trois
「さあ、機を起動して。まずは立たせてごらんなさい」
コノエは起動スイッチに指を押し込む。駆動音が唸り、グラスコクピットに光が灯る。ブレインマシンインターフェースが神経回路のように端々まで繋がっていく。
コノエは呪文のように唱える。
「レヴェイユ、立て」
機は膝立ちの状態から立ち上がる。全長9mの、本来の高さになる。
「高さはどうかしら」
「さすがにシミュレーターとは感覚が違いますね」
その声からわずかに少年の匂いがした。良かった。コノエにも巨大ロボットに目を輝かせる余地はあるようだ。
「当然よ。次は歩行させてみなさい」
「では、歩け」
一歩踏み出す。不必要に傾かないよう機体にはオートバランサーがついている。とはいえ歩幅が大きい分、不安定だ。けれど、コノエは平然とやってのける。これなら更に踏み込んだ行動も可能だろう。
「機を飛ばしてご覧なさい」
「飛ばす、ですか?」
「ええ、跳躍ではなく飛行の方よ。自律型戦闘人形は短時間なら飛行が可能なの。それくらい知っているでしょう?」
機がそう訊ねると、コノエは首を横に振った。
「聞かされていません。自律型戦闘人形は跳躍が可能だとは聞かされていますが、飛行ができるとは存じ上げておりません」
「だとしたら標準機能ではないのかしら。機はイレギュラーだから、他の機体が搭載していない機能もあるのよ」
「だからレヴェイユは競争率が高いのですね」
機はただ性能がピーキーで、それ故に怖いもの見たさで志願しているのでは。そう返すとコノエは違うと返す。
「僕が知る限り、あなたは操縦士志願者にとって憧れの機体です。強くて、格好良くて、美しい機体です」
そのように褒められたのは初めてで、戸惑ってしまう。そんな筈はないと言いたいが、言ってしまえばコノエの憧れを否定するに等しい。だから、わざと格好つけてみた。
「ならば、機を巧く扱ってご覧なさい」
「もちろんです」
三歩走って跳ぶ。背面から排気を吹き出して飛行体勢になる。
「コノエ、どうかしら?」
「空を飛ぶのが気持ち良いとは知りませんでした。これほど清々しい気持ちになったのは初めてです」
清々しい気持ち、それは機も同じだった。今まで誰を搭乗させても少なからず吐き気を催していたのに、それが無い。不思議なほど心地よい。
「レヴェイユ、飛行動作の確認はこれくらいにしましょうか。あまり長時間あなたに搭乗すべきではないと伺っています」
「そうね。機は精神汚染を起こしやすい機体だから。実戦は仕方ないとして、訓練は程々になさい」
訓練場に降下する。コノエは搭乗時と同じように静かに降り立ち、機は変形を解いた。
「コノエ、食事を摂りに行きなさい」
「では、また後ほど」
コノエは急ぎ足でカフェテリアに向かっていった。見送ってから機はラボへ向かう。
メンテナンスルームの一番奥の錆び付いたドアを開ける。甲高い不愉快な声がする。機の維持管理を手がける技術者だ。
「珍しいねぇ、姫様が自ら来るなんて」
「黙りなさい」
「そうは言うけど、来た理由を教えてくれないと困るし」
「疑似神経の値を測るわ。機材を出してちょうだい」
「やだよ。面倒臭い」
「あなた、わがままを言える立場だったかしら」
ここで黙らないと踏みつけられる。それを嫌というほど叩き込まれた技術者は自らの口を押さえながら計測機器を引っ張り出す。そして機のうなじのジャックにプラグを差し込む。モニターに穏やかに凪いだ波形が映る。普段なら刺々しく上下するのに。
「メモリにある操縦者の波形と重ねてくれるかしら」
機が要望すると、技術者は口を尖らせる。
「操縦者とのシンクロ率が見たいの?」
「そうに決まっているでしょう」
「意味ないと思うけどねぇ」
「次に無駄口叩いたら蹴り飛ばすわよ」
技術者はひと震いしてから画面のタブを切り替える。コノエの波形は交感神経優勢の程々の波形で、何より機と波のタイミングがほぼ合っていた。当たり前か。波形が合う人間でなければ、機体に搭乗した時点で機は癇癪を起こしてしまうのだから。
「今回の操縦士は当たりみたいだねぇ」
「いい加減に口を噤みなさい」
プラグをうなじから引き抜いてラボを去る。技術者はごにょごにょ言っているが、機の知ったことではない。
機の波形が凪いでいるなんて初めてだ。自律型戦闘人形の疑似神経の波形はダイレクトに機体の安全性に直結する。この結果は現状コノエを殺さずに搭乗させられる可能性があるという意味になる。
凝り固まった不安が少し解ける。嬉しいと言っても過言ではない。コノエに結果を伝えよう。そう思って通信を送ろうとした途端、また脳裏に亡者の声が過ぎる。
「化け物人形のくせに安堵するなんて」
うるさい。邪魔しないでちょうだい。浮き立った気持ちがたちまち霧散していく。
「レヴェイユ、どうなさいましたか」
声がする方向に振り返る。コノエだ。
「あら、食事は摂ったの?」
「あなたが浮かない顔をなさっている方が問題です」
ここで馬鹿正直に気持ちを表せるほど機は素直な精神の持ち主として作られていない。
「ちょっとしたエラーが発生しただけよ。すぐに直すわ」
そう言って立ち去ろうとした。しかし、コノエは機を逃がしてはくれなかった。腕を掴まれる。掴まれた手を振り払うくらい容易いのに。見た目が細身の少女の姿でも、機は兵器として造られた。並の人間ならば軽くいなせる。なのに、掴まれた手が振り払えない。コノエは人間の中でも著しく腕力が強いのか。
「レヴェイユ、僕はあなたを理解したいんです」
理解なんてしなくていい。コノエの過去に地獄があるように、機には機の地獄がある。コノエにこれ以上の地獄を背負わせたくはなかった。
「いずれ話すわ。だから」
「腕を離せと?」
「今はまだ、語る時じゃないのよ」
掴まれた腕が解かれて、機は今度こそ立ち去った。




