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初めての弟子(1)

 エルンは朝食を済ませると森の方で虫を採取することにした。借りた魔導書には魔法の効果を上げるための薬虫についても書かれていてそれに興味を持ったわけだ。

「エルン、この間みたいに奥へ行っちゃだめよ」

「わかってる、百メートル以上、森には入りません。神様とおばさんに誓います」

「よろしい。じゃあ行ってらっしゃい。お昼には帰ってきてね」

 エルンは虫カゴを腰に括りつけるといそいそと草むらへと入っていった。

 今日の目的はツォルンケーファーという血の色をしたカブトムシだ。魔導書によれば、これを砕いて家の周辺に撒き、それに結界魔法を掛けると効果が倍増すると記されていた。

 今の時期に多くいる虫だとも書いてあった。最近はこの周辺でも魔獣の目撃が相次いでいるから試してみない手はない。

 しかし、そう簡単に見つかるものだろうか。いままで森を彷徨っても血の色をしたカブトムシなんて見たことはない。エルンはそれでもとりあえず探してみようと思った。

 森の中を探し始めて一時間ほど経った時、背後に人の気配を感じた。

 はっとして振り返ると、そこにいたのはフィリアだった。フィリアのことをイルゼに聞いたらエルンより一つ年上で、気難しい一面はあるが頭がよくてしっかりした娘だそうだ。

「びっくりするじゃないか、グリフスかと思ったよ」

「ごめんね。さっき、森へ入るのを見たから、追いかけてきちゃった」

「随分前だよ」

「あっちの方で、こっそり見てたんだ」

「そうなんだ、もっと早く声を掛けてくれればよかったのに」

「じゃましちゃ悪いかなって思って。で、何を探してるの?」

「フィリア、赤いカブトムシって見たことある?」

「カブトムシ? 黒か茶色のだったら見たことはあるけど」

「血の色のような真っ赤なカブトムシらしいよ」

 エルンはその虫の効果をフィリアに説明した。

 フィリアは興味なさそうに聞いていた。

「でも、家の周りに撒くのなら、すごくたくさん必要になるんじゃないの」

「そう言われれば、そうだね」

「そんな珍しい虫、そんなにたくさん集められないでしょ」

 確かにそうだ。ちょっとの数では効果はなさそうだ。

「ねえ、私に魔法を教えて」

 フィリアが拳を握って懇願するようにエルンに迫った。

「人に教えるほど詳しくないよ。僕だって勉強中なんだ。もっと詳しい人いるんじゃない。たとえばシュナイダー先生とか。あの先生のヒーリング魔法はすごいよ。死にかけた人を助けたんだ。僕だけど」

「あの先生、教えてくれないよ。きっとヒーリング魔法ができる人が他にいたら、先生の仕事がなくなっちゃうって思ってるから」

「そういうものかな」

 エルンは困った。教えたくないわけじゃなかったが、人に教えるってどういうことかわからなかったし、そもそも教えてできるものなのかもわからない。

「だから、エルンに教えてもらいたいの。ちょっとでいいの。きっかけでいいの。後は自分で勉強するから」

「でも……簡単じゃないと思う。何カ月も何年もかかるかもしれない」

「エルンはどれくらいでできるようになったの?」

「わからない、気が付いたらできるようになってた」

「だったら私もできるかも……」

 エルンはフィリアの顔を見ながら考えた。もっと仲良くなりたいとも思う。

「そうだね。じゃあちょっとやってみる?」

 できなければ諦めるだろうと思い言ってみただけだった。

 しかし、フィリアの顔は途端に笑顔になった。

「エルンは私の先生ね。よろしくお願いします先生」

 先生と言われて嬉しくないわけはないが、やっぱり困った。

「じゃあね。ちょっと木陰の暗い所へ来て。暗い方がわかりやすいから」

「はい、先生」

「先生はやめてよ。からかわれているようだよ」

「じゃあ、エルンよろしく」

 二人はクスノキの影に移動すると腰を下ろした。

「僕の真似をして」とエルン。

 胸の前で、水を汲むように手を出す。

「こうかしら」

 フィリアはエルンのする通りに真似をする。細く白い指がきれいだった。女の子の指ってこんなにきれいなんだなと思いエルンはそれに見とれていた。

「エルンって八歳かしら?」

「えっ、九歳だけど、あと二カ月で十歳だよ。黙って言う通りにして」

「ごめん」とフィリア。

 エルンは目を閉じると呪文を唱えた。

「エルタイル・ミア・ディ・フェアキヒカイト・ツィ・ベヘアシュェン」

「どういう意味?」

「私に火を操る権限を与えたまえという意味だよ。そして自分の中で想像した炎を絞り出して手のひらへと送るんだ」

「……もう一度、お願い」

「エルタイル・ミア・ディ・フェアキヒカイト・ツィ・ベヘアシュェン」

 フィリアは何度も復唱して、目を閉じて念じているようだった。

 エルンの手の上では光の玉が現れ、それがやがて炎となってメラメラと燃え始めた。

 フィリアはそれを見て目を見張った。

「こんなふうになるはず。集中してやってみて」

 フィリアは真似してやってみるが……

 しかし、フィリアにはできなかった。手のひらの上では何も起こらなかった。

 フィリアは悲しそうな顔をしてうつむいた。

「簡単じゃないよ。練習しないといけないんだ。それも何年も」

「でも、エルンはすぐにできたんでしょ。三日でできたって聞いたもん」

「フィリアはまだ一日目でしょ。だからこれからだよ。三日くらいすれば……」

「できる?」

「…………」

——どうしよう。フィリアができなくて、向きになってこれを何年も練習したら……。すごい時間の無駄になる。きっと怒るに違いない——

「これができなくても、きっと他に向いたことがあるはずだから……」

「いや、絶対に魔法使いになるの」

「もう、そんなことまで考えているの?」

「もちろんよ」

「……もうお昼だよ。お昼までに帰るって約束したから帰るけど」

「エルン、午後からも来る?」

「今日はもう来ない。ちょっと調べ物があるから」

 そんな予定はないのだが、そこまで本気になられても困るから。

「じゃあ、明日は?」

「明日?……来てもいいけど……」

「じゃあ、きっとよ。ここへよ。そして、このことは誰にも言わないでね」

 エルンはうなずいた。もちろんこんなことは誰にも言えない。


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