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春を謳う  作者: 葵
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理想の王子

スカーレット学園

――王国の名を冠するその学び舎は、誰もが認める国随一の学園だった。

入学を許されるのは男児であれば六歳から。

だが門戸は広くはない。


学問、武術、舞踏、所作。

あらゆる分野で高水準の得点を出さなければ、その門は決して開かない。

特に男児に課される審査は厳しく、名門貴族の子でさえ六歳での入学は至難とされた。


一方で、裏では黒い噂も絶えなかった。

「金を渡せば入れる」

「裏で手を回している家もある」

――確証はなくとも、人々の口にのぼるその影は、学園の名声に常に揺らぎを与えていた。


それでも、入学希望者が絶えることはなかった。

卒業できれば高い学歴も手に入る。

卒業後の職もその後の学もどちらも選べる。

何よりも重要視されたのが、この学園は王国で唯一女児との共学であり、未来を担う令嬢たちとの出会いの場でもあったからだ。


――そんな狭き門を、エドワードは六歳にしてくぐり抜けた。

この学園に入学することもエドワードの目標でもあった。

その理由の一つに父たちと母の母校ということも関係している。

四人は卒業してもなお、伝説として語り継がれており、その伝説は止まることなく卒業後の今も続いている。

エドワードにとって最も憧れる両親と同じ道を行くことは自然なことだった。

生まれながらの資質に甘んじることなく、幼い日々を努力で塗り重ねて。


学園は、その名に恥じぬ指導も技術も設備もすべてが高水準に整えられている。

だが不思議なことに、おかしな生徒もいれば、おかしな教師もいて、さらにはおかしな噂話が尽きることはなかった。


エドワードは、最初こそ学園の評判と実態の違いに驚いた。

だが、どんな場にあっても目標を見失わぬよう、選択は常に自分で決めると心に決めていた。


自分の家族は有名だ。

王国随一の弁護士カスパル、王宮で名を轟かせた天才音楽家ロミオ、王の右腕として恐れられるクラウス。

母は国一、いや世界一の歌姫セレナ。

弟のフィリオ温厚で常に優しく、そして音楽の才にも恵まれている。

そして、そのクラウスとセレナの間に生まれたのが――ハルナ・セレスティア。


三人の父と母の教育方針は驚くほど自由だった。

もちろん規律や最低限のマナーは叩き込まれたが、「勉強をしろ」「武芸を怠るな」と言われたことは一度もない。

婚約者を決める家が多い中、「好きになった人と結ばれればいい」とさえ笑って言い、今まで縁談のような話も令嬢達へのアプローチでさえ強要されたことはなかった。


それを当たり前だと思っていた。

だが学園に来て、それがいかに異例であるかを思い知った。

きっとフィリオも、もう気づいているだろう。

――俺たち家族は異常なのだと。


だからこそ、弟の存在は大きな支えだった。


俺は父たちも母も弟も心から尊敬している。

父と母だけでも羨望の的になる理由充分だったが、そこにこの国では希少な女が生まれたのだ。

周りには全てを与えられた家族と見られているだろう。

だが、その眼差しは嫉妬や羨望だけでなく、悪意さえ向けられる。

もしそれが自分一人に向くのなら耐えられる。

だが、弟や父たち、母、そしてハルナに向けられることだけは許せない。


だから完璧を目指した。

誰もが何も言えなくなるほどに。


そしてその決意は、ハルナとの出会いによって、さらに研ぎ澄まされていった。


普段の生活よりも、学園生活にはことさら気を張り、細心の注意を払っていたはずだった。

誰にでも分け隔てなく接し、敵を作らぬように。

しかし、勉学や武道は力を抜かずに常に一位を目指し完璧に。

……なのに。


目の前に立つ人物を見た瞬間、エドワードはごくりと唾を飲み込んだ。


そこにいたのは

――国王第一継承者、レン・クラリッサ。


「やぁ、エドワード君。久しぶりだね」


朗らかに放たれたその声。

けれど耳に届いた瞬間、空気はぴんと張り詰める。


燃えるような赤髪は、この国の象徴である〈フラワーブロッサム〉の色そのもの。

淡く光を宿した赤い瞳は、柔らかく微笑んでいながらも、見つめられれば背筋に冷たいものが走る。

立ち姿から指先に至るまで隙はなく、佇まいはまさしく絵本の中に描かれる“王子”そのものだった。


国王第一継承者、レン・クラリッサ。

俺と同じ学年。

けれど交わす言葉はこれまでほんの挨拶程度。


父の仕事の関係上、公の場や夜会で顔を合わせることは何度かあった。

その時は――場を和ませるための社交辞令、当たり障りのないやり取りばかり。

それでよかったし、それが望ましかった。


王子という存在は、味方になれば心強いが、敵になれば恐ろしい。

そして王子の周囲には、取り繕うばかりの連中が群がる。

浅ましい思惑も、白々しい称賛も、レンにはすべて見抜かれているのだろう。

だからこそ近づきすぎれば、余計な敵意や嫉妬を買うことになる。

――俺は距離を取っていた。

それが最も賢明だと思っていた。


だが、そのレンが。


わざわざ俺の教室に。

わざわざ俺の机の前に立ち。

そしてわざわざ、俺に声をかけたのだ。


ざわめく教室。

息を呑み、固唾を呑む生徒たち。

誰も近づけず、ただ遠巻きにこちらを見ている。

廊下の外からは、令嬢たちの抑えきれない黄色い歓声が聞こえてきた。


胸の奥が早鐘を打つ。

だがそれを表に出すわけにはいかない。

俺は静かに席を立ち、深く一礼した。


「お久しぶりにございます、レン様」


なるべく落ち着いた声を出したつもりだった。

だが自分の内側の緊張が、礼の所作の端々に滲んでいないか、不安で仕方がない。


そんな俺を見下ろし、レンは柔らかく笑んだ。

「そんなに畏まらなくてもいい。君の父上……特にカスパル殿とクラウス殿には、いつも助けてもらっている」


声音も、所作も、完璧な王子のそれ。

けれど瞳の奥には、ほんの一瞬、鋭い光が閃いたように見えた。


「……当然の務めでございます。ですが父様たちも、レン様にそう言われては……頭が上がらぬことでしょう」


そう答えながらも、胸の奥では思考が渦を巻いていた。

――なぜ、俺に?

何か失敗をしたか?

気に障るようなことをしてしまったのか?

それとも……。


答えの見えぬ問いばかりが、心臓の鼓動に重なっていく。


彼は穏やかに微笑んでいる。

けれど、その瞳の奥にはやはり刃のような光がちらついていた。


「……君と話がしたいと思ってね」


朗らかな声色とは裏腹に、その視線はまるで一冊の本を開くように俺をじっくりと見ていた。

表情、姿勢、返答の一つひとつに小さな綻びすら逃さぬように。


その言葉に教室のざわめきが遠のく。

まるで世界から切り離されたような静けさの中、俺の鼓動だけが大きく響いていた。


――レン・クラリッサは、ただの挨拶に来たわけじゃない。

俺の直感が警報を鳴らしていた。

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