森での出来事
シュバイゲン村の北に広がる森がにわかに騒がしくなった。
満月が静かに照らす未明、一台の馬車が森へと入ったことを切っ掛けとしていた。
魔物グロイエルや魔犬グリフスが狩りを楽しむがごとく一台の馬車に迫ろうとしている。
馬車は速力を上げるも、無数の爪牙から逃れる術はなく、たちまち追い詰められることとなった。
馬車の乗員は三名。
大人の男女と九歳の子供ひとり。
「ひとりで逃げなさい。ここは私たちが食い止めます。できるだけ遠くへ……」
御者は初老の夫婦。
老齢でありながら共に剣を手にグロイエル、グリフスへと立ち向かった。
子供も小さな剣を振り回し、グロイエルへと立ち向かった。
しかし、所詮子供。反撃は空しいものだった。
子供は深手を負いながらも、背後の戦闘を聞きながら必死に逃げた。
息も絶え絶え、森の中、草をかき分け、藪をかき分け、逃げて逃げて、どれほど走ったか、とうとう力尽きた。
意識が遠のき、落ち葉、枯れ枝の中へとうつ伏し倒れた。
二人はどうなったか心配だったが、子供は、幼い自分の力ではどうすることもできないことを知っていた。
我に返った子供は自分の体を見た。たくさん血が流れている。
——僕も死ぬんだ。皆が命がけで逃がしてくれたのに……——
次第に意識が薄れていった。
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どれほど経ったか子供は気が付いた。
そして、何者かの気配を感じた。
顔を上げ、ふと見るとそこに緑色のフードを被った人影があった。
普通の大人より小さく、フードの下から見える顔は、月明かりのせいか白く、しわだらけだった。
子供ながらその者が老婆だとわかった。
老婆は小さく口を動かした。
「騒がしいと思ったらお前のせいかね」
「お婆さんはだれなの?」
「わしかね?……だれでもいい」
「僕、悪い連中に追われているの。助けて!」
子供は涙ながらに懇願した。
しかし、無慈悲な言葉が返されるばかり。
「わしには関係ないことじゃな。自分でなんとかすることじゃな」
「どうすれば助かりますか?」
「わしにはわからん」
老婆はその場から離れようとしたが、ふとその子供の胸にぶら下がるペンダントに目が留まった。銀の台座に赤い石がはめ込まれた美しい物だ。
老婆はしわだらけの顔を近づけた。
そして、珍しい物でも見つけたかのように、じっと子供の顔を見た。
「ほうー、これはこれは……危うく見逃すところじゃった」
背後からグリフスの唸り声。
「グリフスが来るよ。助けて」
それでも老婆は子供の顔を見ていた。
しばらくして老婆は、「そのペンダントはどうした?」と聞いた。
すぐそばまで唸り声が迫る。
「これはお母さんからもらったアミュレット(お守り)だよ」
子供の声は震え、涙声になった。
老婆はまた、しばらくそれと子供の顔を交互に見つめていた。
そして言った。
「助かる方法はあるがな」
「なんですか。僕にできることならなんでもします」
「そうか、では、そのアミュレットを譲ってくれないか?」
「これを? ダメ。これだけはダメ」
「できることならなんでもすると言ったではないかね」
「でも、これだけはできない」
「そうか……困ったな。……では、それを一時、貸してくれないか?」
「貸す?」
「そうじゃ、いつか返す。この次、会った時に返すという約束じゃが……どうじゃ」
子供は考えた。返してくれるということは、僕は助かるってことかもしれない。
「返してくれるのなら、いいよ。きっとだよ」
子供は首からペンダントを外して老婆に渡した。
すると老婆はまじまじとそれを見つめた。
「約束の印にこれをあげよう。手を出しなさい」と老婆は言った。
子供は泥だらけの小さな手を出した。
老婆は右手の人差し指を出した。すると枯れ枝のような細く長い指の先から小さな白い光球を出した。
それを子供の手の上に乗せた。
光球は子供の手の中に一つ、また一つと吸い込まれた。
「何をしたの?」
「ただのおまじないじゃ」
「それ、いつ返してくれるの?」
「それはわからん。今度、会ったときじゃな」
「これで助かるの?」
老婆はにやりと笑った。すると森に吸い込まれるように消えた。
刹那、怒涛のように来た。
追手グリフスの群れは子供の上を風のように通り過ぎた。
しばらくすると夢だったかのように静かになった。
「助かったんだ……」
子供はほっと胸を撫で下ろした。
今のお婆さんは誰なんだろう……




