初めての祝福
ハルナが誕生してまもなく、セレスティア邸の玄関には日ごとにお祝いの箱や包みが届くようになった。
きらびやかな宝飾、絹の産着、珍しい玩具――送り主はいずれも国中の貴族や名家である。
やがて月日が経ち、贈り物の数は次第に落ち着きを見せた。
だが最近になって、再び邸を埋め尽くすほどの贈り物が届くようになった。
そう――ハルナの「誕生日」が、いよいよ近づいているのだ。
ただ、添えられた手紙の中には、こうした文言が並ぶ。
「いずれ我が家の長男との縁組の意向を表明いたします」
「良きご縁が結ばれますよう、まずは拙家の名をお耳に留め置きください」
この国では正式な求婚は女性からだ。
それでも“先に名を置く”のが彼らのやり方だった。
クラウスは一通ずつ目を通し、重く息を吐く。
「……生まれたばかりの娘に、これほどとは。女児の希少さとはいえ、常軌を逸している」
オルランドは静かに控え、落ち着いた声で進言した。
「クラウス様、これがこの国の現実――スカーレディアにおいて女児は“家”の未来。その誕生は、家格そのものを左右いたします」
クラウスは無言で便箋を机に戻し、眉間に皺を寄せながらも短く指示を出した。
「贈与簿にすべて記載し、品は保管庫へ。返礼状は定型で構わん。――ただし“感謝するが、当家の令嬢の将来は本人の意思を最優先する”と明記せよ。それだけは外すな」
「承知いたしました」
オルランドは深くうなずいた。
「お嬢様の意思を何より大切に――それが、セレスティア家の揺るがぬ流儀にございます」
クラウスはため息をつき、娘を思う胸の重さを抱えたまま、再び書類へと向き合った。
それでも――玄関に積み上がる箱の列が、この国の“現実”を雄弁に物語っていた。
生まれながらに“選ばれ”、同時に“狙われる”。
ーーまさに、希少な女児に背負わされる宿命だった。
ーーーーーーー
ハルナがこの世に生を受けて、まもなく一年
屋敷の空気は、従者たちのざわめきと高ぶる熱気で満ちていた。
初めて迎えるお嬢様の誕生日、その準備に誰もが自然と力を込めていた。
「……あと七日」
オルランドは帳簿を片手に廊下を進む。
目は鋭く、若い従者たちの動線や手元を一人ずつ見て回った。
初めての誕生祭に浮き立つ空気を引き締めるのは、執事長の責務。
「段取りに揺らぎがあってはならん。小さな遅れも、姫様には大きな負担になる。――だからこそ一人ひとりが誇りをもって臨むのだ」
一室ではルカが贈り物の山を検分していた。
外部からの品はまず開封記録、次に材質と差出人の照合、最後に危険物の再点検。
「これは派手すぎる。……こちらは無難、保管へ。返礼は定型で」
淡々と、しかし速い。
ところが、次に手に取った小箱に、ほんのわずか指先が止まった。
中から現れたのは、小さな銀の鈴のついた揺れる玩具。
「……これなら、ハルナ様も笑ってくださるかもしれない」
気づけば口元がゆるみ、箱を軽く鳴らしては耳を澄ます。
扉の外からジークの咳払いが聞こえ、ルカは慌てて姿勢を正した。
「……記録、保管」
頬の熱を隠すように、早口でそう付け足した。
廊下の角ではジークが警備手順を確認していた。
扉の施錠、巡回経路、交代の刻限、非常時の退避導線。
その視線の先には――ハルナが眠る部屋がある。
「近づけない。それだけだ」
短く言い切り、目だけが鋭く動く。
そこへ記録帳を抱えたアルビスが足を止める。
「警備経路、三度目の確認ですね」
淡々と告げる声は、咎めるでもなく観察する調子だ。
ジークは視線を上げず、低く答えた。
「念には念を、だ」
アルビスは記録帳にさらさらと書きつけながら、静かに続けた。
「……“浮き立つ気配を抑えるため、過剰に巡回を強調している”と記してもよろしいですか?」
ジークの手が一瞬止まり、眉がわずかに動いた。
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうな返答に、アルビスはわずかに口端を上げ、再び記録に視線を落とした。
医務室ではシオンが薬包を並べていた。胃を休める薄い茶、微熱時の湿布、消毒薬は香りを抑えた配合で。
「甘い菓子に浮かれて転ぶのは大人だからねぇ。念のため、ね」
扉口から覗き込んだエーデリアが眉をひそめる。
「……それ、本当に“念のため”で済みますか? 姫にもしものことがあったら――」
「だから“念のため”で済むんだよ」
シオンはひらひらと手を振り、瓶を棚にしまい込む。
「君が過不足なく守ってくれる。その間、僕は薬草とでも戯れていればいい」
エーデリアは唇を結び、結局はシオンの机の上の薬包をひとつひとつ数え直していた。
広間の隅ではフェルが仮面のまま弦を調律していた。音は抑え、響きだけを整える。
「初誕の舞台は小さく、観客は少なく――それでも拍手は満席で」
芝居がかった声色で、糸をひとつ、またひとつ締める。
「さて、主役のお姫様にはどんな演目をお願いしようかな? 泣くか、笑うか、それとも……寝る?」
同じ広間の反対側でシオンは薬包を並べていた。
「……舞台裏の薬師は、誰にも気づかれないまま座ってるけどねぇ」
軽口を飛ばしつつ瓶を整える。
「でも客が少なければ、僕の出番も減る。悪くない舞台だ」
フェルは弦を押さえ、仮面越しに大げさに肩をすくめてみせる。
「それでも幕が上がれば、裏方だって舞台に引きずり出されるさ。――姫様が“見逃す”なんて、きっと許さないからね」
シオンは鼻で笑い、小さく肩をすくめた。
そのやりとりに、広間の張り詰めた空気がわずかにほぐれた。
武具庫ではエーデリアが大剣の刃を拭い、会場図に目を落としていた。
死角、段差、椅子の列――一つひとつに視線を走らせ、低くつぶやく。
「私の役目は、守ること。それが一番だ」
背後から紙をめくる音がした。
「……会場図、もう一部写しておきました。持ち歩くときに便利でしょう」
ルカが帳面を抱え、几帳面に線を引き足していた。
エーデリアは一度だけ彼を振り返り、小さく笑む。
「助かる。だが図面より、実際の足で確かめた方がいい」
「だから両方です。あなたの剣と、私の記録。どちらも欠けてはなりません」
ルカの声は淡々としていたが、その目には確かな熱が宿っていた。
厨房ではグレンが袖をまくり、寸胴を抱え込むようにかき混ぜていた。
骨から取った出汁に、香りの穏やかな野菜を落とす。
「姫さんのためなら徹夜も惜しくはない。これは俺の務めだ――だが、それだけじゃ足りねぇ」
大きな背で炎を遮りながら、鼻先で立ち上る香りを深く吸い込む。
「……俺は、心から旨いと思えるものを食わせたいんだ」
背後で弦のかすかな音が響いた。
「ならば僕も、熱のこもった伴奏を用意しよう。……スープの香りに負けぬくらいのね」
フェルが仮面越しにさらりと爪弾き、調子を合わせるように糸を鳴らす。
振り返ったグレンは、調律しているフェルに笑いかけた。
「場を仕立てるのは料理だけじゃねぇ。音も加われば、きっと姫さんは喜ぶ」
フェルは仮面越しに首を傾げ、糸をひとつ爪弾く。
「……では、鍋が噴きこぼれない程度の情熱で」
弦の響きと湯気が重なり、厨房に漂う熱気は、どこか心地よい温かさへと変わっていった。
書庫ではアルビスが帳面を繰り、出入りの記録を清書していた。
「記録は正確に。――後世のためにも」
その肩越しにグレンが笑い声を落とす。
「この匂いは記録に残らないが……“うまい”って顔は一生残るぞ」
アルビスは一瞬だけ口元をゆるめ、またペンを走らせた。
「ではその顔が後世に伝わるよう、私が書き残しておきましょう」
グレンは満足げに頷き、厨房へと戻っていった。
残された皿の上には、湯気を立てる小さなスープ碗。
アルビスは視線を帳面から離さぬまま、片手で匙を取り、静かに口へ運んだ。
「……味覚を記録できる術があれば有用ですね」
誰に聞かせるでもなくつぶやき、すぐに再びペンを走らせる。
そして、主であるクラウスは静かに全体を見渡していた。
規模は控えめに、人は絞る。
守りを厚くし、余計な華やぎは削る。
――それでも残るのは、ただ一つ。
「ハルナ。幸いな一年を迎えるのだぞ……」
言葉とともに、小さな寝顔へそっと手を伸ばす。
指先で柔らかな髪を撫でながら、胸の奥でだけ父の祈りを重ねていた。
戦の前夜にも似た緊張と、家のぬくもりが同じ熱で混ざり合う。
小さな寝顔に触れた父の祈りを中心に
――この邸には、たった一人の姫のための、確かな準備が整いつつあった。




