光の子は春を謳う
――その年の春の嵐の夜、スカーレットレディア王国歴947年・第四の月。
宰相クラウス・セレスティア公爵の邸に、待ち望まれていた女児が誕生した。
部屋の灯は稲光に劣らぬほど白く、医師の短い指示と器具の触れ合う音だけが響いていた。
歌姫セレナ・セレスティアは、かすかな旋律を探すように呼吸を整え、何度も途切れながらも声を繋いだ――その夜が長かったことだけが、のちの記録に残る。
産声が響いた瞬間、扉の外で膝が床を打つ音がした。
恐れと敬意を同時に抱かせる男、冷徹と謳われた宰相クラウスは、長い緊迫の時を越え、安堵と微笑みを隠さずに現れた。
彼はセレナと赤子を共に抱きしめ、妻に視線を託す。
「――名は、ハルナ。春を告げる、光の子」
母となったセレナの声が静かに響き、その名は幼子へと宿った。
「母子ともに問題ありません」
医師の報告に、クラウスは短く「ありがとう」と告げた。
その一言は、心からの感謝にほかならなかった。
名は、響き合う歌のように屋敷中へ、やがて城へ広がった。
国王と王妃は王家の紋章を刻んだ銀皿と純白の羽根飾りを贈り、王太子は儀礼にのっとり聖樹を模した銀細工を届けた。
その夜、王都の大神殿では女神像の前に聖火が灯され、高位神官が祝詞を唱える。
揺らめく炎は闇を祓い、やわらかな光が夜更けの空気を澄ませていった。
なぜ、これほど祝われるのか――この国では女児の誕生それ自体が奇跡に等しい。
戦乱と病を経て出生は著しく偏り、二十の産声のうち十九が男。
女は家の核として、母となる以前に“希望”と呼ばれる。
貴族の間では女児を授かることは神の選別であり、家の運命を変える福音だ。
セレスティア家もまた、その例外ではない。
その夜、走り回ったのは従者と医師だけだった。
濡れた外套が玄関に並び、足音は規則的に遠ざかっては戻る。
嵐は、命の名が告げられたあと嘘のように静まり、雲は切れ、雨は止み、夜明けには春の風がやわらかく庭木を撫でていく。
――こうして、光の子ハルナは生まれた。
祝福に満ちた始まり。その穏やかさの底に、長い夜の気配だけが残っていた。