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春を謳う  作者: 葵
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剣はまだ思考

いつもより早く目が覚めた。

昨日の手合わせで全身を酷使したせいか、筋肉は重く、肩や腕には鈍い痛みが残っている。だが――それさえも心地よかった。

「もっと強くなれる」そんな確信が、痛みを熱に変えていた。


昨日の稽古場の光景が頭に浮かぶ。

レンの重い剣、父様の言葉、フィリオの真剣な瞳。

忘れぬように、すぐに支度を整え、庭に立って木剣を構えた。

今日は素振りではなく、受け流しと崩しを意識した型。

腕に伝わる痺れを思い出しながら、一つ一つの動きを刻み込んでいく。


朝食の席では、父様とフィリオと三人でいつもの食卓を囲む。

けれど胸の奥には昨日から続く熱が残っていて、言葉にせずとも気づかれてしまったのだろう。


「兄さん、なんだか楽しそうだね」

フィリオが微笑んで言う。


俺は素直に笑って返した。

「そうだな」


父様を見送ったあと、フィリオの支度を待ち、二人で馬車に乗り込む。


学園へ向かう間、俺はノートを開き、昨日の手合わせを思い返しながら文字を走らせた。


――最初の一撃で腕が痺れた。

――挑発に乗り、攻めに出た。

――体力の削り合いなら、持久で勝機がある。


一行ごとに思い出を整理し、横に練習方法を書き加えていく。

「今日は“力を流す”動きを重点に」

「挑発への対応――型を崩さず冷静に」


ペン先が紙を走るたび、頭の中がすっきりしていく気がした。

剣を振るだけでなく、考えて積み重ねる――それが強さに繋がると信じた。


ノートを閉じると、不思議と胸のざわめきが落ち着いていた。


学園に着くとフィリオと別れ、俺は教室へは向かわず研究室へと向かった。


胸の奥で緊張と高揚がせめぎ合う中、拳で扉を叩く。


「――入れ」

低く、力強い声が中から響いた。


「失礼します」

そう告げて扉を開けると、視線の先には椅子にどっしりと腰を下ろしたバスク講師がいた。


「研究室」と呼ばれてはいるが――中にあるのは机や本棚よりも、木剣や槍、防具や訓練用の藁人形ばかり。

床には幾度もの稽古で踏み固められた跡が深く残り、壁には無数の汗の染みが残っている。

まるで武道場と研究室を無理やり一つにしたような空間だった。


バスクは俺の顔をじっと見やり、いつものぶっきらぼうな口調で言った。

「腐ってるとは思ってなかったが……そんな顔もするようになったか。」

軽く鼻を鳴らすと、続けて目を鋭く光らせる。

「で──王子様をどうやってぶっ倒すかだ。まずはお前の考えを聞かせてみろ。」


胸が高鳴るのを感じながら、俺は深く一礼して答えた。

「よろしくお願いします、バスク講師。」


バスクは片眉を上げ、口の端をわずかに吊り上げた。

「……“講師”だと? らしくねぇ。お前が求めてる者は違うだろ」


不敵に笑いながら続ける。

「もっと腹の底から“師匠”でも“鬼”でも呼べ。俺に頭を下げるなら、中途半端にするな」


吐き捨てるような口調。だが、その目には、同じ戦場に立つ者としての鋭さが宿っていた。

――胸の奥が熱くなる。

叱咤ではなく、共に剣を振るう覚悟を突きつけられた気がしたから。


「……はい、バスク師匠」

言葉にした瞬間、胸の奥にじんと熱が走った。


バスクはにやりと口の端を吊り上げると、指で隣の木の椅子を乱暴に叩いた。

「よし。それでいい。座れ」


分厚い指が示す先にあるのは、傷だらけの古い木椅子。稽古場に無理やり持ち込まれたのか、脚は削れ、背もたれには幾度も打ち付けられた跡が残っている。


俺は息を整え、師匠の前に腰を下ろした。

俺は姿勢を正し、淡々と口を開いた。

「レン様は“攻め型”の中でも、一撃に重きを置く剣筋でした。最初の斬撃で腕が痺れたことがその証拠です。

その力は強烈ですが、長く続けば必ず“隙”と“疲労”を生む。

だから私は、挑発に乗らず型を崩さずに受け流し続け、体力を削っていくべきでした。

受け流す動作を徹底し、相手の重さをこちらに蓄積させず返す――その積み重ねで勝機を得られると考えています」


バスクは腕を組み、しばらく黙って聞いていた。

やがて低く鼻を鳴らし、鋭い目を向けてきた。


「……分析は及第点だ。言葉で整理できるのは悪くねぇ」

椅子から前のめりになり、俺を射抜くように睨む。

「だが、それでどうする?」


木剣を指で軽く叩きながら、さらに畳みかける。

「机上の空論で剣は振れねぇ。どう訓練し、どう実践する? 具体を出せ。

“受け流す”と口で言うのは簡単だが、じゃあそのために何を体に叩き込むつもりだ?」


エドワードは言葉を探すように口を開いた。

「……まず、俺はやはり守り型が得意だと昨日の手合わせで思いました。

それなら、体力作りは欠かせません。走り込みや筋力の鍛錬は続けます」


バスクの目が細まり、鋭さを増す。

「……それで?」

ただ一言。

その声音に、胸の奥をえぐられる。

分かってる……それだけじゃ、今のままだ


額に汗をにじませながら、必死に続ける。

「……次に、“力の受け流し”を身につけます。

昨日のレン様との手合わせで、俺は右から来れば右で受け、左からなら左で受け――ただ“受け止めて”いただけでした。

相手の力を真っ直ぐ食らって、自分を追い詰めていたんです」


そこで息を継ぐと、バスクの声がすぐさま叩きつけられる。

「他には?」


喉が詰まる。

言葉が出てこない。


バスクは容赦なく畳みかける。

「挑発はどう返す? 受け流し方はどう応用する? 力の強弱は? どこで勝負を決める一手にする?」


バスクは俺の返事を最後まで待たなかった。

ごそりと腰を上げると、壁際の木剣を一本乱暴に掴み、そのまま俺に放り投げた。


「――まずは身体で覚えろ。剣は頭じゃなく、腕と脚で刻むもんだ」


無骨な声が、部屋の空気を震わせる。


「えっ……!」慌てて木剣を受け止める。

次の瞬間には、バスクの背はもう扉の向こうへ。


「ま、待ってください!」

慌てて立ち上がり、木剣を握りしめて後を追う。


重い扉を押し開けると、そこには既に稽古場へ向かって歩いていくバスクの大きな背中があった。

その背中はまるで分厚い壁のようで――逃げ道などない。

けれど同時に、胸の奥は高鳴っていた。


俺は木剣を握り直し、息を整えながら師の背中を追った。

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