第25話 夜空を焼く青き炎、アメリカからの勧誘者
その夜、俺は一人で繁華街の裏路地を走っていた。
今日の任務は「単独巡回」。
ここ数日で場数を踏み、Tier4やTier5レベルの雑魚なら単独処理できると、ヤタガラスに認められた証拠だ。後輩ハンターたちの前では先輩風を吹かせているが、俺自身もまだ成長途中のルーキー。こうして地道に経験値を稼ぐ必要がある。
「……ここか」
霊脈探知アプリが指し示すポイントに到着する。
ビルの隙間、ゴミ箱が散乱する薄暗い袋小路。ここに「人狼型」の野良怪異が出現したとの通報があったはずだ。
だが、そこには奇妙な静寂があった。
怪異の咆哮もなければ、獲物を食い荒らす音もない。
代わりにあったのは、焼け焦げた壁と、ガラス化して溶解したアスファルトの跡だった。
「……なんだこれ」
俺は地面を触る。まだ熱い。
まるでバーナーで炙ったような高熱の痕跡が放射状に残っている。怪異の姿はない。いや、この黒い煤が怪異の成れの果てか?
「遅かったな、ヤタガラスの少年。」
頭上から声がした。
俺はバッと顔を上げる。
ビルの非常階段の踊り場。そこに一人の男が立っていた。
年齢は二十代半ばくらいか。仕立ての良いグレーのスーツを着こなし、髪を整髪料できっちりと撫で付けている。一見するとエリートサラリーマンだが、纏っている雰囲気が違う。
鋭い。そして冷たい。
まるで研ぎ澄まされた日本刀が、そこに人間の形をして立っているかのような威圧感。Tier4の俺の本能が、警鐘を鳴らしまくっている。
(こいつは……人間か? それとも上位の吸血鬼か?)
俺が身構えると、男はひらりと階段から飛び降りた。音もなく着地する。その動き一つとっても、ただの人間ではない。
彼は懐から携帯端末を取り出し、無遠慮に俺に向けた。
「Tier4吸血因子保有者。……ふむ、登録データにある『久我陽介』か。」
「……誰ですか、アンタ。」
俺は黒刀の柄に手をかけた。
「この怪異、アンタがやったんですか?」
「ああ。ついでだ。」
男は端末をしまい、値踏みするように俺を見た。
「私の名は氷室。『マジェスティック・極東支部』に所属するエージェントだ。」
「……マジェスティック!?」
剣持先輩の話に出てきたあの組織か。アメリカの実力主義集団。
本物のエージェントを初めて見た。
「ヤタガラスの管轄内だぞ、ここは。越権行為じゃないのか?」
俺が牽制すると、氷室はフンと鼻を鳴らした。
「縄張り意識か。古いな。我々は害獣駆除をしただけだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはない。」
そして、彼は俺の目を見つめた。
「それに、今夜の目的は駆除じゃない。君だ、久我陽介。」
「俺?」
「君の能力データ……特に【時間干渉型の魔眼】。あれは興味深い。」
ドキリとした。
俺の魔眼の情報は、ヤタガラス内でも秘匿扱いに近い。Tier1のかれんと、一部の上層部しか詳細を知らないはずだ。
「なぜ知っている?」
「我々の情報網を甘く見るな。……Tier4ごときが、時間を操作するなど、本来ありえないエラーだ。だが、それは同時に希少な『原石』であることを意味する。」
氷室は一歩、俺に近づいた。
「単刀直入に言おう。ウチに来い。」
「……は?」
「ヤタガラスなどという、前例と保身しか考えない、老人ホームのような組織で燻っているのは、時間の無駄だ。君の目は、正しい環境で磨けば、戦略級の兵器になる。」
彼は懐から一枚の名刺を取り出した。
そこには金色の文字で『MAJESTIC-12』のロゴと、彼の名前が刻まれている。
「待遇は約束しよう。現在の年俸の10倍。専属のトレーナー、最新鋭の強化プログラム、そして何より……君が望むなら、Tier3、いずれはTier2へと至るための最短ルートを提供する。」
年俸4000万。Tier3への昇格。
喉から手が出るような甘い言葉だ。上昇志向のある能力者なら、即決するかもしれない。
だが、俺は首を振った。
「……悪いけど、興味ないな。」
「ほう?」
「今の職場、気に入ってるんでね。口うるさいけど、頼れる先輩もいるし、守らなきゃならない後輩もできたんだ。金のために移籍するつもりはないよ。」
それに、あの金髪幼女(師匠)の正体がバレたら、マジェスティックの研究材料にされそうだしな。
俺の答えを聞いて、氷室の表情から、感情が消えた。
「……そうか。日本の『情』か。反吐が出るほど甘いな。」
パチン。
彼が指を鳴らすと、彼の手のひらに、青白い炎が灯った。
いや、それは炎ではない。プラズマのように高密度に圧縮された「破壊エネルギーの塊」だ。あの怪異を灰にしたのは、これか。
「残念だよ。言葉で理解できないなら……、身体に直接教え込むしかないな。」
氷室の全身から、凄まじいプレッシャーが吹き荒れた。
これが本物のプロフェッショナル。Tier3の殺気。
剣持先輩の模擬戦とは違う。本気で殺す気はないかもしれないが、五体満足で帰す気もなさそうだ。
「これは採用試験だ、少年。」
氷室が青い炎を構える。
「世界基準の実力がどんなものか、その身で味わってみるがいい。」
「……上等だ、スカウトマン!」
俺は抜刀した。
逃げられない。そして、ここで逃げたら一生後悔する気がした。
格上のエリートに、野良吸血鬼の意地を見せてやる。




