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春を謳う  作者: 葵
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紙の王冠

セレスティア邸の客間は、花と薬草で彩られた祝祭の舞台となっていた。

窓から射す光が花びらに透け、淡い香りが部屋いっぱいに広がる。


ハルナはルカに手を引かれ、そっと足を踏み入れる。

目の前に広がった光景に、ちいさな瞳がまんまるに開いた。


彼女はふらふらと歩み寄り、ラベンダーの束に指を伸ばす。

細い指が花びらに触れると、冷たく柔らかな感触に小さく息を呑んだ。


「……き、きれ……」

掠れる声がもれたところで、言葉は途切れる。


ルカがそっと膝をつき、優しく微笑んだ。

「そう、“きれい”ですよ、ハルナ様」


ハルナは小さな手をギュッと握りしめた後、もう一度花を撫でる。

そして、ほんのり頬を緩め、くすぐったそうに笑った。


その笑顔に、客間を満たしていた花の香りが、いっそうやわらかに感じられた。


ハルナが花々に心を奪われている間に、客間の中央に据えられた長いテーブルには、次々と料理が並べられていった。

白いクロスの上に、春野菜の煮込み、色鮮やかな果実の盛り合わせ、小さな手でもつまめる焼き菓子….

どれも目に映えるように飾られている。


ハルナはルカに導かれてテーブルのそばへと歩み寄り、立ち止まった。

大皿の上で光るゼリーを見て、目を瞬かせ唇を結んだ。

黄金色のスープの湯気が頬をかすめ、鼻先をくすぐると、彼女はくすぐったそうに鼻をすんと鳴らした。


「……」

ちいさな口が、言葉にならない驚きを形づくる。


従者たちがそっと微笑む中、ルカが柔らかい声をかける。

「ハルナ様、どうぞこちらへ。お席はここですよ」


背の高い椅子に小さな身体を抱き上げられてもハルナはまだ料理に目を奪われたまま、瞬きを繰り返しながらもおとなしく腰を下ろした。


クラウスが正面から穏やかな眼差しを注ぐ。

「……ハルナ。お誕生日おめでとう」


その声に呼応するように、従者たちも口々に声を重ねる。

「おめでとうございます、ハルナ様!」


突然の大きな祝福に、ハルナはぱっと顔をほころばせた。

小さな両手を胸の前にぎゅっと寄せ、にこにこと嬉しそうに笑う。


その笑みを合図にしたように、食卓には和やかなざわめきが広がった。

パンが割かれ、スープが注がれ、笑い声が混じる。

こうして屋敷全体が、幼き主の誕生日を祝うひとときに包まれていった。


食事がひと段落ついた頃


「ハルナ、おめでとう」

クラウスが腰を落とし、革装の特装絵本を差し出した。


それは、ハルナが初めて「すき」と言葉で示した絵本。

角は安全に削られて丸く、厚い頁は小さな手でも易しく捲れるように作られている。


ハルナは目を瞬かせ、表紙の金色の装飾を指先でそっとなぞる。

ぱらり――と一枚だけめくり、そこに描かれた絵に見入ったのち、絵本を胸にぎゅっと抱きしめた。


クラウスの声は、少しだけ柔らかさを増す。

「今夜は、これを一緒に読もう」


ハルナはこくりと頷き、瞳に喜びをたたえた。

その姿に、従者たちの間にも自然と微笑みが広がっていった。


クラウスは絵本を抱きしめる娘を見やり、再び手元の包みを取った。

「……それから、これは兄たちとカスパルとロミオからの贈り物だ。皆、直接渡したがっていたが、今日は私が預かっている」


まず差し出されたのは、栞紐の先に小花が飾られた押し花のしおり。

「エドワードからだ。ハルナがこれからたくさん本を読むだろうと考えてのものだ」

ハルナはそっと摘み上げ、花の色を覗き込み小さな手で花を撫でた。


次に広げられたのは、五線譜に並んだ音符。

「これはフィリオから。自分で作った曲を楽譜にして送ってきた。いずれ弾いて聴かせてくれるそうだ」

ハルナは紙を両手で持ち、目を丸くして不思議そうに線をなぞった。


「そしてロミオからは――」クラウスが小箱を開ける。

そこには掌に収まるほどの木製の小さな楽器が収められていた。

「“音の箱”だ。お前のために手作りしたそうだ」

ハルナは箱の上を指先で叩き、こつんと響いた音に一瞬驚き音を確かめるようにもう一度鳴らせた。


最後にクラウスは、花模様の小箱を卓上に置いた。

「これはカスパルから。まだ中は空だ。お前が大きくなって“大切”を見つけた時、その箱に入れるようにと託された」


ハルナはしばらく小箱を見つめていたが、やがて両腕で抱きしめるように胸に引き寄せた。


クラウスはその姿を見守り、短く息をつく。

「……皆の想いは、確かにハルナに届いたな」

小さくも優しい声が漏れる。


オルランドの面差しはいつも通り厳格だが、目元はやわらかい。

エーデリアは肩にそっと手を添え、「おめでとう」と低く微笑む。

部屋の片隅ではフェルが短い前奏を弾き、音の角を丸くして部屋に溶かしている。


ジークは背後に控え、静かな声で「……健やかに」とだけ告げた。

その簡素な言葉に、確かな守護の気配が宿る。

ルカは小さな花をハルナの前に差し出し、「好きだったでしょう」と囁くように微笑んだ。

グレンは照れくさそうに頭をかきながら「元気に育てよ、姫ちゃん」と笑い、シオンは湯気の立つ甘い茶を用意して「誕生日の一杯だよ」と差し出す。


次々と差し向けられる祝福に、ハルナは大きな瞳を瞬かせ――やがて、胸いっぱいに息を吸い込み、ぎゅっと絵本と小箱を抱きしめた。


ふとハルナが淡いピンク色の小包に視線がいく。

それはひときわ丁寧に包まれた小包が。

遠い旅空の下にいる母・セレナからの品だ。


クラウスが紐を解くと、春色のリボンを巻いた白兎のぬいぐるみがあらわれる。

柔らかな毛並みは、まるで母の掌のぬくもりを宿したようだった。


「セレナ様が旅の合間に選ばれました。――『いつも、あなたのそばに』と」

オルランドが低く告げると、ハルナはぬいぐるみをじっと見つめ、そっと抱きよせた。


添えられた短い手紙

〈ハルナが寂しくないように。ハルナのお守りよ〉

まだ文字を読むことはできない。けれど遠くから注がれる愛情だけは、白兎のやわらかさを通して、確かに胸の奥にほどけていった。


ジークは警戒の目を緩めず、机の影で指先を動かしていた。

折り上げたのは、小さな王冠。

祝いの贈り物を包んでいた、水色にきらめく光沢紙の切れ端だ。

光が差すたび淡く揺らめき、朝露を抱いた花弁のように輝いていた。

ハルナの髪に映えそうだ。

そんな思いが一瞬胸をかすめたが、渡すつもりはなかった。

ただ黙って置いておこうとした、その時。

「おいジーク、なんか作ってんじゃねぇか」

グレンがにやりと笑いながら、その小さな王冠をひょいと奪った。

「……っ!」

ジークの瞳がわずかに見開かれる。思わず手を伸ばしかけたが、もう遅い。

「ほら、姫ちゃんにちょうどいいじゃねぇか」

グレンは迷いなく、王冠をハルナの頭にちょこんと載せた。

ハルナはふふっと喉の奥で笑い、ルカが慌てて傾きを直す。

客間にやわらかな笑いが広がる中、クラウスが低い声で言った。

「……似合っている」


その言葉に、ハルナの顔がぱっと明るくなり、うれしそうに王冠へ小さな手を触れた。


その笑みを見た瞬間、ジークは息を呑む。


――喜んだ。

自分が折っただけの小さな紙切れを、あの子がこんなにも大切そうに。


胸の奥に熱が走った。

けれどそれを表に出すことはせず、ただ警戒の目を戻し、静かに視線を逸らした。

まるで最初から何もしていなかったかのように。


「ありがと……」

ぽつりと落ちた幼い声に、クラウスも従者たちも一瞬だけ目を見交わす。

言葉はまだつたなくても、その気持ちははっきり伝わっていた。

部屋にふわりと、花の香りに似た温かな気配が広がった。


蝋燭はまだ灯さない。

大きな声も、華やかな喧騒もいらない。

春の光と、家族のまなざしと、母からの白兎。

それだけで十分だった。


ハルナは皆の顔をゆっくり見渡し、両手で小さなケーキの皿を受け取る。

窓辺の花、やわらかな音楽、父の確かな手。

世界でいちばん安心できる場所が、たしかにここにある。


こうして、静かでささやかな、けれど確かな幸せに満ちたハルナの二年目の一日が春の陽だまりのように、穏やかに始まった。


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