第11話 影遊びと17分割された最凶の吸血鬼
午前二時半。
今夜も夜勤(怪異退治)はなく、魔力ゲージが満タン状態の俺は、またしても健康的な睡眠を放棄してPCの前に座っていた。
画面の中では、ファンタジーRPGの主人公がドラゴン相手に派手なエフェクトを放っている。かつては「すげーな」と憧れたその光景も、実際に自分が能力者になった今では「いや、これくらいの魔力ならTier4クラスかな」なんて冷めた分析ができるようになってしまった。慣れとは恐ろしい。
ヘッドホン越しのBGMに紛れて、背後から聞き慣れた衣擦れの音がした。
『……お主、また飽きずにゲームか?』
脳内に響く、生意気なロリボイス。
俺はくるりと椅子を回転させた。
「おっ、出てきたな金髪ちゃん。待ってたぜ」
ベッドのヘッドボードの上には、前回と同じくゴシックドレスの幼女が、空中であぐらをかきながら(物理法則は仕事をしていない)浮いていた。
「待ってたとは、殊勝な心がけじゃな。……ん? そのニヤついた顔、さてはワシにまた『便利グッズ』を強請るつもりじゃな?」
察しがいい。さすがは力の化身だ。
「ご名答。Tier1のかれん様からアドバイスを貰ってな。『影を使って瞬間移動できる能力』があるって聞いたんだよ。移動にも回避にも使えるって」
「ほう、あいつめ余計な入れ知恵を……」
彼女は呆れたように呟いたが、満更でもない顔をしている。
「まあいい。主が向上心を持つのは悪くないことじゃ。お主の言う通り、影を利用した移動能力はあるぞ。【影渡り(シャドウ・ウォーク)】と言う」
「おっ、あるのか! じゃ、くれよ。さっそく使いたい」
俺が手を出すと、彼女はピシャリと手を払う仕草をした(実体はないので俺の手はスカッと空を切る)。
「まあ待て、せっかちな奴め。いきなり応用技は無理じゃ」
「なんでだよ。前回みたいに指パッチンで魔眼くれたじゃんか」
「魔眼は単独で完結する機能じゃが、影移動は影操作の延長線上にある技術じゃ。……まず、基本となる【影操作】を学び、影と一体化する感覚を掴んでからじゃな!」
「なるほど、基礎練習が必要ってことか……」
「うむ。じゃが影操作自体の付与は既に済ませておる。さあ、己の影を見てみよ」
俺は視線を足元に落とす。
デスクライトの光に照らされ、床にはくっきりと俺の影が伸びていた。普段なら見過ごす黒い染み。だが今は、そこに奇妙な繋がりを感じる。指先と同じように、自分の身体の一部であるかのような感覚。
「影を操作してみい。手を持ち上げるイメージで」
「えーと……こうか?」
俺は右手をくいっと上げる動作をしつつ、同時に影へ命令を送る。――起きろ、と。
ズズッ……。
物理的な音がした気がした。
床にへばりついていた俺の影が、まるで粘性を持った黒い液体のようになって、ニューっと鎌首をもたげたのだ。
のっぺらぼうの上半身が、俺の動きに合わせてふらふらと揺れる。
「おっ……影が立ち上がった!! すげー! スタンド使いみたいだ!」
俺がガッツポーズをすると、影も同じようにガッツポーズをした。なんだこれ、面白い。
「その影の手で、近くのティッシュ箱でも持ち上げてみるのじゃ」
「おう、任せろ。そら!」
俺は影の腕を伸ばし、ティッシュの箱を掴もうと念じた。
影の手が箱に触れる――しかし。
スカッ。
触れることができなかった。幽霊のように素通りしてしまう。
「あれ? 掴めないぞ?」
「……ふっ。まだまだ未熟よのう」
幼女はニヤリと笑った。
「今のままでは、お主の影には『質量』がない。あー、でも、まだ重い物も持てないじゃろうな。ただの光学現象を、魔力で固めているだけじゃ」
「マジか。役に立たねえ……」
「そりゃそうじゃ。発現したてじゃからのう。一流の影使いになるには、こうやって日常的に影を具現化させ、それに魔力を練り込んで『硬度』を与える影のトレーニング……通称『影トレ』をする必要がある」
「影トレ……」
「小まめな能力行使が基本じゃな! 日々、無意識でも影が実体を持つようになるまで、反復練習あるのみじゃ」
「なるほど。……ちなみに、これ使っても魔力消費は?」
「影操作自体は、お主自身の生命維持活動に近いからのう。維持するだけなら、ほぼ消費しないぞ。魔眼のようにゴリゴリ削られることはない」
「消費ほぼなしか! ありがたい。じゃあ、これから毎晩ゲームしながら無意識に影を動かす、『ながら筋トレ』ならぬ『ながら影トレ』ができるわけだ」
「またゲームか?」
幼女がジト目で睨んでくる。
「お主、本当に夜な夜な飽きもせず、画面の中の遊びに興じるのう。暇つぶしにはちょうど良いのか?」
「おいおい、分かってないなババァ」
俺は人差し指を振る。
「ゲームとラノベがない世界なんて考えられないね。俺のアイデンティティの半分はそいつらで出来てるんだ。特に吸血鬼になってから、現実よりもフィクションの住人っぽくなっちまったしな」
「ふん。……現代っ子というのは軟弱なもんじゃな」
彼女はふわりと宙返りし、俺の肩の近くまで降りてきた。
「昔はチェスやバックギャモン、あるいは……『人間狩り』をして暇を潰した物じゃがのう」
「……さらっと物騒なこと言わないでもらえます?」
人間狩りて。こいつの時代のエンタメどうなってんだよ。
ふと、疑問に思ったことをぶつけてみた。
「なあ。前から思ってたんだけど……。お前、やっぱり単なる『能力の化身』じゃないだろ?」
「……ほう? 何故そう思う?」
「だって人格が、あまりにも人間くさいというか……邪悪くさい。ただのプログラムにしちゃあ、性格が悪すぎる」
俺の指摘に、彼女はクククッと喉を鳴らして笑った。その笑い声は幼女のものではなく、何百年も生きた老婆……いや、もっと強大な魔物のそれに近かった。
「……ふむ。鋭くなったものじゃ。魔眼を持った影響か?」
「いや、化身じゃのうて。訂正しよう」
彼女はその小さな手を広げ、勿体ぶるように宣言した。
「正しくは『かつて神々に17分割されて封印された、古の最強の吸血鬼の意思』……その残滓じゃよ」
「……はい?」
情報量が多い。17分割? 封印? 神々?
「ワシの本体は遥か太古に滅ぼされた。だが血と魂は死なんと、バラバラにされ、永い時を経て薄まりながら拡散した。その欠片の一つが、隔世遺伝という細い道を通り、お主という『器』の中にたどり着いて、意識だけが浮き出てきたって感じじゃ」
「えっ、俺の中に封印されし魔王がいるってこと!? ベタすぎる!」
「うむ。メインの機能はあくまでお主の能力を補助する『化身』じゃがな。そのベースとなっている知識や経験は、大昔に神々に喧嘩を売って、束になられて封印された吸血鬼のモノなのじゃ」
「めっちゃ悪いヤツじゃん!」
「うむ、悪いヤツじゃ。伝説に残るレベルでな」
悪びれもせず、彼女は言い切った。
「世界を三日三晩、血の海に沈めたこともあるし、当時の王の首をコレクションにして遊んでおったぞ?」
「サイコパスかよ……」
ドン引きする俺を他所に、彼女は愉快そうに笑う。
「へーなるほど。ラノベ的だなぁ……。主人公の中にラスボスの魂が同居してる展開。お約束っちゃお約束だけど、まさか自分がそうなるとは」
「ま、心配するでない。ワシの本体が復活して身体を乗っ取るなんてことは、万に一つもない。ワシの魂は、あまりに微細になりすぎた。今はただ、お主という新たな可能性を育てるのを楽しむだけじゃ」
「そうかよ。……じゃあ聞くけど、お前の能力ってこれだけじゃないんだろ?」
17分割されたとはいえ、元が神々と喧嘩したレベルなら、引き出しはもっとあるはずだ。
「魔眼、影操作……他には? もっとすごい必殺技とかないのか?」
「うむ、歴史上最強の……まあ、自分で最強と言うのもあれじゃが、神々とやり合った吸血鬼のTier0クラスの能力じゃ。種類は無限にあるぞ」
「おー! じゃあもっとくれよ! バトル漫画みたいなカッケー能力!」
「馬鹿者」
ペシンと、見えない手で額を叩かれる。
「能力が無限にあっても、それを受け入れるお主のコップが小さいんじゃ! 今はまだTier4の小僧。あまり強力な力を流し込むと、器が割れて発狂死するぞ?」
「えー……ケチ」
「甘いのう。器が小さいからそこまで付与出来んのじゃ。魂の大きさ、すなわち『Tier』が増えれば、おのずと解禁できる能力も増やせるのじゃ」
なるほど、レベルアップが必要ってことか。RPGのスキルツリーと同じシステムだ。
「強い敵を倒し、魂の格を上げよ。そうすれば、ワシの奥義の一つくらい教えてやらんこともない」
「ちぇ。……分かったよ。じゃあ、とりあえず地道に『影トレ』から始めるか……」
俺は諦めて、また画面に向き直った。
マウスを操作しながら、足元で「右向け左向け」と影に指示を出す。地味な作業だ。
背後で、元・最強の吸血鬼があくびを噛み殺しながら浮遊している。
ゲームとラノベを愛する現代の吸血鬼と、かつて世界を滅ぼしかけた古の邪悪。
なんとも奇妙な同居生活の夜が、今夜も更けていった。




