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春を謳う  作者: 葵
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スカーレディア王国

スカーレディア王国(Scarledia Kingdom)

赤き大地に根を張り、紅を旗印として栄える国である。

人はこの国を「血と繁栄の王国」と呼ぶ。

赤はただの色ではない。命を燃やし、家を繋ぎ、国を繁らせる印そのものだった。


この地には一つの不思議がある。

――女が生まれないのだ。


正確に言えば、女はまったく生まれないわけではない。

二十の産声のうち十九は男。残るわずかひとつが女児である。

十九対一。

この偏りは国の歴史を通じて変わることなく続いてきた。


ゆえに女児の誕生は、家の運命そのものを変える奇跡とされた。

男児は兵士となり、従者となり、あるいは庶民の中に紛れてゆく。

だが女児は違う。

女に生まれし者は、ただの人ではなかった。

彼女たちは「女神に最も近き存在」と呼ばれる。

どれほど卑しい家に生まれ落ちようとも、女児であるだけで最低でも準貴族の地位が与えられる。

平民の女という身分は、この国には存在しない。

それは「女性至上社会」と呼ぶには生ぬるい。

女そのものが、この国における価値の根幹だったのだ。


──


女がひとり生まれると、多くの男たちの目を惹きつけ、やがて強く求められる存在となった。

花のように満ち咲く時を迎えると、多夫制の婚姻のもとに正夫をはじめ、幾人もの夫を選び、家の系譜を築いていく。

最初の夫に選ばれることは、男にとって栄誉の極みであり、二番目以降であろうと、妻の名に連なるだけで家は誇りを得る。


彼らは従者として仕え、兵士として国境を守り、あるいは学者・医師・職人として技を磨き、商人として街を渡り歩いた。

国に仕える者もあれば、音楽や詩に生涯を捧げる者、武芸の道で名を馳せる者もいる。

だがそれでも多くの男たちは、誰にも選ばれぬまま、裏路地の闇へと沈んでいった。


制度は「本人の同意」を原則としている。

政略結婚は禁じられ、女が望まぬ縁は成立しない。

しかし現実には、周囲の思惑や権力の圧が、幼き婚約に影を落とすことも少なくなかった。


──


その根底にあるのは、女神信仰である。

この国の宗教はただ一柱

「母なる女神」を崇める。

教義は単純だ。

女は女神の化身。

仕え、守り、尽くすことは信仰の実践。


ゆえに、女児の誕生は『女神の息吹』と呼ばれる。

それは女神がこの世に姿を現した証と信じられていた。


ある少女は『女神候補』として、神殿から迎えが差し向けられることすらある。

もっとも、それは極めて稀なこと――数十年に一人現れるかどうかの奇跡であった。


女神候補に選ばれることは、一族にとって最大の誉れであり、家の名は永遠に記録され、王国史に刻まれる。

それは家門の栄華を約束する“女神の選定”とされ、人々は羨望と憧れを込めてその名を口にする。


表向きは祝福とされるが、女神に認定されれば、その一生は国の信仰の象徴に縛られる。

結婚は許されず、自由は失われ、ただ『国の女神の器』として在り続ける。


けれどその存在は、王や貴族すらひれ伏す絶対の尊崇を集め、国民からは生ける奇跡として讃えられる。

その歩みは鎖であり、同時に比類なき栄光でもあった。


──


この国を象徴するのは「赤」だけではない。

もうひとつの象徴がある。


スカーレットブロッサム。

王国の名の由来となった花である。


それは深紅の花を咲かせる。

花弁は丸みを帯び、幾重にも重なりあい、ふっくらと厚みを持つ。

まるでベルベットの布を折り重ねたように滑らかだ。

掌にちょうど収まるほどの中輪でありながら、放つ存在感は大輪にも勝る。

中心へ行くほど赤は黒みを帯び、外側に向かうにつれて鮮やかな紅へと変わる。

陽を浴びれば炎のように揺らめき、夜の闇では濡れた宝石のように艶やかに輝く。

咲けば甘く重い香りが広がり、ひとつの庭を支配するほど濃厚だ。

だが盛りは短く、ひと月も経たぬうちに儚く散り果てる。


ーーー儚い。

だからこそ、人々はその一瞬に狂う。


この花は女の象徴であり、女の命の比喩ともされた。

「二十にひとつ」という偏りと同じく、百に満たぬ蕾のうち、咲き切るのはごくわずか。

生まれ、生き、咲き誇り、やがて散る。

そのすべてがスカーレディアに生きる女と重ねられた。


宮廷の壁にはスカーレットブロッサムが描かれ、神殿の祭壇にもその花が捧げられる。

政略の手紙には花弁が添えられ、誓いの場では花の冠が掲げられる。

その存在は単なる国花にとどまらず、女の神聖性を物語る根幹となっていた。


──


だが、その聖性は常に純白ではない。

女児の誕生が祝福と共に欲望をも呼び込むように、スカーレットブロッサムもまた、愛と同じほどに血の匂いを纏っていた。

花を巡る争いは絶えず、名を冠する貴族家は権威を欲し、花弁を模した装飾は富の象徴となる。

「美しきものは常に奪われる」。

それはこの国に生きる誰もが知る理であった。


──


軍事もまた、この国の基盤をなしている。

徴兵制こそ存在しないが、男であれば幼少より剣や槍、弓などを握り、武芸を叩き込まれる。

強さは誇りであり、弱さは侮辱である。

力なき者に居場所はない。

従者であれば忠義と勤勉が評価されるが、それすらも女の庇護のもとにある。


この歪な構造こそが、スカーレディアの力の源だった。

女を守るために武を磨き、女を巡って男が競い合う。

その競争が国を鍛え、軍を強大にした。

周辺諸国にとって、スカーレディアは「女を守る国」であると同時に、「女を失うことを何より恐れる国」でもあった。


──

スカーレディア王国。

その繁栄を支える根は、奇跡のように生まれる女と、深紅に咲き誇る花にあった。

女は祝福と共に縛られ、花は讃えられながらも散りゆく。


この国に生まれることは、祝福と呪いを一つに抱くことに他ならない。


女は神の証であり、男はその剣をもって女を守り、国を護る。

ゆえにスカーレディアは鋼のごとき強さを誇り、赤き花の名と共に畏れ敬われるのだ。


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