嵐後の祝福
心には落ちた。
だが――なぜレン様が俺に嫉妬するのか、その理由までは分からない。
理解できずにいる俺に、クラウスが静かに言った。
「嫉妬も感情だ。だからこそ理由がある。今はまだ本質がわからなくとも……感情が見えれば、本質も見えやすくなる」
その言葉を頭で噛み砕き、心に留める。
すると横から、場の空気を変えるように楽しげな声が響いた。
「それで、エドワードは――レン様に、怒りをどう奏でたの?」
思い出した瞬間、背筋を冷たいものが走る。
そうだ、俺は……。
視線を向ければ、ロミオは目を輝かせ、まるで舞台の続きを待つ観客のように楽しそうにしている。
俺は恨めしさを覚えながら、今度こそはっきりと頭を抱えた。
「……俺に苛立つなら、俺に言えばいい。家族を使うな。俺に勝負を挑め――そう言いました」
隣ではロミオが笑いを堪えて肩を震わせている。
クラウスが促すように問いかけた。
「それで、レン様は?」
「……『そんなことをしたら君は負けるだろう』と。ですが俺は『勝つか負けるかは関係ない、これはプライドの問題だ。受けた勝負に逃げなければ、それでいい』と答えました。そして……このままでは埒があかないと思い、礼をして、止めようとするレン様の声を聞こえないふりをして部屋を出ました」
その言葉に、ロミオはとうとう堪えきれず――
「あははははっ!」
声を上げて笑い出した。
エドワードはそんな父に諦め、小さくため息をつきながら視線を向ける。
そんな目を向ける俺に、ロミオは肩をすくめて笑った。
「ごめんごめん」
けれど声色に悪びれた様子はない。
「でもね、エドワード」
ロミオはにやりと笑い、指先でカップをくるりと回した。
「君、ちゃんとレン様の“心の音”を聞いてたじゃないか」
思わぬ言葉に、俺は眉をひそめる。
「最初は家族を攻撃されたと思ったんだろ? でもね、あれは本心じゃない。揺さぶりたかったのは君自身さ。家族を“駒”にしたのも、そのため」
ロミオは軽く肩をすくめる。
「で、君は察して“家族を使うな、俺に勝負を挑め”って返した。……あれは見抜いてなきゃ出ない台詞だよ」
そう言ったあと、ロミオはおどけたように片手をひらりと振った。
「つまりさ――こう言ったも同然! 『言いたいことは俺に言え。いつでもかかってこい。俺は逃げない!』ってね」
楽しげに身を乗り出すロミオの姿に、思わず言葉を失う。
「いいねぇ、熱くなってきたよ〜」
彼の弾む声に、場の空気まで軽くなる気がした。
クラウスは苦笑し、ロミオを睨むとにやりとした。
「……お前は、ほんとに……」
だが次の瞬間、俺に視線を移し、低くも確かな声で言った。
「心配する必要はない。レン様にも、お前の覚悟は伝わったはずだ。ただ――逃げることはできんぞ」
全身に緊張が走る。
背筋を伸ばし、俺は深くうなずいた。
「……はい」
クラウスはふっと口元を和らげ、柔らかに笑った。
「エドワード。お前の好きにやってみなさい。大丈夫だ――お前には家族がいる」
その言葉に、不意に胸が熱くなる。
視線を横にやれば、さっきまで大笑いしていたロミオが、今は優しく頷きながら微笑んでいた。
なんとも言えない温もりが胸を包む。涙がこぼれそうになるのを、俺は必死に堪えた。
すると
「来た来た」
ロミオが楽しそうに囁くと、クラウスは小さく頭を抱えた。
「……どうしてお前たち二人は揃ってノックをしないのか」
呆れたように言いながらも、クラウスは立ち上がりコーヒーの準備を始めていた。
その様子に首をかしげていると、隣のロミオが面白そうに俺へ視線を寄こした。
そして不意にクラウスの外套を手に取り――俺の頭からすっぽりと覆い隠した。
「……っ!」
驚いて身をすくめる俺に、ロミオは唇に指を当てて「しっ」と笑う。
次の瞬間、大きな音を立てて扉が勢いよく開かれた。
「クラウス!! エドワードは!? まだレン様と一緒なのか? それとも帰ったのか!? ……何を呑気にコーヒーなんて淹れているんだ! 君はコーヒー苦手だろう!? 息子の話をしている時に、どうしてそんな落ち着いていられるんだ!」
――この声。
胸の奥が一気にほどける。父様だ。
安心と嬉しさに、思わず口元が緩んだ。
「カスパル、落ち着け」
クラウスがカスパルに言い、その様子をみながらロミオは愉快そうに手を振った。
「やぁ、カスパル」
「ロミオもいたのか!」
カスパルの声がさらに大きく響いた瞬間、ロミオは「ジャジャーン」と道化のような声色で外套を取り払った。
隠されていた俺の姿が露わになる。
足音が重く床を響かせ、広い部屋にその気配が満ちていく。
俺の姿を見つけた瞬間――父様は、にかっと笑った。
「エドワード!!」
その声は力強く、そして誇らしげに俺の名を呼び上げた。
そして、俺の正面に父様――カスパルが腰を下ろした。
じっと俺を見つめ、短くうなずく。
「……大丈夫だな」
その一言に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
信頼されていることが、ただ嬉しかった。
すると隣のロミオがすかさず口を挟む。
「エドワードは大丈夫だよ〜。なんたって、あのレン様に“勝負を挑め! 俺は逃げない!”って宣言したんだからね」
思わず「ロミオ御父様」と呼ぶと、彼はいつになく真剣な顔になり、俺の肩に手を置いた。
「家族を守ったんだ」
そう俺の目を見据えながら告げ、同時にカスパルへと力強く言葉を向けた。
その瞬間、カスパルはわずかに驚いたように目を見開き、次には破顔し、俺の頭を大きな手でぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
「よくやったな、エドワード!」
クラウスも静かにコーヒーを机に置き、深くうなずいていた。
胸の奥が熱に満たされていく。
恥ずかしい。けれど、どこか誇らしかった。
俺は照れを隠すように声を張った。
「……父様たちは呑気すぎます! あのレン様に、勝負を挑んでしまったのですよ!」
だが、三人は顔を見合わせて
――まるで「それの何がいけない」というように、揃って首をかしげている。
不思議そうな視線に、今度は俺の方が困惑した。
「……国王第一継承者の、レン様にですよ」
思わず念を押すように続ける。
「今後のことを考えると……俺の言葉通り、レン様が本当に俺に勝負を挑んでくださればいいのですが……。もし――もしレン様が怒って……それが父様たちや母様、フィリオ、ハルナにまで及んだら……」
言葉を重ねるごとに胸の奥が冷えていく。
声に出しながら、自分自身がどんどん不安に呑まれていくのを感じていた。
「……なんだ、そんなことか〜」
柔らかな声でロミオ御父様が言い、続けてカスパル父様が力強く告げた。
「心配はいらない」
驚きを隠せないまま、俺はクラウス御父様に視線を向ける。
だがそこには――二人に同意するように、ただ力強く頷くクラウス御父様の姿があった。
「クラウス父さんまでも……」
思わず言葉が緩む。
クラウスが問いかける。
「……お前の父たちは、そんなに頼りないか?」
強い言葉に、自然と首を横に振っていた。
俺の答えに満足したように、三人の父たちが揃って頷く。
するとカスパルの声が低く落ちた。
「王族も、国も……関係ない。我が家族に牙を向けた時点で、滅ぶだけだ」
その言葉は氷刃のようで、背筋が凍る。
思わず息を呑んだ俺に、ロミオはふっと笑みを浮かべ、舞台の観客のように肩を揺らしていた。
クラウスはパン、とカスパルの背を軽く叩く。
「……それは心で思え」
その一言に、カスパルはすぐに破顔し、にかっと笑った。
先ほどの冷たさが幻だったかのように。
まだ固まっている俺へ、ロミオがにやりと笑う。
「ねっ? 僕たち家族は強いだろ?」
胸の奥が温かくなり、俺は大きく頷いた。
視線をゆっくり巡らせる。
強く、穏やかに頷くクラウス父様。
豪快に笑うカスパル父様。
そして、どこか芝居がかった笑みを浮かべるロミオ父様。
――三人の父。
その存在があるだけで、どんな敵がいようと恐れることはないと思えた。
そして、場の空気を一気に変えるように、ロミオが声を弾ませる。
「それよりエドワード、クラウスのこと“クラウス父さん”って呼んだよね! ねぇ!? 僕も久しぶりに“ロミオ父さん”って呼ばれたい!」
「そうだ!」とカスパルも割り込む。
「クラウスだけずるい! 俺も昔みたいに呼ばれたい!」
「僕が先に言ったんだ!」とロミオが叫び、
「関係ない!」とカスパルが返す。
クラウスは二人の言い合いをよそに、静かに紅茶を口に運び――勝ち誇るように微笑んだ。
そして、何気ない仕草でエドワードのカップに角砂糖をもうひとつ、コトリと落とす。
目が合った瞬間、それが「心配するな」という合図だとわかり、胸がじんわり温かくなった。
次の瞬間、ロミオとカスパルが声を揃えて叫ぶ。
「「ずるい!」」
矛先は一気にクラウスへ向かい、三人の攻防が始まった。
「レン様とのことよりも……“お父さん”と呼ばれる方が大事なんですか」
呆れ混じりにそう言った瞬間、不安はどこかへ追いやられていった。
すると三人の父は、声を揃えて笑いながら答えた。
「当たり前だよ」
「当たり前だ!」
「もう一度だ!」
三人の父が「呼ばれたい!」と子どものように言い合う姿に、俺は最初こそ呆れた。
だがそのやり取りがあまりにくだらなく、そして温かくて――気づけば、声をあげて笑っていた。
胸の奥の不安も重さも、すべて吹き飛んでいく。
残ったのは、家族に包まれる安心と、どうしようもない楽しさだけだった。