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春を謳う  作者: 葵
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翼と盾

スカーレディアにおいて、女児の誕生は祝福と同時に呪縛である。

女神の化身とされる少女は、五歳になるまで外界に一歩も出ることを許されない。


それは「庇護」の名を冠した掟。

だが実際には、祝福を狙う欲望や血筋をめぐる陰謀から遠ざけるための、厳格な管理でもあった。

屋敷ごとに解釈は異なり、ある屋敷では部屋の扉すら閉ざし、女児を「宝物庫の秘宝」のように囲い込むこともある。


だが、クラウスとセレナは違った。

彼らは娘の自由を奪うことを望まなかった。

掟に背かぬ範囲で、屋敷という“檻”をできる限り広い世界に変えようとした。

その呪縛を少しでも軽くしようとしたのだ。


その邸宅は、まさしく二人の偉業を映す器であった。

宰相クラウスの威光と、世界一の歌姫セレナの名声が築き上げた大邸宅――そこには広大な庭園と温室があり、薬草園や花畑が四季を通じて彩られていた。

屋内には数万冊を収める大書庫、楽の音が響く音楽堂、香り高き厨房、陽光に満ちた回廊、そしてハルナのために設えられた広々とした自室があった。


従者たちもまた、この屋敷では“ただの使用人”ではなかった。

彼らにはそれぞれの部屋が与えられ、三度の食事も家族と同じ料理人が整えた膳が供される。

衣は仕立て屋に誂えさせ、必要に応じて剣や道具も与えられた。

すなわち、彼らの衣食住はすべて保証され、ただ働きに駆り立てられるのではなく、安んじて暮らせる環境が整えられていたのである。


セレスティア家の従者になることは、一生の安泰を意味した。

そのため世間では「選ばれし才覚と実力を持つ者しか務まらない」と考えられ、志願する者は多くない。

むしろ「不採用となることは恥」とされ、最初から諦めてしまう者さえ少なくなかった。


だが実際のクラウスとセレナは違った。

二人は従者の雇用を、失敗した者や居場所を失った者を受け入れる“救済”の機会と捉えていた。

剣に破れた兵士もいれば、舞台に立てなくなった芸人、学を途中で絶たれた者もいた。

彼らに再び立つ場所を与え、誇りを取り戻させることこそが家の強さになる――それがクラウスとセレナの信念だった。


だからこそ、セレスティア家に仕える者たちは単なる使用人ではなく、「居場所を与えられた者」として自然に忠義を育んでいったのである。


ただ――娘・ハルナのこととなれば、クラウスとセレナに迷いはなかった。

彼らが望んだのは、ただ護ることではない。

この国に生まれた女が背負わされる不自由を、少しでも軽くし、ハルナが伸びやかに生きられるようにすること。

そのためにこそ、二人は従者を選び抜いた。

互いに納得し、心から信じられる者だけを「ハルナ付き従者」とし、娘の未来を託したのである。

従者たちは盾であると同時に、ハルナの自由を支える翼であった。

だからこそ、その数は増やされず、ただ精鋭のみが選ばれたのだ。


従者にとってハルナは、もはや“産声を上げた赤子”ではなかった。

それぞれが従者としての務めを整えていた。


ルカ・カストールは、ハルナ付きの筆頭執事に任じられた若き青年である。

一流執事の家に育ち、剣術から作法までその所作に乱れはない。

幼子を前にしても背筋は揺らがず、その眼差しは「完璧さ」を体現していた。


ジーク・グリードは、ハルナ付き従者の中でも影を纏う存在。

暗殺と護衛を担い、扉や窓の影に潜みながら、気配ひとつ立てずに刃を振るう。

言葉よりも剣が語る男――その一閃は、沈黙よりも冷たく、命よりも正確だった。


グレン•ロシュはセレスティア家従者の最年長で、屋敷の空気を明るくする兄貴分。

豪快な笑いと気さくな態度で周囲から信頼されているが、意外なほど繊細な気配りを忘れない。

右手に刻まれた火傷と、誰にも語らぬ過去。

その奥に潜む痛みを隠すように、彼は時に笑みの裏へと嘘を忍ばせる。

それでも背中は揺るがぬ盾であり続けた。


シオン・ヴァリタスはハルナの専属医師であり薬師。

つかみどころがない風のような青年だが、その知識と腕前は王都の医師たちさえ一目置くほどだった。

白衣のポケットには、いつも毒にも薬にもなる小瓶が忍ばされている。

香りも、薬も、そして毒さえも――すべては彼の掌の中に委ねられていた。


アルビス・ステュラスは、ハルナ専属の記録係。

冷静な物腰で己を表に出さず、記録の正確さに一切の妥協を許さない。

その思考は深い霧に覆われ、誰ひとりとして掴むことはできない。

ただ、その眼差しだけはハルナを追い続けていた。

ペンが止まることはない――まるで、彼女の存在そのものが記録であるかのように。


カリストフェル・ド・アレグロニアは、ハルナの専属道化師。

華やかな仮面と気まぐれな言葉で人々を翻弄し、芸術のすべてを自在に操る天才。

その素顔も本音も誰にも明かさず、謎に包まれたまま舞台に立ち続ける。

笑みも嘘も芸さえも――仮面の裏の真実を知る者はいない。

その名を呼ばれることこそが、彼の誇りであり存在証明だった。


エーデリア・カラティアは、ハルナ専属の女性騎士。

白髪のポニーテールと赤い瞳を持つその姿は、剣を握れば孤高の騎士、ドレスを纏えば舞踏会の女王。

その大剣は、誰よりも強く、真っ直ぐにハルナを守るためだけに振るわれる。

凛とした物腰の奥には、揺るぎない想いが宿っていた。

誰よりも近くで、誰よりも深く。

彼女はただ、ハルナの笑顔のために剣を振るう。


オルランド・カストルムは、クラウス付き筆頭執事にして、セレスティア家の従者総取締り。

クラウスが生まれる前から仕え続ける“家の生き証人”であり、目に刻まれた傷跡は、かつて主をかばった誇りの証だった。

その剣は目立つことなく、ただ静かに主を守るために振るわれる。

規律と礼節を重んじる厳しさで従者たちの背筋を正す一方、誰よりも深い情を宿していた。

彼の誇りは、従者であること――。

それは生涯をかけて貫かれる、不変の誓いだった。


この邸宅のすべてが、ハルナにとっては“外の代わりの世界”であった。

壁に囲まれていても、ここには空があり、音楽があり、知識があり、自然があった。

春菜は幼き日々を、従者たちと共に、この豊かな囲いで過ごしてゆくことになる。


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