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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

帰還

作者: 高砂勇


 日が昇る直前になり、鳥たちが一斉にさえずり始めた。

 樹の根本によりかかる少年がぴくりと身動ぎし、薄目を開く。そしておもむろに片手を上げ、山の奥へと手のひらを向けた。


「――駄目だ」


 その手を、かたわらで同じように休んでいた彼は、そっとおさえた。

「焼いてはいけない」

「駄目? どうして?」

 少年は目をこすってから彼を見た。緋色の双眸に紅の髪。麻の貫頭衣から伸びる手足は長く、肌は浅黒い。装身具はただ一つ、首に翡翠の勾玉をかけているきりだった。

「父様が悲しむ」

「本当に? じゃあ、やめる」

「どうして焼こうと思った?」

「うるさかったから」

 無邪気に笑う少年を、彼は困ったように見返した。

 彼の方は白髪で身の丈低く、たよりない細い体つきだ。特に脚は萎えきって立つことさえおぼつかない。

 ただ、金色に輝く両の眼は、深い機知を秘めていた。

「あにさまはなんでも知ってる。賢い」

 少年が間近に顔を寄せ、彼の細い手を取った。彼はゆるくかぶりを振った。

「お前より少しばかり多く見聞きしただけだ。遠くへ行っていたから」

「お話、して」

「どんな話がいい」

「父様と母様のこと」

「もう何度も話して聞かせただろう」

「また聞きたい」

「…そうか」

 彼は切ないような表情で前方を示した。

「わたしたちの父様は中ツ国のいずこかにおられる。そして母様は」

 同じ指を、地に下ろす。

「地の深くに」

「うん」

「土地と、神と、人と。みな父様と母様がお生みになり、そこからまた多くが生まれた。お二人ともとても尊く、偉い方だ」

 本当に何度でも飽きないらしく、少年はじっと目を見開いたまま聞き入っている。ヒトよりも多くの神々よりも早く生まれたはずの少年であるが、まだまだ無垢な子供のようだ。

「母様は不幸があったために黄泉の国へと旅立たれたが、父様はそのあとも様々のものをお作りになった。そうして最後は、わたしたちの末の弟妹に治世を譲られた」

 彼はくしゃりと少年の髪をなでた。

「父様に会いたいか、ヤギハヤ」

「うん!」

「わたしももう一度、お目にかかりたいと思っている。このような体でさえなければ己の足で参るところを…」

「だから約束。あにさまがおれに道を教えて、おれがあにさまを連れて行く」

 そうだったな、と、彼は遠くつぶやいた。

「わたしは〝見る〟ことができる。お前には自由に動ける体と、身を守るだけの力がある。お前と出会えたことは幸運だった。目覚めさせるにはそれなりに苦労をしたが」

 赤い頭に乗せていた手をずらす。頬を伝って首に触れる。少年はくすぐったそうに肩をすくめた。

 首まわりには、まるで壊れたものをつなぎ止めるように、幾重にも包帯が巻かれていた。

「わたしにはお前が必要だ。そして父様にも」

「父様」

「今、父様は母様に再びお会いになる日を待ち望んでいらっしゃる。しかし待つばかりでは、それは長い先のことになろう」

「だから、おれが」

「そうだ。お前が」

「父様のお役に立てる」

「お前ならば、父様を、黄泉の国へお連れすることができる」

 彼はほほえんだ。少年の頭を抱き、耳元にささやく。

「努力したな。炎を扱うのがうまくなった」

「あにさまのおかげだ。…ところで、あにさま」

「どうした」

「腹が減った」

 ひょいと立ち上がった少年は、次の瞬間もう見えなくなっていた。声だけが姿に追いつかず、彼の周囲に残された。

「待っててあにさま。鳥か鹿でも仕留めてくる」

 彼は短く息を吐いて、また樹にもたれかかった。

「それでこそヤギハヤヲノカミ。生みの母さえ焼き殺した炎の化身」

 つぶやきと共に顔だけ仰向ける。

「あなたが手ずから斬ったという、母上の最期の子ですよ。あれはそれもわからぬまま長く眠っていたようですが。そのヤギハヤが目の前に現れたなら、あなたは一体、どのようなお顔をなさることでしょう」

 骨張った手を天にかざし、笑う。

「そして、それを導いたのがわたしだとしたら。子と認められず水に流された初子が、絶対の破壊の力を得て戻ってきたなら」

 ここに至るまで相当の時間を使った。その甲斐あって、追い求めたものがようやく触れられそうに思えてきた。

 止めようとする意思にはまだ出会っていない。まだ誰も彼の企みに気づいていない。

「早くお会いしたいものです、父上」

 そして――その時は。

「貴方を、必ず母上の元へ…」

「ヒルコあにさま!」

 声がした。今度は普通に下生えを踏みながら、少年が山の斜面を下ってくる。肩には二羽のウサギをかつぎ、そのどちらもが既に香ばしいにおいを漂わせていた。

 彼は身を起こした。

「早かったな」

「食べよう。準備、できてる」

「ああ、そうしよう」

 うなずき、金色の目を細めた。





 「もはや、準備は整った」




                                   了

 イザナギノ神とイザナミノ神は、最初に生まれた醜いヒルコをアシの葉の船に乗せて流してしまいました。

 その後はやり方を改めて、イザナミはたくさんの神を生みましたが、最後に火の神を生んだ時にやけどをし、それがもとで黄泉の国へと去ってしまいました。イザナギは嘆き悲しんで、火の神の首を剣で切ってしまいました。(「古事記」より補足。)


 初投稿です。

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