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ラボに戻って意識を機のヒトガタに戻す。技術者に進捗を問う。
「修理はどこまで進んだの」
「さっぱりだ」
「機が猫になっていた間、何やっていたのよ!」
精一杯怒鳴ったつもりでも、音量が小さい。しかもノイズ混じりだ。発声装置にも損傷があると今更気づく。
「パーツが揃わないからまだ直せねぇんだ」
「いつ揃うの」
「最短で三日後だとよ」
技術者はくたびれきった緩慢な動作でエナジー飲料の蓋を開けて飲む。
「せめて不健康な飲み物じゃなく、まともな食事を摂りなさい」
エナジー飲料を取り上げる。技術者は恐れ慄く。
「姫様が、愚民を気遣うとは……」
「一種のノブレスオブリージュよ」
などと言っても機は高貴な身でも何でもないけれど。
「ところで、そろそろ居室に戻りたいわ」
「そりゃあ無理な注文だ。姫様は重すぎて台車に乗せられない」
失礼な言い方だ。確かに自律型戦闘人形は同体格の人間の数倍の重さだが、台車に乗らない程ではない。ましてや、今の機は手足が無い分、軽いはずだ。
「機、台車の耐荷重よりは軽いわよ」
すると、技術者は自分の腰を指し示す。
「姫様を台車に乗せるまでに腰をやっちまう」
何て貧弱なのだろう。コノエは機を姫抱きできたのに。コノエが強靭過ぎるのか、技術者が貧弱過ぎるのか。どちらかはわからないけれど、手足の修理が終わるか、コノエが回復するまで居室に戻れないとはわかる。うんざりする。大きく溜め息を吐く。
「露骨に嫌そうな態度すんなって。明日までに猫の中からでも喋れるように改良するから待ってろ」
「ようやく人魚姫のような状態から解放されるのね」
機は自分の音声で話せるようになるのだと理解した。しかし、現実は異なった。
「どうして猫の声のままなのよ!」
怒鳴っても可愛らしく抑揚のない声では怒声にならない。
「音声チップの差し替えができなかったからだ。とりあえず今日一日はこれで我慢しろ」
溜め息を吐いても猫のあくびになってしまう。仕方なく、猫の声のままコノエの様子を見に行く他ない。廊下ですれ違う人間や自律型戦闘人形が撫でようと近寄る。
「邪魔よ!」
しまった。普段通りに喋ってしまった。撫でようとした人間が首を傾げる。
「猫ちゃんって、こんなセリフあったっけ」
慌てて猫の台詞一覧の中から最適な台詞を探す。
「退いてにゃん」
恥ずかしい。何故、機が猫の台詞を言わなければならないのか。
その後はひたすら「退いてにゃん」と言いながら廊下を進み、医療エリアに突入した。ここまで来ればもう無駄に触りたがる者もいない。コノエの病室に向かうだけだ。扉の前まで行くと自動で開く。
「猫、また来たのか」
何と返せばよいものか。
「き、来たにゃん」
気恥ずかしい。機はこのような喋り方ではない。
「お前、何のために俺のところに来たんだ?」
俺って言った? コノエ、素の一人称は俺なの? 知らなかったわ。どうして隠していたの? 頭の中が様々な感想で渦を巻く。
「お前が何も運んでいないのは見れば分かる。だが、来た理由までは分からない。教えてくれ」
来た理由なんて、コノエの様子を見に来たに決まっているでしょう。とはいえ、そのままを伝える訳にはいかない。あくまでも猫として答えなくては。
「病室のみんなに癒やしをお届けするセラピーキャットをしているにゃん」
我ながら妥当な答えだと思う。けれど、コノエは納得しない。
「セラピーロボットを配備する予算がこの国にあるとは思えないんだが」
「型落ちの中古ロボットだから安かったのにゃん。一匹百円でしたにゃん」
もちろん嘘だ。というか、この猫の値段なんて知らない。そんなことはどうだっていい。コノエの具合が知りたい。
「お兄さんはお身体のどこが具合悪いのにゃん?」
コノエは首を傾げる。
「別段どこも具合は悪くないぞ」
「どういうこと……にゃん」
「俺はただ検査入院をさせられているだけだ」
「詳しく聞かせて欲しいにゃん!」
すると、コノエは顔をしかめた。
「お前がどこまで分かるか分からないが、俺は自律型戦闘人形の操縦士だったんだ」
「へぇ! すごいにゃん」
「凄くなんかない。乗っていた機体が性能が高く造形も美しい素晴らしい機体だったんだ」
ずいぶんと褒めてくれる。しかし、猫の中身が機だと知られるわけにいかないから答えに困ってしまう。
「だが、敵の自爆に巻き込まれて機体は大破してしまったんだ。彼女は操縦席を、俺を庇って木っ端微塵に……」
待って。機は手足が吹っ飛んでしまったけれど、木っ端微塵になどなっていない。正しい情報が伝わっていないのか。
「それは違うにゃん。自律型戦闘人形は木っ端微塵にはなってないにゃん」
「励ましてくれるのか。ありがとうな。でも、俺が自分の愛機を殺したことに変わりはないよ」
コノエの分からず屋! 機を勝手に殺さないで。機はここに存在している。
「自律型戦闘人形は敵の自爆程度で死なないにゃん。猫はロボットだからわかるにゃん。だから心配は要らないにゃん!」
伝わる気はしない。でも、伝えなくてはならなかった。コノエは納得したらしく目を伏せて「そうか」と吐いた。
「分かったならいいにゃん」
機は回転して病室を出た。早く機体を直さなくては。ラボに戻って技術者に圧力をかけてやらなくては。ラボの扉を開くと、のんびりとした声がした。
「思いのほか早かったな、姫様」
「無駄口を叩く暇があったら早急に修理をなさい!」
猫の声で機が喋るのがよほど面白いのか、技術者は腹を抱えて笑う。
「笑ってる場合ではないでしょう!」
「分かってんだけど、姫様なのに声が可愛くてな」
技術者は気が済むまで笑ってから、ようやく答えた。
「修理は今できる範囲は進めた」
「具体的にはどこまで進んだの?」
機が問うと技術者は機の機体のあちらこちらを指差す。
「装甲の強度も上げたし、音声も直してクリアに発声するようにした。あとは手足のパーツが届かないことには完成しない」
「手足が直るまで猫の中に居るしかないの?」
「猫が嫌なら携帯電話屋の案内ロボットにするか」
技術者が引っ張り出してきたのは小学生ほどの背丈で、目がギョロリとした白いロボット。不気味だ。
「……猫の方がまだマシね」
「そうは言ってやるなって。こいつ、再雇用先が見つからなくてタダで引き取ったんだから」
「なんだか哀れね」
とはいえ、白いロボットに入る気にもならなかった。
「退屈だわ。いっそコノエの方から迎えに来ればいいのに……」
それは叶わない。分かっている。分かっているけれど吐き出さずにはいられなかった。技術者は気を紛らわせるためか、機に話しかけてくる。
「暇なら修理を手伝ってくれ」
「嫌よ。機今は猫なの。気ままに過ごすわ」
「ここで猫らしく振る舞う必要はないんだが」
「猫を被るなら徹底しなくてはいけないでしょう」




