初めての実践魔法
やがて道は森の中となった。昼間でも薄暗い森だ。熊の化け物ベアツァーカーが出没するという森。
「ここは本当に静かにした方がいい。昼間に出ないという保証はない。夜はさらに危険だというだけだ」とシモンが言うと、それっきり口を噤んだ。
ガルディも緊張のせいか、尻尾がピンと立ち、耳がくるくると周囲を窺う。
エルンは自分一人なら魔獣から身を隠すこともできるが三人を隠すことはできそうにないとわかっていた。
ここは何事も起こらないことを祈るばかりだ。
「何か来る」とガルディが緊張を漲らせた。頭の毛が針山のように逆立っている。息も荒くなっている。只事でないことは初めてのエルンもわかった。
「ベアツァーカーだ。しかも一頭ではない。少なくとも三頭いる。しかも囲まれている」
ガルディが呟くように言った。
「しかも、相当に腹を空かせている」
「なぜわかるんだ?」
「奴ら、腹を空かせると息遣いが早くなる」
「俺たち食われるってことだな」
「そういうことだ」
「なんでだよ~」
シモンが情けない声を出した。
「俺はシモンのことは知らん。最低限エルンは守るが、守れきれんと思えば迷わず逃げる」
「えっ? そんな~」
エルンがガルディの顔を見上げた。
「当たり前だ。一日たった一万デリラで命は賭けられん」
道の前方の森の草むらが大きく波打った。かき分けられた草の中から黒い影が見えた。大きな影だ。人の背丈の三倍はあろうかという姿だ。体躯は岩のよう。
「あの一頭を俺が抑える。その隙に駆け抜けろ、エルン」
「走れば逃げられるの?」
「命が少し永らえられる程度に考えてくれ。数秒か……何もしないよりはいいと思うが」
ガルディが走った。すごい早さだった。
真剣に守ろうとしてくれていることがわかる。
エルンも剣を抜いた。誕生日にプレゼントされた剣だ。自分の身は自分でも守ろうとした。
ガルディがロングソードを抜くと、ベアツァーカーに斬りかかった。
ベアツァーカーはガルディの前に立ちはだかると仁王立ちして威嚇する。さらに大きく見えた。まさに化け物熊だ。
ガルディのロングソードとベアツァーカーの爪が激しくぶつかり、森中に金属音が響き渡った。
いくらガルディがヴォルフガルド族の戦士であってもベアツァーカーには到底力では勝ち目はない。
ロングソードであってに心臓を抉ることは不可能に近い。
「エルン走れ」
ガルディが叫んだ。
エルンは走った。続いてシモンも走った。シモンは意外と足が早く、エルンを軽く追い抜いた。
しかし、二人を追い抜いて行ったのはガルディだった。
どうやら戦うことを諦めたらしい。
エルンが一番後ろを走っていることになる。
すぐ後ろにベアツァーカーだ。
飢えた息遣いが迫る。
さらに迫る。
——嘘っ。こんなところで死ぬの?——
逃げきれないと思ったエルンは振り返った。
そして右手を突き出すと攻撃魔法ヘレン・グレイドを発動する。
ドーーーーーン。
轟音とともに閃光が走り、その光源はベアツァーカーの胸を貫いた。
一瞬の出来事だった。
続けて、二発三発と放つ。
ドーーン、ドーーーーン。
すると他の二頭のベアツァーカーの頭が一つ二つと吹き飛んだ。
衝撃音は森へと広がった。
こだまが消え、静かになった森にはベアツァーカーの死骸が三つ横たわっていた。
「何が起こった?」
我に返ったガルディがエルンに駆け寄った。
「ひどいよ、僕より先に逃げるなんて」
エルンがガルディを睨んだ。
「お前……魔法使いか?」
「そうだけど。まだ駆け出しだよ」
「駆け出しだと? あんな攻撃魔法、見たことないぞ。お前スゲーな。なぜ隠してた」
「隠してたわけじゃないけど。自慢することでもないでしょ」
「バカ野郎、自慢しろ。今までに何人も魔法使いを見てきたが、あんなベアツァーカーを一撃で倒す魔法使いなんて、俺は見たことがない。しかも、お前、ちっぽけなガキだぞ」
「そうなんだ……魔法使いならみんなできると思ってた。知らなかった」
「見ろ、シモンの驚いた顔を。あのバカ面を」
シモンは目と口を大きく開いて引きつっていた。恐怖も混じっていたが、エルンの攻撃にも驚愕した。
ガルディは何かを思い出したようだ。
「そうだ、ベアツァーカーの左耳を切り取るんだ。保安局へ持って行けば一つ十万デリラの報奨金が出るはずだ」
「え~、二頭は頭を吹き飛ばしちゃった。なぜもっと早く言ってくれなかったの」
「こんなことできるって思ってねえからだ。しかし、一頭でも無いよりはいい。俺がもらっていいか」
「好きにしたら。でも、先に逃げたから四万デリラは払わないからね」
ガルディは罰が悪そうに耳を垂れた。




