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第38話 逆サプライズ

「いらっしゃい、陽華」

「お邪魔しまーす」


 そして迎えた、陽華の誕生日当日。

 夕陽もほとんど沈み切った宵の口に、本日の主役である陽華が俺の家にやってきた。

 もはや言い慣れた歓迎の言葉を口にした俺は、笑顔でドアの前に立つ陽華の出で立ち……肩に提げられた大きなボストンバッグを見て首を傾げた。


「随分大きな荷物だな。持とうか?」

「ありがとう、流石にちょっと重くてさ」

「おっと……本当に重いな。中身は聞いてもいいやつ?」

「んー……後でちゃんと話すから心配しないで! 今は秘密♪」


 受け取ったバッグのずしんとくる重さに驚いて尋ねるも、可愛らしいウインクではぐらかされてしまった。可愛い。

 まぁ、後で教えてくれるのなら殊更に詮索する必要もないだろう。


 脱いだ靴を綺麗に揃えてスリッパに履き替えた陽華は、何かに気付いたようにぱっと顔を上げて、


「くんくん……いい匂い!」

「ちょうど出来上がったところだったんだ。結構自信作だぞ」


 室内に漂う香ばしい匂いに、表情を華やがせる陽華。

 陽華の誕生日祝いの一環として、彼女に教わった料理でもって歓迎することを俺から提案していたのだ。


「凄く楽しみだよ! 匂いだけでお腹空いてきちゃった」

「もういい時間だしな。俺も腹減ったし、早くにリビングに行こう」

「うんっ。……その前に、ちょっとだけ燃料補給させて?」

「燃料……? うおっ」


 謎の単語に首を傾げる俺に……悪戯っぽい笑みを浮かべた陽華が、勢いよく抱きついてきた。

 突然の行動に面食らいながらも、どうにか体勢を崩さず受け止めることに成功する。普段から筋トレを欠かさずにいてよかった。


「ん~~……久しぶりの、辰巳くんの腕の中……♪ すりすりもしちゃお♪」

「くすぐったいんだが……久しぶりって、一昨日もウチに居る間ずっと抱きついてただろ」

「でも昨日は会えなかったでしょ? 二十四時間も辰巳くんとハグできなかったんだから、今の私は燃料不足で大変なの!」

「……確かにな」


 俺の胸元に頬を擦り付けながら熱弁する陽華に、思わず同意してしまう。

 男友達だけで集まって騒ぐ時間も、いかにも男子高校生の青春という風情があってとても楽しいものだった。

 しかし一方で……陽華と一日中触れ合えなかったことに寂しさを覚えていたのも、否定はできない。

 その寂しさを紛らわせるように、夜遅くまで長電話に没頭していたのだが……彼女の温もりを欲する気持ちは、むしろ強まっていた気がする。


 可愛い彼女の亜麻色の髪をそっと撫でて、不思議な安らぎに浸っていると、


「辰巳くん……んっ」


 小さな吐息とともに、薄くリップの塗られた唇が突き出される。

 一瞬の逡巡があって……俺も目を瞑って、陽華の唇に自分のそれを優しく重ね合わせた。


 今日の陽華は誕生日だからな。このぐらいのワガママは何てことない。

 可愛い恋人との触れ合いに飢えているのは、何も陽華だけではないのだし。


「……ぷ、はぁ」


 頭の奥が痺れるような多幸感を何とか振り切り、そっと唇を離して瞼を開く。

 ごく至近距離にある陽華の顔は、高揚や恍惚に蕩けた何とも味わい深い表情をしていた。

 俺の背中に回された手にきゅっと力が込められて、ゆっくりと開いていた二人の顔の距離が再びゼロになる。


「……もう一回、して?」

「……ご飯が冷めるから、あと一回だけな」

「んっ……♡」


 結局三回ぐらいした。

 とても満足した。




§




「わぁ、美味しそう……!」


 どうにか自制心を取り戻してようやくダイニングに到着する俺たち。

 ハグとキスを取り上げられて不満そうにしていた陽華は、テーブルの上に並べられた料理を見て楽しそうに歓声をあげた。


 陽華の誕生日を祝うために俺が用意したのは、以前陽華に作り方を教わり一人でも作った経験のある、デミグラスソースのハンバーグにライスとコンソメスープを付けたハンバーグ定食だ。

 教わったレシピに忠実に、余計なアレンジは一切加えず、味見もしっかり行った。

 俺の舌が余程バカになっていない限りは、上出来と言っていい仕上がりのはずである。


「ケーキは冷蔵庫にあるから、夕飯を食べ終わってからってことでいいよな? まぁ小さいカップケーキだけど」

「うん、ありがとう!」


 軽い確認を終えたらいよいよ実食の時間だ。

 リビングのソファにバッグを置き、キッチンで手を洗ってから向かい合って席に着く。

 ホカホカと湯気を立てる料理を前に、しっかりと両手を合わせて、


「いただきます!」

「いただきます。……どうぞ、召し上がれ」


 食前の挨拶を終え、いそいそと箸をハンバーグに伸ばす陽華と、その様を固唾を飲んで見守る俺。

 淀みなく動く箸先がハンバーグを一口大に切り取り、それを摘まみ上げて陽華の口元へ……そこで、突き出された陽華の手の平が俺の視線を遮った。


「……辰巳くん。女の子が食べるところをそんな風にじっと観察するのはよくないと思うの」

「あー、すまん……。けど、どうしても反応が気になって」

「味見はしたって言ってなかったっけ?」

「したけど、相手の口に合うかは食べてもらうまでわからないだろ」

「心配性だなぁ……あむっ」


 真剣な表情でじっと見つめる俺に苦笑して、陽華は口元を手で隠したままハンバーグを口内に放り込む。

 途端に陽華の表情がパッと明るくなり……数秒の咀嚼の後に、口元を隠していた手がサムズアップの形に切り替わった。


「ごくんっ……すっごく美味しい! お肉もジューシーだけど口当たりが滑らかで、デミグラスソースも甘みと香ばしさが上手く絡み合って……文句なし、百点満点です!」

「そうか……よかった」


 手放しの称賛を受けて、無意識の内に肩に入っていた力が抜けて安堵の息が漏れた。

 一か月もずっと一緒に居れば、お世辞ではないことぐらいわかるようになる。


 無邪気な笑顔で二口目に突入する陽華を横目に、俺も自分の食事を開始する。……うん、美味い。

 まさか俺がこれ程の調理技術を手に入れる日が来るとは……。

 陽華直伝のレシピを使った自炊と陽華のお弁当、そして休日に陽華が作ってくれる食事のおかげで、少し前までとは比べ物にならないほどに健康的な食生活を送れているのだ。


「陽華様々だなぁ……」

「なぁに急に?」

「いや、俺の食生活はいつの間にか陽華色に塗り替えられてしまったな、と実感させられた」


 コンソメスープを啜りながらしみじみ呟く俺に、陽華はにんまりと口元を緩ませて、


「んふふ……辰巳くんの胃袋、掴んじゃった?」

「そんなもの、最初にお弁当を作ってくれた時からガッチリ掴まれてるよ」


 そしてもはや取り戻す気もない。

 肩を竦めてそう断言すれば、含み笑いを浮かべた陽華が何やら満足そうに頷いて、


「そっかそっか。これはいい交渉材料が増えたねー」

「……? 何のことだ?」

「今はないしょー」


 ……またか。

 あのバッグの中身と言い、恐らく未だ明かされない陽華の希望する誕生日プレゼントに関連することなのだろうが……果たして、一体何を企んでいるのやら。

 陽華なら滅多なことはしないだろうと信頼する一方で、陽華なら何か突拍子もないことをしてきそうな不安感もある。


 そうだ、誕生日と言えば──……


「うちで夕飯で本当によかったのか? てっきりいつも通り夕方までここで過ごして、夜は信幸さんたちと家族でお祝いするものだと思ってたんだが」

「ママとパパにはお昼にお祝いしてもらったから大丈夫! それに二人は、今夜から三泊四日の温泉旅行に行くんだって。そろそろ結婚記念日だからね」


 仲がいいよねー、とのほほんと語る陽華に同意しようとして……強烈な違和感に思考が硬直した。

 結婚記念日が近いから夫婦水入らずで温泉旅行、それはわかる。わかるが……何故、娘の誕生日当日というこのタイミングで?

 しかも三泊四日という長期間。その間、陽華はどうするのか。

 彼女の生活能力があれば四日程度なら一人で過ごすのも不可能ではないだろう。しかしあのご両親が、高校一年生の娘を数日間も家に一人で置いていくことを良しとするとは思えない。

 それについて陽華に尋ねても、


「んー? ふふ」


 と意味深な笑みを浮かべて流されてしまう。明らかに何かを企んでいるような、楽し気な笑顔。

 多少言い方を変えて聞いてみても暖簾に腕押し、同じ笑みで流されるだけ。少なくとも本人には何か考えがあるようで安心したが……同時に、言い表しようのない不安感が襲ってきた。

 ……何だこの感覚は。自分の与り知らぬところで、何かの思惑が進行しているような、知らぬ間に外堀を埋められているような、得体の知れない恐ろしさ……!


 かつてないほどの危機感を抱く俺を他所に、食事の時間は和やかに過ぎていく。

 やがて二人とも夕飯を食べ終えて、少し前から愛飲している紅茶を淹れて一息つけば……ようやく誕生日のお祝い、その本番だ。

 冷蔵庫からカップケーキを二つ取り出して、”16”の数字を象ったろうそくとライターを手にダイニングに戻る。


「本格的な誕生日ケーキはご両親が用意してると思ったから、今回はカップケーキでお祝いってことで。優唯おすすめのケーキ屋で買ってきたものだから、後であいつにも感想を伝えてあげてくれ」

「わぁ、すごく可愛い! ありがとう辰巳くん、優唯ちゃんにも後でお礼を言っておくね」


 ぱっと表情を輝かせた陽華が小さなカップを覗き込む。

 手のひらサイズの小ぶりなケーキながら、繊細なデコレーションが施されてとても可愛らしい仕上がりになっている。

 それを崩してしまうことに少しの罪悪感を感じながら、頂点のイチゴを少しだけずらしてろうそくを突き刺した。


「じゃあ、早速火を点けるぞ。……何撮ってるんだ?」

「私の誕生日ケーキに火を点けてくれる辰巳くん。何かいいなーって……ダメ?」

「別にダメじゃないけど……」


 何が彼女の琴線に触れたのかよくわからなかったが、陽華が満足するならそれで良しとしよう。


 使い慣れないライターに若干苦戦しながら、何とかろうそくに火を灯すことに成功する。

 冷房の風を受けてゆらゆら揺らぐ小さな炎。それを消してしまわないよう注意して数枚ほど写真を撮ってから、ダイニングの照明を消した。

 動画モードを起動した陽華のスマホを構えていつでもどうぞ、と促すが……当の彼女は、何やら期待を込めた視線をこちらに送って、


「バースデーソング、歌ってくれないの?」

「……歌ってほしいのか。俺に」

「うんっ!」

「……クオリティは保証しないぞ」

「こういうのは気持ちが大事なんだから! 無言の空間で吹き消すだけなんて寂しいでしょ?」


 まぁ一理ある。

 ……今になって撮影を許可したことを後悔してきた。せめてこの映像が拡散されないことを願うばかりだ。


「あ、あー……ハッピバースデー、トゥーユー……ハッピバースデー、ディア陽華ー」

「ふふ、上手だよ辰巳くん♪ ……ふーっ」


 頼りなく揺れていた火が完全に掻き消え、ダイニングが暗闇に包まれる。

 俺の手にあるスマホの画面という微かな光源の向こうで、陽華が心底嬉しそうに微笑んでいるのがはっきりと見えた。

 その笑顔を目にして……自然と、言葉が零れ出していた。


「誕生日おめでとう、陽華。今日って言う特別な日を、君と一緒に過ごせて本当に嬉しい。これからも、よろしくお願いします」

「……こちらこそ。辰巳くんと出会えて、本当によかった! 来年も再来年も、たくさん楽しい思い出を作っていこうね!」




§




「さて……そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」


 口内に残るクリームの甘味を紅茶で流し込んでから、ソファーで隣に座る陽華に向き直った俺は、真剣な面持ちで話を切り出した。

 俺の肩に寄り掛かって幸せそうに寛いでいた陽華は、ぱちくりと目を瞬かせて、


「教えるって……あぁ、誕生日プレゼントのこと?」

「あぁ。もういい時間だし……と言うか、まだのんびりしてて大丈夫なのか? 信幸さんたち旅行行ってるなら今日は迎えないんだろ。そろそろ出ないとバスに間に合わないんじゃ……」


 俄かに慌て出す俺とは対照的に、当の陽華は落ち着いた様子で俺の腕を抱き留める。


「まぁまぁ、落ち着いて。座ってお話しよ? それ(・・)も誕生日のお願いごとに関わってくることだからさ」

「……わかった」


 仕方なく体勢を戻した俺に満足げに頷いた陽華は、何やら遠い目をして、


「私たちが付き合い始めてから、もう一か月だね。あれからほとんど毎日のように辰巳くんと同じ時間を過ごして……そのうちの半分以上は、この家で二人っきりで過ごしてきたよね」

「まぁ、そうだな」


 いきなり始まった思い出話に少し困惑しながら頷く。

 正式に交際を開始してからというものの、お互いに帰宅部であることをいいことに登下校を共にして、たまに放課後デートを楽しんでそれ以外の日は俺の家でのんびりゆるゆるといちゃつき。

 休日ともなれば、昼前から俺の家にやってきて二人でお家デートと洒落込んでいた。お昼は二人で料理をしたり陽華の料理を堪能したり。

 勉強の時間や、お互いの友達や家族と過ごす時間をしっかりと確保した上で……四六時中と表現しても許されるレベルで、俺たちは常に行動を共にしていたのだ。


「もう一か月もそんな風に過ごしてきて……私も十六歳になったし、そろそろいいんじゃないかなー、って」

「そろそろって、何を……」


 ……正直に言えば、何となく察しはついていた。

 大容量のボストンバッグ、高校生の娘を一人残して旅行に行ったご両親、彼女の態度や言動……それら全てが、陽華の望むものを示唆している。


 質問と言うより確認の言葉を呟く俺に、陽華は悪戯っ子のように目を細めた、可愛らしい笑みを浮かべて、


「辰巳くんからの誕生日プレゼントは、彼氏のお家へのお泊まり権、なんてどうでしょう?」


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― 新着の感想 ―
お泊まり用品の中に薄いアレが用意されてることに花京院の魂を賭けるぜ( ・`ω・´)キリッ
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