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月明かりの精霊舞  作者: ふぇんねる
10/28

6-3

 中津森の館では、ささやかな祝いの席が設けられていた。

 森の娘らや婆が館に手伝いにやって来て、偶然に立ち寄った旅芸人や楽師を迎え入れ、明かりが焚かれた広間では酒や食べ物が振舞われる。

 生還を祝う小さな宴だ。

 生き残り、僅かに五体無事で戻ることができた兵士たちが、酒を酌み交わしながら今日の命を喜び合っている。

 先日の熾烈な戦場を制したのは、かろうじて、ティジット率いる森の軍の方だったのだ。

 しかし、勝利し、帰還した森の勢とはいえ、軍はほぼ壊滅状態に近かった。前衛の兵士たちは九割が負傷し、治癒院に送られた。残念ながら命を失った者も多い。敵も似たようなものだろう。勝ることができたのは、ここでもやはり、ひとえに術士の数の多さの為だ。

 目の前にあるものは全てなぎ倒し踏みつける。とでもいうような、森の民を震撼させた凄まじい皇国の進軍は、結果的には逆にすんででこちらに僅かな勝機を与えた。

 術士の多い森の軍は攻撃力に優れている。中途で戦況を察したティジットは防御を捨て、あえて本陣前まで敵を誘い込み、そこで温存しておいた大術と引かせていた兵によって敵軍を叩いたのだった。

 怪しまれぬよう上手くことを進めることができたため、敵にはいくらかの油断が生まれていたのに違いない。その弛んだ心理状態が陣形を間延びさせ、脆くした。

 前線にまで繰り出してきていた皇子の悔しそうな表情が、ティジットにも分かるほどの距離でのことだった。

 その報告を受けた奥方が、珍しく周囲に分かるほどあからさまに、ほっと胸を撫で下ろしている。言葉には出さないが、病床を離れたばかりで戦地へ送り出した若い将軍のことを、内心は心配していたのだろう。

 まして今回は、ナルディムの防衛指揮をティジットがエイクから引き継いだその数日後、偶然にもアンデルア軍の方でも引継ぎがなされ、皇子直々のお出迎えだったと後から分かったからだ。

 いつもより別段の奥方からお褒めの言葉を頂いた後、ティジットは自分の為に用意された赤い布張りの立派な椅子に案内され、腰掛けた。息をつく間も無くすぐに、わっと兵士や娘たちが集まってくる。

「ティジット様! ご無事でなによりです!」

「ティジット様、今回の戦は本当に……。私は命を救われました!」

 名を呼ぶ何十人もが満面の笑みを浮かべ、礼を述べ、挨拶や酌をしにやって来る。

 ティジットの顔は疲れきっていたが、いつもとは違って酒を注がれれば呑んだし、一人一人の話を丁寧に聞き、微笑みすら返した。

 そのうちにエイクもやってきて、今宵の宴の主役を持ち上げる。

「よう、久しぶり。戦場で引き継いだっきりだな。奥方様がきっと大丈夫だって言うから、館で俺もひやひやしながら帰りを待ってたんだが……、無事でよかったぜ!」

 言い終わるなり、エイクは大ぶりのビアマグを勢いよくティジットのグラスにぶつけた。そして、そのまま嬉しそうに中の酒をぐびぐびと飲み干す。

 肩をすくめはしたが、ティジットはエイクの乾杯を拒否しなかった。友人のものに比べてずいぶん小さな杯でだが、一緒に飲み干した。

「おっ? 今日はつきあいがいいな」

 ティジットはすぼんだ笑みを見せた。エイクがくっくと笑う。

「あの後、アンデルアの皇子が出てきたんだってな! 今回の侵攻の立役者か……、兵士たちに聞いたら、やっぱ悪役顔だったって話だな」

 なぜか楽しそうに肘で小突いてくるエイクに、ティジットは呆れて返した。

「顔なんてどうでもいいでしょう?」

 もちろんエイクは聞いていない。

「相当の猛者だって噂だが、やっぱティジットにかかればちょちょいのちょいだったな! がはは」

 にわかにティジットの顔は険しく固まる。戦場の記憶は未だ鮮やかだ。

「そんなことはありません。いずれエイクも直接に刃を合わせる日が来るかもしれません。今回はたまたま時運と兵士の皆の力により退けられたようなもの……絶対に油断は禁物ですよ。彼は本物です。まだ若いですが、戦に関しては、覇王となるやもしれぬ器の持ち主です」

「まじかよ。怖っ!!」

 エイクの声はふざけていたが、顔はそうではなかった。ティジットの表情で察したのだろう。眉が痙攣したように一瞬ぴくりと動く。

 酔いで紛らわそうとでもしたのだろうか。エイクは急くように手酌し、なみなみと溢れる酒をまたがぶりと一気に胃に流し込んだ。

「まあ、とにかく、ほんと生きて帰ってきてくれてよかったぜ!」

「……はい」

 なぜかティジットはそれを聞いて影を落とした。エイクが妙な顔を近づける。

「なんだその顔。らしくねえな。何度、死線を潜り抜けても平気な顔してんのがお前だったろ?」

「……」

 ティジットは答えない。代わりに別のことを言う。

「エイク……。私は……私の幸せを求めてもいいものなのでしょうか?」

「はあ? いいに決まってんだろーがよ。どした? なんか変だぜ?」

「……いえ、すみません。少し酔ってしまったようです。夜風にでも当たってきますよ」

 自嘲するようにティジットは、はにかむ。そして聞き取れるか聞き取れないかくらいの声で小さく呟いた。

「……ありがとう。最後に、誰かにそれだけ聞きたかったんです」

「あ?」

 それはエイクには届かなかったはずだ。目を丸くした豪快な友人を残し、さっとティジットは席を立ち、一人、夜の空にせり出したテラスへと向かう。

 その手摺に手をかけてすぐ、背後に何者かの気配を感じ取る。席を立ったのを追いかけてきたような早さだ。それなら、あの男に違いない。ティジットは苦笑しながら振り返る。

「なんですか、エイク。今夜はもうお酒は結構ですよ?」

 しかしそこにいたのは少女だった。

 白い神官の法衣。長い袖から覗ける華奢な指……。なんとイーシュだ。

 注いでくれるつもりなのだろうか。似合わぬ酒瓶を抱いて立っている。

「あっ……気がきかずに……失礼いたしました……!」

 ティジットは息を呑んだ。その目の前でイーシュは見る見るうちに恥ずかしそうに頬を赤らめ、頭を下げ、きびすを返す。

「いや、あなたなら……」

 引きとめようと、ティジットが腕を伸ばすが間悪く、そこに、人ごみの中から大柄な男がにやにやしながら出て来た。今度は正真正銘、エイクだ。追ってきたのもあるだろうが、その目はティジットが娘といるのを見物に来た物珍しがるものだ。

「なんだ? ティジット。対応が違うじゃん。……って、イーシュちゃんじゃん!」

 エイクは一人で喋って、気づいては、また一人で驚いてティジットに詰め寄った。

「おおおお前、羨ましい奴! お前も気後れするって言ってたから……」

 勢い余ってティジットの胸ぐらを掴んでいたエイクは、相手が無抵抗な上に、いつもと様子が違うことに気が付いた。おかしいほど静かだった。

「……って、おい……?」

 エイクが横を見れば。イーシュがなにか言いたそうにして困っている。ティジットも居心地悪そうにそっぽを向いた。

 勘違いでもしたのだろうか。エイクはティジットからそっと手を離した。

「まあ、あれだ。なんかよく分からんが、お前ら。こんな騒がしいとこじゃなくて、話ならどっか花でも咲いてる静かなとこにでも行ってやれよ。なぁ、ティジット」

 エイクが力ずくで無理やりティジットをテラスから引きずり出す。いくら相手が細身のティジットとはいえ、男一人軽々動かすとは、さすが重装備もものともしないエイクだ。

「しかし……まだ彼女の同意が……」

「いいから、いいから。細けえこたぁ気にすんな! なんなら俺が許す! 遠慮しないで早く行け」

「いえ、あなたに許可されたって……」

 当然のティジットの反論をエイクは耳に入れてすらいない。

「それから、ティジット。こういう時は、いつもみたいに難しい顔してねえで、素直に幸福を噛み締めろ。そんで多少無理してでも存分にやれ。姫様とお話できるなんて滅多に無い有り難い機会だからな!」

 エイクに目配せされたイーシュが途端に耳まで赤くなった。慌てて酒瓶も指から滑らす。

「わ、わた……姫……そんな……!」

 エイクが必要以上に大きく首を振る。

「いーや! 姫様って呼ばれてますよ! かくいう俺も、実は……」

 恥ずかしさを隠す為か、がりがりと乱暴に短い髪をあちこちに乱しながらエイクが頭を掻く。だが、微妙な顔を続けているティジットの方をちらりと見て、少しきまりの悪い顔をしてやめた。

「いや、俺のことなんかどうだっていい」

 そう言うとエイクは嬉しそうにティジットを引きずり、人波を掻き分けて広間から放り出した。衛兵やティジットの取り巻きの娘たちが何事かとこちらを伺っているが、お構い無しで強引にことを進める。

 そうして最後に、戸惑いながらついて来ていたイーシュを振り返った。

「さ、姫様。ティジットと行ってやってくれ」

 本当に姫にでもするような敬礼を、エイクはうそ臭い素振りでする。照れ隠しだろう。

「は、はい」

 そう答えざるを得ないイーシュから、そのまま芝居の続きのようにエイクは恭しく酒瓶を貰い受けた。そうして、望み通り友人の元に向かう姿を見送り、満足そうにその酒をあおった。




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