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春を謳う  作者: 葵
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父の背中

父が、ニカっと笑って肩をすくめた。

「なぁエドワード。そんなに気負うな。お前が憧れてる“父たち”だって、昔今も全然完璧じゃないんだ」


「え……?」

思わず顔を上げると、父は大げさに頷く。


「俺とクラウスなんてな、お前の歳のころはケンカばっかりだ! 本当に毎日が勝負だった」


「……父様と、クラウス御父様が!?」

驚いて声を上げると、父は愉快そうに笑った。


「あぁ! あいつは何でも一位でさ。勉強も、剣も、舞踏も! 俺はいつも二位。今考えれば、順位なんか正直どうでもよかったんだが……当時は『なんで俺ばっかり二位なんだ!』ってムキになってな。もう“クラウス倒すぞ選手権”みたいなもんだ」


思い出したように父は頭をかきながら笑う。


「でもな、人前ではあんなにカッコつけてたくせに、セレナの前だと急にしょんぼりするんだ。背筋がしゃんと伸びてたのに、急に猫背になってな。オドオドして目も合わせられない。……もうおかしくてさ、どっちが本物だよって思ったくらいだ」


「……御父様が……!?」

俺の目がさらに見開かれる。


「そうそう! で、俺が勝負ふっかけると、クラウスは真面目に真正面から受けてくるんだ。俺が勝てば“もう一度だ!”と顔真っ赤にして挑んでくるし、勝ったら勝ったで『見たか!』と鼻を高くする。もう表情がコロコロ変わるから、俺はそれを見るのが楽しくて仕方なかったな」


カスパルはそこで声をひそめ、イタズラっぽく笑った。

「それに――あいつ、実は甘党だ」


「えっ……!」


「俺が甘いもの苦手だから、勝手に俺の分まで食べるんだよ。“お前のためだ”とか言いながらな。いやいや、完全に自分が食べたいだけだろって! しかも人の話なんて聞きゃしないでパクパク食べるんだ」

父はガハハと笑いながら、さらに続けた。


「でもな……俺、ガトーショコラが好きだろう。しっとりしたやつな。で、一度それをクラウスに話そうとしたんだが……言う前に俺の分が食われた」


「えっ……!」思わず声が漏れる。


「食われた後に俺が“それ、好きなんだ”って言ったら、あいつ驚きながら“なら最初にそう言えよ”とか言い出すんだぞ? お前、今まで俺のデザートを何度何も言わずに食べてきたと思っているんだって話だ!」


父は大げさに手を広げ、机を軽く叩きながら笑う。


父はニカッと笑って、さらに身振り手振りで語り出した。


「次の日だぞ、次の日! 朝から俺の寮の部屋のドアをドンドン叩く音がしてな。なんだと思ったら……クラウスが両手いっぱいに箱を抱えて立ってやがったんだ」


「……箱?」俺は思わず聞き返す。


「あぁ、全部ガトーショコラだ!」

父は片手を天に突き上げてみせた。


『俺はクラウスだ! 昨日は悪かった! ほら、これで文句ないだろう!』

とでも言わんばかりの顔でな。


「俺は“いや、一個で十分だ”って伝えたんだ。そうしたらだ……」

父はわざとらしく眉を上げ、クラウスを真似て声色を変える。


『なら残りは俺が食べる!』


「ってな! 結局その場で全部食いやがった! しかも一口ごとに“んー、やっぱり美味いな!”とか感想まで言いやがる。俺の部屋で! 俺のベッドに腰かけて! あいつ、どっちが部屋の主かわからなかったぞ!!」


カスパルは腹を抱えてガハハと笑った。

「どうだ、完璧で冷徹なクラウス様も、結局はただの大の甘党なんだよ!」


父たちの昔話を聞けるのは、本当に珍しいことだった。

カスパルとクラウスが同じスカーレット学園に通い、ともに「高嶺の花」と呼ばれていたことは知っている。

それは俺の目標でもあった。

成績は常に上位、舞踏や所作も完璧。学園の伝説と語られる存在――。


けれど、その二人が若き日には取っ組み合うように言い争い、競い合っていたなんて。

そのうえ、クラウスがガトーショコラを山ほど抱えて寮に押しかけてきて、結局自分で全部平らげてしまったという話まで飛び出すとは思わなかった。


「……そんなクラウス御父様がいたなんて」

思わず口にした言葉は、驚きよりも温かさを帯びていた。


父は大きく笑いながら続ける。

「そうだ、完璧なんかじゃない。むしろ俺もあいつも、不器用でガキっぽいところばかりだったさ」


その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。

憧れてきた父たちも、かつてはただの少年だった。

完璧じゃなくてもいい。

弱さや子どもっぽさを持っていても、それでも人は認められるし、大切にされる――。


俺はそっと息を吐いた。

父の笑い声に混じって、胸の中に残ったのは安心感だった。


カスパルはふっと目を細め、少し遠い記憶を思い返すように語った。

「……あの頃は、不器用でな。変に意地を張って、知っていたはずの言葉を口にするのに、どうしても時間がかかってしまった」


「……父様は、何を言いたかったのですか?」

思わず問いかけた俺に、父は子どものように白い歯を見せて笑った。


「友達になろう――ってな!」


思わず息が詰まった。

それはあまりにも単純で、けれど誰よりも強い言葉だった。


「だからエドワード、人との距離を測ることも大事だがな……自分が感じたまま、真っ直ぐに相手にぶつかっていいんだ」


――やはり、俺の胸の内を見透かしていた。

そう思うと、肩の力が少し抜けていくのを感じた。


カスパルは続けた。

「大人ってのはな、待とうが待つまいが、気づけば自然となっていくものだ。その過程で学べばいい。だがな、大人になると余計なことばかり考えて、何をするにも一時停止しなきゃならなくなる。止まらずに進めるのは今しかないんだ」


「まぁ、色々と言ってきたが、もしレン様に何か言われたら、本音でぶつかれ。その結果がどうなろうと、お前の糧になる。後のことは……俺たちに任せろ」

父は大きな手で俺の肩を軽く叩き、にかっと笑った。

「エドワード。お前は一人じゃない。俺たちがついている。それだけは忘れるな」


胸に熱が広がる。

頼もしくて、眩しくて。

――これが、俺の父だ。


「……父様、ありがとう」

気づけば俺の口から、真っ直ぐな言葉がこぼれていた。


カスパルは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに柔らかく笑い、目を細める。

大きな手がそっと頭に触れ、優しくひと撫でされた。


「もう大丈夫だな。……おやすみ、エドワード」


低く温かな声を残し、父は部屋を後にした。


扉が閉じる音が静かに響く。

ベッドに身を横たえた俺は、天井を見つめたまま深く息を吐いた。


不安が消えたわけではない。

明日のことを思えば、胸の奥にざらつきはまだ残っている。


けれど――俺には家族がいる。

父も、母も、弟も。

そして、ハルナも。


その思いが胸に広がった瞬間、重く圧し掛かっていたものが少しずつほどけていく。

まぶたは自然に降りていき、意識は静かな闇に包まれた。


「……家族がいる」

その最後の言葉を胸の中で繰り返しながら、俺は眠りへと落ちていった。


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