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春を謳う  作者: 葵
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安堵の寝息

父様たちを見て笑っている俺に、カスパル父様が「何を笑っているんだ!」と声を上げ、そのまま軽々と俺を持ち上げる。

「や、やめてください!」恥ずかしさに足をバタバタさせても、カスパル父様は構わず大声で続けた。

「オイ! 見ろロミオ、クラウス! エドワード、また成長してるぞ! しかも筋肉までつき始めてる!」


「それはすごい」

そう言いながら、今度はクラウス御父様が俺を抱え上げた。

「おお、鍛錬を頑張っているな」

普段なら嬉しくて仕方ない言葉も、この状況ではまともに返事もできず、俺はただ必死にジタバタするしかなかった。


その姿にロミオ御父様は腹を抱えて笑いながら、ぽつりと口にする。

「さて……レン様は、どんな勝負を挑んでくるのかな?」


次の瞬間、父たちの顔つきが切り替わる。

「作戦会議だ!」

三人は勝手に話を進めはじめた。


「剣はどうだ?」

「勉強は?」

「音楽は?」

「いや、女性への気遣いも必要だろう」


次から次へと飛び出す課題に、必ず「どうだ、エドワード?」と意見を求めてくる。俺はしどろもどろになりながら答えるが、三人はその一つひとつを聞いては真剣に議論を重ね、対策や練習方法を決めていく。


だが最終的に、行き着く答えはいつも同じだった。


「やっぱり僕たちの息子は優秀だ」ロミオ御父様が胸を張り、「心配ない」クラウス御父様が深く頷き、

「当たり前だ!」カスパル父様が豪快に言い切る。


その姿を見て――俺は初めて「親バカ」という言葉を思い出した。

そして、そんな父たちを心から愛おしく思う自分は、きっと「子バカ」なんだろう。


……もちろん、それだけは口にしなかった。これ以上、父たちを喜ばせるわけにはいかないから。


ーーーーー


そして、カスパル父様と共に家へ戻ると、玄関でフィリオが出迎えてくれた。

小さな手には五線譜の用紙が握られている。だが、その紙は心配から強く握りしめられ、くしゃりと歪んでいた。


俺はフィリオの頭をそっと撫で、握られた手を優しく取る。

「大丈夫だ。何があっても……お前の自慢の兄でいる」


強くそう言うと、フィリオはきゅっと手を握り返し、にこりと笑った。

「兄さんが自慢にならないことなんて、この先ないよ」


その言葉に胸が熱くなる。


次の瞬間、カスパル父様が俺たち兄弟をぐっと抱き寄せた。

「俺たちにとって、お前たちは自慢であり、誇りだ」


力強い抱擁に、フィリオが目を丸くし「いっ、痛いよ父さん!」と声を上げる。

視線が合った俺とフィリオは、同時にくすっと笑った。


その夜は、いつものように三人で食卓を囲み、他愛ないことをあれこれ話しながら過ごした。

笑い声が絶えない時間が、胸にじんわりと沁みていく。


食後、フィリオの部屋を訪れる。


部屋は淡いベージュと白で整えられていて、窓辺には大きなピアノが置かれていた。

そのほかにも弦や管の楽器がいくつも並び、机の上には五線譜と羽ペン、そしてインク瓶。インクが机に小さな染みをいくつも作っている。


いつもこの部屋は静かで、どこか神聖な空気をまといながらも、不思議と温かさを感じる空間だった。


そして、散らかった楽譜や紙の中で、大切そうに机に立てかけられているものがあった。

――ハルナが好きな絵本。


フィリオがこれを大事にしているのだと気づいた瞬間、思わず口元が緩んだ。

「兄さん、お待たせ」

フィリオが部屋に入ってきて、両手で包むように持った湯気の立つココアを差し出した。

俺は礼を言い、二人で椅子に腰掛ける。


温かさが喉を伝うのを感じながら、俺は今日のことを一から話した。

レン様のこと、父様たちのこと、自分の覚悟のこと――すべてを。


フィリオは最初こそ目を見開いて驚き、やがて眉を寄せて心配そうに聞き入っていた。

そして最後に、静かに口を開いた。


「……兄さん」


呼ぶ声が震えていた。


「馬車通りで……兄さんが中心に立っている時、僕……怖かった」

握る手がかすかに震えている。

「知らない人が、兄さんや家族のことを勝手に話してて。違うことばっかりで……声に出したくても、怖くて何も言えなかったんだ」


胸が痛んだ。

――弟に、そんなものを聞かせてしまったのか。

俺がもっと強くあの場で言えていれば……。


罪悪感に言葉を探す俺を制するように、フィリオは続けた。


「でも……兄さん、前を向いたでしょ?」


その瞳はまっすぐに俺を映している。


「嫌な音、自分の鼓動が大き響いているのに……周りの音が、自分の音さえも飲みこもうとしてた。まるで、自分がその音に呑まれて消えていくみたいで……。怖くて仕方なかった」

フィリオは一度言葉を切り、息を整える。


「でも兄さんは、ちゃんと前を見てた」


ふっと目が潤み、それでも笑顔を見せようとした。


「僕ね、そんな兄さんを見て……えっと……」


言葉を探し、やがて力を込めて告げた。


「誇らしい気持ちになったんだ!」


俺は思わず息を呑む。


フィリオは笑みを浮かべ、必死に言葉を紡いだ。

「さっきまでは兄さんの手を引いて、どこかに隠れなきゃって思ってたのに……その時は違った。これが僕の自慢の兄さんだ! って……周りに言いたくなったんだ。『かっこいいだろ?』って!」


小さな声が、胸に真っ直ぐ届く。

弟の想いが温かくて、まっすぐで――俺の胸は熱くなり、言葉を失った。


胸の奥が熱くなり、思わず口からこぼれた。


「……これは負けられないな」


俺の言葉に、フィリオは勢いよく首を横に振った。


「ううん、勝ち負けは……もういいんだ」

一度そう言いかけて、はっと慌てて言葉を継ぐ。

「いや、兄さんにとっては良くないよね……。でも、僕にとっては違うんだ」


フィリオは真っ直ぐに俺を見て、小さく拳を握った。


「逃げなかった兄さんは……それだけでかっこいいと思う」


フィリオが小さく拳を握りしめて言った。


「僕にできることがあったら言ってね! ……でも、僕が兄さんにできることなんて、ないかな……?」

最後の方は声が小さくなって消え入りそうになる。


俺は思わず笑い、弟の肩を抱いた。

「学園にフィリオがいるだけで、十分心強いさ。それに――もしレン様が音楽で勝負だと言ったら……その時は、教えてくれるか?」


「うん!」

フィリオは顔を輝かせ、大きく頷いた。


胸の奥が温かくなりながらも、不安が消えきらなかった。

「でも……相手は王子のレン様だ。怖くないか?」


フィリオはきょとんと目を瞬かせ、それから小さく笑った。

「何言ってるの、兄さん? ……怖いけどさ。兄さんを守れない方が、よっぽど怖いよ」


驚くほどに迷いがない声だった。

その姿に、父様たちの姿が重なった。

俺は真っ直ぐに弟を見つめ、きっぱりと言った。

「……俺もだ。フィリオを守れない兄になるつもりはない」


フィリオは大きな笑顔を浮かべる。

ずっと俺が守らなきゃと心配していた弟が――今は、俺を支えてくれている。


……頼もしいじゃないか、フィリオ


小さく息を吐き、胸の奥に広がる誇らしさと安堵に、思わず目を細めた。


やがて二人は、取りとめのない話を始めた。

完璧ではないけれど愛すべき父たちの笑い話、幼い頃の思い出、そして次はハルナに何を贈ろうかという相談――まるで秘密を共有するように声を潜めて笑い合った。


気がつけば夜は更け、言葉の端々が欠伸に変わっていく。

温もりを分け合うように並んでベッドに横たわり、フィリオの規則正しい寝息が隣から聞こえてきた。

その音に包まれながら、俺もまたまぶたを閉じた。

夢に落ちる寸前まで、胸の中は不思議なほどに安心と楽しさで満ちていた。

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