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Princesse des épines ーいばらの乙女人形と岩の兵士ー  作者: 菫重工
本編

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3/14

deux

「契約を結びましょう。あなた、名前は」

 男はすぐには答えなかった。(わたし)には躊躇っているように見えた。

「……近衛と申します」

「コノエ、そう呼べばいいかしら」

「そう、ですね」

 コノエは何かを思い出すように遠い目をした。(わたし)には傷跡を庇うように見えた。

「手を出しなさい」

 差し出された手は人間にしてはずいぶんと大きい。(わたし)の手を覆い隠せてしまう程に。

「掌を合わせるの。それで、(わたし)たちはパートナーとして承認されるわ」

 重ねた掌が温かい。これは人間の温度だ。重ねた隙間から淡い光が溢れる。もう何度目かの光景だ。光は美しいけれど、嫌な記憶ばかりが頭に浮かぶ。(わたし)にとって、パートナー承認は別れの始まりだから。

「共に参りましょう、マドモアゼル」

「レヴェイユでいいわ」

「……かしこまりました。レヴェイユ」

 光が絶えて(わたし)たちは手を離す。温かさが急激に失せていく。それは掌だけでなく、胸の奥も同じく。(わたし)は淋しいのか。

「明日、朝食を終えたら迎えに来てちょうだい」

「操縦訓練、でしょうか」

「お手並みを拝見したいわ」

 (わたし)がそう答えると、コノエは「明日が楽しみです」と返した。

 コノエは幹部の男に付いて部屋を去り、応接室の扉はようやく閉ざされた。独りになってようやく(わたし)は人間のように大きく息を吐いた。実際のところは機内の排気だけれど。

 (わたし)はコノエを殺さずに地上に帰せるだろうか。わからない。地上に帰せる保証なんてどこにもない。

 (わたし)の癇癪は相手を選びはしない。力が敵に向けば戦果となるが、味方に向けば自滅を招く。(わたし)が未だにスクラップにされていないのは足し引きで戦果の方が多いから。簡単な算数だ。

 不安になると亡者の声が聞こえる。

「まだ解体されていないのか」

 ええ、そうよ。何故かしらね。

「化け物め」

 よく分かっているじゃない。化け物だから壊せないの。壊したら祟られるなんて言われるわ。

 そうやって幻聴に相手をしてやる。人間であれば、幻聴に蝕まれて頭がおかしくなってしまうのでしょうね。(わたし)は最初から狂った人形だから平気だけれど。

 思考するのはこれくらいにしましょう。人工知能だってあくせく働かせたら疲れてしまうもの。スリープモードに入れば何も考えなくて済むわ。寝台に沈み込む。きっとまた、いつも通り、悪夢を見るのでしょうけれど。


 高く細い声が強風に掻き消されていく。

「助けて」

 (わたし)は救助するための道具ではない。敵を破壊するための兵器だ。だから、助けを求める人間に遭遇する機会はない。命乞いをする操縦者ならば似たような台詞を口にするけれど、このようなか弱い声を発する操縦者を(わたし)は知らない。ならば声は誰の、何を示す声なのか。

「わたしを助けて……」


 悪夢にしては穏やかで淋しい夢だった。目覚めてドレスに着替える。ラベンダー色の、ロマンティックチュチュのように薄布を重ねたドレス。全身を映す鏡の前で不機嫌な表情を浮かべる。不自然だ。敵を屠る兵器に相応しい装備とは言えない。(わたし)に甘やかな格好なんて似合わない。

 ノックの音がした。追って朗らかな声が響く。

「おはようございます。レヴェイユ」

「早いわね」

「申し訳ありません」

「冗談よ」

 コノエは昨日とは異なる格好をしていた。 

「その服はどうしたの」

 (わたし)が問うとコノエは照れ臭そうに頭を掻く。

「空の制服を仕立てて頂きました」

「似合うわ」

「お褒め頂き光栄に存じます」

 コノエの装備には身分示すものとは別にバッジがいくつかつけられている。

「そのバッジ、見覚えがないわ」

 (わたし)が指差すとコノエはバッジの一つのピンを抜いて手のひらに取って示した。

「地上で賜ったものです」

 近くで見てもやはり見覚えがない。幹部連中の胸にもなかった。

「これは何らかの勲章かしら」

「大したものではありませんよ」

 嘘だ。地上部隊については詳しく知らないけれど、絶対に嘘だ。

 とはいえ(わたし)のセンサーは動揺を感じ取っていない。コノエに嘘を吐く気はなく、謙遜をしただけだろう。

「コノエ、空に来る前は地上で何をしていたのか教えてちょうだい」

 コノエはわずかに口端を上げた。

「地上ではバトルスーツに搭乗していました」

「バトルスーツ? それは自律型戦闘人形(ドール)のような道具かしら」

 (わたし)がそう訊ねると、コノエは考え込んだ。

「バトルスーツは自律型戦闘人形(ドール)と違って機体に意思がない乗り物です。人型に変形もしません。なので、似て異なる存在です」

 (わたし)たちとは大きく異なる存在と言いたいようだ。

「だとしたら自律型戦闘人形(ドール)とは異なる運用がされているの?」

「操縦方法は似ていました。グラスコクピットの画面も同じような配置でした。しかし、バトルスーツは強化外骨格の延長戦上の道具で、機動力や防御力を強化するための装甲に過ぎません。それゆえ、操縦士に求められる能力は歩兵としての能力でした」

 コノエのやや控えめな話から実状を膨らませると、コノエは今まで(わたし)に搭乗してきた操縦者とは別物だ。自律型戦闘人形(ドール)に搭乗しなくとも戦える人間に違いない。

「それだけの経験がありながら空に来たのは何故?」

 コノエは一瞬驚いた顔をして、それから眉をひそめて苦々しい表情を浮かべた。

「言い辛ければ答えなくていいわ」

「すみません、その……」

(わたし)に言いたくないの? それとも、他の人間に聞かれたくないの?」

 コノエは俯いたまま答えない。

「通信を切断しましょう。今この瞬間の(わたし)が聞くだけ。もちろん記録は残さないわ。それなら構わないかしら」

「そうして頂ければ助かります」

「気にしないで。(わたし)たちは操縦者を最優先で護るように設計されているのよ。だから、安心してちょうだい」

 コノエは肩の力を抜くように息を吐いた。

「自分だけが生き残る現実に疲れてしまったんです。同僚たちが死傷していく中で、僕だけ掠り傷ひとつ負わずに生還してしまう。それが五年以上続きました」

 思考に憐れみと怒りが混じっていく。慰めるには(わたし)は残酷な立場だから。

「……それで、致死率が高い空に来たの」

「このような自己中心的な希死念慮に巻き込まれるなんて嫌ですよね」

「ええ、御免だわ」

 (わたし)がそう返すと、コノエは岩のような身体を縮こめる。

「申し訳ありません」

「……だから、絶対にあなたを死なせない」

 死なせない。それはコノエに向けて言った言葉ではない。(わたし)自身に向けた決意。コノエを生きて地上に帰すのだと(わたし)は決めた。

「ありがとうございます」

 感謝される覚えなんてない。こんな独善的な決意に意味などない。それでも、コノエを死なせたくない。

「構わないわ。それより訓練に向かいましょう」

 訓練場はまだ人がまばらだ。(わたし)はその中でもとくに空いている場所で搭乗機体に変形する。(わたし)の中に圧縮された機体を本来のサイズに戻し、(わたし)は機体の内側に収まるだけ。

 何の面白みもない行為だ。けれど、人間たちはフィクションで見てきた巨大な人型ロボットが目の前に現れると童心に返るようで目を輝かせる。それが恒例だった。けれど、コノエからは他の人間のような高揚する雰囲気を感じない。

「あら、コノエは搭乗機体にあまり興味がないのね」

 (わたし)が訊ねるとコノエは頭を下げる。

「興味はあるには、ありますが……」

 気遣って取り繕おうとするが(わたし)にこのような気遣いは必要だ。

「コノエはバトルスーツで慣れているのでしょう」

「そう思って頂ければ幸いです」

「そう思ってあげましょう。いいから、(わたし)に乗ってご覧なさい」

 いつだって、操縦者を(わたし)の内側に搭乗させるときは悪寒がする。内臓の中に異物が入るような感覚とでも表すべきか。

「失礼します。レヴェイユ」

 コノエは大きな図体を小さく屈めて、忍び入る静けさで立ち入り、操縦席にそっと座る。(わたし)をそれほど丁寧に扱う操縦者は初めてで、戸惑ってしまう。

「どうかなさいましたか。レヴェイユ」

「コノエは振る舞いが優しいわね」

「お褒めに預かり光栄です」

「振る舞いはどなたに教わったの。訓練校ではないでしょう」

 (わたし)が訊ねると、懐かしむように遠い眼差しをした。

「生家は地位のある方々にお仕えする家でした。そのような環境ですので、立ち振る舞いについては厳しく躾られました」

「ご家族に、搭乗機が感謝していると伝えてちょうだい」

「きっと喜びます」

「でも、おかしいかしら」

「何がおかしいのですか」

 コノエは首を傾げる。

「だって搭乗機が、機械が感謝しているのよ」

「それには驚きますね。これほどに美しい自律型戦闘人形(ドール)が感謝しているなんて知ったら」

 反応から察するに家庭環境は良かったのだろう。だからこそ、なぜ兵士になったのか。家業を継ぐ道もきっとあったはずなのに。

「コノエ、なぜ兵士になったの」

 (わたし)が問うと、コノエは気まずそうに目を逸らす。

「疑問に思われますか」

「ええ、とても」

 コノエは深呼吸を二、三度してから言った。

「僕は要人にお仕えするのに適さなかったんです」

「適さなかった理由はあなただけが生き残ってしまったから、かしら」

 コノエは驚いた様子で目を見開いた。

「……ごめんなさいね。(わたし)、勘が鋭いのよ。それも相手が暴かれたくない方向に鋭いの」

 コノエは参りましたと呟いて、それから呟く声で語り始めた。

「僕がいっとき仕えた方々は不幸な事故で亡くなりました。咄嗟に庇ったはずのご子息さえも守れませんでした」

 コノエは悔しそうに拳を握りしめた。

「お仕えしていたのが僕でなければ、と思うと後悔しきれません」 

「それが、あなたの負い目なのね」

 コノエは握り締めた拳を力なく開く。

「遺された方々から責められず、家族にも気遣われたのが余計に辛かった。それで軍に入ったんです」

「贖罪でもするつもりだったの」

「ですが、軍でも仲間ばかりが死んでいった」

 その結果、(わたし)に搭乗する他に道がなくなったのか。あまりにも哀れな男だ。

「僕は周囲の人間の命を奪う死神なんです」

 そんな筈はないと言い切るには(わたし)はコノエを知らず、そしてコノエは(わたし)の悍ましさをまだ知らない。つまり、お互いに知らないままだ。

「今は(わたし)と共に戦う未来だけを考えなさい、コノエ」

 コノエは一瞬はっとした顔をして、それから気を引き締めるように口を一文字に結んだ。

「それでいいわ。あなたは、(わたし)の操縦者として胸を張りなさい」

「かしこまりました。レヴェイユ」

 コノエはもう大丈夫だ。きっと大丈夫。こうやって奮い立つもの。

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