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第32話 橋本の彼女

 陽華との交際宣言で学校を騒がせ、それを他所に二人で放課後デートを楽しんだ日から数日後。

 二時間目の授業を終えた俺は、生徒手帳のメモ欄を見つめて唸り声をあげていた。

 そこに記されているのは、今日までの授業の中で発表された各教科のテスト範囲を簡単にまとめた一覧表だ。


 やはり範囲が広い。内容をおさらいするだけでも一苦労だ。

 特に問題になるのが、中間テストでは存在しなかった科目、家庭科と保健体育だ。他の教科のように普段から復習をしてこなかったために、ほとんど手付かずの状態から始めなければならない。

 ほぼ完全な暗記科目であるのが救いと言えば救いだが……逆に言えば、暗記のために時間をかけて頭に覚え込ませる必要がある。

 しっかり計画を立てた上で効率的に復習に取り組まねばなるまい、と考えていると、教科書片手に難しい顔をした橋本が徐に振り返って、


「なぁ柳田。さっきの数学でちょっとわかんねぇところがあったんだけどさ」

「お、おぉ……どこだ?」


 まさか橋本から勉強について質問されるとは思わず、少し面食らってしまった。

 そんな俺の若干失礼な反応にも取り合わず、橋本は真剣な表情で教科書を睨んでいる。

 俺も真面目に答えなければ。気を引き締め直して俺も教科書を開いた。


「ここなんだけどさ……何でこうなるのかわかんねぇんだよ」

「あぁ。ここは前に習った、この公式を使う必要があって……」


 教科書の書き込みをなぞりながら解説すれば、橋本は「なるほど!」と目を輝かせた。


「そっかそっか、ここの計算が抜けてたから変なことになってたのか! マジで助かった、サンキュー柳田!」

「お役に立てたなら何よりだ。単元の総括的な内容だから、テストにも出ると思うぞ」

「うげぇ……」


 露骨に嫌そうな顔をする橋本。しかしいかにも渋々と言った様子ながらも、自分の教科書にぐりぐりと”ここテスト出る!!”とメモを取っていた。

 よくわからないが、何だか随分とやる気に見える。何か心境の変化でもあったのだろうか。


 訝しむ俺に気付いたのか、橋本は自慢げに胸を張って、


「実は俺、今年のインターハイでスタメンで出られるかもしんなくてさ」

「スタメン……一年で? 凄いな」

「だろぉ?」


 渾身のドヤ顔を見せる橋本に、俺は素直に感心した。

 赤坂曰く強豪校たる我が校のサッカー部で、一年の夏から大きな大会でスタメンを張れるほどとは……こいつの才能と、サッカーに懸ける情熱は俺の想像の遥か上を行っていたようだ。


「まぁそんなわけで、こんなテストなんかに俺のヴィクトリーロードを邪魔されるわけにはいかないわけよ」

「あぁ、赤点取って補習になったら」

「絶対に、何があっても、死んでも赤点は取らねぇ……!」


 鬼気迫る表情で気炎を吐く橋本。

 補習を回避して心置きなくサッカーを楽しむために勉強を頑張る。何ともわかりやすい理由で、健全なモチベーションだ。

 サッカーを全身全霊で楽しむ橋本を少し羨ましく感じつつ、純粋に応援してやりたいと思う。


 これまで橋本には随分世話になった。その恩を返せるのなら、勉強を教えるぐらいわけないことだ。


「またわからないとこがあったらいつでも聞いてくれ。俺でよければ力になるよ」

「お、おぉ……何だ、すげぇ頼もしいなお前」


 橋本は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに嬉しそうにやりと口角を上げた。

 俺も笑いながら彼の肩を叩いて、


「大舞台で大暴れする姿を楽しみにしてるよ、未来のエース様」

「任せろよ、親友!」




§




「柳田~~」

「……聞くから食べ終わるまで待ってくれ」


 赤点回避への協力を約束した翌日、その昼休み。再び泣きついてきた橋本に、俺は金平ごぼうを呑み込みながら呆れ気味に返した。


 あれからというもの、橋本は時折疲労や不満を口にしながらも、彼をよく知る面々も驚くほど真面目に勉強に取り組んでいた。

 特に今日は凄かった。朝練を終えて教室に着た直後に教科書とノートを開いて机に向かい始めたのだ。授業中も積極的に挙手をして先生を驚かせ、普段なら堂々と居眠りをかましていた自習時間も時折後ろの席の俺に質問をしながら、黙々と勉強を進めていた。愚痴なんて一言も出なかった。

 男子三日会わざれば、なんて言ったりもするが、一晩で一体何があったというのか……。


 質問をされる俺自身も、どう答えればいいのかと考えを巡らせる中で、勉強会の時の陽華の「人に教えることで自分の考えを整理できる」という言葉を実感していた。

 その点で橋本には感謝すら抱いているのだが、同時に少し惜しい気持ちもあった。


「普段からこの熱意を発揮できていればなぁ……」

「過去のことを悔やんでいても仕方ねぇだろ。大事なのはこれからのことだ!」

「お前が言うな」


 いけしゃあしゃあと宣う橋本にツッコミを入れるが、特に堪えた様子はなかった。

 溜め息を零して、再び手元の弁当に意識を戻す。

 今日は週に二度の陽華の手作り弁当を食べられる日なのだ。切羽詰まった橋本には申し訳ないが、親友との約束と最愛の彼女の手作り弁当を比べたらギリ後者が勝る。

 それに、ずっと張り切っていては疲労ばかりが溜まって、結局効率が悪くなってしまう。お前もちゃんと息抜きした方がいいぞ。


「くぅ~ん……くぅ~ん……」

「……まさかそれ、犬の鳴き真似か? 次やったら縁切るからな」

「そんなに!?」


 一瞬鳥肌が立った。何とも言えない気色悪さを誤魔化すように唐揚げを咀嚼する。うん、美味い。


 そんな俺たちのやり取りを見て、対面で弁当を食べていた陽華が朗らかな笑い声をあげた。


「あははっ、二人って本当に仲がいいよね? 出会ったばかりなのに、昔からの親友みたい」

「……まぁ、こいつが特別人懐っこいやつだからな」


 橋本と知り合って約一か月。度々そのコミュニケーション能力の高さに、これが真の陽キャか……と戦慄させられていたが、こいつの本当に凄いところは”適切な距離感の測り方が上手い”だと思う。

 持ち前の明るさで相手の間合いに踏み込んで、けれど決して踏み込み過ぎない。そこに打算はなく、純粋な善意と好意を持って人と接することができる。誰に対しても”丁度いい”付き合い方を天然でこなせる。

 一言で言えば、とにかく人付き合いが上手いやつなのだ。

 俺自身、橋本と話している時は、陽華と居る時とはまた違う安心感を得ていることは否定できない。本人には絶対に言わないが。


 ……何かを察したようにニコニコと微笑む陽華に、思わず視線を逸らした。そんなにわかりやすいのか俺は。

 内心でそんなことを思われているとは知る由もなく、橋本は不満げに口を尖らせて、


「なんか犬みたいな扱いしてねぇ? やっぱさっきの鳴き真似結構合ってたんじゃね?」

「二度とやるなよ」

「マジの顔やめろよ……明瀬さんはどう思う!? ……うわぁ、お手本みたいな愛想笑い、えっそんなにダメ?」


 割と本気でショックを受けた様子の橋本。そんなに自信あったのか……。

 そんな橋本の肩にポンと手が置かれる。そこには、同じサッカー部の森山が苦笑を浮かべて立っていた。


「あんまりカップルの邪魔をするもんじゃないよ、質問なら僕も聞くからさ」

「お前あんまり教えてくれねぇじゃん!」

「それは君が自分で考えようとせず答えだけ聞きに来るからだろ。それじゃ教えても意味ないし、橋本のためにもならない。今みたいに自力で解いてみた上でわからないところがあるなら喜んで答えるさ」

「ぐう」


 ぐうの音を絞り出して項垂れる橋本。

 それを聞いて、俺たちの近くで昼食を摂っていた高宮さんが我が意を得たりとばかりに頷いた。


「いいことを言うわね、森山くん。答えだけ聞いてもあなたのためにはならないの、分かった? 美樹」

「ぐぅ!」


 こちらでもぐうの音が出た。

 その後も懇々と続くお説教に、パンをかじっていた向井さんの頭がどんどん沈んでいく。心なしかツインテールも萎んでいる気がする。

 ……高宮さんの反応を見て、森山の表情に一瞬だけ何とも言えない複雑な感情が浮かんだ気がしたが……まぁ、気のせいかもしれないな。


 森山に連行された先──と言っても二席程度離れただけのすぐ近くだが──で、赤坂や濱崎と言ったいつもの男子たちが口々に声を掛けた。


「お前にしては随分気合い入れて勉強してんじゃねぇか、橋本。赤点取ってスタメンどころか大会にも出られませんでしたとか笑えねぇしなぁ」

「普段からちゃんと勉強してないからこうなるんっすよ。自業自得っすね」

「いや濱崎、お前も人のこと言えねーからな? 中間の順位、橋本とほぼ同じだったろ」

「だからこそっすよ! お前だけ一抜けなんて許せねぇ! 俺と一緒に補習頑張るっすよ橋本!」

「コイツ最悪だ!」

「あぁうるせぇうるせぇ!」


 好き勝手騒ぐ赤坂たちを制止するように、両手を挙げて声を張る橋本に俺たちの視線が集まる。

 その中心で、橋本は不敵な笑みを浮かべる。


「くっくっく……赤点? 補習? レベルの低い話はよしてくれ。すでに俺の目はそんなところに向いちゃいねぇ……」

「何だと……?」

「いきなり何言ってんだこいつは」

「勉強しすぎて頭おかしくなったんすかね?」

「いやまだ半日も経ってないでしょ」

「シャラップ! ……この胸に滾る情熱は赤点回避なんかじゃ満足できねぇ! 目標は高く遠く! 俺、橋本大翔はここに宣言するぜ──期末テストで、俺は学年三十位以内を目指すと!」


 高らかに謳い上げられた橋本の宣言に、周囲からおお……とどよめきが上がった。

 驚くのも無理はない……勉強嫌いとしてクラス中に知れ渡っているあの橋本が、いきなりドデカい目標を打ち立てたのだ。


「頑張れー」「お前にゃ無理だー」といった熱い激励の声に手を振って返す橋本は、とても満足げにしていた。

 ぱちぱちと小さな拍手を送る陽華や向井さんとは対照的に、俺や赤坂たち、高宮さんの視線は冷ややかなものだった。


 ……何を企んでいる? 一時間目の休み時間まではとにかく赤点を乗り越えることに必死だった橋本が、今や壮大な夢物語を嘯いている。

 しかし本人は、至って本気のようだ。

 先述の通り、これ以上なく真面目で真剣な態度で勉強に精を出していた……見る限りでは、橋本はその目標を達成するために真摯に努力を積み重ねていた。

 謎なのは、そのモチベーションの正体だ。

 一体何がこいつをここまで駆り立てるのか……意を決して直接聞いてみようとした時、教室のドアの辺りから声が聞こえた。


「橋本ー。志緒(しおり)ちゃんがあんた呼んでるよー」


 ドアの方に視線をやれば、以前絡んできたギャルその一と、上半身だけをこちらに覗かせる女子生徒が一人。

 肩口でショートボブに切り揃えられた黒髪と、冷淡さすら感じさせる同色の瞳。背丈を見るにかなり小柄なようで、ドアに添えられた手も白く細い。

 可愛らしく整った顔立ちをしているが……今は、教室の中心でこぶしを突き上げる橋本を目にしたことで盛大に歪んでいた。有り体に言ってドン引きしていた。


 薄い唇がぴくぴくと戦慄き、低い声が零れる。


「ちょっとヒロ、アンタなにやってんの……」

「おっ、シオじゃん。なになに、さっき会ったばかりなのにまた会いに来てくれたん?」

「借りてた教科書返しに来ただけ……近寄らないでよ、アンタの奇行にあたしを巻き込まないで」

「奇行ってひでーな、ただの決意表明だよ決意表明」


 シオリと呼ばれた女子生徒を目にした途端、嬉しそうに駆け寄っていく橋本。明らかに邪険に扱われているが、本人は聞く耳を持たずにグイグイと距離を詰めている。

 その強引な様子に少し驚いた。シオ、ヒロとあだ名で呼び合っている辺り、随分と気安い関係のようだ。

 というかもしかして……。


「なぁ赤坂。あの娘って」

「ん? あぁ、柳田は知らねぇか。篠原(しのはら)志緒(しおり)ちゃん。橋本の彼女だよ」

「なるほど、あの子が例の……」


 以前、橋本が話していたことを思い出す。

 小学生の頃からの幼馴染で、中学最後の大会を機に橋本から告白して付き合い始めた。彼女に勉強の面倒を見てもらったことで推薦入試をパスできたと言う……。


「陽華は知ってたのか? あの……篠原さんのこと」

「世間話ぐらいなら、何度か話したことはあるよ。志緒ちゃんはD組の副委員長をしてるから、委員長会の時にね」

「なるほどな」


 そんな話をしていると、橋本が篠原さんの腕を掴んで引き摺るようにしてこちらにやってきた。眉根を寄せ、明らかに「仕方なく」といった空気を漂わせている。


「ちょっと、引っ張らないでって……あぁもう」


 諦めたように溜め息を吐く篠原さんとは対照的に、橋本は満面の笑みを浮かべて、


「サッカー部の連中は知ってるだろうけど、それ以外のやつは知らないだろうから紹介するぜ! 俺の彼女のシオだ!」

「紹介するならあだ名じゃなくて名前で呼びなさいよ……初めまして、篠原志緒です。このバカがいつもお世話になってます」


 折り目正しく頭を下げる篠原さんに、俺含む面識のなかった面々はどうもどうもと会釈を返した。

 以前から親交があった陽華はひらひらと手を振って、


「久しぶり、志緒ちゃん。この前の委員会ぶりだね!」

「ええ、久しぶり陽華さん。色々噂は聞いてるわよ。……もしかして、そちらの彼が」


 篠原さんの好奇心に輝く目がこちらに向けられる、陽華はよくぞ聞いてくれましたとばかりに満面の笑みを浮かべて頷いた。


「志緒ちゃんにも紹介するね、こちら私の彼氏の辰巳くんです!」

「……どうも、柳田辰巳です。よろしく篠原さん」

「こちらこそよろしく、柳田くん。あなたのことはヒロからもよく聞いてるわ、色々ご迷惑をおかけしているみたいで……」

「いやいやそんな、むしろ俺の方こそ橋本には色々と世話になってるから……」


 ペコペコと頭を下げ合う俺たち。

 橋本の無茶ぶりに振り回されることは多々あれど、少なくとも嫌な気分ではなかった。その無茶ぶりのおかげでクラスに馴染めたのは事実だし、感謝もしている。

 ……が、それはそれとして「ほれ見たことか」と言わんばかりのドヤ顔をされるとムカつく。


「そーそー、照れ屋で引っ込み思案な柳田クンが早くクラスに馴染めるようにって、これでもいろいろ考えてるんだぜ? もうちょい感謝あでぇっ!? おまっ、脛っ! サッカー選手の足はダメだろ……っ!」

「大袈裟ね、そんなに強く蹴ってないでしょ。……とにかく、こいつが鬱陶しく絡んできたり、調子に乗ってるようなら遠慮なく言って。しっかり言い聞かせるから」


 足を押さえてぴょんぴょん跳ねる橋本と、それを無視して不思議な迫力の滲む笑みを浮かべる篠原さん。

 もはや見慣れた光景なのか、サッカー部の面々はやれやれとでも言いたげな表情で首を振っていた。


「まぁ、調子に乗るのはいいが……みんなの前であれだけ声高に宣言したんだ。学年三十位以内、しっかり有言実行してみせてくれよ」

「あててて……へっ、誰に言ってやがんだ。一度口にした言葉は曲げねぇ、その上でお前にも勝ってみせるぜ! シオとの約束もあるしな!」


 自信満々に拳を突き上げる橋本。その姿に謎の頼もしさを感じる一方で、唐突に出てきた約束という単語に俺たちは首を傾げた。

 疑問を込めた視線を向けるも、当の篠原さんまで不思議そうに首を捻っている。


「あたしとの約束……? 約束なんて何も──……あっ、アンタまさか」


 何か心当たりがあったのか、ぼっと顔を赤く染めて慌て始める篠原さん。

 橋本はニヤリと白い歯を見せ、胸を張って堂々と言い放った。


「昨日約束しただろ? もし俺が期末テストで学年三十位以内に入れたら、シオと一緒に水着を着てプール行くって!」

「……はぁ?」


 我知らず、俺の口から呆れを多分に含んだ声が漏れた。


「……まぁ薄々そんなことだろうとは思ってたけどね」

「欲望に正直なやつっすねー。……いや、むしろそれぐらいがっついた方がいいのか? うぐぐ……」

「言わなきゃバレなかったのになぁ。まぁそれでこそ橋本って感じではあるか」


 好き勝手に感想を述べる森山たち。俺も大体同意見だった。

 サッカーを全力で楽しみたいと言うのも、もちろん本音ではあるのだろうし、そんな橋本を応援したい気持ちに変わりはないが。

 そんなこと(・・・・・)のために俺はこいつに手を貸しているのか、と微妙な気持ちになった。


「プールかぁー、いいなぁー。ねっ陽華、佳凛、あたしたちも行こうよ!」

「いいね、プール! それなら水着を買いに行かなくちゃ!」

「私はパスするわ、暑いし外に出たくないもの ……あと私、泳げないし」

「そんなこと言わないでー! 佳凛も行こうよー! プールなら涼しいしさー!」

「泳ぐだけじゃなくて、水に浸かってのんびりするのも立派なプールの楽しみ方だよ。ねっ?」

「そーそー!」

「ちょっと美樹、暑苦しい。……はぁ、二人がそこまで言うのなら」

「「やったー!」」


 呆れ果てる男性陣を他所に、プールという言葉から女性陣は和気藹々と盛り上がっていた。楽しそうで何よりである。

 視界の端で、俺たちの反応に不満げにする橋本に詰め寄る篠原さんの姿が見えた。


「てっきり冗談だと思ってたのに……あたし、約束なんてした覚えないんだけど?」

「えー? プールぐらいいだろ別に、小学生の頃は毎年行ってたじゃん」

「あの頃とはあたしたちの年齢も関係も、何もかも違うでしょ!?」

「そりゃそうだけど、違うからこそだろ」


 羞恥からか怒りを露わにする篠原さんに、橋本は笑いながら語り掛ける。


「俺らが付き合い始めたの、中三の夏が終わってからだったじゃん? 実質初めての夏なんだから目一杯楽しみたいだろ」

「それは、わかるけど……」

「本気で嫌なら諦めるけどさ……ぶっちゃけシオも、興味はあったんじゃねぇの?」

「っ、何で、そんな」

「だってシオ、マジでダメって時ははっきり断るタイプじゃん。昨日からずっと話を逸らしたりはぐらかしたり……まだ一度も”ダメ”とか”嫌だ”って言われてないんだけどなー?」

「……そもそも、あんたがちゃんと三十位に入れたらの話でしょ」

「へへっ、俺がやる時はやるやつだって知ってるだろ?」

「バカ……ほんと、バカ」


 慈しむように罵倒の言葉を呟く篠原さんと、それを聞いて快活に笑う橋本。


 弁当を食べながら二人のやり取りを聞いていた俺は、思わず感心してしまった。

 仲のいい幼馴染だったと聞いてはいたが……長い時間を共に過ごしてきた二人の間には、他人にはわからない確かな信頼関係が存在するらしい。


 謎の感動に浸りながらお茶を啜る俺の袖が、くいくいと優しく引っ張られる。

 視線を上げれば、悪戯っぽい笑みを浮かべた陽華が俺の顔を覗き込んでいた。


「辰巳くんはどう思う?」

「何が?」


 目的語のない問いに首を傾げる俺に、陽華は笑みを深めて、


「水着を着た私と、プール。行きたい?」

「行きたい」


 思考よりも先に、口が勝手に動いていた。

 そんなこと(・・・・・)とか思ってすまん、橋本。めちゃくちゃ大事なことだった。


 即答した俺の様子が余程面白かったのか、声を上げて笑う陽華。


「あははっ、辰巳くんってばお泊りは絶対NGって言ってたのに……そんなに私の水着が見たいの?」

「ちがっ……! ……くは、ないけど、それより陽華とプールで遊ぶのは凄く楽しそうだと思って」

「……えっち」

「んぐっ……!!」


 少し恥ずかしそうに頬を染めながら、にんまりと目を細めて囁くように詰る陽華。

 その仄かな熱の籠った視線と声に、ドクンと胸が高鳴った。

 水着を纏った陽華の姿を想像して……慌てて頭をぶんぶんと振って、その思考を追い出す。

 それ以上はダメだ。何がダメなのか自分でもよくわからないがダメだ。


 そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、陽華は楽しそうに声を弾ませて、


「えっちな辰巳くんがテストに向けてやる気を出せるように、一つ勝負をしよっか」

「とりあえずその修飾語はやめてくれ。……勝負って、中間テストの時みたいな?」


 例の名前呼びを賭けた勝負を思い出して聞いてみれば、陽華はにっこり笑って頷いて……更なる爆弾を投げ込んできた。


「辰巳くんが勝ったら、私の着る水着を選ぶ権利をあげるね」

「えっ」

「ふりふりの可愛いのでも、ちょっとセクシーな感じのやつでも……何でも着てあげるよ? あんまり露出が激しいのは、恥ずかしいから二人きりの時だけね」


 ……恥ずかしくても着てはくれるのか、と大混乱した脳内の妙に冷静な部分がツッコんだ。当然言葉には出てこなかった。

 その思考を皮切りに、大爆発の余波で千々に乱れていた思考が、徐々に統制を取り戻していく。

 再編成の過程でつい”露出の激しい”水着を思い浮かべてしまうが、無理矢理それを排除する。そんな破廉恥なものを着せて、どの口で大事にしたいとかほざくつもりだ俺は。


 脳内の自分を罵倒しながら、ゆっくりと天井を見上げる。

 ようやく秩序を取り戻した思考が、ある一点へと収束していくのを感じた。

 そして、篠原さんを交えて赤坂たちと談笑していた橋本に声をかけた。


「橋本。期末テスト……気合入れていくぞ。目指すは俺とお前でワンツーフィニッシュだ」

「お、おぉ……!? いきなり熱くなってどうしたお前!? ……けどそう言うの嫌いじゃないぜ! いっちょやったろうじゃねぇか!」


 健全な男子高校生らしい不健全な衝動の元に、本当の意味で心を通わせた俺たちは固い握手を交わした。

 かつてないほどの一体感を感じてる。きっとそれは橋本も同じだろう……互いの視線に宿る火傷しそうなほどの熱に、俺と橋本は闘志に溢れた笑みを向け合う。

 俺たちの戦いは、これからだ──……!




 ……まぁ、もはや語るまでもないかもしれないけれど。

 当然のように、俺と橋本は敗北した。

 俺は中間から十位も順位を上げ、橋本に至っては赤点ラインなんて軽々と越えて五十位以上の躍進を遂げたが、結果だけ見れば惨敗だった。


 順当に勝利を収めた陽華は、俺に”陽華の水着選びに付き合う”ことを報酬として要求してきた。

 こうなると、もはや一体何のための勝負だったのだろうか。


 ……何にせよ、結果として成績は上がったわけだし。

 陽華もとても楽しそうにしているし……まぁ、何でもいいか。


 ちなみに橋本もその頑張りを評価されて、プールデートのお許しを頂けたらしい。よかったな。

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― 新着の感想 ―
橋本くんの様な友達は最高ですね! 男ノリほど楽しいことは無いので。 女の子から見ると、バカ丸出しらしいのですが当人達は最高に楽しいんですよね。 若い頃を思い出せて嬉しいやら恥ずかしいやら(笑)
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