第36話 観戦
駆ける。駆ける。
二色のユニフォームを纏った青年たちが、一つのボールを追って緑色のコートの上を縦横無尽に駆け回る。
目まぐるしく持ち主を変えるボールは、幾度かのパスの応酬の末に、コートの真ん中を突っ切って走る青色のユニフォームの青年──橋本大翔の元に渡った。
華麗なトラップから即座にドリブルに移る橋本。
正しく風のような速さでボールを運ぶ彼の疾走に、相手チームのディフェンスが追い縋る。
後ろから一人、前から一人。必死の形相の彼らを嘲笑うように、橋本は冷静にコートの反対側に居た味方──森山にパスを出した。
緑色の地面を掠めるボールの軌跡に、相手の注意が引きつけられる。
その意識の隙を縫うようにして、再び橋本が鋭く駆け出した。
──もはや橋本とゴールの間を遮るのは、ボールを保持する森山に意識を向けた相手のゴールキーパーのみ。
相手陣地の奥まで切り込んだことで、更に圧力を増したディフェンスの間隙に、森山は至極冷静にパスを返す。
的確なパスは狙い過たず最前線を走る橋本の足元に飛び込み──次の瞬間には、相手ゴールに向けて凄まじい勢いで蹴り出されていた。
トラップをする暇すら惜しいとばかりに、疾走の勢いを余すことなく載せて放たれたワンタッチプレー。
相手のゴールキーパーも咄嗟に手を伸ばしたが、完全に遅きに失していた。
飛翔するボールが白いゴールネットに突き刺さり……観客席からわっと歓声が上がる。
大きく声を上げて喜ぶ濱崎や、満足そうに頷く岡たちに並んで、俺も笑顔で拍手を送って橋本たちの活躍を称えた。
ハイタッチを交わして得点の喜びを分かち合った彼らは、そのまま危うげないプレーで試合を進める。
橋本と森山を中心に、他の選手たちの鬼気迫る勢いの奮戦もあって、試合の流れは終始こちらのものだった。
そして数分後、我らが西川高校サッカー部は見事インターハイ一回戦で勝利を収めたのだった。
§
一回戦が終了し、選手たちも退場したところで、俺たちが居る観客席でもぞろぞろと観客の移動が始まった。
混雑を避けるためにある程度落ち着いてから席を立つことにして、共に観戦していた友人たちと雑談に興じる。
「いやぁ、流石はウチのサッカー部、順当な勝利って感じだったっすね」
「恐らくあれでも全力じゃない。見たところ三年生のエースたち主力はベンチに居たようだしな」
「まじっすか? それでインターハイまで来た強豪相手に勝つのやべぇ……」
岡の冷静な補足に、感心していた濱崎の表情が引き攣った。感情としては俺も同じようなものだ。
二回戦以降の試合に向けた主力の温存とか、下級生に経験を積ませるためとか、色々と事情はあるのだろうが……強豪校というものを侮っていたかもしれない。
しかし個人的に、それ以上に衝撃的だったのが……。
「橋本って、あんなに凄かったんだな。いや、森山ももちろん上手かったんだが……一年生が一試合で三得点は、流石にレベルが違う気がするぞ」
「まぁ驚くよなぁ。あいつ中学時代まではクラブ所属してたんだけど、ユースへの昇格試験パスしたのにそれ蹴ってウチの高校来たんだぜ」
「……どのぐらい凄いんだ?」
「んー……簡単に言えば、もうちょいでプロなれそうなとこまで来てた?」
「それは凄いな……」
「まぁその”もうちょい”がめちゃくちゃ大変なんだけどな」
どうやら俺は橋本のサッカーへの情熱と才能を、まだまだ侮っていたらしい。
簡潔に説明してくれた南に礼を言いつつ……それほどの才能の持ち主が、何故プロへの最短ルートを蹴ったのか、どうしても気になってしまった。
そんな風に話している内に観客も大分捌けてきた。全員で席を立って、一応席周辺のゴミなどをチェックしてからスタジアムの外へ向かう。
スマホを確認すると、橋本から正面入口に居る旨の連絡が入っていた。
インターハイ参加校の選手たちや応援団、午後からの試合の開始を待つ観客たちで賑わうエントランスを抜け、入り口を出て辺りを見回す。
「おっ、あれじゃないっすか?」
濱崎が指差した先には、部活のTシャツに着替えて木陰で涼んでいる橋本たちの姿があった。
俺たちが近付いていくと、明るい表情で手を振ってくる。流石に疲労が滲んでいるが、初戦での華々しい勝利に高揚しているように見えた。
「おうお前ら、来てくれてありがとな!」
「観戦してるだけでも結構楽しかったよ。一回戦突破おめでとう、橋本も
森山も、凄い活躍ぶりだったな」
「マジで凄かったっすよ! 特にあの森山の正確なパスから最速でゴールに叩き込むワンタッチプレー! めっちゃ痺れたっすわ」
「だろぉ? 実はあれ、練習では全然成功しなくてさ。やっぱ俺って本番に滅茶苦茶強いんだよなぁ!」
「僕としてはむしろパスが早すぎたって焦ってたんだけどね……これだから天才は」
「へへっ、よせやい」
俺の言葉に続いて濱崎たちから述べられた賛辞に、橋本は自慢げに胸を張り、森山はどこか苦み走ったような笑みを浮かべる。
橋本の才能を称える彼の声には、言葉以上の複雑な感情が込められていたように感じた。
「だから、僕はそんなに大したことしてないよ。点を決めたのは全部橋本だし、必死にパスを回してただけで……」
「常に味方の援護に入れる位置に身を置いて、エースが動きやすいように的確にパスを繋げる手際は”だけ”で済ませられるものではないだろう」
「そーそー。一年生があんな頭脳派プレイでキレッキレに立ち回るとか、十分大したコトだよ」
「……そうかな」
謙遜する森山を励ますように声を掛ける岡と南。それでも少し納得のいかない様子の彼に、橋本ががっしりと肩を組んで、
「二人の言う通りだぜ、森山! お前が居てくれなきゃ今日の俺の活躍はなかった、誰が何と言おうがこれだけは間違いねぇ。……まっ、大前提として俺がめちゃくちゃサッカー上手いのもあるけどな! 柳田もそう思うだろ?」
自信たっぷりに笑う橋本。今日の活躍を見せられては、その傲慢に見える物言いもただの自負でしかないと理解させられてしまう。
「俺は技術的なことはよくわからないが……森山も橋本も、凄くカッコよかったと思うよ」
「へへ、惚れ直したか?」
「元々惚れてねぇよ、前言撤回したくなるからやめろ」
「照れんなって~」
鬱陶しいノリで絡んでくる橋本だが、それが少し落ち込み気味の森山を励まし、雰囲気を明るくするためのものだとすぐにわかった。
当然それは当人にも伝わり……森山は、喜色を含んだ溜め息を吐き出して、
「そうか……そうだね。ありがとう、皆。少しナーバスになってしまっていたみたいだ」
「おいおい、大丈夫かよ? 試合は明日からも続くんだから、しっかりしてくれねぇと!」
「……あまり気負い過ぎるな」
「大丈夫、情けない姿は見せないよ」
南と岡の言葉に笑顔で対応する森山の様子は、表面上は普段とあまり変わりがないように見えた。
さり気なく橋本の方に目配せを送るが、軽く肩を竦めて首を振られてしまった。……とりあえずは心配は要らない、ということか。
「そういやお前ら、明日からも応援来てくれんのか?」
「陸上部は明日から練習がある。生憎俺はインターハイに出られなかったからな……決勝には見に来れると思う」
「俺らバレー部も惜しくも全国行きはならず、だったっすねぇ。普通に明日から練習あるし……日程どうなってましたっけ?」
「んー……俺らも決勝は行けるかな。ちゃんと勝ち進んでくれよ?」
「無敵のエース様に任せろって! んでお前はどーよ帰宅部」
「帰宅部だから暇とでも言いたいのか……まぁ暇だが」
揶揄するような言い方に苦言を呈しつつ、脳内のスケジュール帳を確認する。
「俺も決勝の日は行ける、と思う。その前日は陽華とのデートがあるし……明日と、たぶん明後日も予定があるな」
「何だよ結局全員決勝だけかよ! こりゃ是が非でも勝ち上がらねぇとな」
「僕らが必死に準決勝に挑んでる間に優雅にデートとは、青春を満喫してるねぇ。ちなみに明日からの予定について聞いても?」
調子を取り戻してきたらしい森山が、揶揄い交じりに問いかけてくる。
「部活の試合も立派な青春だろ。明日は……あー、あれだ。陽華の誕生日なんだよ」
「……なるほどね」
「……何とも茶化しづらいやつが来たな」
「そもそも茶化すな」
まぁこの面子ならいいか、と判断して素直に話せば、煮え切らない微妙な反応が返ってきた。失礼なやつらだ。
対して、この面子の中で俺以外で唯一の彼女持ちである橋本は、深く頷いて共感を示してくれた。
「そりゃ大事なことだな。プレゼントは用意してんのか?」
「サプライズとか苦手だから、直接欲しいものがないか聞いたんだが……何故か保留にされた」
「保留? どういうことっすか?」
「”色々準備が要るから欲しいものは当日に言う、楽しみにしてて”……とのことだ。何を求められるのか見当もつかなくてな……お前らはどう思う?」
真剣な表情でそう問うてみれば、橋本達は顔を見合わせ……揃って俺を指差してきた。
「……俺?」
「お前だな」
「プレゼントはわ・た・し……の逆バージョンみたいな感じっすね」
「突撃! お前が誕生日プレゼント~」
そう言ってワハハ! と盛り上がる男連中。本気で殴り飛ばしたくなった。
冷たく睨みつける俺を、まぁまぁと宥めようとする森山。お前も顔が笑ってるぞ。
「はー、笑った……けど、割と冗談抜きに有り得る話だろ」
「……いや、流石に陽華でもそれは」
「お前相手ならあるだろ」
「…………」
否定できなかった。
しかしほれ見たことか、とばかりにドヤ顔をする橋本、そして濱崎がウザかったので一発はたいておいた。
そんなアホなやり取りをする俺たちに、悲痛な面持ちの南が、
「ところでさ……明瀬さんの話始まった辺りから仏像みたいになっちまった、この可哀想な生き物はどうすればいいと思う?」
「…………」
俺たちには救えぬ者だ。
顔の前で手を合わせて、念仏らしき謎の言語をぶつぶつと呟き始めた岡から視線を外して……俺たちの元にぞろぞろと近づいてくる一団に気が付いた。
何やら鬼気迫る表情で俺たちを……いや、俺をじっと見つめる男たちの群れ。
橋本や森山と同じTシャツを着ている辺り、恐らくサッカー部の部員なのだろうが……果たして俺に一体何の用があるのか。
「ども、先輩方。何かありました?」
橋本が発した問いには答えず、ただ一心不乱に俺を睨む先輩方。俺も負けじと正面から睨み返す。
誰一人言葉を発さない、謎の緊張感が漂う中で……集団の先頭に居た強面の先輩が、重々しく口を開いた。
「……柳田と言うのは、お前だな」
「はい、そうです」
「……明瀬陽華さんの、っ……か、彼氏で、間違いないか」
「はい」
平然とした表情で頷いてやれば、集団を形成する一部の男子がその場で膝をついてしまった。
「大丈夫か田中、斎藤!」「しっかりしろ、傷は浅いぞ!」……とりあえず、熱中症とかの類ではなさそうだ。
矢面に立つ先輩も額に脂汗を浮かべながら、その視線は揺らぐことなく俺を捉え続けていた。
……結局何の用があってきたんだ、この人たちは。
「単刀直入に、聞こう」
「はい」
「……今日は、明瀬さんはいらっしゃらないのか……?」
「はぁ? いや、居ませんけど」
「「「ぐはぁ!」」」
俺がそう返した途端に、何とか膝を震わせて体勢を維持していたサッカー部員たちが一斉に崩れ落ちた。
本当に何なんだ……ひたすらに困惑する俺の後ろで、森山が「あぁ……」と何かに納得するような声を零した。
「橋本が、”柳田が見に来る”って言った時に先輩たちが色めき立ってたのは、こういうことだったんだね。道理で試合中もやる気に溢れてたわけだ」
「……と言うと?」
「明瀬さんの彼氏である君が来るなら、明瀬さんも観戦に来てくれると思い込んでたってことさ。で、その目論見が外れてこの様ってわけ」
「なるほど……」
……心底くだらないとは思ったが、口には出さないでおいた。
少しだけ申し訳ないと思わなくもないが……よく考えなくても、これ別に俺悪くないな。
彼らが勝手に誤解して勝手にショックを受けただけ。俺には救えぬ者たちだ。
一心不乱に謎の念仏を唱える岡と、崩れ落ちるサッカー部員たち。正しく阿鼻叫喚の光景に、大きな溜め息が漏れた。
「男ってのは、バカばっかだなぁ」
「なに”自分は違う”みたいなツラしてんすか、バカップル代表が」
「うるさいぞバカ弟子」
彼らの明日からの健闘を祈るばかりである。