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第47話 柳田家

 電車で一度別の路線へ乗り換えを挟み、降りた先でバスへ乗り継いで、およそ二時間弱。

 現在俺たちが居を構える市の隣接市、その中心からやや離れた丘の上の住宅街が今日の目的地だ。


 バス停から緩やかな坂道を登っていくと、やがて見慣れた瓦屋根が視界に入った。

 黒い瓦と白壁のコントラストが印象的な、二階建ての日本家屋。

 玄関前にはしっかり手入れされた植木が鎮座し、その下には季節の花が植えられた植木鉢が並んでいる。

 軒先に飾られた風鈴が、爽やかな風に揺れて澄んだ音を響かせる。


 久しぶりに見た実家(・・)の姿に……まだ数か月しか経っていないのに、自分でも驚くほどの懐かしさが込み上げてきた。

 ”柳田家”と刻まれた表札を見て感慨に耽る俺の傍らで、小さく感嘆の声が上がった。


「わぁ……ここが、辰巳くんの実家なんだ」

「あぁ。大体四か月ぶりだけど、特に変わってなさそうだ……いや、植木鉢が増えてるか?」


 あの植木や植木鉢は、全て父さんが世話をしているものだ。また勝手に増やして、義母さんに怒られていないといいのだが。

 それはともかく……逸れていた思考を打ち切って、隣に立つ陽華の方へ視線を向けた。


 以前から予定していたお盆の帰省に、今年は陽華も同行することになっていた。

 お泊まりが始まったばかりの頃に、父さんから送られてきたメッセージが発端の話だが、当然ながら陽華本人の承諾とご両親の許可を得てのことだ。

 俺の帰省に合わせる都合上必然的に宿泊になるので、事前に陽華の方から話を通してもらい、出発前に改めて顔を合わせて挨拶を済ませた。

 手土産も用意しようとしてくれていたが、こちらが招く立場なので丁重にお断りしておいた……何だか俺が明瀬家にお邪魔した時を思い出すやり取りだったな。


 宿泊に備えた荷物を手に俺の家を眺める陽華は、少し緊張しているように見えた。

 出発した時は優唯との再会や俺の両親との邂逅を楽しみにしていたが、いざ到着すると不安が首をもたげてきたらしい。

 固い表情の彼女の手をそっと握って、安心させるように微笑む。


「そんなに緊張しなくていいよ。俺も優唯も居るし、父さんと義母さんも陽華と会うのを楽しみにしてる」

「……うん、そうだよね。ありがとう、辰巳くん」


 俺の励ましに表情を緩めた陽華は、悪戯っぽい笑みを浮かべて、


「前と逆の立場になっちゃったね?」

「確かにな。あの時の俺の気持ちもわかってくれたか?」

「よくわかりました! すごく緊張する!」

「よろしい……あの時は、励ましてくれてありがとう」

「どういたしまして♪ こちらこそ、励ましてくれてありがとね」

「ん。じゃあ、そろそろ行こうか」

「うん!」


 頷き合って、手を繋いだまま玄関の方へ歩き出す。

 ガラス戸の横に設置された呼び鈴を鳴らして暫し待てば、「はーい、どちら様ですか?」と明るい声が返ってくる。

 簡潔に名前を告げた途端、インターホンからの音が途絶え……かと思えば数秒後、バタバタと騒がしい足音が耳に届いた。

 思わずドアから身を離すが早いか、凄まじい勢いで戸が開け放たれる。


「いらっしゃい、陽華さん!」


 現れたのは、やたらとテンションの高い様子の優唯だった。

 常のダウナーな雰囲気はどこへやら、満面の笑みで手を握ってくる優唯を、陽華も嬉しそうな笑顔で出迎えた。


「こんにちは、優唯ちゃん! LAINではよく話してたけど、直接会うのは久しぶりだよね。元気だった?」

「はいっ、めちゃくちゃ元気です! 陽華さんの方こそ大丈夫ですか? 兄さんと一つ屋根の下で、嫌な気持ちになったり……変なことされてませんか?」

「毎日楽しいし、嫌なことなんて全然ないよ。変なことは……私としては、もう少し積極的に来てくれてもいいんだけどなー、って」

「兄さんはヘタレですからね……私からもガツンと言っておきます!」

「よろしくね!」

「おい……」


 本人が横に居るってのに、好き勝手言ってくれるな……彼女と妹の仲が良好なのを喜べばいいのやら、蚊帳の外に弾き出された現状を嘆けばいいのやら。

 渋い顔で口を挟むと、今気づいたとでも言いたげにわざとらしく驚いた表情を作って、


「なんだ、兄さんも居たんだ。おかえり~」

「ただいま……お前なぁ」


 その態度に流石に苦言を呈そうとしたところで、廊下の方から軽やかな笑い声が聞こえてきた。


「はっはっは。あんまり怒ってやるなよ、辰巳。テストやら夏季講習やらで大好きな兄さんに会えなくて、優唯ちゃんも鬱憤が溜まってるんだ」

「ちょっ……お義父さん!? 何言って……!」

「妹の可愛い八つ当たりぐらい笑って受け止めてやるのが、兄の度量ってもん……あれ、違った?」

「全っ然違う! 大好きとかじゃないし、会いたいなんて!」

「はは、すまんすまん。最近スマホを寂しそうに眺めてることが増えたし、お盆が近付くにつれて明らかにそわそわしてたから、てっきりそういうことかと……あいたた、ごめんごめん」


 もはや言葉もなく、耳まで真っ赤に染めてぽかぽかと拳を振るう優唯に、思わず意外な視線を向けてしまう。

 ……思えば、先月は恒例のお泊まりもなかったし、俺の方も忙しくてLAINでの会話すらほとんどできていなかった。


「優唯」

「……なに」

「ほったらかしにして、ごめんな。これからは、もう少しマメに連絡することにする」

「……兄さんのことだから、業務連絡みたいなことしか送ってこないでしょ」

「よくおわかりで……」


 確かにそうなりそうだ、と思わず納得して頭を掻く俺を見て、優唯の表情がふっと緩んだ。


「別に無理しなくていいし、恋人より優先しろとか言うわけじゃないけど。……私も、もう少し兄さんと話したいな」

「……あぁ、俺もだよ」

「ほんとに?」

「ほんとだよ」


 信用できなーい、と言いつつも楽しげな様子を見れば、どうやら機嫌を直してくれたらしい。

 微笑まし気な陽華の視線を背に受けながら、優唯の拳を受けてダウンしていた闖入者の方へ声を掛けた。


「ただいま、父さん」

「おーいてて……おう、おかえり辰巳。ちょいと見ない内にまたデカくなったか?」


 そう言って腹の辺りを擦りながら、飄々とした笑みを浮かべる壮年の男性。

 彼の名は、柳田申太郎(しんたろう)。俺の実の父親にして、我らが柳田家の大黒柱である。

 ひょろりと細い瘦身に普段着にしている藍色の甚平、縁の太い眼鏡と、昔の文豪宛らと言った風貌は相変わらずのようだ。

 いや……無精髭は綺麗に剃られて、髪も簡単に整えられている。外見に無頓着な父さんなりに、息子の彼女を家に迎えるに当たって気を遣ってくれたらしい……いや、義母さんの指示か。


「数か月でそんなに変わんないだろ」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、って言うだろ? 顔つきや雰囲気が変わった、背筋が伸びた……一目見りゃわかるさ。父親なんだからな」

「…………」


 揶揄うような口調ながらも、その言葉と視線には確かな愛情と思いやりがあった。

 思わず閉口する俺にからからと笑って、父さんは俺の後ろで控えていた陽華に向き直り、丁寧に頭を下げた。


「さて……君が明瀬陽華さんだね。初めまして、辰巳の父の柳田申太郎です。ようこそ、柳田家へ。お客様を放って長々と話し込んでしまって申し訳ない……」

「いえいえ、ご家族の仲がいいのはとてもいいことだと思います! 初めまして、明瀬陽華です。二か月ほど前から、辰巳くんとお付き合いをさせていただいてます、どうかよろしくお願いします!」


 朗らかに、折り目正しく礼を返す陽華に、父さんの口から小さく感嘆の息が漏れた。


「いやはや……色々話は聞いていたが、何ともできたお嬢さんだ。……ともあれ、これ以上玄関で話を続けるのもなんだ。さぁ、遠慮せず上がってくれ。居間でお茶と茶菓子を用意しているから、そちらでゆっくり話そう」

「ありがとうございます、お邪魔します!」

「陽華さん、こっちです!」


 父さんに促されて、元気に返事をした陽華がチラリと視線を向けてきたので、小さく頷きを返す。

 満面の笑みの優唯に背を押されるように、陽華は柳田家の敷居を潜った。


 慣れ親しんだ実家に陽華が居るという事実と、鼻腔を掠めた家中の匂いに不思議な感慨を覚えながら、俺も彼女たちに続くのだった。




§




「お盆に呼びつける形になって悪いね、ご家族の予定とか大丈夫だったかい?」

「うちは親戚の集まりとかもないし、両親の許可ももらいました! 今日から三日間、お世話になります」

「ご丁寧にどうも。大事な娘さんをお預かりするわけだから、しっかりおもてなしするとも」


 各々の自室や客間がある二階で荷物を置いて、現在は一階の客間でお茶を啜りながら雑談に興じていた。

 ……妙に丁寧な口調で気持ち悪いな、諸々適当な父さんも息子の彼女には畏まるのか。


 正方形の座卓で、俺と陽華が並ぶ対面に父さん、横に優唯が座る形だ。

 陽華と父さんが和やかに会話を交わす間に、そっと優唯に話しかける。


「義母さんは今日も仕事か?」

「休みだったけど、トラブルが起きたらしくて出勤して行ったよ。解決したらすぐ帰ってくるって言ってた」

「そうか……大変だな」

「ほんとにねー。お母さんも陽華さんに会いたくてワクワクしてたから、凄く残念そうにしてた」


 そもそも今回の発案者は義母さんらしいので、さもありなん。

 俺たちの会話が聞こえていたのか、父さんが笑いながら口を挟んできた。


「色々話を聞きたいところではあるが、それは菜月さんが帰ってからにするか。……つーわけで、ほれ辰巳」

「は? 何だよその手」

「出せよ、成績表。話のタネにするから」

「息子の成績をダシにすんなよ……ちょっと待っててくれ」


 保護者のサインをもらう必要があるので、元々見せるつもりではあったが……釈然としない気持ちを抱えながら立ち上がる。

 二階の自室に行って成績表を持ち帰り、父さんに渡す。

 やたらうきうきした様子で父さんが成績表を開き、脇から優唯が覗き込んで……揃って驚いたように目を見開いた。


「おぉ……テストの点数と順位は聞いてたが、改めて成績としてみるとすごいな。進学校でついていけるか心配してたのが馬鹿みたいだぜ」

「兄さんすごいじゃん! これも陽華さんの愛の籠った指導の賜物だねー」

「そらどうも……」


 優唯の発言で照れた様子を見せる陽華には、触れないことにした。

 したのだが、父さんがそれを見逃すことはなく、


「ほほう。陽華さんがかなり勉強ができるってのは優唯ちゃんから聞いてたが、随分世話になったみたいだなぁ」

「そんなことないですよー。私はちょっと手伝っただけで、辰巳くんの努力の賜物です。それと……勝負のこともあったしね?」


 そう言って悪戯っぽく笑う陽華に、思わず言葉に詰まる。

 正直あまり掘り返してほしくはないのだが……まぁ、当然と言うべきか。父さんと優唯がそれを許してくれるはずもない。

 興味津々に深掘りしてくる二人に、陽華も気前よく応えて、俺の恥は家族の知るところとなってしまった。


「はっはっは! お前も男だな辰巳ぃ! はっはっはっは!!」

「うわぁ……ちょっと引くなぁ」

「うるさいな……」


 声を上げて大笑いする父さんと、露骨にドン引きする優唯。正直大分メンタルに来た。

 自分でもあの時は思考能力が鈍っていた自覚はあるが、そのおかげで実際成績を向上させることができたので許してほしい。


 笑いすぎて涙すら滲ませた父さんが、目元を拭いながら俺と陽華に目を向けて、


「はー、笑った笑った。もっと聞かせれくれよ、付き合いたてのカップルのリアルをよ。甘酸っぱければ甘酸っぱいほどいいぞ!」

「お義父さんってそういうの好きな方だったっけ。あ、もしかして……次の作品のネタ集め?」

「正解。恋愛モノは何作か書いたが、学生が主役の作品は書いたことがなかったからなぁ。今の若者のことは、当人たちにヒアリングするのが一番だろ」


 いけしゃあしゃあと宣う父さんに白い目を向ける。息子の恋愛模様を、勝手に小説のネタにしようとするなよ。

 「モデル料金払えよ」と抗議してみたら「デート代として小遣い増やしただろ」と返されて沈黙した。助かってます。


 父さんたちの会話を聞いて首を傾げる陽華を見て、そういえば言ってなかったなと気付いた。


「言ってなかったけど、父さんは小説家なんだよ。結構色んなジャンルを書くタイプで、まぁ生計が建てられるぐらいには売れてるらしい」

「わぁ、すごい……! 作家さんだったんですね」

「いやいやそれほどでも。……何だよ辰巳、教えてなかったのか。親の職業を隠すなんて父さん悲しいぞぉ」

「単純に親の仕事に言及する機会がなかっただけだよ」


 そうそうないだろそんな機会。

 感心した様子の陽華は、続けて父さんから告げられたペンネームに「あっ」と小さく声を漏らした。


「その名前、見たことあります。確か……辰巳くんの部屋に、その作者の本だけが並んだ本棚が……」

「ちょ、陽華、それは……!」

「ほぉ~?」


 慌てて陽華の言葉を遮ろうとするも、時すでに遅し。

 それを聞いた父さんの口角がゆっくりと吊り上がる。今日はこんなのばっかりだな……!


「おいおい辰巳ぃ、俺が見本融通してやろうかって持ち掛けた時は”要らん”とか言ってたくせに、自分で買い揃えてやがったのかよ。これがツンデレってやつかぁ!?」

「うるさい黙れ、誰がツンデレだ……!」

「照れんなって! 感想とか聞かせてくれよ~、リクエストとかも聞いてやろうか!?」

「もう黙れマジで!」


 顔を赤くして叫ぶも、特に堪えた様子はない。

 ウザ絡みしてくる父さんをいなすのに必死な俺を他所に、陽華と優唯は和やかな雰囲気でおしゃべりに興じていた。


「陽華さんって好きな本のジャンルとかあるんですか?」

「うーん、やっぱり最近は恋愛モノをよく読んでるかな。前より実感として楽しめるって言うか」

「いいなぁ、それ。何だか大人っぽいです」

「そんなことないよー。優唯ちゃんは同級生で気になる男の子とかいないの?」

「ぜんぜんですねー。部活も入ってないし、そもそも今は受験勉強で手一杯で……」


 そんな感じの、混沌とした空気を断ち切るように。玄関の方から大きな「ただいまー!!」という声が聞こえてきた。

 それを聞いて優唯がパッと表情を明るくして、父さんも「おっ」と顔を上げ……その隙に素早く立ち上がって、玄関の方へ向かう。

 これは決して逃避ではない。もう一人の家族を出迎えたくて居ても立っても居られなくなっただけだ。


 ついてきた優唯と陽華を引き連れて玄関に着けば、スーツを着たバリキャリ風の女性が靴を脱いでいた。

 その女性は俺たちの姿を目に留めると、嬉しそうに相好を緩めた。


「お母さん、おかえりなさい!」

「おかえり、義母さん」

「ただいまー! 優唯……それに、久しぶりね、辰巳くん!」


 俺と優唯が言った通り、彼女こそが優唯の実母にして俺の義母の、柳田菜月(なつき)だ。

 廊下に上がった義母さんと改めて向かい合うと、180センチある俺より少しだけ低い位置で視線が合った。

 「久しぶり」と返す俺をまじまじと見つめ、ショートカットの髪を揺らして不思議そうに首を傾げる義母さん。


「……何だか、前に会った時より大きくなった? 男の子の成長期って凄いのねぇ」

「父さんにも同じことを言われたよ。顔つきとか雰囲気が変わったとか」

「うん、確かにね。全体的に雰囲気が柔らかくなって……余裕ができた感じがするわ。とっても男前よ」


 そう言ってポンポンと肩を叩いてくれる義母さん。優しい感触が気恥ずかしくて、少し視線を逸らす。

 俺たちが家族として過ごした時間は一年にも満たない。出会ったばかりの頃と比べればマシになったとはいえ、まだ少し距離感を測りかねている気がする。


 そんな俺を見て小さく笑って、義母さんは俺たちの後ろに控えていた陽華の方へ目を向けた。


「辰巳くんの変化も、その子のおかげかしら。紹介してくれる?」

「あぁ……優唯から聞いてると思うけど、この子が明瀬陽華。俺の彼女だよ」

「初めまして。ご紹介に与りました、明瀬陽華です。辰巳くんとお付き合いを……」

「やっぱりそうなのね! 初めまして、柳田菜月です! 優唯から話を聞いて、ずっとお話ししたいと思ってたの。会えて嬉しいわ!」


 丁寧に頭を下げた陽華の言葉を遮るように、その手を取って満面の笑みを向ける義母さん。

 その勢いに少し気圧されながらも、陽華は流石の即応力で手を握り返して笑顔を返していた。

 とりあえず……これで柳田家の面々は全員が揃ったわけだ。

 ならば、改めてこの言葉を送るべきだろう。


「陽華――ようこそ、柳田家へ。歓迎するよ」

「――うん!」


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