第5話 クラスメイト達
翌朝。
昨日とは打って変わって、清々しい目覚めだった。
寝起きの頭もすっきりとしていて、色々と気疲れしていたはずの前日の疲労もさっぱりと消えている。心なしか体も軽い気がする。
どこかふわふわした心地で朝の準備を終え、時計を見る。まだ登校時間には早いが、何故か気が急いて落ち着かない。
スマホでニュースを確認するも集中できず、仕方なく家を出ることにした。
浮足立った心持が反映されたのか、若干の早歩きでいつも昼食を購入するコンビニに到着して、ふと思い出した。
「……今日は弁当があるんだった」
昨日の昼休みに交わした約束。
数日前に偶然助けたお礼として、明瀬さんが弁当を作ってきてくれる。それも、お肉がたっぷりの金平ごぼうが入った弁当を。
その事実を再認識した時、なんだか踊り出したくなるような気持ちになった。
「……弁当一つで浮かれすぎだな、俺」
明瀬さんはあくまで”お礼”として弁当を作ってくれるだけなのだから、勘違いしてはいけない。
そう自分を戒めようとして、昨日の彼女の言葉を思い出す。
『……それに、悪い気はしなかったから』
『柳田くんは、どうだった? 私と、その……付き合ってるって言われて、嫌だった?』
『そっか。……よかった』
結局あれは、どういう意味だったんだろう。
家に帰ってから、テスト勉強に勤しみながらあれこれと考えてみたものの、対人経験に乏しい俺の浅知恵で答えが出せるはずもなく。
……思い当たるものはあれど、俺の理性は「そんな馬鹿な」「あり得ない」と否定を続けている。
もし万が一、その考えが当たっていたとして……俺は一体どうすればいいのだろう。どうしたいのだろう。
もしかしたら今の俺にとって最大の課題は、中間テストよりこっちの方なのかもしれないな……なんて思ったりして。
「……行くか」
思考を打ち切って、歩き出す。
答えの見えてこない、そもそも答えがあるのかすらわからない問題だが……それに思い悩む時間は、存外悪くない気がした。
§
やはり早く着きすぎたようで、朝の教室内は昨日の喧騒が嘘のように閑散としていた。いや、昨日が異常だっただけか。
俺より先に来ていたクラスメイトはごく数人。その数人は入室してきた俺に意外そうな目を向けて、しかし特に何か言うこともなく机に向き直っていた。
せっかく早く来たことだし、俺も彼らを見習うことにしよう。
窓際一列目の前から三番目に位置する自分の席に着き、カバンから教科書とノート、筆箱を取り出して机の上に広げた。
まずは暗記科目の歴史総合から始めることにして、教科書に目を落とす。
「…………」
……全然集中できねぇ。
あらゆる単語に「弁当」の二文字がちらついて全く頭に入ってこない。このままだとフランス弁当戦争とかナポレオン弁当とかとんちきな覚え方をしてしまいそうだ。
昨夜のテスト勉強はそれなりに集中して取り組めたのに……ついに目前に迫ったことで現実味が増してきたのだろうか。
とにかくこんな様では時間の無駄にしかならない。一度気分転換をしようと伸びをしたところで、
「おはよう、柳田!」
「……おはよう、橋本」
爽やかな声で挨拶をしてくれたのは、俺の前の席の持ち主である男子生徒、橋本大翔だ。
ツンツンした髪をツーブロックにした爽やか系のイケメンで、サッカー部に所属。一年生ながらレギュラー入りも確実と目されるほどの実力者らしく、それを鼻にかけること様子もない。
気さくさと人当たりのよさから友達も多く、当然ながら女子人気も高い、正しくリア充と呼ぶに相応しい男だ。
「……何か用事でもあったのか?」
席が前後ということで度々言葉を交わすことはあったが、特別仲がいいというわけでもない。
リア充らしく空気の読める彼は、普段から俺に干渉してくるようなことはほとんどなく、昨日の騒動でも遠くから眺めているだけだった。
そんな彼が、いったい何の目的があって話しかけてきたのだろうか。
「別に大したことじゃないんだけどさ。昨日は質問攻めにされて大分疲れてたみたいだけど、意外と元気そうで安心したよ」
「……心配してくれてたのか」
「ま、クラスメイトだしな」
そう言ってニコリと笑う彼には、なるほどこれがリア充かと納得させられるオーラのようなものが感じられた。
こちらの警戒心をするすると解いてしまう、どこか明瀬さんのそれにも似た雰囲気。
彼は顔だけのイケメンではなく、心もイケメンだったようだ。
……しかし、
「それならあの時に止めてほしかったんだが……」
「ははっ、それはごめん。けど俺も気になってたからさ。例の噂について」
「……そうかよ」
一転してニヤニヤとした笑みを見せつけてくる橋本。そこには他の男子たちのような嫉妬や怨念のようなものはなく、純粋な好奇心だけがあった。
「あぁ、安心してくれ、俺は他の男子連中みたいに明瀬さんを狙ってるとかじゃないから」
「安心するとかではないが……そうなのか」
「俺もう彼女いるし」
「……マジ?」
「マジマジ。中学の頃から付き合って今もラブラブなんだぜ」
何でも小学生の頃からの幼馴染で、中学最後の大会でいい成績を残せたら告白すると決意。見事県ベスト4入りを果たした彼は、その日の内に告白して見事OKをもらい交際開始、そして今に至る……ということらしい。
少年漫画の主人公みたいなビジュアルと名前だと思ったら、そのエピソードまで漫画のようにドラマチックなものが揃っているようだ。
「んで、実際どうなのよ。マジで”あの”明瀬さんと付き合ってんの?」
「昨日も何度も言ったけど、付き合ってない。そもそも明瀬さんと話したのも、一昨日が初めてのことだったし」
「じゃあの写真みたいなことはしてないのか? 捏造写真?」
「……捏造ではない、と思う。けど何て言うか……本当だけど、そういうのじゃないというか……」
教えられないことと、俺自身分かっていないことが多すぎてうまく説明できない。
言い淀む俺を見て、橋本は何かに納得したように頷いて、
「なるほどね。ま、これ以上詮索はしないよ。男女のあれこれって、男側にはよくわかんねぇことが多いよなぁ」
「納得してくれるのか」
「たぶん柳田自身もよくわかってないんだろ? 俺も最初に告白した時に『好きだけど今は嫌だ』って言われた時はマジでわけわかんなかったし……」
そう言って遠い目をする橋本。順風満帆に見える彼の人生にも、様々な苦悩があったようだ。
いつかその辺りも聞いてみたいと思いながら、それ以上に気になっていたことを問うてみることにした。
「橋本、俺からも一つ聞きたいんだが。その、俺と明瀬さんの噂と写真の出所、ってわかるか?」
俺のその質問に、橋本は腕組みをして、
「うーん……昨日は朝練があって、俺が噂を最初に知ったのもお前らが教室に来る直前だったんだよ。その時にはもうクラス中に広まってたし……すまん、役に立てそうにない」
「いや、こっちこそすまん。まぁ今更知ったところでどうにも──」
「真壁さんたちよ、発端は」
突如会話に割り込んできた声に視線を上げると、二人の女子生徒が俺たちを見下ろしていた。
彼女たちの姿には見覚えがあった。よく明瀬さんと一緒に行動してグループを形成している女子たちだ。
「ごめんなさいね、盗み聞きするような真似をして。私たちにとっても興味深い話をしていたものだから……」
そう言って軽く頭を下げるのは、高宮佳凛さん。
長く艶やかな黒髪にハーフリムの銀縁眼鏡に気の強そうなツリ目が特徴的な、怜悧な印象の美少女だ。四月の新入生テストでは全教科で九十点代後半という秀才だが、すらりとした高身長スレンダー体形で手足が細く、その見た目通りに運動はからっきしらしい。
規律に厳しい委員長気質ながら気の強い性格で、キツイ言い方で注意して喧嘩に発展しそうになったところを明瀬さんに仲裁されるという場面を見たことがあった。
今も眼鏡の奥の瞳が不快げに細められ、表情も歪んでいる。
「柳田くんと橋本くんもおはよー! 昨日はごめんねー、親友の恋の一大事だと思うとつい先走っちゃってぇ……」
その傍らで眉根を下げるのは、昨日の朝にクラスを代表して俺たちを問い詰める役目を担っていた向井美樹さんだ。
小動物じみた小柄な体躯がぴょこんと動き、下げられた頭に連動して特徴的なツインテールが揺れる。思わず目で追ってしまった。
彼女は高宮さんとは逆に勉強が苦手で運動が得意なタイプで、いつも元気にぴょこぴょこと動き回っている印象だ。
こちらもきちんと挨拶を返した上で、話を続ける。
「それで、真壁……さんたちが発端って言うのは?」
「そもそもあの噂と写真が出回ったのは、A組の女子限定のグループLAINが最初だったのよ」
曰く、クラスLAINとは別に女子だけが入っているグループがあるらしい。
「他の男子には秘密だからね!」と向井さんに朗らかに釘を刺されて、俺と橋本は震えあがってしまった。
「別にそんなに怖い物でもないわよ。ちょっと男子には刺激的過ぎる内容もあるけど……とにかく、一昨日の夜にいきなり真壁さんが『明瀬さんに彼氏いるらしいけど知ってる?』ってグループで聞いてきたの」
「親友のあたしたちも聞いたことなかったし、半信半疑だったんだけど……そしたら森田ちゃんがあの写真を貼ってきてさ! もうびっくりしちゃった!」
真壁、森田。その名前に思わず眉を顰める。
あの日、明瀬さんの過去の写真といじめのことで脅迫しようとしていた張本人たちだ。
俺に邪魔をされて思い通りに行かなかった腹いせか……写真自体は本物らしいのがややこしいところだが。
「あの人たちは普段から陽華にちょっかいかけてきてたし、今回もその一環だと思ってたのだけど……今の話を聞く限り、例の写真は本物なのね」
「……まぁ、たぶん。思い当たることは、ある」
「やっぱりそうなんだ!? あの写真の陽華、すっごい笑顔で可愛かったよね! あんな顔あたしたちも見たことないのに……ちょっと妬けちゃうなぁ~」
「初めて会ったその日に手を繋いで帰宅って、すげースピード感だなぁ」
不満げに頬を膨らませる向井さんと、感心したような視線を向けてくる橋本。
何と言っていいかわからず沈黙する俺に、高宮さんはふっと息を吐いて、
「友達「親友!」……親友とはいえ、私たちも別に陽華の交友関係に必要以上に首を突っ込むつもりもないわ。ただ、真壁さんたちには十分に気を付けて。今回の件についてはこちらでも注意はしておくけど、昨日も少し様子がおかしい感じだったから、まだ何か企んでいそうだし……」
「うんうん! 陽華のこと困らせるのは、親友のあたしたち的に絶対NGだからね!」
「……ありがとう。高宮さん、向井さん」
真摯に忠告してくれる二人からは、明瀬さんへの確かな優しさと信頼が感じられた。
本心から明瀬さんを大切に思ってくれている人がいることを、我がことのように嬉しく感じてしまう。
……彼女たちなら、例え明瀬さんの過去を知ることになったとしても態度を変えるようなことはないだろう……あるいはだからこそ、明瀬さんは「絶対に話せない」と思っているのかもしれない。
「女子のドロドロはこえぇなぁ……まぁ、何か困ったことがあったら俺にも相談してくれよ。力になるぜ」
「……いいやつだな、橋本」
「男前だろ?」
「自分で言うことかよ……まぁ、助かるよ」
ハハハ、と明るく笑う橋本。少し重くなってしまった空気を換えようとする心遣いが感じられて、彼の周りに人が集まってくることに納得させられる。
男同士の形容しがたい気やすさに浸っていた俺を引き戻すように、向井さんが机をバンと叩いた。
「写真が本当にあったことだったのもはっきりしたし……今度こそ教えてもらうよ! あの陽華とどんな風に出会って、どうやってあそこまで仲良くなったの!?」
キラキラとした目で詰め寄ってくる向井さん。助けを求めて高宮さんを見るが、俺のSOSは聞き届けられなかった。
「……あまり詮索するつもりはないけど、確かに気になるわね。あの子、誰にでも親身に接するようで、警戒心が強いところがあるし」
「あー、確かに何か一線引いてるって言うか、突き放しはしないけど必要以上に踏み込まない、って感じあるよな。……で、実際どうなん? 柳田師匠」
「その呼び方やめろよ……。ごめん、それについて俺からは言えない」
彼女たちの期待に応えられないことは申し訳なく思うが、それでも譲れない。
これは明瀬さんのこれからの学園生活、どころか彼女の人生すら左右しかねない問題だ。いくら明瀬さんの親友で、信頼できる相手だとしても、俺の独断で伝えていいはずがないだろう。
確固たる口調で固辞する俺に、追究しようとしていた向井さんも口を噤んだ。
「……思ってたよりもシリアスな話な感じ? じゃあ、陽華に直接聞くのも控えた方がいいかな……?」
「美樹の場合もう手遅れでしょ、昨日からずっとしつこく聞いてたのに。……ありがとう、柳田くん」
「お礼を言われるようなことをした覚えはないけど……」
困惑する俺に高宮さんは、それまでの怜悧な印象からは想像できないような、穏やかな微笑を浮かべた。
「いつもどこかで気を張っていたあの子が、素の自分を見せることができる人と出会えて、それがあなたみたいに誠実な人でよかった。だからありがとう」
「それがあたしたちじゃなかったのはちょっと悔しいけどね! でも陽華が楽しそうなのは嬉しい! これからもよろしくね!」
……どうやら明瀬さんは、本当にいい友達を持っていたようだ。
彼女が何かを抱えていることを察しながらも、踏み込みすぎないよう気遣って、しっかりと寄り添ってくれる。
そんな彼女たちが預けてくれた信頼を、裏切ってはいけないと強く思う。
……と、その時。
「おはよー陽華!」
「明瀬さん、お、おはよう」
「おはようみんな!」
四人で話し込んでいる内に人口密度が大分増していた教室内が俄かに騒がしくなった。
噂をすれば何とやら。クラスメイトたちの視線の先には、俺たちが話題にしていて明瀬さんの姿があった。
和やかに挨拶を交わしていた彼女は、こちらの姿を認めると一直線に寄ってくる。
「おはよう!」
「陽華おはよー!」「おはよう、陽華」
「おはよー、明瀬さん」「……おはよう」
太陽のような、という形容がぴったりの眩しい笑顔に、思わず目を細める。
俺たちの面子を見て、明瀬さんは小さく首を傾げた。
「なんだか珍しい組み合わせだね? なんの話をしてたの?」
「もちろん陽華の話に決まってるでしょー? ね、佳凛ちゃん」
「えぇ。ただの雑談みたいなものだから、あまり気にしないで」
「俺はただの野次馬だけどね。前の席の特権として、今この学年で最もホットな話題の人物のご利益に与ろうかと」
にやにやと笑う橋本が胡乱なことを言い出した。
「ご利益ってなんだよ……」
「恋愛運とか上がりそうじゃね?」
「上がってどうするんだよ、彼女いるんだろ」
「居るからこそだよ! 入学早々クラスも引き離されちまったし、これからの高校生活を二人で楽しく過ごせますようにって願いを込めて……!」
「やめろ俺に祈るな、自分で頑張れ!」
手を合わせて拝み始めた橋本にツッコみながら、ふと思い出した。
そう言えばカップルは別れた時のリスク管理のために別のクラスに配置されることがある、とか聞いたことがあるな……と。口には出さないが。
そんな風にじゃれ合う俺と橋本を見て、明瀬さんがくすりと笑った。
「仲がいいんだね? 二人とも」
「まともに話したのはこれが初めてなんだけどな……」
「時間なんて関係ねぇだろ? 顔突き合わせて気が合うやつだとわかったら、それで友達の完成だよ」
そういうものなのか、と思わず納得してしまいそうな断定口調に思わず閉口する。
まぁ……悪い気はしないが。
「男子ってすぐに仲良くなっちゃうよね。ちょっと羨ましいかも」
「単純なだけじゃない?」
「佳凛ちゃん流石に直球すぎ! それならもちろんあたしたちも友達だよね!?」
そんな俺たちを見て好き勝手に寸評する女性陣。
……なんとも妙な感覚だ。つい数日前までは教室の端で孤独に過ごしている、ただの陰キャのぼっちだったはずなのに。
それが今は、朝からクラスカースト最上位の陽キャたちに囲まれ、和やかに談笑している。
その大きな変化の切っ掛けになったのは、一人の少女との出会いで……。
「ん? どうしたの、柳田くん」
「いや……ありがとう、って言いたくなって」
急にお礼を言われて、きょとんとした顔をする明瀬さん。
当然不思議に思われるだろうが、俺も言葉で説明できる自信はなかった。
しかし明瀬さんは何かに思い当たったように、にこりと微笑んだ。
その笑顔は普段教室で見せるものとは少し違っていて……そう、つい昨日例の噂の真偽について問われた時に浮かべた笑顔と似たもので。
「お弁当はちゃんと作ってきたよ! お昼はあの場所で、ね?」
直後、周囲で聞き耳を立てていたクラスメイト達から、歓喜と憎悪が噴き上がる。
様々な感情の込められた視線が集中し、俺は頬を引き攣らせた。
「へぇ……出会って数日で、お弁当を作る仲にまで発展してるのね」
「しかも”あの場所”ときたよ。なぁやっぱ柳田に拝ませてもらっていいか?」
「えぇ~! 柳田くんだけずるーい! あたしも陽華のお弁当欲しい~!!」
友人たちから揶揄うような言葉を頂く。一人だけ純粋に羨ましがっていたが。
普段の俺ならげんなりとしてしまっていたが……明瀬さんのお弁当というご褒美の存在を思い出した今の俺は、ある種の無敵状態にあった。
今の俺の頭の中にはお弁当のことしかなく、それ以外のことは全て些事でしかない。
故に俺は周囲の反応を意識から追い出して、素直に答えた。
「あぁ、凄く楽しみだよ」
「……! えへへ、腕によりをかけて作ったから……美味しいと思ってくれると嬉しいな」
嬉しそうにはにかむ彼女の姿は、思わず仰け反ってしまうほどの愛らしさといじらしさに溢れていて。
周囲からは歓声や呻き声が上がり、向井さんと高宮さんは目を瞬かせて……その破壊力満点の笑顔を真正面から食らった俺は、完全にノックアウトされてしまったのだった。
無敵貫通即死カウンターは勘弁してほしい。
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