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平凡な俺が吸血鬼に? 高嶺の花な彼女に連れられて、夜の街の掃除屋はじめます  作者: パラレル・ゲーマー


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第2話 現代異能行政とその申請手続きについて

「な、なんだこれ……!? コンタクトなんて入れてないぞ……!」


 俺は手鏡を取り落としそうになるのを必死に堪え、自らの眼球を凝視した。


 見間違いであってくれという願いは瞬時に粉砕される。

 瞬きをしても、目を擦っても、その紅蓮の輝きは消えるどころか、俺の焦りに呼応するように明度を増していくようだった。


 それはLEDライトのような人工的な光ではない。

 もっと禍々しく、同時に見惚れてしまうほど神秘的な、内側から燃え上がる生命の灯火だった。


「落ち着いて。大声を出せば、周りの客に気づかれるわ」


 皇かれんの声は、氷水のように冷静だった。


 彼女は俺の手から鏡を取り上げてカバンにしまうと、周囲を一瞥する。

 幸い、この席は奥まった場所にあり、店内の間接照明も暗めだ。

 今のところ、俺の発光現象に気づいた者はいないらしい。


「落ち着けって……これ病気か? 奇病か?」


「ええ、ある意味ではね。でも感染症じゃない。貴方のDNAに刻まれていた形質が発現しただけよ」


 かれんは組んだ脚を、優雅に組み替え、呆然とする俺に向かって諭すように語り始めた。


「理解した? 先ほども言った通り、貴方は『吸血鬼』に覚醒したの」


「だから、その吸血鬼ってのが意味不明なんだよ! まさかニンニク投げつけられたら溶けるのか? 十字架見たら蒸発するのか?」


「映画の見過ぎね。フィクションと現実をごっちゃにしないで」


 彼女は呆れたように息を吐き、テーブルのアイスコーヒーを指さした。


「いい、久我くん。よく聞いて。この世界において『吸血鬼』というのは、オカルト的な怪物の名前じゃないの。医学的、あるいは行政的に分類された、特定の特性を持つ『能力者』の総称よ」


「のうりょくしゃ……?」


「そう。この現代社会には、科学では解明しきれていない特殊な力を持つ人間が、一定数存在しているわ。フィクションで言うところの、魔法使い、超能力者、あるいは気功使い。呼び名は様々だけど、彼らをひっくるめて『能力者』と呼ぶ」


 皇かれんの話は、あまりに突飛で、かつ妙に現実味を帯びていた。


 魔法や超能力なんて、アニメの中だけの話だと思っていた。

 だが現に、俺の身体は昼間日光に焼かれ、夜に超人的な回復を見せ、目が光っている。

 現実離れした事象の当事者になってしまった以上、彼女の説明を否定する材料がない。


「貴方が目覚めたのは、その能力者の中でも『吸血因子保有者』――通称、吸血鬼と呼ばれるカテゴリーね。特徴は大きく分けて二つ。一つは、夜間の身体能力向上および、光への耐性低下。そして、もう一つが」


 彼女は声を一段低くした。


「――血液に対する、根源的な渇望」


 喉が鳴った。


 渇き。

 そうだ、今日の俺はずっと乾いていた。

 水を飲んでも、お茶を飲んでも癒えない、焼けつくような喉の渇き。


 そして、先程指を切った友人の血の匂いを嗅いだ時の、あの狂おしいほどの食欲。


「……冗談じゃねぇんだな。マジなのか」


「ええ、マジよ」


 短く肯定され、俺は椅子の背もたれに深く沈み込んだ。


 頭を抱える。

 平凡な高校生活。ほどほどに勉強して、ほどほどの大学に行って、普通の会社員になる未来。

 その青写真が、音を立てて崩れ去っていくのが見えた気がした。


「じゃあ俺はどうすればいい? 人を襲って血を吸わなきゃ生きていけないなら、俺は犯罪者予備軍ってことか? もう普通の生活は……」


「早まらないで。言ったでしょう、貴方は『能力者』になったの。現代日本には、能力者を管理・支援するための法律も組織もあるわ」


 彼女はカバンから手帳を取り出し、一枚のメモをサラサラと書き始めた。


「貴方がこれからすべきことは二つ。まずは、渇きを癒やすための血液を確保すること。そして、社会的にその権利を得るための手続きをすることよ」


「手続き? 市役所とかの話?」


「当たらずとも遠からずね。この国には、一般には秘匿されているけれど、異能案件専門の行政機関があるの。正式名称は、内閣情報調査室・特殊事象対策課。通称『八咫烏ヤタガラス』」


 ヤタガラス。神話に出てくる三本足のカラスか。

 導きの神だとか聞いた覚えがある。


 ネーミングセンスがいかついが、「内閣府」とか言われると急に話がお役所仕事じみて聞こえてくるから不思議だ。


「そこへ行って、能力者としての登録を行えば、合法的に『血液パック』の支給を受ける権利が得られるわ。医療用とは別ルートの、経口摂取用に調整されたものよ。味は……まあ人によるけれど、トマトジュースよりはマシらしいわ」


「血液パックの配給……なんというか、すごく現実的な対応だな」


「現代社会だもの。闇夜に紛れて美女の首筋に噛み付くなんて、衛生学的にも法的にもアウトよ。監視カメラも多いし、DNA鑑定ですぐに足がつくわ。そんな野蛮なこと、今の吸血鬼はしないの」


 そう言いきる彼女の表情には、微かな安堵が滲んでいるように見えた。

 もし俺が本当に野蛮な吸血衝動に身を任せるタイプだったら、彼女は俺をここに呼び出したりせず、その場で排除していたのかもしれない。


「俺はこれからどうしたらいいんだ? そのヤタガラス? に電話すればいいのか?」


「いきなり電話しても怪しまれるだけよ。それに、窓口は一般には公開されていないわ」


 かれんは書き終えたメモを、俺の方へ滑らせた。

 そこには都内のある住所と、待ち合わせの時刻が端正な文字で記されている。


 千代田区霞が関。官公庁がひしめく、日本の心臓部だ。


「私が付き添ってあげる。明日、放課後にこの場所へ行くわよ。ヤタガラスの東京支部があるわ」


「えっ……付き添いって、わざわざ?」


「案内人が必要なのよ。それに、身元引受人がいたほうが手続きがスムーズだもの」


「でも俺のことなんて放っておけばいいのに……」


 そう、そこが疑問だった。


 なぜ学校のマドンナである彼女が、そこまでしてくれるのか。

 ただのクラスメイトというだけで、ここまでする義理はないはずだ。


 俺の疑問を感じ取ったのか、かれんは少し皮肉めいた笑みを浮かべた。


「貴方は、自分がいかに幸運だったか分かっていないのね」


「幸運? いきなり吸血鬼になったのが?」


「いいえ。身近に『裏社会』に詳しい私がいたことよ。もし私の助言なしに行動していたら、どうなっていたと思う?」


「ええと……。今日の体調がやばすぎたし、とりあえず近所の内科にでも行こうかと思ってたけど……」


「それが最悪の選択肢よ」


 彼女はビシリと指を立てた。


「普通の病院で血液検査をされれば、貴方の血液データが『人間ではない』ことは一発で露見するわ。そうなれば病院側はパニックになる。隔離され、研究対象として通報され、やがてヤタガラスの実動部隊が病院を封鎖して貴方を回収しに来る……一種のバイオハザード騒ぎね」


 想像して背筋が凍った。


 防護服を着た大人たちに取り囲まれる、自分の姿が容易に思い浮かぶ。


「そうなれば、家族にも学校にももう隠し通せなくなる。大事おおごとになって、ニュースの裏でひっそりと処理されることになるわね。穏便な登録じゃなく、『危険生物の捕獲』という扱いになるもの」


「うわぁ……マジかよ」


「そう、マジよ。だから私が先に接触して、正規の手順で窓口に連れて行く。そうすれば貴方は『自発的に登録した良識ある能力者』として扱われる。日常生活を続けるためにも、親や友人にバレずに済ませるためにも、これが唯一のルートなの」


 なるほど、完全に彼女に救われた形だ。


 知らぬ間に詰みかけていた状況を、この美女が救ってくれたわけだ。


「……ありがとうございます、皇さん。ほんと、知らなかったらヤバかった」


「ふふ、分かればよろしい。それに能力者が目覚めること自体は、そこまで珍しいことではないの。吸血鬼化だって、交通事故に遭う確率よりはずっと高いわ」


「微妙に嫌な確率だな……」


「とにかく、明日の予定は空けておきなさい。放課後、直行するわよ」


「了解。……でも、本当にお役所なんだな。霞が関かぁ」


 赤い目が元に戻るかどうか不安になりながらも、俺は頷いた。


 ファンタジーだと思っていた世界への入り口は、まさかの霞が関の合同庁舎にあるらしい。


 異能バトルが始まると思っていたら、まず始まるのは書類申請と公的手続き。


 だがそれが逆に、「現実」という重みを伴って俺にのしかかってきた。


 こうして俺、久我陽介の、人間ではない者としての人生が幕を開けることになった。


 学校一の美少女、皇かれんという頼もしくも謎多き導き手を伴って。


 店を出ると、日は完全に落ちていた。


 夜の街のネオンが、眩しいどころか心地よい明かりとして網膜に映る。

 雑踏の匂いに混じって漂う、誰かの血の匂い。


 俺は息を止めて、その甘い誘惑を振り払う。


 明日はまず、あの配給とやらを貰わなければ。

 そうしないと理性が焼き切れるのは、時間の問題かもしれない。


 俺は夜空を見上げ、大きく息を吐いた。


 そこには昨日までと変わらない月が、しかしどこか嘲笑うように妖しく輝いていた。

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