陶心の月ー第二部
第二部 第一話:観察
葵は棚の前に立っていた。作った器が朝の薄暗い光の中に並んでいる。指を伸ばして触れると、一晩置いた土の冷たさが指先に残った。
左足を踏板に乗せると、回転が始まる。指を添えた瞬間、土が手の下で逃げた。葵は小指の付け根で土の側面を支え、轆轤が回る。足が一度遅れて、土の縁が少し歪んだので、手を離して土を崩し、もう一度中心に据え直した。
棚には、先週失敗した器が残っている。口が崩れたまま。
また力を入れそうになったところで、葵は指を止めた。小指の付け根を少しずらすと、土が逃げた。今度は追わなかった。口が崩れなかった。
葵は一度、惣一の方を見た。惣一は轆轤を回している。
器の縁を指でなぞっていると、惣一が脇に置いてあった新聞を開いた。
「今年も県展があるな」
「出すんですか」
「……出さない」
惣一は新聞を畳んだ。轆轤の音が、また続いた。
***
第二部 第二話:水位
結衣は河川管理端末のモニタから目を離さなかった。水位を示す線が、昨日よりわずかに上がっている。雨量の欄を開くと、数値は許容範囲内だった。
「まだ基準値を超えていません」部下が言う。
結衣はグラフを見て、「ここ、去年も同じ上がり方をしてる」と言った。停止の欄を閉じると、画面の右端で現在値がゆっくり更新されている。何も変わらない。椅子の背にもたれて、昨年のグラフを重ねる。同じところで、線が上がっていた。
「去年も、ここで止めなかったですよね」部下が言った。
結衣は答えなかった。もう一度停止の欄を開き、「……停止を推奨する」と入力した。
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第二部 第三話:測量
竜二は斜面の途中に三脚を据えていた。朝の雨が残っていて、靴底が踏み込むたびに土が少し沈む。脚を一本ずつ調整し、水準器を覗き、数値を確認してタブレットに入力すると、前の測点と照合した。
少し離れたところで、拓海が図面を開いている。
「ここ、もう一度取ります」
「さっきのところ?」
「はい。端なので」
竜二は三脚を持って数メートル移動した。拓海は何も言わず、その後を見ている。竜二がもう一度測定器を覗くと、数値が画面に表示された。
「図面の範囲には入っています」
拓海は図面に目を落として、「分かった」と言った。
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第二部 第四話:父子
拓海は陶心窯の前に車を停めた。フロントガラス越しに窯の屋根と山道を見て、エンジンを切り、シートにもたれる。陶房から薪を割る音が聞こえた。
降りて窯の扉を叩くと、惣一が薪をくべていた。
「仕事はどうだ」
「普通だよ」
「その靴、泥ついてるぞ」
「山道だから」
「そうか」
「道、混んでたか」
「少し」
「そうか」
拓海は湯呑みを持った。昔から使っている欠けた湯呑みだ。
「まだ使ってるんだ」
「割れてないからな」
惣一は薪を運び、拓海が一本持とうとすると、無言で持ち直させた。拓海は別の薪を持った。
図面を広げると、惣一が見る。
「ここ、削るのか」
惣一は山の一点を指した。
「予定では」
「そうか」
惣一は図面から目を離さなかった。
「この辺り、昔から雨のあとが長い」
拓海は図面を見て、「排水計画には入ってる」と答えた。
「そうか」
惣一は薪をくべた。
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第二部 第五話:生活
葵は老人の家に湯呑みを届けた。
「師匠が、これ持ってけって」
「まだ使えるぞ」
「割れたときのです」
「……そうか」
葵は玄関脇に立てかけてあった箒を取った。
「ここ、掃きます」
「そこは毎朝やってる」
「じゃあ、こっち」
葵が軒下へ箒を入れると、砂と小さな石が、乾いた音を立てて集まった。老人は玄関の段差に腰を下ろして、それを見ていた。
「窯の娘かと思ったら、掃除までしてくれるんだな」
「娘じゃないです」
「そうか」
「弟子です」
「そうか」
老人はそれ以上聞かなかった。
遠くでサイレンが聞こえる。葵が顔を上げると、老人も立ち上がった。山道の向こうから救急車が出てきた。
「早くなったな」
老人はそれだけ言って、玄関に戻った。
台所の棚に湯呑みが二つ並んでいる。老人は手前の一つだけを取った。もう一つには、薄く埃が積もっている。
「茶、飲むか」
「はい」
「新聞読むから、そこ座っとけ」
老人が新聞を開くと、葵は湯呑みを両手で持った。紙をめくる音がする。葵は窓の外を見た。老人は新聞から顔を上げない。また紙をめくる音がした。
夕方、大型車が通る。窓が鳴り、棚の上の湯呑みが、かすかに滑った。葵が手を伸ばして止めた。
「そこじゃない。窓の横」
「はい」
「もう少し右」
「ここ?」
「そう」
葵は置いた。
「もう帰るか」
「はい」
「気をつけてな」
大型車が山道を下っていく。老人は玄関に残った砂を見た。葵は道路の先を見た。
老人は箒を立てかけた。
***
第二部 第六話:手首
葵は轆轤の前に座っていた。土の縁に指を当てると、少しだけ崩れた。手を止める。
「昨日よりはいい」
背後から惣一の声がした。葵が振り返ると、惣一が自分の轆轤の前に座っている。
「……はい」
二つの轆轤の音が重なった。
「飯、食ったか」
「はい」
「そうか」
葵はもう一度、土に指を置いた。今度は力を抜く。土が少し逃げたので、追わなかった。
惣一が立ち上がり、葵の後ろに回った。親指が、葵の手首をわずかに押す。
「ここ」
葵は指の位置を変えた。轆轤が回り、土の縁が、今度は崩れなかった。手を離さず、もう一周轆轤を回す。土は、その形を保っていた。
惣一は自分の轆轤に戻り、回し始めた。葵も、そのまま手を動かした。
***
第二部 第七話:全景
拓海は山道の脇でカメラを構えていた。
「葵さん、そこにいて」
葵が窯の前に立つと、シャッターが切れる。
「もう一枚」
もう一度、シャッターが鳴る。拓海が画面を確認した。
「……道、こんなふうに写るんだ」
「はい」
葵も画面を覗く。自分の肩が端に写っていて、その後ろに窯の屋根がある。さらに奥へ、山道が伸びていた。
「……ここまで写るんですね」
拓海は画面を見て、「これ、いいな」と言った。
葵はもう一度、画面を見た。窯の横を、道が下っている。その先で、大型車が一台、曲がった。
拓海がカメラをしまうと、葵は窯を見た。拓海は道路の方を見ている。
***
(第二部ー完)




