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春を謳う  作者: 葵
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静けさの揺籠

泣かない、笑わない。

そしてもう一つ

――ハルナは、他の赤子に比べて驚くほどよく眠った。

まるで殻の奥に身を丸めるように、ひたすら静かに息を整え、夢の底へ潜っていく。


オルランドは揺り籠を覗き込み、低くつぶやいた。

「……また眠っておられる」


「今日も遊ぶ時間なかったな」

グレンが頬杖をつき、冗談めかして肩をすくめる。


「こんなに眠る子も、珍しいな……」

エーデリアは小さな指をそっと握り、微笑んだ。


「平均睡眠時間、他児の倍以上。覚醒時は異常なし」

アルビスは記録帳を閉じ、筆を置く。


「――幕間は長いほど、次は美しい。焦る必要はありません」

フェルが仮面越しに囁く。


「大物なのかもな。今のうちにたっぷり寝て、でっかくなるんだろ」

グレンが苦笑しながら言うと、場が少し和んだ。


「今は何も異常はありません。ハルナ様が安心して過ごされる……それが重要なのです」

ルカは自分に言い聞かせるように、静かに言い放った。


ジークは扉に背を預けながら、低く呟いた。

「……眠りながら、この世界を……見極めているのかもしれん」


「ははっ、また同じこと言い出したな」

グレンは苦笑しつつ頭をかき、揺籠を覗き込む。

「ま、お前らしいよ。……だったら起こさないようにしないとな」


軽口に従者たちが小さく笑い、張り詰めた空気が和らぐ。

だが誰一人、ジークの言葉を冗談と断じることはできなかった。


ーーーー


屋敷の朝。

窓から差す柔らかな光のもと、オルランドは揺り籠の縁に指を添え、ハルナの寝顔を見つめていた。

穏やかな寝息。

小さな両手

――その指が、不意に彼の指先をとらえる。


オルランドはわずかに目を細め、静かにその手を包み込む。

宰相と歌姫の娘としてではなく、ただ一人の赤子として――この命を守らねばならぬ。

その思いが、胸の奥に深く刻まれていった。


「……お嬢様は、きっとお強い方になる」


朝の静けさの中で、言葉なき約束が結ばれていた。

その小さな握り返しは、オルランドにとって誓いのように響いた。


それに気づいたのは、この家でいちばん長く仕える執事、ただ一人だった。


ーーーーー


そして、誰も知らない――。


ハルナの魂は、二つの世界のはざまで揺れていた。

生まれたばかりの小さな体と、遠い昔の記憶。

その“重さ”と“混乱”を静かにほどくために、眠りは欠かせなかった。


深い眠りの底で、彼女は新しい世界の音や匂い、肌のぬくもりをひとつずつ受け入れていく。

泣かぬことも、笑わぬことも――すべては、この世界で生きるために彼女が自ら選んだ最初の儀式だった。


広い部屋には、ただ静かな寝息だけが、屋敷の時を確かに刻み続けていた。


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