと楽しくやってたじゃねえかよ。ん? それも俺の素晴らしい記憶力がなせる技なのか?」

 ティジットはつんと横顔を見せて無視する。その件については、エイクの記憶は正しい。

「ま、お前のことなんかどうでもいいや。ほんと、精霊祭は最高だ。一年中でもいい」

 エイクは気色の悪い含み笑いを漏らしながら、髭の伸びかけた口を何度も食み合わした。

「ずいぶん呑んでるみたいですね」

「そりゃあ、お前、精霊祭で呑まなかったら、いつ呑むんだよ?」

「ふう……。万一、アンデルア軍が攻めてきたら、私が出陣しますよ」

「おう! 頼んだぜ!」

 ティジットにしては洒落た冗談だ。エイクは肩を揺らして後ろ手を振りながら去っていく。その向こうで、待ちかねていたらしい婦人がたが、エイクを手招きして呼び寄せていた。普段は女っ気の無いエイクも、この祭の時だけは別らしい。未亡人ばかりと言うのが少々気にもかかるが。

 ため息をついて見送っていたティジットに、急にまた、そのエイクが振り返った。

「おお、そうだ、忘れてた。今年選ばれた御霊入れ様はすげえらしいぞ?」

「相変わらず情報通ですね」

 エイクには舎弟が山ほどいるせいだろう。

「で、どうすごいんですか?」

 あまり興味もなさげだが、どうせエイクのことだ。無理やり聞かされると踏んだに違いないティジットが、諦め顔で聞き返す。

「いやー。どうすごいんだかな。実は知らねえんだ。部下の友人の神官からの情報なんだがな。ま、神事なんて毎年代わり映え無いから、たいして期待はしてねえんだけど」

 ティジットは何も言わずに肩をすくめた。酔っ払い相手にまともな会話を期待したのが無謀だった、とでも言いたげな呆れ顔だ。

 エイクはがはがはと笑いながら無駄に臭い息を吐き出す。

「まあ、怒るなよ。見たら分かるんだしよ。すげえのかそうじゃねえのか。神事自体はとっくに始まってるし、御霊入れ様の出番はそろそろだ。俺も後で見に行ってみるから、お前も行けば? どうせ興味ないんだろうが、ここにいたらまた娘たちに囲まれるのがオチだぜ?」

「そうですね」

 辟易した顔のティジットはエイクが去ると早速、少し離れた場所にあるかがり火が煌々と焚かれた祭壇に向かっていた。

 暗闇に浮かぶような遠い壇上の楽は止んでいた。人影も無い。ちょうど転換らしい。

 厳しい戒律に則り行われる古い古い伝統のある神事は、もう一般の者には理解不能なものだった。そこに何らかの術体系が組み込まれているのはティジットにも見てとれたが、畑の違いから、それがどういうものなのかまでは、全く解読する事ができない。

 固いことを言ったティジットでさえ、別に面白いものでもなんでもない。人々の仮装と壊れっぷりを見ている方が、まだましだ。鼻から深く息を吐いた後は、唇を固く引く。

 いつの間にか祭りの会場には、鳥の羽で身を飾った奥方とその子息もひっそりとやって来ていた。ティジットと目が合うと、奥方は微かに笑みを浮かべた後、母親の顔で幼子と群集の中に消えた。今夜は奥方すらも、森に住む単なる生き物として振る舞っている。

 仮装するのは別に愉しみのためというわけではなく、宗教的には精霊や自然と一体になるという意味があった。それに、特別説かれることはないが、別の存在になりきることで、無礼講に禍根を残さないためという理由もあるのかもしれなかった。

 祭壇に近づくにつれ、香木の香りが濃くなった。慣れない者には少々むせるような、神官たちが使う独特のものだ。邪気を払う浄化の作用を持つといわれている。次の神事も開始されたらしかった。微かに鐘の音が響き始める。

 こんな乱痴気騒ぎの中でも、ここは特別に別世界だ。

 人々の騒ぎも耳に遠く感じられる。香りや響きのせいなのか、祭壇前は完全に神聖な空気で満たされていた。

 そこではたくさんの見物の人々が壇上を見上げていた。辺りを見回し、そのことに気づいたティジットの顔が訝しく歪んだ。

 いつもと違ったからだ。例年よりずっと人が多い。ありきたりのつまらない神事のはずなのに。エイクの言っていた噂が広まっているのだろうか。

 それになにより奇妙なのは、皆一様にぽかんと口を開けて、壇上に目を奪われていることだ。いや、そんな簡単なものではない。魂を抜かれたかのようになっている。

 祭壇の様子も、先ほど遠間から眺めた時とは変わっていた。轟々と燃え盛っていた壇上のかがり火が全て消され、今は壇下で小さな灯火が揺らめくのみとなっている。

 ティジットも舞台をようやく見上げた。そして周囲と同じように固まってしまった。

 ぴんと張り詰める神聖な空気の中、――そこには精霊がいた。一糸纏わぬ少女の形で、くねり、舞う。

 まどろむような瞳。なめらかな肌。銀粉を振り掛けた元は亜麻色らしい髪。輪郭を顕わにした綺麗な曲線を描く肢体。照らされているだけのはずなのに、全て月光のような白い光を内から発する。

 月明かりの精霊舞。

 そんな言葉がなぜか脳裏を過ぎった。

 ティジットは目をしばたたかせる。精霊などいるはずがない。宗教上の概念だ。もしもいたとしても、自分の目に見えるはずが無い。と。

 それに、驚いたのはそのせいだけではなかった。

「あれは……まさか……?」

 月の光を人の形に仕立てたような、この美しい少女には見覚えがある。

もう一度、よく目を凝らす。

 ――あれはもう、半年ほど前のことになるだろうか。以前、ティジットは人気のない回廊で美しい不思議な少女を見かけた。

 その少女に違いがなかった。こんな少女がこの世に二人もいるはずが無い。

 揺らめくかがり火が遠くから微かに少女を照らす。

 ふとティジットは気づいた。よく見れば影がある。精霊ではない。それにこの壇上で舞うのだから、冷静に考えれば神事で精霊と交わる御霊入れ様だろう。瞬間、精霊に近くなるが、当然人間だ。裸に見えた体も、実際は色も分からぬほどの薄布を幾枚か巻きつけていた。

 ティジットは、ほっとしたようなため息を漏らした。少女の人間離れした容姿に、色々なことをすっかり忘れさせられていた。だが陥った恍惚からは簡単には抜け出せなかった。

「……この森の巫女だったとは……」

 夢うつつで瞳を煙らす少女の一挙一動に、ティジットの視線は操られた。

 薄布を纏うとはいえ輪郭のあらわになった体だが、不思議と今は肉欲的な感情を沸き立たせなかった。御霊入れと呼ばれる巫女は、精霊の中でも特に崇高な存在をその身に降ろして舞うと言われるからだろうか。

 舞を眺めながら、どれだけ時間が経っていたのだろう。

 いつの間にかティジットの傍にはエイクがいて、周りの人々のように口を半開きにして突っ立っていた。壇上の少女に魂を抜かれて、見つめたまま静まり返ってしまっている。さっきまで、あれだけ俗っぽく婦人方と戯れていたというのに。

 けれどティジットは、その友人を悪意なく一瞥したきりだった。

 いつもそっけない青年も、とっくにそこに佇む群像のひとつになってしまっていた。




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