第8話 ランチタイムの能力考察と懐事情
抜けるような青空の下。
昼休みの屋上は、特権階級のみに許されたサンクチュアリだ。普通なら、生徒の立ち入りは禁止されているが、皇かれんは当然のように合鍵(あるいは魔術的な何か)を使ってドアを開け放つ。
風が強い。彼女の長い黒髪が舞うのを横目に見ながら、俺、久我陽介はフェンスに背を預けた。
手にはコンビニのおにぎり。以前は味がしなくて砂のようだったが、定期的な輸血のおかげか少しは味覚が戻りつつある。それでもまだ美味しいとは言い難いが、カロリー摂取は必要だ。
かれんは、優雅に手作りと思われるサンドイッチ(これも召使いが作ったのだろうか)を摘みながら、俺の昨晩の報告に耳を傾けていた。
「――で、深夜にそういうことがあったんですよ、かれん様」
俺は昨夜の「金髪幼女との遭遇」と「魔眼の強制インストール」の一件を、洗いざらい話した。
「へー、なるほど。『能力の化身』ねぇ……」
かれんは興味深そうに呟き、ハムサンドを一口かじる。
意外な反応だ。「頭がおかしくなったのか」と一蹴されるかと思っていたが、彼女は真剣に考察モードに入っている。
「貴方、よほど『超高位』の吸血鬼の血を受け継いでいるのね」
「え、やっぱりそうなの?」
「ええ。普通、吸血鬼化したばかりの『雑種( Tier4 )』には、そんな現象は起きないわ。自己防衛本能としての精神分裂ならあり得るけど、他律的な人格が具現化して、しかも具体的な能力を授けるなんて……。それは『化身』というより『血脈に眠る先祖霊』に近いわね」
「先祖霊……」
「血を介して、かつての強力な吸血鬼が介入しているのかもしれないわ。軽くポンと魔眼をくれるなんて話、聞いたことないもの」
彼女は少し目を細めた。
「そして性能も中々ね。対象の時間を遅くする『時間鎖』。分類としてはオーソドックスな妨害タイプだけど、これを魔眼として行使できるのは大きいわ」
「魔眼って、そもそも何なの?」
「魔眼は、広義には『眼球に魔術的な加工をして、視界に対象を入れるだけで効果を発動させる器官』の総称よ。生まれつき特殊な瞳を持っている『天眼(先天性)』のケースと、貴方みたいに後天的に目に魔法をかけて機能を追加する『人工眼(後天性)』の二種類があるんだけど」
かれんは、俺の赤い瞳をじっと覗き込んだ。
「貴方の場合は、厳密には後者に近いわね。脳の演算処理を視覚情報に直結させて、見た相手に強制的に『遅延』の呪いをかけるカース系の能力。格上相手にも、たとえ 10%でも必ず通じるっていう特性は強力よ。Tier の差をひっくり返すジョーカーになり得るわ」
「おお、Tier1 のお墨付きをもらえたか」
「ただし」
と彼女は付け加える。
「燃費が悪いのはそのせいね。格上に呪いをかけ続けるのは、魔力リソースをごっそり削る行為だわ。多用は禁物よ」
「確かに……昨日は一発でガス欠して爆睡したしな」
「あと、その幼女? が勧めてきた『影能力』についても言及しておきましょうか」
「ああ、『影操作』ってやつな。武器になるって言われたけど、俺が断ったら怒ってたよ」
「正解ね。断って正解」
かれんは即座に切り捨てた。
「そうね…、影を操れる能力もそう珍しい物じゃないの。むしろ初歩中の初歩ね。『影に質量を持たせて実体化する』っていうのは、よくある能力の一つよ」
「え、よくあるの? 激レアスキルかと思った」
「まさか。能力者バトル漫画の第一巻に出てくる敵キャラくらいの定番スキルよ。あったほうがいいかと言われれば……うーん、正直弱いのよね」
かれんはサンドイッチのパンの耳をつまみながら、冷徹にダメ出しをする。
「まず影が元だから、物理的な強度がイマイチなの。鉄パイプで殴られたら千切れるレベルよ。それに、光源がない真っ暗闇や、逆に影ができない全方位照明の下だと使えないっていう、環境依存の弱点もあるし」
「うわぁ、意外と不便だな」
「正直、影系を極めるなら、単に武器にするんじゃなくて、能力として更に発展させないと『弱能力』のままね」
「発展? 例えば?」
「影の中に潜って移動する『影渡り』、自分の影を依代にして式神を具現化する『影人形』、あるいは他者の影を奪って相手の能力ごとコピーする『影盗み』……とかね。応用して初めて強くなるテクニカルな能力よ」
「なーんだ。じゃあ今の俺にはいらねーな」
俺は肩をすくめた。
「ただでさえ初心者なのに、そんな複雑なこと使いこなせる自信がないし。頭良くないからな俺」
「自虐しないで。でも、色々な能力を持てる『器』があるというのは珍しいから、可能性としては良いんじゃない?」
彼女は空になった包み紙を、綺麗に折りたたんだ。
「手札が多いにこしたことはないわ。もし次、その金髪幼女が出てきたら『影を媒介にした瞬間移動とかできますか?』って聞いてみなさい。それなら生存率が上がるわ」
「瞬間移動……。なるほど、回避特化か。分かった、次出たら交渉してみるよ」
影は武器ではなく、逃げ道具や移動手段として使う。
Tier1 ならではの冷静な戦術指南だ。覚えておこう。
*
「それより」
話が一段落したところで、かれんが話題を変えた。
「この学校での『夜の怪異退治活動』なんだけど。ただのボランティアだと思ってない?」
「え、違うの? 街を守る正義の味方的な」
「そんな善意だけで命をかけるバカはいないわよ。一応これは、ヤタガラスからの『非正規委託業務』にあたるの。つまり、ちゃんと報酬――給与が出るわ」
「きゅうよ!!??」
俺はおにぎりを落としそうになった。
「マジで!? 金もらえるの!?」
「当たり前でしょ。国を守る仕事よ。公務員法上の位置づけはグレーだけど、ちゃんと危険手当込みで支払われるわ」
「やっっっば! 知らなかった! ……で、でも俺、自分の自由に出来る銀行口座ないぞ?」
「……やっぱり」
かれんは予想していたようで、ため息をつく。
「高校生だしね。親が管理してる貯金通帳くらいはあるでしょうけど、そこに毎月『内閣府』名義で数十万振り込まれたら大騒ぎよ」
「だな。『お前なにしたんだ!』って問い詰められる未来しか見えない」
「バイトもしたことないの?」
「ないな。部活もやってない帰宅部だったし」
「今から作りなさい。銀行口座は高校生でも本人名義で作れるわよ。ただし、銀行によっては未成年の場合、親の同意が必要だったり、キャッシュカードが簡易書留で自宅に届いたりするから、そこでバレるリスクはあるけど」
「あー、カード郵送は鬼門だな。親に見られたら『いつ作ったの?』ってなるし」
「だからここは素直に、親に話をして銀行口座を作る方が長期的には安全ね」
「話す? 『吸血鬼の給料が入るから』って?」
「バカね。『将来のためにバイト始めたいから、自分用の口座作りたい』とか適当な理由をつけなさいよ。コンビニバイトでも始めると言っておいて、実際には夜の怪異退治をする。時間の辻褄も合うでしょ」
「なるほど……! さすがかれん様、頭いい!」
確かに「バイトに行く」と言えば、夜に出歩く口実にもなる。
「了解。じゃあ親に話して口座作ってくるわ」
善は急げだ。今日の夕飯時にでも切り出そう。
「で……ちなみに。下っ端の俺でも、いくら位もらえるんですかね?」
俺は下世話と分かりつつも、期待に胸を膨らませて尋ねた。
高校生のバイト代といえば、月数万円いけばいい方だろう。
かれんは空を見上げ、暗算してからさらりと答えた。
「そうね……。Tier4 の新人エージェントかつ、学校守備隊のシフト制だとしても、危険手当と夜勤手当がつくから……。公務員の下っ端基準で年 400 万円ぐらいね」
「よっ……」
四百万!!!!????
「よんひゃっ!?」
「なに驚いてるの? 社会人の平均年収くらいでしょう。命賭けてるんだから安いくらいよ」
「いやいやいや! 高校生だぞ!? 駄菓子屋で豪遊どころか、車買えるじゃん!!」
「そうね。ゲーム課金し放題よ」
「うおおお! やる気出てきた! 怪異退治最高! 俺この仕事に骨を埋めるわ!」
現金なもので、俺のモチベーションはカンストした。月給換算で三十万以上。そんな大金を毎月手にしたら、俺の金銭感覚は崩壊する自信がある。
「親の扶養控除とか確定申告なんかが心配になるでしょうけど、その辺はヤタガラスの経理部が『税務上の特例処理(脱税とも言う)』をして、上手く誤魔化してくれるから、貴方は税金を気にしなくても良いわ」
「至れり尽くせりだなオイ! 最高かよ八咫烏!」
「ただし」
かれんが釘を差す。
「ゲーム課金ばっかりしないことね。金遣いが荒くなって羽振りが良くなりすぎたら、結局親に『あんた何か悪いことしてるんじゃないでしょうね』って疑われるのがオチよ。バレて破綻するのは、笑えるから見たい気もするけど」
「うっ……。肝に銘じます。こっそり貯金しつつ、バレない範囲で使います」
魔眼を手に入れ、影能力への指針をもらい、さらに高額報酬まで約束された。
吸血鬼ライフ、意外と悪くない。
予鈴のチャイムが鳴る。
俺は残ったおにぎりを頬張り、かれんと共に教室へと戻った。
平凡な学生生活の皮を被った、高給取りのエージェント活動。その夜もまた、新たな戦いが待っている。




