はじめに
できるだけ簡単で面白いものを、と思って書き始めたのに、気が付いたらとても難しくなってしまったので、お蔵入りにしていたのを掘り返しました。
なので、そんなに分かり易くはないかもしれません。
数年前に書きました。
論文。
と聞くと、どんなものを思い浮べるでしょうか?
数式やなんかがあって、モデルがあって、データがあって、そして推論がある。例えば、そんな感じでしょうか?
社会科学や人文科学だと、もう少し違ったものを考えるかもしれませんが、多分、自然科学の範疇に属する論文を想像するのならば、ほとんどの人がこういったものをイメージするだろうと思います。そして、一部の特殊な知識技能を身に付けた人間でなければ、その内容は難解過ぎて理解する事はできない、と。
では、自然科学とは何でしょうか?
これは、難しい問いかけです。
先に結論を言ってしまうのであれば、答えは未だに出てはいません。帰納主義、確証主義、道具主義、反証主義… 様々な提案が為されてきたのですが、科学的合理性の基準は今日に至るまで設定されていないのです。というよりも、設定できなかったのです。
どう設定しても、何かしらの齟齬や矛盾が現れてしまい、結局、科学とは何かを定義する事はできなかったのですね。
これは科学の誕生と共に、常に付き纏ってきた問題で、しかも社会的背景と切っても切り離せません。――社会的背景、と聞くと科学が純粋に論理的なものとして存在していると考える人は驚くかもしれませんが、科学も一つの文化に過ぎない事は古くから指摘されてきた明白な事実なのです。そして、何かの理論が形成されるのにも、発表される科学理論が受け入れられるのにも、社会的背景が重要になってくる事も。
では、科学とはいつ頃に成立をしたものなのでしょうか?
実は、それほど古くはありません。
もちろん、単純な技術や知識となると、紀元前まで遡れるのですが、科学をそういったものから切り離し、一つの手法や体制として捉えると、一般的には中世スコラ哲学に対する反発から生まれた“帰納主義”という考え方が近代科学の始まりとされています。時代でいえば、16世紀頃となるのでしょうか?
中世スコラ哲学というのは、アリストテレスの自然哲学がキリスト教に受け入れられる事によって成立した哲学、自然観の事です。
キリスト教には、自然法則は神が定めたもので、神が定めた自然法則は絶対的で普遍的なもの、という信念がありました。故に、アリストテレスの自然観に反論したものは、異端とされて宗教裁判にかけられたのです。
(因みに、アリストテレスは、天動説を唱えていました。だから、地動説を唱えたガリレオが、宗教裁判にかけられたのです)
アリストテレスの哲学は、自らが創始した形式論理学の上に成り立っています。形式論理学とは、数学の基礎で、演繹的思考を行う上で重要な概念です。ただし、アリストテレスの哲学は、演繹的思考のみを重要視し過ぎてもいました。つまり、中世スコラ哲学(アリストテレスの自然哲学)への反発とは、同時に、演繹的思考方法のみに頼った理論構築に対する反発でもあったのです。そして、その反発は帰納的思考の重要性を説いた“帰納主義”という考え方によって具体的に提示されたのでした。
では、その“演繹的思考”、“帰納的思考”とはどういった思考方法なのでしょうか。まずはそれが分からなければ、内容を把握し難いと思いますので、例を出して簡単に説明をしたいと思います。
――まずは、“演繹的思考”から。
直線Aがあると思って下さい。直線は知っての通り、180度ですね。この180度を三分割するように更に二本直線を引きましょう。それから、一番初めの直線Aに対して平行な直線Bを引きます。すると(実際にやってもらえれば分かり易いのですが)、そこに三角形ができるのが分かるはずです。
この三角形のそれぞれの角は、角度の定義から、初めの直線A(180度)を三分割した角度と同じである事が導けます。線の引き方を変えればあらゆる三角形を作り出す事ができるので、これで、三角形の内角の和が180度になる、という結論が得られます。
……こんな感じで、設定された条件から次の結論を導く思考を演繹的思考というのです。
――次に“帰納的思考”。
三角形をたくさん描きます。で、その三角形のそれぞれの角度を、全て測りましょう。完全に正確な三角形を引けはしないでしょうが、それでも集められたデータを用いて三角形の内角の和を求めると、約180度にはなっているはずです。
それで、三角形の内角の和は180度である、という結論が得られます。
……こんな感じで複数のデータを集め、そこから結論を得る思考を帰納的思考というのです。
これは、実験や調査を行い、集められたデータから理論を作る、現代の科学的手法に通じる考えと思ってくれればいいかもしれません。
古くから、演繹的思考による理論構築は盛んに行われてきました。数学がその代表例で、もちろん、大いに成功しました。しかし、近代科学が誕生をするのには、演繹的思考のみでは不可能だったのです。だから、帰納的思考が必要だったのですが、では、一体それはどうしてなのでしょうか?
答えは簡単です。
演繹的思考には、大きな欠点があったからです。
では、今度はその欠点を“ユークリッド幾何”と“非ユークリッド幾何”という数学上の重要な概念を用いて説明したいと思います。
非ユークリッド幾何とは、早い話が、ユークリッド幾何ではない幾何の事です。では、ユークリッド幾何とは何かというと、簡単に言うのなら、平らな面を想定した幾何の事です。さっきの三角形の内角の和が180度という証明は、ユークリッド幾何上のものですね。
では、もしも面が平らではなかったのなら、どうなるでしょう? 例えば、球体だったのなら?
もし、球体に三角形を描いたなら、そこで生成される三角形の内角の和は、絶対に180度よりも上になります。因みに、地球は球体ですから、地球上で本当に精密に正確に三角形の内角の和を測ったなら、その角度は180度よりも上になります。
こういった平らな面でない仮定条件を用いた幾何が、非ユークリッド幾何と呼ばれる訳ですが、この非ユークリッド幾何は無限に存在する事が分かっています。そして、それぞれの幾何で、得られる結論は違ってきてしまう。つまり、もしも前提となる仮定条件が違っていたのなら、演繹的思考での結論は通用しなくなってしまうのです。
では、もしも、演繹的思考を始める為の前提条件が間違っていたのなら、一体、どうなるでしょうか?
得られる結論は、間違っている事になりはしないでしょうか?
つまり、それが演繹的思考の欠点であり、同時に、アリストテレスが犯したミスでもあったのでした。
(実は、数学にはまだ欠点があるのですが、ここでは取り敢えず、これだけの説明にとどめておく事にします)
前提とした条件が間違っていたが為に、地球は宇宙の中心に座し、天が動いているのだという結論に辿り着いたアリストテレスは、天動説を唱えてしまったのですね。
ですが、帰納的思考ならば、この問題点はクリアできます。集められた情報が正確であるのならば、問題なく正しい結論を得られるはずですから。
地球上で、正確、精密に三角形の角度を測ったのなら、180度よりも上になる結論が得られるので、地球が実は平面ではなく球体だった、という前提条件の誤りは問題にはなりません。そして、その結論から前提となる条件を導く事も可能になるのです。三角形の内角の和が180度よりも上になるのならば、地球が平面だという前提条件は誤りではないか?という考えに及ぶはずです。
恐らく、帰納的思考の最重要点はそこです。本当のこの世界の前提条件を知っている人間など存在しません。つまり、帰納的思考を行わなければ、そもそも理論を作る為の前提条件を知る事ができないのです。だから、現実世界に対する理論を構築する為には、帰納的思考が絶対に必要になるはずなのです。
もっとも、帰納的思考にも、同じデータから複数の結論を導けたり、完全には正しいと証明する事ができなかったり、そこに主観が絶対に入り込むことによって結論が歪んでしまったり、といった数々の問題がある訳ですが。
ルネサンスの頃、帰納主義者達は、調査や実験の重要性を説きました。有名なガリレオもその一人です。ただ、ガリレオは、帰納的思考の重要性を説きはしましたが(だから、帰納主義者の一人に数えられる事もあるのですが)、実際の理論の構築は演繹的思考を主にして行っていたそうです。もちろん、実験によるデータ収集もたくさん行っていたのですが、それでも理論構築の主役は演繹的思考だったらしいのです。
中世スコラ哲学に反発する意味で、ガリレオは帰納主義を前面に押し出しただけだ、という見方もありますが、或いは、帰納的思考による理論構築方法が、まだ確立していなかったから、というのも理由の一つにはあるのかもしれません。
(ガリレオは実験科学の基礎を築いたと言われている事も、特記しておくべきでしょう)
初期の帰納主義は、できうる限り主観を捨て、データを客観的に捉えて、理論を構築する事を理想としていました。だから、先にモデルという先入観があり、それを確かめる為にデータを集めるという方法も、非難の対象になっていたのです(ガリレオの実験は、この点を考慮するのなら、純粋に初期の帰納主義と重ねる事はできないのかもしれません)。先入観を持った実験や調査は、初期の帰納主義では避けるべきものだったのです。そして、その傾向は、長い間続いたそうです。
例えば、1859年に発表されたダーウィンの進化論も、初めにモデルがありそこから調査が行われた点を、帰納主義者達から非難されました。
ですが、時代の流れによって、理論構築方法は洗練されていきます。その過程でやがて実験や、モデルを形成した上での調査といった手法も認められるようになり、現在のような科学的手法が確立されていきました。その中には演繹的思考に入るだろう、思考実験も含まれてあります。
もちろん、科学には演繹的思考も帰納的思考も、両方とも用いられています。数学が重要なモデルとして存在し(数学は演繹的思考のみによって成り立っている学問です)、実験や調査によって集められたデータがそれを裏付ける。そんな手法が主流になっていったのですね。
もちろん、理論構築の全てを一人でやる訳ではありません。実験や調査だけをやる人もいますし、モデルだけを構築する人もいます。論文により、それは様々です。
はい。
なんて長々と説明して来ましたが、この文章は何も科学史について語るのが目的ではありません。そろそろ、勘違いされそうなので書いておきますが、これは経済論文の名目で書いているものです。
では、どうして、その論文の冒頭でこんな事を書いているのかというと、それにはもちろん、理由があります。
その内の一つは、これから述べる僕の理論が、科学的と認められた手法の下で構築されたものである事を、始めに主張しておきたかったからです。
なんでかっていうと、僕の理論は異端だからです。異端だから、その執っている手法が正しいかどうかといった点は、とても重要になってくるのですね。
僕は、思考実験による演繹的思考を中心に理論構築を行いました。正しさを確認する意味で、帰納的思考も、もちろん行っていますが、既に常識となっている事実をその為のデータとしました。
(もちろん、もっと緻密な調査によって集められたデータで間違った証拠があった場合は、反駁されるべきだ、という考えも持っています)
ただ、理論と書いてはいますが、そんなに難しくはないので、それほど構えてもらわなくても大丈夫です。
多分、自然に読めると思います。
また、これは別の話なのですが、科学を社会面から見た場合の特徴に、専門特化、というのがあります。昔は、学問と言えば、全てを学ぶのが当たり前だったのですね。それが、科学が成立する過程で化学や物理や生物、と分化されていった… そして、それによって、科学論文は読み物としての役割を負わなくなっていきました。つまり、専門家だけが読む特別なものになってしまい、専門外の人間にとっては理解が困難な、読み物としては楽しめないものになってしまったのです。
(ただし、そうした娯楽としての科学は、極一部の知識人しか理解できない、それ以前の学問に反発する形で誕生したものでもあるらしいのですが)
ですが、この論文はそういったものではありません。つまり、一般の人達にも多く読んでもらいたい、と考えています。何故なら、異端な理論なので、専門家にだけ読んでもらおうとすると、絶対に広まらないから(専門家組織には権威ゆえの、強い保守性がある事が知られています)。
もちろん、そうなると、論文はある程度は面白いものでなくてはなりません。だから、僕はそれを目指して書くつもりでいます。その昔の科学論文がそうであったように、娯楽としての読み物としても機能するように。
くだけた表現が出てきたりもしますが、それはそんな理由からです。
では、続きを書こうかと思いますが、まだ、本題には入らず、もうちょっと、科学のお話をしようと思います。僕の理論は、それとも深い関わりがあるので。
ここで“科学の成立”のお話を書いた理由のもう一つがそれです。
僕の理論は簡単なものなのに、どうして、その簡単な理論に社会が今まで気が付いてこなかったのか。その理由を説明する為に、ある程度は“科学の成立”のお話を知っておいてもらいたかったのです。
先にも説明しましたが、科学理論には演繹的思考である数学が、重要なモデルとして存在しています。数学は、物事を理解する為のツールの一つです。それも、恐ろしいほどに優れたツールです。ですが、もちろん、万能なツールではありません。欠点も存在するのです。そして、その欠点の所為で、既存にある数学では、捉え難い現象もあるのです。
ツールによって、視点が制限されてしまうからですね。
では、既存にある数学ではなく、別の思考方法を用いて別の視点から眺めれば、その捉え難かったものが捉え易くなる事があるかもしれない、とは想像できないでしょうか?
次は、そんなお話です。