第14話 善き吸血鬼のカリスマと大人たちの再就職事情
スポットライトの光が一点に集中し、ざわめきが消える。
ステージの中央に立つ男、徳川ヴァン。
彼の双眸はルビーのように深く澄んだ赤色をしており、仕立ての良いダークスーツを着こなす姿は、IT企業の若きCEOのようでもあり、古い時代の貴公子のようでもあった。
彼はマイクを使わずに、しかし会場の隅々にまで届く、よく通る声で語り始めた。
「ようこそ、同志たちよ」
その第一声には、威圧感ではなく、包み込むような温かさがあった。
恐怖を煽る独裁者のそれではない。迷える羊たちを導く牧師のような、穏やかで力強いカリスマ。俺を含めた新人の多くが感じていた「得体の知れない組織への恐怖」が、雪解けのように消えていくのを感じた。
「えー、新人吸血鬼の諸君。まずは君たちが無事にこの場に辿り着いたこと、そして何より『吸血因子』という類まれなる才能に覚醒したことを、心から祝福したいと思う。……おめでとう」
ヴァン支部長は柔らかく微笑み、小さく拍手をした。それにつられて会場からもパラパラと、やがて大きな拍手が沸き起こる。
「諸君らの中には、まだ混乱している者も多いだろう。『自分は怪物になってしまった』『もう人間の社会には戻れない』……そう嘆き、絶望した夜もあったかもしれない」
俺の隣にいた佐伯くんが、静かに頷いた。
他の参加者たちも、それぞれの苦悩を思い出すように顔を曇らせる。
「確かに、吸血鬼という種族には、古来より多くの誤解と偏見が付きまとってきた。夜闇に紛れ、人の生き血を啜り、疫病を撒き散らす不死の魔物……。フィクションの世界、創作物などで描かれる私たちのイメージは、悲しいかな常に『悪』か『悲劇の異端者』として固定化されてきた」
彼はゆっくりとステージを歩きながら、一人ひとりの目を見つめるように続ける。
「だが、それは過去の話だ。近年は、小説や映画、ゲームなどでモデルケースとなる機会も増え、良くも悪くも我々の知名度は高い。かつてのように石を投げられるだけの存在ではない。むしろ、クールで強く美しい存在として憧れられることさえある」
「しかし」
と、彼は声を強めた。
「だからこそ忘れないでほしい。その力には、常に責任が付きまとうということを」
空気が引き締まる。
「強靭な肉体、闇を見通す瞳、そして長い寿命。それらは決して、他者を傷つけるために与えられたものではない。自暴自棄になり、力に溺れ、社会の秩序を乱すならば……君たちは本物の『怪物』になり果ててしまうだろう」
ヴァンは一瞬の間のあと、再び表情を崩して微笑んだ。
「だが、安心してほしい。君たちは一人ではない。
この協会には、同じ悩み、同じ渇き、同じ運命を背負った仲間たちがいる。先輩がいて、同僚がいて、今日出会った友がいる。
もし道に迷った時は、どうか思い出してほしい。君たちの背中には、我々という大きな家族がついているということを。そして、君たちが守るべき日常が、まだそこにあるということを」
胸にじんとくるスピーチだった。
吸血鬼になったことを「呪い」ではなく、「新しい人生」として肯定してくれている。
なるほど、こりゃあファンもつくわ。「徳川ヴァン」という名前で一瞬笑ってすまなかった。この人は本物だ。
「長話はこれくらいにしよう。喉も乾いただろう? ――さあ、グラスを持って」
近くのウェイターから赤ワインのグラスを受け取り、ヴァンは高々と掲げた。
「新たな血族の誕生と、これからの輝かしい夜に。――乾杯!」
「「「乾杯!!!」」」
数百のグラスが触れ合う音が、美しい旋律となって、緋色のホールに響き渡った。
パーティーの幕開けだ。
*
乾杯の興奮が冷めやらぬ中、俺たち学生グループは、また固まろうとしていた。
と、そこへステージから降りてきた徳川ヴァン支部長が、真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
「やあ、若人たち。そんな隅っこで固まってないで、もっとこっちへ来なさい」
「うわっ、支部長!」
「吸血鬼も人間も、若者が元気でないと未来はないからね。ほら、あそこのテーブルに社会人の方々もいる。交流して、見識を広めるといい」
背中を押され、俺たちは会場中央付近の大きな円卓へ移動することになった。
そこには、三十代~四十代くらいの男女グループが、落ち着いた雰囲気で飲食を楽しんでいた。
「あ、どうも……お邪魔します」
俺がおっかなびっくり挨拶すると、スーツ姿の男性が気さくに手招きしてくれた。
「お、学生さんたちだね。いらっしゃい。さっき、あそこで盛り上がってたねえ」
「すみません、うるさくして……」
「いいっていいって。若いって素晴らしいよ。こんなパーティー、君たちは初めてじゃない?」
「はい。まあ……普通に暮らしてたら、初めての経験ですよね」
相原さんが、緊張気味に答える。
「そうだよなぁ。俺なんて、こんなきらびやかなパーティー、自分の結婚式以来だよ。二次会みたいなもんだ」
男性はハハハと笑う。どうやら普通の会社員のようだ。
「君たちはまだ学校でしょ? 高校生? 大変だねぇ、受験とかあるのに吸血鬼になっちゃって」
OL風の女性が、同情的な視線を向けてくる。
「ほんとですよ。夜型体質になったせいで、朝の補習が地獄で」
「あー分かるわそれ。時差ボケみたいなもんよね」
「ところで」
そのOLさんが、興味深そうに俺たちを見渡した。
「学生さんの内、すでに『ヤタガラス勤務』の子っていたりするの?」
その問いに、俺が小さく手を挙げた。
「あ、俺一応……夜の学校警備の任務についてます。ヤタガラスの非正規委託みたいな感じで」
「へぇー! 学校警備かぁ、青春だねぇ!」
「えっ、お姉さんもヤタガラス関係なんですか?」
彼女はワイングラスを揺らしながら、誇らしげに頷いた。
「ええ。私はヤタガラス本部で事務職やってるわ。庶務課の経理担当ね」
「経理! 一番大事なところじゃないですか」
「ふふん、そうよ。以前は中小企業で事務やってたんだけど、吸血鬼になったのを機に転職したの」
「えっ、転職?」
「そう。給与が全然違うのよ。危険手当もつくし、福利厚生もしっかりしてる。なにより『夜勤専従』の枠があるから、この体質にはぴったりなのよ。公務員サイコーよ」
彼女はサムズアップをした。
「人生どうなるか分からないもんよね。怪物になったと思ったら、ホワイト企業の公務員にキャリアアップしたんだから」
「ははぁ……たくましい」
隣にいた少し無精髭の生えた男性も、会話に入ってきた。
「俺も転職組だね。元はトラックの運ちゃんやってたんだけど、事故った時に身体が再生しちゃってバレてさ」
「うわ、ドラマチック……」
「で、今はヤタガラスの実働部隊……のエージェントってやつをやってるよ。と言っても下っ端だけどな」
「エージェント! かっこいい!」
男子たちが色めき立つ。
「夜に怪異退治してるんですか?」
「ああ。最近は都内の廃ビルなんかに巣食ってるTier4クラスの掃討がメインだな。俺みたいな途中入社の『おっさんルーキー』何人かでチーム組んで、同僚の吸血鬼と仕事してるよ。体力自慢にはもってこいの職場だぜ。金もいいしな」
「いいなぁ。俺も早く働きてぇ……」
佐伯くんが羨ましそうに呟く。
大人たちの話を聞いていると、「吸血鬼化」は必ずしも悲劇ではなく、新たなキャリアの選択肢に見えてくるから不思議だ。ヤタガラスという組織の懐の深さが伺える。
そこで学生組の一人――例の空気が読めない佐伯くんが、何気なく爆弾を投下した。
「へぇー、皆さん充実してますね! 参考になるわー」
「でしょ? 案外悪くないわよ」
「……ちなみに皆さんの『覚醒パターン』はどうだったんですか? やっぱりヤタガラスのスカウトとか?」
瞬間。
和やかだった大人テーブルの空気が、液体窒素をぶちまけたように凍りついた。
OLさんがワインを飲む手を止め、トラック運転手さんが視線を宙に彷徨わせる。
先ほどの結婚式の話をしたサラリーマンが、沈痛な面持ちで口を開いた。
「……ここだけの話だけどな、坊主」
「は、はい?」
「ここにいる大人組というか転職組はね……全員、病院パターンだよ」
「…………あ」
佐伯くんの顔色が変わる。
やってしまった。本日二度目の地雷。いや、被害規模はこちらの方が甚大だ。
社会人が病院で騒ぎを起こし、隔離され、家族や職場に知れ渡る。それが意味するものは――「社会的地位の崩壊」と「強制的な人生のリセット」だ。
「……そ、そうだったんですね……」
「ああ。職場の健康診断で引っかかって大騒ぎになって……会社には居られなくなって、ヤタガラスに拾ってもらったんだ」
「私は救急車で運ばれて……気がついたら家族会議よ。離婚の話も出たわね……今は修復中だけど」
一気にテーブルがお通夜状態になる。
華やかなパーティー会場の一角だけ、どんよりとしたどす黒い雲が発生していた。
現代社会の闇。吸血鬼であることの代償。それは大人の世界ほど過酷だった。
俺は耐えきれずに、助け船を出した。
「き、気を取り直して! み、みなさん今はヤタガラスのエリート職員なわけですし! 人生万事塞翁が馬ですよ! ね!?」
「そ、そうですね! 今は給料高いし! 未来は明るい!」
「か、乾杯しましょう! この出会いに!」
「……ふっ。そうだな、暗い話はやめだ」
運転手のおじさんが、無理やり笑ってくれた。
「お前ら学生には、そんな苦労はさせたくないからな。ヤタガラスも頑張ってるんだよ。……よし、乾杯だ!」
「「「か、かんぱーい……!!」」」
若干引きつった笑顔で、俺たちは二度目の乾杯を交わした。
グラスのぶつかる音が、少しだけ寂しく、そして強く響いた気がした。
学生と社会人、立場の違う吸血鬼たちが、互いの傷を舐め合いながらも、結束を深めた夜だった。




