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月明かりの精霊舞  作者: ふぇんねる
19/28

8-5

 東の空の方が、少しだけ、わずかに闇が薄い。

 夜明けが近づいていた。

 アンデルア軍の宿営地を遠く臨む小高い丘の上で、外套をはためかせながら、長いことエイクがそれを睨んでいた。斜め後ろで、具足が砂を踏みつける硬い音が鳴る。

 エイクは横目でそれを確認した。誰かは分かっている。

 ティジットだ。

 すっかりといつもの鎧を着込み、腰には剣を下げ、数種の鳥の羽のついた杓丈を携えている。表情には冴え渡るような凛々しさが戻っていた。

 待っていた大男は、にやりとする。

「よう。すっきりした顔しやがって。お楽しみだったようだな」

「エイク。無粋ですよ?」

 冷ややかな視線を容赦なくぶつけてくるのは紛れも無い、いつものそっけないティジットだ。エイクは笑った。

「おっと、わりぃ。生まれつきの性格なもんでな。で? 彼女は柔らかかったか?」

 ティジットがさらに冷ややかに睨む。これはもう、軽蔑の眼差しと言ってもいい。

 からかうように、エイクが歪めた半笑いの顔を作った。

「っておい。相手が巫女だからって、この状況で、好き合ってる男と女が一晩一緒にいて、ただ寝っころがってたなんてオチはねえだろ?」

「抱きしめた彼女の髪の香りが、まだ私に残っているようです」

 そう言うティジットは、この上ない幸福に満たされている。エイクが唖然としていた。

「まじかよ……」

「肉体的な繋がりよりも深く、初めて私は彼女と心からひとつになれました。今、それ以上に必要なことなどありますか?」

「……ちぇ、なんて奴らだ。せっかくお膳立てしてやったってのに……これだから森の民ってやつは……。ま、お前らが満足してんならそれでいいけど……。でも、もちろん口づけくらいはしたんだろ?」

「……」

 ティジットは顔をしかめる。

「してねえのか!? いや、したんだろ? 言えよ。したのか? してないのか?」

「エイク、だから無粋だと……」

「やかましい! どっちなのか吐け! 吐きやがれ! 俺には知る権利があるぞ!!」

 エイクがティジットの胸ぐらを掴んで乱暴にがくがくと揺する。その剣幕は本気だ。なぜ、そこまでになれるのか、ティジットには謎な程に。

 しかし確かに、権利というほどでもないが、まだイーシュの名前すら知らない頃、色々情報を聞かせてくれたこともあったし、遠出の提案をし、便宜を図ってくれたこともあった。後押ししてくれたのは間違いがない。それになにより、懇願されたとはいえ、ここにイーシュを連れてきたのは紛れもないこのエイクだ。

 しかしティジットはうっとおしそうに大男を振り払った。

「止してくださいよ」

 そうして言葉を枯らして両眼を手で押さえる。そばでエイクが煮えきらずにじたばたしていた。

「なんだその反応? ん? 否定しないってことは、したんだな!? したってことでいいな!? うん、そうしよう。……よしっ! よおーっし!!」

 エイクが勝手にそう結論づけ、嬉しそうに何度も拳を握る。

「どうしてあなたが喜ぶんですか」

「喜ぶだろ! なに言ってんだよ!!」

 肩をすくめ、「理解できません」と呟き、ティジットは大きなため息を落とす。横では、またエイクが吼えた。

 それを放って、ティジットの足は朝もやに煙る敵の宿営地の方角にもう二、三歩近づく。

 気づいたエイクも真面目な顔に戻って、すぐに大股でやって来て隣についた。

 ティジットはきりりとした微笑を浮かべ、迎える。

「……行きましょうか」

「やっぱ最後にはそう言ってくれると思ってたぜ」

「ええ。すみませんでした。そして、……ありがとうございます」

 はにかみを浮かべるティジットに、エイクは、気にするな、とでもいうように手を小さく払ってみせた。これがあるからエイクは慕われる。

「イーシュはどうした?」

「今頃は北側の森の獣道を進んでいるはずです。大丈夫と言っていた彼女ですが……安全とは言い切れませんので、護衛をつけたかったのですが……」

「断られたんだな。彼女らしい。まあ、それでいい。お前は術士だ。いざという時の為に、肉弾戦に強い護衛は一人でも多くいた方がいい」

 望まない状況だったが、そうなることをティジットも否定はしなかった。赤い瞳に覚悟の光がよぎる。

 エイクが、がっしと自らの太い腕を組んだ。

「なに。イーシュなら大丈夫だ。お前よかしっかりしてるよ」

「そうですね」

 それにイーシュには精霊がついている。知らず、ティジットの口元が弛んだ。

 その様子を観察していたエイクがほくそ笑む。

「ってか、その通りになったな」

「なにがですか?」

「前に言ったろ? お前、本気になったら意外と女に命がけだって」

「ここで、またその話題ですか!?」

「照れんな、照れんな! がはは」

 あのティジットが本当に照れている。見たこともないほどに顔を赤く染めて、苦々しくそっぽを向いた。そんな珍しい光景を眺めて嬉しそうにエイクは何度も頷いた。そうして不敵な笑みを浮かべる。

「俺たちの働き次第だぜ? 森の命運は。イーシュを守るためにも負けられねえぞ?」

「ええ」

 二人は研ぎ澄まされた視線を交わらせた。

 すると、ふと、少しエイクの様子が変わった。どこかに影をちらつかせる。

「なぁ……出陣の前に、お前に言っておきたいことがある」

「なんですか? 改まって」

「……俺がイーシュに頼まれ、ここまで連れて来たのは懇願されたからじゃねえ。お前を信じてるからだ」

「はい……?」

 話の意味がよく分からない、という顔のティジットの両肩をいきなりエイクはがしっと掴んだ。そして真正面から堅固な眼差しで貫く。

「ティジット……生きろよ! 生きろよ! 生きろよ! 絶対にだ!!」

「どうしたんですか? もちろんじゃないですか。イーシュとも約束しましたし」

 それでも、なおもエイクは戸惑い笑みさえ浮かべる男を見つめ続ける。

 ティジットは苦笑しながら、エイクの太い重い腕と視線を外した。

「さあ、間もなく夜明けです。行きましょう」

 そうしてさっと身を翻し、宿営地の方に去って行った。

 残されたエイクはその背中を見送りながら神妙にしている。

「……戦況は厳しい……。俺でさえさっきから武者震いが止まんねぇぜ……。もしかしたらこの戦い……いや、そんな否定的なことを言葉にするのはやめておこう……」

 エイクほどの男が震えが止まらないとは。

 ティジットはもう向こうの方で、将官と話し込み始めていた。今日の戦いのことだろう。すでにあらかたの事は、エイクからティジット側の将官には伝えてある。

 しかし、もはやこうなっては、戦術など微々たる問題なのかもしれない。アンデルアは、いくらかの被害を受けているとはいえ、圧倒的な軍力で押してくるに違いない。術が頼りの森の民は、全ての術士が昏倒したなら、斬りつけてでも目を覚まさせて戦うしかない。

 そうやって死に物狂いで戦えば、明日が見えるのか……。

「信じてるぜ。俺はティジット、お前を信じてるぜ。戦いの勝敗云々とかいうことだけじゃない……絶対に一緒に森に帰るぞ。……奥方様が言ったようにはならないでくれ……」

 赤い砂を含んだ一陣の風が、エイクとティジットの間を不吉に吹き去っていった。




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