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春を謳う  作者: 葵
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折れた刃、残る誇

その声が合図となり、先に動いたのはレンだった。

一切の迷いを見せない踏み込み――鋭く振り下ろされた木剣は、まるでこの一撃で勝負を決めると確信しているかのようだった。


「……っ!」

咄嗟に頭上で受け止め、力を逃がすように受け流す。だが、手のひらがじんじんと痺れる。たった一撃で、これほどまでに。


レンは一歩後ろへ跳び、細く息を吐いた。

「ほぅ……」

試すような眼差し。

挑発ではなく、ただ純粋に俺を測るかのような声音だった。


やはり……攻め型か

レンの剣筋は容赦がない。

最初の一手から攻めに来ることは分かっていた。

だが、いざ受けてみれば、想像以上に重い。


「はぁっ!」

俺は剣を握り直し、意を決して踏み込む。

だが振るった斬撃は、レンに正面から受け止められる。

火花のように響いた木剣の衝突音の中、レンが低く言った。


「――やはり君は、真っ直ぐすぎる」


刹那、俺の剣をいなすと同時に、素早く胴を狙ってくる。

「……!」

横へ飛んでかわすが、もう次の瞬間には間合いを詰められていた。


木剣が打ち込まれるたび、腕が痺れる。

受け止めながらも、必死に隙を探すが――。

……見つからない!


レンの攻めは、まるで波のように途切れない。押し寄せる剣圧に、息を整える暇さえなかった。


レンの鋭い一撃をエドワードが辛うじて受け止める。

キンッ

甲高い音が稽古場に響き、空気が震えた。


観衆が一斉に息を呑み、すぐさまざわめきが広がる。

「さすがレン様……!」

「今の速さ、見えた?」

「エドワード様、もう押されてるんじゃ……」


耳に届く声はどれもレンを称えるものばかり。

エドワードに向けられるのは「耐えた」という言葉だけだった。


チルドが片眉を上げ、口角をわずかに吊り上げる。

「面白い……だが、王子の一振りは誰にでも真似できるものではない」


その横でバスクは腕を組み、低く唸った。

「……だが、まだ立ってる」


レンは余裕を漂わせながら剣を構え直し、口元に笑みを浮かべる。

「君は真っ直ぐを通り越して――バカ正直だな」


挑発を浴びても、エドワードは何も返さない。ただ剣を握り直し、目を逸らさずに構え続ける。


再びレンが踏み込み、胴を狙った一閃。

エドワードは後退しながら受け流した。

だが観衆はまたレンを讃える。

「今度こそ決まるぞ!」

「もう勝負は見えたな……!」


――孤独な空気が肌に突き刺さる。

それでもエドワードの瞳は一片も揺らがず、ただ必死に隙を探していた。


波のような連撃の中、必死に木剣を構え直す。

刃と刃がぶつかるたび、腕の奥まで衝撃が走った。

このまま押され続ければ――負ける。

だが、簡単にはいかせない。


ぎり、と歯を食いしばり、レンを睨む。


その瞬間、レンの剣先がわずかに揺れた。

呼吸の間か、それとも――誘いか。


「……っ!」


迷いを振り切り、踏み込む。

受けの型から、わずかに前へ出る一撃。


レンの目が一瞬、大きく見開かれた。

驚愕がよぎったその隙に、さらにもう一振りを重ねる。


木剣がぶつかり合い、甲高い音が稽古場に響き渡った。


「っ……!」

観衆の誰かが息を呑む。

レンの目が細まり、口元にわずかな笑みが浮かんだ。


次の瞬間、互いの剣が弾かれ、間合いが大きく開く。


沈黙。

観衆は声を失い、ただ息を呑んで見守っていた。


同時に構え直した。

レンの目つきが変わったのが、はっきりとわかった。

さっきまで試し、どこか楽しんでいた色は消え――鋭く、冷たく、燃えるような光が宿っている。


「……っ」

自然と、剣を握る手に力がこもる。

背筋が粟立ち、全身が緊張で張り詰めた。


次の瞬間、レンが動いた。

先ほどまでの速さとは比べものにならない。

目で追うより先に、剣圧が迫る。


ガキィンッ!

必死に受け流した腕に、重い衝撃が走った。


――だが、退かない。


俺も即座に踏み込み、木剣を振るう。

レンの刃が迎え撃ち、火花のように音が弾けた。


カンッ ガキンッ ギィンッ

お互いの打ち合う音だけが、張り詰めた稽古場に響き渡る。


観衆は誰も声を出せず、ただ息を呑んで見守っていた。


そして、レンが小さく息を弾ませながら言った。

「……面白かったよ」


汗を拭うこともなく、木剣を構え直す。

「まだ勝負は決まってません」


レンの笑みが、さらに深まった。

「――どうかな」


次の瞬間、レンが踏み込む。

鋭く、重く、一撃に全てを込めた斬撃。


同時に、俺も守りではなく攻めへと転じる。

木剣を振り抜いた。


ガギィィンッ

一際大きな音が稽古場に響き渡る。


衝撃が全身を駆け抜け、次の瞬間

――俺の木剣の中程から、鈍い音を立てて折れた。


折れた先端は勢いのままレンの喉元へと迫り、レンの剣は弾かれ、その反動で俺の頭上へと振り上げられる。


「……っ!」

誰もが息を呑んだ。


その緊張を断ち切るように、チルド講師の凛とした声が響く。

「そこまで!」


張り詰めた空気が一気に解けた。


「木剣の破損により手合わせの続行は不可、勝者――レン!!」


一瞬の沈黙。

次いで、稽古場を裂くような歓声が押し寄せた。


「すごい……!」

「やはりレン様が勝った!」

「でも……あの一撃は……」


歓声とざわめきが渦を巻く中、俺は剣を下ろした。

――負けた。

その事実を素直に受け止め、木剣を置き、深く礼をする。


「……ありがとうございました」


顔を上げる。

そこにいたのは勝者のはずのレンが、俺よりも悔しげに顔を歪めていた。


胸に疑問が広がる。

なぜ――?


その時、チルドがレンの肩に手を置き、低く言葉をかけた。

レンは短く頷き、真っ直ぐに俺を見据えて言う。


「……ありがとうございました」


その声音は、勝者の余裕ではなく、互いの刃を交えた者だけが抱く、真剣な敬意の響きだった。


チルドは視線をバスクに送り、わずかに頷いた。

「……では、失礼いたします」


それだけ告げると、レンの肩を押しながら背を向ける。

すれ違いざま、チルドの鋭い視線が俺を横切った。


二人の背が遠ざかっていく。

残されたのは地を揺らす喧噪と、胸に静かに残る余韻だけだった。


たしかに負けた。

だが、心の奥では妙に澄んだ熱が灯っていた。


「――よくやった」

バスクの低い声が背に落ちる。


思わず顔を上げると、彼はほんのわずかに口元を緩めていた。

その一言に、胸の奥が熱くなり、俺は深く頷いた。


だが次の瞬間、バスクの目はすぐに厳しさを取り戻す。

「……よし。じゃあ外周行ってこい!」


「はい!」

反射的に声を張り上げ、木剣を脇に抱えて稽古場を出る。


令嬢や貴族たちの視線が突き刺さる。

つい先ほどまで喧しく囁いていたのに、今は誰ひとり声を上げず、ただ無言で道を開けていく。


俺は視線を気にせず、まっすぐ前を見て歩いた。

額を流れる汗は、敗北の悔しさか、走り出す前の昂ぶりか――自分でも判然としない。


背後で、バスクの手が

パンッ! パンッ!と大きく鳴らされた。

「見物は終わりだ! さぁ戻れ戻れ!」


力強い声が響き渡り、観衆のざわめきがようやく散っていった。


俺はただ前を見据え、足を踏み出す。

外周を走る足音が、地面に吸い込まれていく。

胸の奥に残るのは、敗北の痛みではなく――剣を交えた者だけが知る、奇妙な熱だった。

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