第6話 炸裂! 真夜中のデビュー戦
俺たちは体育館を飛び出し、震源地とされた正門前へ向かって全力疾走した。
身体強化された脚力が地面を蹴るたび、夜風が耳元で唸りを上げる。かつての鈍足だった自分とは思えない速度。剣持先輩たち Tier3 のエリートたちにも、必死ならなんとかついていけるレベルだ。
「いたぞ、あいつだ!」
剣持先輩の声で足を止める。
月明かりに照らされた校庭の真ん中。そこに一匹の異形がうずくまっていた。
シルエットは「猫」だ。しかし、サイズがおかしい。
大型バイクほどの大きさがある黒猫。瞳は爛々と黄色く輝き、口元からは長く鋭い牙が突き出し、ヨダレを垂らしている。
そいつは校舎の壁に爪を立てガリガリと不快な音を立てていたが、俺たちの気配を察知して振り返った。
「シャーッ!!」
威嚇の声だけで、空気が振動する。
「種類は……猛獣型の怪異か。野良猫の霊が、他の動物霊と混ざって肥大化したタイプだな。ランクは Tier5 上位、いや Tier4 下位ってとこか」
皇かれんが冷静に分析する。
「おい、新人!」
剣持先輩が俺の背中を叩いた。
「よし、陽介のデビュー戦だ。あいつはお前がやれ」
「えっ、俺が!?」
「相手にとって不足なしだ。デカい猫だと思えばいい。ただし爪には注意しろよ? 吸血鬼でも、首の動脈を引き裂かれりゃあタダじゃ済まねえ」
そう言って先輩は、他のメンバーに目配せをして退がらせた。
マジかよ。マンツーマン(猫)勝負かよ。
「……ふぅ」
俺は深く息を吐き出し、手の中の黒刀を握りしめた。
震える手を押さえ込み、教わったばかりの正眼に構える。
吸血鬼の本能が「あれは敵だ」「狩るべき獲物だ」と告げていた。不思議と恐怖よりも、昂揚感の方が勝ってくる。
「いけ! 爪に注意しながら、刀のリーチを活かせ!」
先輩の檄が飛ぶ。
俺は地面を蹴り、ジリジリと黒猫の間合いへと侵入した。
相手の姿勢が低くなる。飛びかかってくる予備動作だ。
来る。
刹那、黒い弾丸となって猫が跳躍した。
俺はその動きに合わせて横へステップしながら、刀を振るった。
「――せいっ!」
金属音。
手応えはなかった。俺の一撃は空を切り、逆に猫の前脚によるカウンターが俺の鼻先を掠める。
「うわっ!」
慌ててバックステップで距離を取る。
嘘だろ。今のタイミング、完璧だと思ったのに。
猫怪異は数メートル先へ着地し、嘲笑うかのように喉を鳴らしている。
「早ぇ……! 今の、見えてたのかよ!?」
冷や汗が背中を伝う。吸血鬼の動体視力で捉えていたのに、攻撃が当たらない。
「当然だ!」
後方から、剣持先輩のアドバイスが飛んでくる。
「相手は猫科だぞ! そいつらの反射神経は半端ねえ! 通常の人間が約 0.2 秒の反応速度だとしたら、猫科の反射神経はその十倍以上、約 0.015 秒で反応できると言われてる! しかも、あいつは怪異化して強化されてるからな!」
「れいてんぜろいちご秒……!?」
なんだそのスペック。格闘ゲームのプロゲーマーより速いじゃないか。
「見え透いた攻撃じゃ当たらねえぞ! 『来る』と予想できる攻撃は全部、反射で躱される!! フェイント入れるか、反応できない速度でぶった斬るしかねえ!」
なるほど、反射神経か。
本能レベルで危険を回避しているなら、半端な剣技は通用しない。
フェイントなんて高度な技術、昨晩能力者になったばかりの俺に出来るわけがない。
だとしたら、やることは一つだ。
(……だったら、速度で上回るしかねえ)
俺は刀を中段に構え直し、黒猫を見据えた。
思考をクリアにする。余計な雑念を排除する。
あの時の感覚。体育館で天井まで跳んだ時の、血液が沸騰するような熱量。あれを腕に、脚に、全身に巡らせる。
リミッターを外せ。後のことなんて考えるな。今出せる「全力」を、一撃に込めろ。
……俺の雰囲気が変わったのを見ていた仲間たちも、それを感じ取ったようだった。
「へー……。いい雰囲気出してるな」
剣持先輩が口元を緩める。
「本番でギアが入るタイプだったか……。いいじゃねえか」
俺と猫の視線が交錯する。
互いに死の領域にいることを理解する。
次の瞬間、世界がスローモーションになった。
黒猫の筋肉が収縮し、地面を蹴る。その初動が見えた。
だが、俺はそれより速かった。
意識するよりも早く、俺の身体は前に飛び出していた。思考と行動のラグが消失する。
「――はっ!!!!!」
裂帛の気合いと共に、俺は全身全霊の一撃を振り下ろした。
ただの真っ直ぐな振り下ろし。
だが、それはあまりにも速すぎた。
猫怪異は空中で反応しようとした。瞳孔が見開き、身を捩ろうとする。
しかし、その 0.01 秒の反応速度すら置き去りにするほどの豪速で、漆黒の刃が怪異の身体を捉えた。
ズバンッ!!!!
重い衝撃が手首に伝わる。
刃引きされた練習刀だとはいえ、吸血鬼の膂力で繰り出された超質量の鉄塊は、猫怪異の身体を真正面から叩き伏せた。
グシャリという音と共に怪異は地面に叩きつけられ、数メートル先まで弾き飛ばされた。
「ギャッ……!!」
短い悲鳴を上げ、猫はその場でもがいたが、やがてその身体から黒い粒子が溢れ出し始めた。
実体を維持できなくなった怪異の肉体が、崩壊していく。
「……お?」
俺は肩で息をしながら、その光景を見守った。
黒猫は数秒で霧のように霧散し、後には何も残らなかった。夜の闇に溶けるようにして、気配ごと消え失せたのだ。
「……討伐完了!!!!」
俺は刀を頭上に掲げて叫んだ。
その瞬間、わっと歓声が上がった。
「おおー! やったねー、新人君!」
美島さんや杖子ちゃんが手を叩いてくれる。
剣持先輩も歩み寄ってきて、俺の肩をバシンと叩いた。
「初戦としては、なかなか良いんじゃねえ? やるなお前」
「あ、ありがとうございます! いやぁ、まぐれっす」
「まぐれであっても結果を出したのは事実だ。ああ、今の一撃はなかなか出来るもんじゃねえよ。猫の反射を超えてたからな。かなり集中してたしな」
皇かれんも静かに歩み寄ってきた。
彼女は消滅地点を一瞥した後、俺の方を見て小さく頷いた。
「悪くなかったわ、久我くん。自分の長所である『瞬間出力』を理解して戦った。Tier4 にしては上出来よ」
「……かれん様に褒められた」
「調子に乗らないで。運が良かっただけよ。……でも、合格点くらいはあげるわ」
厳しい彼女にしては、最大限の賛辞だ。
俺は夜空を見上げた。
勝った。吸血鬼の力を使って、怪物を倒した。
昨日まではただ逃げるだけだった俺が、自分の足で立って戦った。
身体の奥底から確かな自信が芽生えてくるのを感じた。
初戦快勝。
掃除屋としての、最高のスタートだった。




