二、縁談
「あら、豆児ったら、梅の枝を折ってしまったの」
紅玉は卓子の花瓶に飾られた梅の枝を見て目を丸くした。目は丸くしていたが、口は豆児の買ってきた菓子を迎えるのに忙しく、鼻は寒さのせいか赤くなっていた。
紅玉の名前のとおりね、と豆児は笑いそうになった。
「私も部屋に飾りたいから取ってこようかしら。でもまだ蕾は小さかったはずだけど……」
くしゃみをして紅玉は顔をしかめた。
「まあまあ、ふたりとも、女の子なのにはしたない」
そのとき、ちょうど顔を見せた母は、庭で遊んで風邪をひいたと勘違いしたようだった。名家の令嬢はもっと淑やかにしているべきです、と紅玉と豆児をたしなめる。
「豆児、紅玉に薬湯を作ってあげなさい。風邪が酷くなっては困ります」
「はい、かしこまりました」
この家には下女も下男もいるのに、紅玉の世話は豆児がまかされている。同い年の姉妹なのだから助け合うのはよいことだと思っている節がある。
同い年の姉妹なのに、双子ではない。
姉は普段から華やかで明るい服を好み、装飾品で着飾っている。それがまたよく似合うのだ。良家に嫁入りするさいに必須の歌舞音曲も学問も身につけている。なによりも、幼いうちに施された纏足は三寸金蓮といっていい。赤い生地に金の絹糸で蓮の花を刺繍した纏足沓は溜息が出るほど魅惑的だ。
豆児は大足のままだ。下働きをするには大足のままが都合が良い。歌舞音曲や学問はやりたければやればよいと言われてきたが性に合わないので遠慮した。
姉の噂を聞きつけて、顔を見に来る仲人気取りは引きも切らない。そんなときは豆児はあえてそばに侍り、引き立て役に徹する。
数日経ち、花瓶の水替えをしていると父が声をかけてきた。
「紅玉の風邪は治ったかい」
「はい、もうすっかりよくなりました。ですが念のために今日は臥室で休んでもらってます」
「そうか……」
父は姉を見舞いにきたのだろう。だがなぜか豆児を見つめたまま、どこか困ったような顔を見せた。
「どうなさいました?」
「豆児よ。おまえは紅玉の侍女ではないし、我が家の雇人でもない。そんなに畏まることはないのだよ」
「優しく接していただいて感謝しております。ですが身の程はわきまえております」
頭を下げると、父はもう何も言わなかった。姉の部屋に向かうその背を見つめながら、姉との待遇の違いでもう見当はついていますと、心の中だけで呟いた。
自分はもらわれてきた子供なのだろう。どうしてこの家で養われることになったのか、いつか訊いてみたい。本当の親はどんな人なのか教えてほしい。出過ぎた要求でなければいいのだが。
姉の部屋から「ええ?」と声がもれてきた。大声をあげるのははしたないと教育されてきた姉である。これはよほどのことだ。気になって姉の部屋を覗く。
「ああ、豆児、聞いてちょうだい。私が後宮に入ることになったんですって」
姉は頬を朱に染めて目を潤ませていた。
「後宮……」
父は豆児に座るように促した。
「新しい皇帝陛下は御年十七歳。たいへんな美丈夫で賢く健康であられるとのことだ。その証に、後宮を美しい花で満たせとお命じになられてな、主だった貴族や名家良家に声がかかったのだ。年頃の娘がいたら必ず参内させるようにと」
「それは、おめでとうございます……」
喉から平べったい声が押し出された。安家はそれなりに家格があり、父は大理寺の役人として出仕している。声が掛かるのは当然だと思えた。
「父は誇らしいぞ。紅玉は妃嬪になるのが確定しているのだから」
「まあ、まさかそんな」
紅玉は恥ずかしそうに目を伏せた。長い睫毛が濃い影を落とし、目のふちの赤さを際立たせている。やはり姉は美しい、美しいと思わせる仕草をよく心得ている。
どうやら仲人に扮して紅玉を査定にきていたのが役人だったようだ。似姿を描いて提出したところ太皇太后に気に入られたという。
「なんという幸運でしょうか。これもこれも私を慈しんでくださったお父様とお母様のおかげ。それといつも一緒にいてくれて、支えてくれた豆児のおかげ」
紅玉の言葉に、父は満足そうに頷いた。
「安家の盛衰も国の隆盛も紅玉にかかっておる。皇帝陛下の寵愛を得て、必ず後継となる男児を産むように」
「はい、心得ましてございます。そのために生きてきたのですもの。家の恥にならぬように努めます」
紅玉は莞爾と微笑んだ。
姉は果てしない可能性を秘めている。羨ましいとは思わなかった。自分と比べては罰が当たる。
「うむ、心配はしておらぬ。紅玉は出来の良い娘だ」
「お父様、ひとつお願いがありますの。侍女として豆児を連れていってはいけませんか」
豆児はびっくりした。自分も遠い夢の国へ行くことになるのか。
「それはできぬ。侍女は別に用意しておく」
「まあ、それは心細いですわ……生まれてからずっと一緒に育ってきた妹ですもの、別れがたいのです」
紅玉はわずかに顔を曇らせた。父の機嫌を損なわないぎりぎりの表情。
「わかっておくれ。安家には豆児しか残らないのだ。豆児に婿を取らせねばならん」
「それならば……しかたありませんね」
「あの……」豆児はふてぶてしくならないよう、気を付けながら口を開いた。「紅玉が後宮で落ち着くまで、しばらくの間だけでも、侍女になりましょうか」
安家が用意する侍女が姉の味方になるとは限らない。邸宅から出たことがない姉が、外に友人一人いない姉が、後宮でうまくやっていけるか心配でたまらない。
父も不安なはずだ。だから許されるに違いないと豆児は父の答えを待った。だがその期待は思わぬ方向で裏切られた。
「そうはいかないのだ。豆児、実はお前にも縁談がある」
「は?」
「まあ、どんな方なのです?」
紅玉は自分ごとのように顔を輝かせた。
「わしの旧友かつ同僚の息子だ。豪永和という名で十七と聞いているから同い年だ」
「何をされているのですか」
「科挙を目指していると聞いているが、豪家にはすでに登第している兄君がいる。ゆえに泥水を啜ってでも科挙にしがみつく必要はないとのことだ。彼には贅婿となって安家でゆっくりと勉学に励んでもらえばよい」
豆児が子を授かり、安家が絶えぬようにしてくれれば充分だと言わんばかりだ。入り婿を承諾するなんて男として恥ずかしくないのか。その豪永和という男もたかが知れている。余りものの子供をどう片付けるか、旧友同士で手を打ったということなのだろう。
結婚相手に高望みをするなと言われたと同じだ。高望みなどするわけがないのに、と豆児の胸がチリと痛んだ。
紅玉は興味津々の顔で父にねだった。
「その豪永和様はお父様の旧友の息子なのに、いままででもお会いしたことはないわ。ぜひとも安家にお呼びしてくださいな。妹を娶るだけの器量があるかこの目で確かめたいわ」
「品定めをするようなことはよしなさい。下品だぞ」
父の諫めはあまり紅玉には効いてない。
皇帝に嫁すことが決まっている姉に検分されたら、どんなに立派な殿方であろうと失格するに決まっている。
「あらでも、豆児だって結婚前に顔くらいは見ておきたいでしょう」
「……どうでもいい、です。私はお父様に従うだけですから」
父がほっと息を吐いた。面倒なことになっては困るのだろう。
たとえ気に入らない相手だったとしても断ることなど私にできはしない。安家には恩があるのだから。
「欲がないのね、豆児は。そのほうが幸せになれるのかしら」
紅玉の言葉は、謙虚の皮を被った優越に思えた。
父は作った笑みで言う。
「お前たちはどちらも幸せにならないといけない。ふたりともうちの大切な娘なのだから」




