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第45話 海デート②

「ふぅぅ……よし、そろそろ海に行ってみるか」

「そうだね! 行こっ!」


 心底くたびれた溜め息を吐き出しながら呼びかければ、陽華は満面の笑みで立ち上がった。

 結局あれから、ろくに抵抗もできないまま――下半身は死守した――日焼け止めを塗りたくられ、そのお返し(?)に俺も陽華の背中に塗らされることになってしまった。

 まだ遊ぶ前なのに物凄く疲れた。そんな俺とは対照的に、非常に満足げな陽華には苦笑するほかない。


 ……まぁ、思ったより動揺しなかったな。これも毎晩くっついて就寝することで、自制心が鍛えられたおかげか。

 益体もないことを考えながら、スマホと財布を防水のウエストポーチに入れて、浮き輪を片手に立ち上がる。


「そう言えば、陽華って泳げるのか?」


 ウキウキと俺の手を取って恋人繋ぎにしてくる陽華に尋ねると、何だか微妙な表情で、


「うーん……多分、苦手かも?」

「多分?」

「もう一年以上、海どころかプールにも来てないから……中二の時の水泳の授業でも、そんなに泳げなかったし」


 中二の水泳……そうか、去年の陽華は。

 うちの高校における水泳の授業は陸上との選択制なので、陽華は陸上の方を選択したのだろう。

 とりあえず浮き輪を差し出せば、礼を言われるのが早いかすぐさま抱え込まれた。


「辰巳くんはどうなの?」

「特別得意ではないけど、まぁ人並みには泳げると思う」


 クロールと平泳ぎ限定で、二十五メートルを泳ぎ切れるぐらいだ。速度はお察しだが。

 まぁ海で遊ぶだけなら泳げなくとも特に支障はない。ビーチボールも持ってきているし、色々遊び方を模索していくとしよう。


 照りつける太陽の光を浴びながら、サクサクと砂浜を踏む音を立てて青い海へと歩み寄った。

 波打ち際、砂の色が変わった部分に立って暫し待つと、帰ってきた波が両足を攫っていく。

 足元に触れた海水の冷たさに、思わず声が漏れた。


「おぉ……」

「ひゃっ、冷たい……!」

「そうだな。もう少し進んでみるか」

「ちょっと待って!」

「お、おう」


 明らかに腰が引けた陽華が、俺の腕をぎゅっと掴んで引き留めてくる。

 驚いて視線を下げると、やけに真剣な光を宿した瞳と目が合った。


「海に入る前に、まずはストレッチをしよう……!」

「お、おう。……そこまでビビらなくてもいいと思うぞ。浮き輪もあるし、俺もいるからさ」

「ビビってないもん! ……けど、ちゃんと見ててね?」

「あぁ」


 どうやらさっきの会話で泳ぎが不得意なことを思い出し、いざ水に触れて不安を実感しまったらしい。

 そこまで深刻なものではなさそうだが……とは言え、ストレッチをするべきというのは賛成だ。

 一旦砂浜の方に戻り、軽く手足を伸ばして関節を解す。特に海で足が攣ることのないよう、下半身は念入りに。


 そうしている内に、陽華の緊張も和らいだようだ。

 海に向かう足取りも軽く、穏やかな表情を浮かべている……予め浮き輪を装備して最大限警戒してはいるが。


「辰巳くん、ちゃんと手を握っててね……!」

「いいけど、それだと浮き輪が落ちるぞ。俺が後ろから支えとくから」

「うぅ、でもそれだと辰巳くんの顔が見えない……」

「大丈夫大丈夫」


 いつも翻弄されてばかりで、陽華のこうも弱った姿を見るのは新鮮な気分だ。

 某実在した豪華客船が題材の映画のクライマックスのような体勢で、ゆっくりと海に入っていく。


「わっ、わ……!」

「そろそろ足を離してもいいと思うぞ。無駄に力むと逆に沈むから、力を抜いて……そう、上手い上手い」


 元々陽華の運動神経は悪くない。しっかり支えて恐怖心を和らげてやれば、すぐに水に浮くコツを掴んできたようだ。


「結構わかってきたかも! 足をこうして……わ、っとと!?」

「おっと。……水に浮けるのと自由に泳げるのは別だし、しばらくは浮き輪を使った方がいいかもな」

「あ、ありがとう……! うぅ、こんなはずじゃ……」


 体勢を変えようとしたのか、浮き輪の中で身を捩ってバランスを崩した陽華を、咄嗟に受け止める。

 とても不満げな様子だが、とりあえず無闇に動くのは辞めたらしい。


「一旦浮き輪に乗ってみるか。ちょっと万歳してくれ」

「ばんざーい」


 素直に両手を挙げてくれた陽華の上半身から浮き輪を抜き取って、その上に彼女を座らせる。

 安定感を得て陽華も安心したらしい。安らいだ表情でぱちゃぱちゃと水に触れて楽しんでいる。


 俺も浮き輪に手をかけたまま、全身で揺れる波の感触を堪能する。

 穏やかな潮騒と、少し遠くから聞こえる賑やかな喧騒に、気分が薄っすらと高揚するのを感じた。

 何となしに空を見上げて、降り注ぐ陽光に目を細めたところで……ぱしゃり。頬に冷たい感触が弾けた。


「……陽華?」

「えへへっ、隙あり!」


 浮き輪の上から両手で水を掬って、にこにこと悪戯っぽく笑う陽華。

 このいたずらっ子め、と笑いながら濡れた髪をかき上げる。


「やってくれたな……じゃあ次は俺の番だ、な!」

「ひゃっ!? 冷たっ!」


 仕返しに軽く水しぶきを飛ばしてやると、陽華は肩を竦めて小さな悲鳴を上げた。

 陽華も負けじと両手で水をすくい、容赦なく反撃してくる。

 きらきらと光を反射する水面で、互いに水を掬い合ってはぶつけ合う遊びに変わっていった。


「ちょっと! 辰巳くんの方が手が大きいから不利だよ!」

「勝負の世界は厳しいんだ」

「むぅっ……負けないんだから!」


 抗議の声を上げた陽華が身を乗り出して反撃し、それを正面から受けながら俺も水を返す。

 陽華は浮き輪に乗っていて、俺も浮き輪から手を離すわけにいかないので、お互い満足に回避もままならない。

 ほとんどノーガードでの殴り合いになるわけだが……それが楽しい。


 水滴が俺たちの頬や髪に散り、笑い声が弾けて波に溶けていく。


「ははっ……調子に乗ると沈むぞ!」

「そっちこそ……あっ、ちょっと待って、やば……!」

「っ、陽華!」


 必死に水をかけ合う内、浮き輪に乗った陽華の体がぐらりと揺れた。

 慌てて手を伸ばして陽華の体を抱き留め、片手で転覆しそうになった浮き輪を押さえる。


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫。ありがとう……!」

「いや、間に合ってよかった。お互いに、ちょっとはしゃぎ過ぎたな……」

「うん、そうだね……」


 腕の中で小さく身動ぎする陽華の体温が、濡れた肌越しにしっかりと伝わってくる。

 海水で冷えているはずなのに、不思議と熱を帯びて感じられた。

 距離が近すぎて、互いの息遣いさえも感じ取れるほどだ。


「……辰巳、くん」


 至近距離で見上げてくる陽華の瞳。

 濡れた睫毛の間から覗くその瞳に、太陽の光が反射してきらめいている。

 水滴が頬を伝って滴り落ちる様子さえ、やけに鮮明に映った。

 飛沫は収まったはずなのに、妙に騒がしい気がする……これは、俺の鼓動の音か。


「……陽華」


 胸の奥に蟠る熱を吐き出すように、小さな声で呟く。

 このまま抱き寄せてしまいそうな衝動を抑え込もうとした、その瞬間――……


「……んっ」


 陽華がきゅっと目を閉じ、ほんの一瞬の躊躇いを残して、そっと唇を重ねてきた。

 柔らかくて、甘い感触。

 意識の全てが目の前の女の子に占有されて、世界に二人だけのものになったような感覚に包まれ――ぴちょん、と。


「……っ」


 前髪を伝った雫が水面を叩く音で、はっと我に返った。


「……えへへ、しちゃった」


 顔を赤らめながらも、どこか誇らしげに笑う陽華。

 その無邪気さと大胆さに、思わず苦笑が漏れた。


「人前だぞ」

「誰も見てないし……辰巳くんの影で、見えないよ」


 確かに今の俺は、ビーチに背を向けて陽華を体で隠すような姿勢になっている。

 ……今なら、誰にも見られることはない。


「……なら、いいか」

「うん、そうだよ……んっ」


 二人の影がそっと重なって……軽やかなリップ音が、潮騒の中にかき消されていった。




§




 その後もしばらく海で遊んで、いい時間になったので昼食を摂ることにした。

 体を冷やし過ぎないように二人ともラッシュガードを羽織って、海の家へ向かう。


「どれにしよっか?」

「俺は焼き飯にしようかな。陽華は?」

「うーん……まぜそば、かなぁ。焼きそばと迷ったんだけどね」

「ほう。ちなみに決め手は?」

「焼きそばは今度のお祭りでも食べられると思ったので、一旦見送らせていただく形になりました……」


 沈痛な面持ちで俯く陽華を、「夏祭りでは沢山楽しもうな……」と慰める。

 そんな茶番を繰り広げながら、レジで注文して代金を支払う。やはり少し割高に感じてしまうが、このロケーションに支払っていると考えれば、こんなものかとも思う。


 番号札を手に空いている二人掛けの席に腰を下ろし、小さく息を吐いた。


「午後はどうする? すっかり忘れてたけど、ビーチボールも持ってきてるぞ」

「いいね! 食後の運動も兼ねて、食べ終わったらボールで遊ぼっか。疲れたら一休みして、のんびり砂遊びとか砂浜を歩いたりしようよ」

「了解だ。閉場時間が十六時だから、三十分前には撤収の準備を始めよう。シャワーとか、時間ギリギリになると混みそうだし」


 午後からの流れについて軽く相談しつつ待つこと数分、横合いから元気な声で俺たちの番号を呼ぶ声が聞こえた。


「十二番のお客さまー! お待たせしまし……あれっ、陽華と柳田くんじゃん!」

「ん?」


 驚いたように名前を呼ばれて、思わずその店員さんの顔に視線を向ける。

 色素の薄い茶髪の癖っ毛に、若干キツめな顔立ちのいかにもなギャルだ。派手な色合いのビキニの上にエプロンを纏い、お盆を手に俺たちを見つめている。

 ……どこかで見たことがあるような。既視感の正体を思い出そうとする俺を他所に、陽華が明るい声で話しかけた。


梨々花(りりか)ちゃん! その恰好、もしかしてバイト中?」

「そっ。ここの海の家、あたしの叔父さんがやってんだよね。ちな希海(のぞみ)とめるも働いてるよ。まぜそばが陽華で、焼き飯が柳田くんで合ってる?」

「ん、あぁ……ありがとう」


 梨々花ちゃんとやらの視線を追って、”希海”と”める”の姿を視界に収め……ようやく思い出した。

 以前教室で話しかけてきた、同じクラスのギャルたちだ。

 ヤキモチを焼いた陽華に追い返されて以降、面と向かって会話をする機会もなかったので、完全に記憶の片隅に追いやられていた。

 結局名前すら知らないままだったな……そうか、そんな名前だったのか。


 考え込む俺を見て、茶髪ギャル……梨々花さんは呆れたように溜め息を吐いた。


「柳田くんさ、今あたしのこと”誰だっけ”って思ってたでしょ。あたしは藤宮(ふじみや)梨々花ね。同じクラスなんだしちゃんと覚えてよ」

「……すまん、今覚えた。よろしく、藤宮さん」


 名前を覚えていない無礼を働いてしまったのは事実なので、素直に頭を下げる。

 俺の言葉に満足そうに笑って、藤宮さんは烏龍茶のグラスを配りながら陽華の方へ水を向けて、


「陽華さー、あんたの彼氏ちょっと薄情すぎん? ちゃんと躾けといてもらわないとさ」

「あはは、ごめんごめん。私からもしっかり言っておくね」

「俺のこと陽華の飼い犬か何かだと思ってないか……?」

「飼い犬ってか、番犬?」

「…………」


 強く否定できない自分が居た。……まぁ、陽華を守る番犬になれるなら本望でもあるが。

 沈黙する俺に女子二人はくすくすと忍び笑いを漏らす。楽しんでいただけたのなら何よりだ。


「にしても……柳田くんって、やっぱいいカラダしてるよねぇ……」

「えっ」

「梨々花ちゃん……?」

「待って待って、変な意味じゃなくて! 鍛えてるなって感心しただけだって! 陽華も目ぇ怖い! 別に狙ってるとかじゃないから! あたし希海と違って筋肉フェチとかじゃないし!」


 唐突な問題発言に思わず身構えてしまう。……陽華は一体どんな目をしていたんだ?

 当の藤宮さんは慌てて両手を振って、詳しい説明を始めた。


「ほら、あたし体育委員だからさ。九月の体育祭に向けて競技編成とか考えなきゃいけないわけよ」

「なぁんだ、そういうことなら早く言ってよぉ」

「……あたしの言い方も悪かったけどさぁ。陽華もちょっと過敏すぎ――……いやごめん、何でもない」


 こほん、と咳払い。


「体育の時の動きとか見ても、柳田くんって結構動ける方でしょ? 運動部は色々制限されてるから、帰宅部で運動できる人は重宝するんだよねぇ」

「あー、リレーで二回走る人とか?」

「そうそう! そんなわけで、本番ではめっちゃ頼りにさせてもらうから! しっかり筋肉苛めといてよね!」


 どんな台詞だよ、とツッコむ間もなく足早に去っていく藤宮さん。

 呆然とした心地のままスプーンを手に取って、ぽつりと呟く。


「……明日から、朝か夕方にランニングするか」

「いいね! 私も一緒にやるよ!」

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