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寂しい門出

 グラッドシュタットまでは百二十キロの道のりである。

 大人の足で三日。子供の足なら四日というところか。中間あたりには宿場町もあるが、そこまで子供の足で歩き通すことはできない。

 途中、野宿をし、次の日に宿場町へ入り、そこで一夜を過ごし、次の日はまた野宿。その翌日にグラッドシュタットへ入ることになるだろう。


 半日ほど歩くと西の方角から合流する道が見え、その方向から幌を掛けた馬車が近づいてくるのがわかった。街を出て初めての人の気配だった。

 合流する地点へは馬車の方が早く到着したようで、どうやら馬車はエルンが来るのを待っているようだった。

 できれば乗せてもらおうとエルンは思った。

 近づくと、手綱を引く男がエルンを見ながら気安く声を掛けた。口ひげを蓄えた体躯の立派な男だ。

「よう、坊主。どこまで行くんだ?」

「グラッドシュタットまでです」

 エルンは見上げて答えた。

「一人でかい?」

「そうです」

「大変だな。そこまでは行かないが、途中まで乗ってくかい?」

「いいんですか?」

「乗れよ」と親指を立てて促した。

 馬車に乗り込むと、幌の中に人がいた。女の人が三人。

「あなた誰?」

 十歳くらいの女の子が聞いた。

「僕、エルンと言います」

「私、アリス。あそこでむくれているのがお姉ちゃんのエヴァ。その横で編み物をやってるのがお母さんのヘレナ。手綱を握ってるのがお父さんのエリオス。私たち曲芸一家なの」

「サーカスみたいなものかな」

「そう、お父さん、すごく力持ちなの」

「ああ、そんな感じだね。ちょっとの間だけですけどよろしくお願いします」

「どこから来たの?」

「シュバイゲンです」

「シュバイゲンっていや、先日、グロイエルやらに襲われた村だろ」

 エリオスが手綱を引きながら振り返った。

「そうです。たくさんの人が死んじゃいました。村もひどい状態で……」

 エルンは思い出して言葉が詰まった。

「そうか大変だったな。それで街へ行くことにしたんだ」

「ええ……」

「街へ行って生活はできるのか?」

「ええ、何とか、しばらくの間、生活ができるくらいのお金はありますので」

「そうか、お金はあるのか」

 エリオスの口髭の左側が上がるのが見えた。

 エルンに嫌な予感が過ったが、まさかとも思った。

 馬車の速度が上がったかと思うと、いきなり左側の森へと入った。入ったところで馬車は止まった。

「どれくらいのお金があるのか見せてくれないか。エルン」 

 迫るエリオスの声はドスの利いた声になった。

「私も見たいな」と言ったのはアリスだった。二人とも目が据わっている。

 その様子を遠巻きにニヤニヤしながら見ているのは母親のヘレナと姉のエヴァだ。

 曲芸一家なんて嘘だ。強盗一家じゃないか。エルンは内心叫んだ。

「おとなしく見せた方がいいわよ。命までは取る気はないけど、今のところはね。場合によっては……」とアリスが脅しをかける。

「場合によっては?」

「お父さん、気が短いから」

「見るだけじゃないよね」

「そうね、見たら、その次はもらうことになると思う」

「その後は?」

「あなたはここで、身ぐるみ剥がされて置いてきぼりってことかしら」

「いつもこんなことやってるの?」

「おい、坊主。早くしねえか」

「お父さん、怒ってる」

「僕だって、このお金が必要なんだ。当分は……」

「いい加減にしねえか。命の方が大事だろ」

 エリオスがエルンに掴みかかろうとしたとき、エルンの攻撃魔法ルフトシュラーグが発動した。

 ドーーーーーーーン。

 空気を圧縮して相手を吹き飛ばす魔法だ。

 まともに受けたエリオスは馬車の幌を突き破って十数メートルも飛ばされ、転がって木の根に頭をぶつけて昏倒した。

 残された三人の女たちは引きつった顔でエルンを見ていた。

「今度は、君たち三人まとめて吹き飛ばそうか」

「ななな何よ、あんた」

 アリスの表情が一変した。

「こんなこと簡単だよ。これでも手加減したんだから」

「やめて、お願い。ごめんなさい」

 女たちは口々に言った。

「なんでこんなことをするの」

「決まってるじゃない。だって、お金が欲しいんだもの」とアリス。

「だったら曲芸でお金を稼げばいいじゃないか」

「曲芸なんて嘘よ。そんなことできない。ただの泥棒一家よ。もう二度としないから許して。私たちだってすごく辛いの」 

 目に涙を溜めて懇願する姿にエルンの胸が詰まった。

 そこへ、数頭の馬の足音が近づいてきた。エルンが穴の開いた幌から見ると保安局の騎馬警察の一団だとわかった。村へも時々来ては周辺の様子を監視していたので知っていた。

「今、大きな音がしたが、やったのはお前か?」 騎馬警察隊の隊長らしき男がエルンに聞いた。「私は保安局所属第十二騎馬隊、隊長エルドリックだ」

 すると、「この子が変な魔法でお父さんをいきなり吹っ飛ばしたの、そして金を出せって……。命が惜しかったら身ぐるみ脱いでおいていけっていうの」

「違います。逆です」

 エルンは必死に言った。

 隊長は笑った。

「坊主。お前、エルンだな。ゲオルクのところの。ゲオルクは残念だった。いい鍛冶職人だった」

「おじさんを知ってるんですか?」

「ああ、よく知ってる。剣はいつもゲオルクのところで研いでもらっていたからな。お前のことも聞いている。魔法が使えるんだってな」

「はい、少し」

 騎馬隊の一人が隊長に耳打ちした。隊長は何度も頷き、そして女たちに向けて言った。

「お前らはマッケンゼン一家だな。指名手配になっている。観念しろ」

 隊長が促すと部下たちが四人を素早く縛り上げた。エリオスはまだ気を失ったままだった。

「しかし、災難だったな、エルン。こんなこともあるんだ。十分気を付けるんだな」

 一人の部下が一枚の書類を渡した。

「これは何ですか?」

「この連中には報奨金が掛けられていてな。捕まえたエルンには報奨金が出る。この紙をグラッドシュタットの役所の保安局へ持って行けば三十万デリラがもらえるわけだ」

「三十万デリラ……」

——ひと月十万デリラで生活すれば三か月は遊んでいられる。いやだめだ、僕は遊びに行くんじゃないんだ——

 エルンはぐっと堪えた。

「ありがとうございます」

「後は任せろ。気を付けて行けよ」

 エルンは騎馬隊の皆に頭を下げると再びグラッドシュタットへ向かって歩き出した。

 しかし、初日からこんなことがあるとは、この先、大丈夫だろうかと不安に押しつぶされそうになった。


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