本心とは
ロミオ御父様は俺の頬を突いていた手を、そのまま頭へと乗せた。
「……家族を守ったんだね」
穏やかにそう告げる声に、思わず驚き目を見開く。
けれどロミオ御父様は俺の反応など気に留めず、今度は俺の手を取って歩き出した。
その背中を見ていると――自然と胸の奥のざわめきが和らぎ、不思議な安心感が広がっていく。
だが、たどり着いた先を見て思わず立ち止まった。
「……ここは……」
ロミオは気にした様子もなく、扉の前で軽く言う。
「失礼するよ」
そして返事を待つこともなく、音もなく扉を押し開けた。
俺は慌てて手を引かれながら中に入り、「しっ、失礼……しま……す……」と情けないほどしどろもどろに声を漏らす。
そこには――壁一面を埋め尽くすほどの本棚が並んでいた。
圧倒的な存在感。
背筋が自然に正され、理解できない恐怖が胸を圧迫する。
そんな空気など気にも留めず、ロミオは中央に置かれた上質な革張りのソファに、まるで自分の家の居間に腰を下ろすような仕草で優雅に座った。
その瞬間――低く、重厚な声が響いた。
「……ロミオ。ノックをしてから入れ」
ロミオ御父様は気の抜けたような声で「はーい」と返す。悪びれる様子は欠片もない。
だが、その視線は俺に向けられると優しさを宿し、声音も柔らかく変わった。
「エドワードも……入りなさい」
そう言って笑ったのは――クラウス御父様だった。
ロミオ御父様が俺を見て、ぽんぽんと隣のソファを叩いた。
促されるまま腰を下ろすと、クラウスが静かに紅茶を三人分淹れていた。
まず俺とロミオ御父様の前に湯気立つカップを置き、それから自分の分を手に取り、対面のソファに腰を下ろした。
ロミオは慣れた手つきで机の上の角砂糖をひとつ、カップに落とす。
カラン、と軽い音が響く。
一方でクラウスは、角砂糖をひとつ、またひとつ……ゆっくりと六度繰り返してカップに落とした。
その動作に思わず口元が緩む。
クラウスがそれに気づいたようにこちらを見て、角砂糖を摘んだまま問いかけた。
「……エドワード、要るかい?」
「……はい」
小さく返すと、クラウスは角砂糖を二つ、ゆっくりとエドワードのカップに落とした。
その量は自分の六つよりずっと少ないのに、不思議と“同じ甘さを分け合った”ような気がして、エドワードの胸が温かさを増していった。
カップを口に運ぶ。
舌に触れた紅茶は、ほんのり甘く、そして不思議なほどに温かかった。
冷たくなっていた心が、じんわりと解けていく。
きっと父たちは知っているのだろう。
今日、レン様に呼ばれていたことを。
だが――無理に問いただすことはしない。
その沈黙が、ありがたくて、そして申し訳なくて、胸を締めつける。
もし俺のせいで何かあったら……。
思考がまたぐるぐると巡り始めた、その時。
「――うつむくな、エドワード」
低く、揺るぎない声。
驚いて顔を上げると、クラウス御父様の瞳がまっすぐに俺を射抜いた。
そこに宿る強さと優しさに、堪えていたものが込み上げる。
泣きたくなった。
けれど、隣から伸びた手が俺の肩を支える。
言葉もなく、ただ穏やかに微笑むロミオ御父様。
その温もりに背を押されるように――俺は、少しずつ口を開いた。
エドワードは拳を膝の上で握りしめた。
「レン様と話をした時……最初は冷静に、正面から向き合おうと思っていました」
一度息を止め、ゆっくりと吐き出す。
「けれど、自分のことではなく……家族のことを言われて……どうすればいいのか分からなくなって」
言葉が途切れると、クラウスが短く告げる。
「大丈夫だ、エドワード」
その声音に押されるように、再び口を開く。
「……ハルナのことを言われました」
声が震える。
「婚約や結婚の話でした。だから“それはハルナが決めることだ”と答えました。けれど……」
唇を噛む。
「“駒にすれば、セレスティア家の地位も名誉も強固になる。幸せとは国のためにあるものだ。……使わない選択があるのか”と……」
胸の奥が熱を帯び、言葉が一気にあふれ出す。
「そこで……どうしても抑えられませんでした。怒りをぶつけてしまったんです。妹を“使う”なんて……許せなくて……」
一瞬だけ沈黙。
握った拳が小さく震える。
「けど……相手はレン様です。国王の第一継承者に、僕は怒鳴ってしまった……。あれは……やっぱり、取り返しのつかないことだったのかもしれない」
クラウスが静かに問いかけた。
「……それで、レン様はお前に何を言いたかったのか。どう考える?」
エドワードは息をのみ、少し考え込む。
最後に交わした言葉が、頭の中でよみがえる。
――「何も背負わず、守りたいと叫んで……それで通ると思うのか! 君は羨ましいよ、エドワード。まっすぐで、偽りがなくて……だからこそ苛立つんだ!」
胸の奥に、ざらついた感覚が残る。
「……俺への怒り?」
思わず口にしていた。
「レン様は……俺に“王子よりも王子になりたいのか”と問うているように感じました。真っ直ぐで、偽りがない……だから苛立つと。もしかしたら……レン様は俺に怒っているのかもしれない」
そう告げると、クラウスは首を横に振り、穏やかながらも鋭い声で言った。
「エドワード。怒りはただの感情だ。本質ではない」
「感情……?」
「ああ。感情はな、心が大きく揺さぶられた時に表に出るものだ。お前もそうだろう。家族のことを言われた時、冷静さを保てなかった。それはお前にとって、ハルナが何より大切だからだ」
クラウスは一呼吸置いて、続けた。
「レン様も同じだ。彼もまた、何か大きく心を揺さぶられたから、怒りを見せた。では……なぜお前に“家族”を持ち出したのか。なぜ“ハルナ”を口にしたのか」
エドワードは思案に沈む。
俺を……怒らせたかった?
クラウスが頷く。
「なぜだ?」
思考をたぐるうちに、胸の奥でひとつの仮説が浮かんだ。
「……学園で俺が“王子”と呼ばれていることを、レン様は気にしていた。だから、家族を出して……“お前は王子よりも王子になる気なのか”と、そう試された気がします」
クラウスが静かに言った。
「……何か、見逃してはいないか?」
その言葉に、俺の胸がざわめく。
頭に浮かんだのは――嫉妬。
「……嫉妬? いや、まさか……そんなはずはない。彼はこの国の王子だ」
思わず否定したその瞬間、横から気の抜けた声が割り込んだ。
「それみたいだね〜」
机に頬杖をつき、楽しげに微笑むロミオ御父様。
驚いて顔を上げた俺は、思わず二人を見比べる。
「レン様は……俺に、嫉妬している?」
声に出した瞬間、胸の奥にすとんと何かが落ちた。
それは思いがけず自然で、無理のない答えだった。
――あぁ、これだったのか。
今まで絡みついていたもやが、するするとほどけていく感覚があった。