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数学という思考方法

 学校の数学の授業やなんかだと、根本的な事はあまり教えず、ただの数式の丸暗記なんかで終わってしまいますから、数学が何なのかって事を深く追求する人はあまりいなくて、なんとなくの理解でとどめている人がほとんどなのじゃないか、と思います。

 実際、物理や化学なんかと同列に数学を捉えている人に僕は会った事があります。数学を自然科学の一分野だとその人はどうも考えていたようです。ですが数学は、実は自然科学の一つに基本的には数えられてはいません。

 もっとも、世の中には、色々な主張をする人がいて、自然科学の一つとするべきだ、と言っている人もいるのですが。

 (まぁ、飽くまで“するべきだ”ですが)

 数学は、物理や化学を記述する為に用いられてはいますが、数学自体は現実世界に存在するものじゃありませんから、現実の自然を研究対象としている自然科学には含まれないのです。

 数学は抽象概念ですから、現実には存在してはいないのですね。数学の概念上で、線には幅がありませんが、幅のない線なんて現実には有り得ないでしょう?

 じゃ、抽象概念ってのは、何の事なんでしょう。

 これも説明が難しいです。なので、巧く説明できるかどうかは自信がないのですが、例を出して簡単に説明したいと思います。

 『Y=2X』の直線があったとします。

 2を速度、Xを時間、とすると、Yは距離になります。この場合の『Y=2X』は速度が一定の場合の、進んだ距離を表現する為の計算式ですね。ですが、Xを一辺の線、Yをもう一辺の線とすると、『Y=2X』は直角三角形を表現する事になります。

 つまり、『Y=2X』という法則性さえあれば、時間と距離の関係だろうが、図形だろうが、同時に表現しているのです。そして、その同時に表現している部分こそが、抽象概念としての数学の本質です。

 抽象概念は、具体的には何ものでもありません。しかし、だからこそ、それはとても重要だと言えます。

 具体的には何ものでもないからこそ、抽象概念に対する理解が進めば、同時に多くの物事に対する理解が進む、という事になりますから。

 数学が、学問の中で最も重要なものだ、というような言葉を、時々、目にする事がありますが、こういった事を考慮するのならば、それは当然だと言えるでしょう。

 

 さて。

 今まで話したように、数学とは抽象概念ですから、様々な物事に当て嵌められます。だから、数学は自然科学の基礎となり、様々な学問のモデルとなったのです。

 古くから、自然を記述する為に数学を用いるという発想はあったらしいのですが、積極的にそれが用いられるようになったのは、やはりガリレオ当の革命者の出現、ルネサンスからです。そして、自然科学は、数学を積極的にモデルとするようになってから、著しく発展をしました。物理学も化学も、そして、それらを手本としている経済学も(一応断っておくと“自然科学”という言葉が生まれる前の理論も、ここでは便宜上、“自然科学”に含んでいます)。

 ただし、そうやって発展してきた諸学問には穴があったのです。意識的無意識的に拘わらず、無視してきた領域が。

 それは、複雑な事象。

 (因みに、ここでの“複雑な”という言葉には特別な意味があります)

 先にも述べたように、数学は大変に優秀なツールです。ですから、今後も大いに学ぶ価値があるし、その有用性は疑う余地がありません。ただし、数学には単純な事象にしか適用できない、といった欠点も存在するのです。

 例えば、多因子によって、その現象が起こっている場合。

 A→B だけでなく、A→C といった流れも存在し、それぞれを要素に分解してしまうと、現象が捉えられなくなってしまうようなケース。

 または、要素の影響が相互影響している場合。

 A→B だけでなく、B→A といった流れも存在し、相互作用によってその現象が起こっているケース。

 こういった単純な因果関係で捉えられない物事を理解する為には、数学は直接的には用いる事ができないのです。そして、だからこそ、数学を基盤に置いた自然科学の理論構築方法は還元的手法が主流になっていました。還元的手法は、数学と相性がいいのです。

 還元的手法とは、全体を要素に分解し、その各要素を理解した上で繋げ、全体を理解しようという発想です。

 ですが、自然界には還元的手法では理解できない事象で満ち溢れています。

 例を挙げると、氷から液体への、水の状態変化。これは、水分子と水分子の関係性の変化です。だから、いくら個々の水分子を研究しても、理解できません。水分子と水分子の関係性を研究しなければならないのです。つまり、還元的手法では捉えられないのです。

 また、個人と集団と相互影響によって形作られる社会や、様々な要素が絡み合う生体。生物と生物の関わりによって形成される生態系なども、当然、還元的な発想では捉えきる事ができません。そこには絶対に理解の及ばない穴が存在する事になります。

 還元的手法では理解できない以上、発想を転換しなければ、自然への理解には限界がある事になります。そして、その事は、自然科学の理想と現実にも象徴的に現れています。

 自然科学にはある理想があります。

 物理を展開すれば化学が理解でき、化学を展開すれば、生物学が理解でき、生物学を展開すれば、心理学が理解でき、心理学を展開すれば、社会心理学が理解できる… そうやって還元的手法で理解していけば、やがては世界の有り様の全てが理解できるようになるはずだ、という。しかし、それは飽くまで“理想”でした。現実は遠く及びません。

 理由は、もちろん、上記のような還元的発想、ひいては数学的思考方法に限界があったからです。

 もちろん、こういった点は古くから多くの人によって指摘されてきました。夏目漱石の随筆の弟子で、物理学者の寺田寅吉もその一人です。だから、完全に無視されてきたとすると、或いは言いすぎかもしれません。しかし、挑む手段がなかった、という点は少なくとも事実ではないかと思います。

 しかし、近年に入って、そこに一つの状況の変化がありました。それは“コンピュータの登場”です。

 コンピュータによって、仮想世界を構築し、そこでシミュレーション実験を行う、といったこれまでとは違った手法によって“複雑な”事象に挑む事が可能になったのです。

 法則を設定し、それをコンピュータ内で演繹的に展開する、といった意味ではこれは演繹的思考の様ですが、実験によってデータを集め帰納的思考を行うといった点を考えるのならば帰納的思考だと言えます。しかし、法則を自ら人間が設定できる、といった点を考慮するのならば、今までと全く同じ帰納的思考だとも言えないのです。そこを考えると、演繹的思考の要素が強い。

 これは、アブダクション(思考方法の一つです)を、コンピュータを利用して行っている、と捉えるべきものなのかもしれません。

 と言っても、必ずしもコンピュータばかりに頼っていると言った訳ではなく、むしろそれは作業工程の一部なのですが。この新しい分野は“複雑系”や“複雑系科学”などと呼ばれています。

 数学の弱点を補うような形で出現した分野と表現する事が可能でしょう。自然科学は近年になって、欠損部をようやく埋め始めたのです。

 では、この話を経済にも適用してみましょうか。なんだか、忘れられそうですが、これは、経済に関する論文ですから(笑)。

 数学を基盤に置いている、という点は経済学にも言える事です(そもそも、経済学は自然科学を模して作られたものなので、それは当然なのですが)。という事は経済学にも自然科学と同じ弱点があるのです。数学だけでは捉えられない、という弱点が。つまり、複雑系科学の発展によって、経済学にも発展が期待できるのです。実際、複雑系科学の主要な研究対象の一つに経済も数えられています。

 経済学は、数学を基盤にする為に、あまりに過剰な単純化をしてしまいました。そして、その事によって現実性を失ってしまった、と多くの人によって指摘されてもいます。だから、複雑系科学の適用によって、発展が期待されているのです。

 

 はい。

 なんて説明すると、今から説明する僕の理論がいかにも“複雑系科学”のように思えてしまいますね。

 でも、正直に告白するのなら、僕自身にもそれがよく分からないのです。

 もちろん、発想的には刺激を受けて、これから述べる理論を考え出したのですが、その考え出したものが、何処にどう位置するのかと問われるとよく分からないのです。

 (まぁ、複雑系科学自体が、まだまだ定義の曖昧な分野ですから、或いはそれは当然なのかもしれませんが)

 僕の考えたものは、抽象概念です。その抽象概念が今までの数学にはない事は確かですが、広義には数学の一分野に入るような気もします……

 って、理論自体を説明もしない内から、こんな事で悩まれても、読んでいる人には訳が分からないですね(笑)。

 とにかく、今までの理論構築方法には見落としている部分があるんだってな事を理解してもらえたら、ここでは充分です。

 例え簡単な事であったとしても、その見落としている部分に陥ってしまっていたなら、理解は進まないのですね。

 ただし、“複雑系科学”の誕生が示している通り、その見落としている部分に光を当てる思考方法がある事も事実です。

 さて。

 では次にいよいよ、本題を語り始めようと思います。経済学の欠損部に光を当てる思考方法の説明です。

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