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第29話 愛妻弁当

 そんなこんなで午前の授業を消化して、待ちに待った昼休み。

 クラスメイト達が各々弁当やパンを広げる中で、ビニール袋を手に立ち上がった橋本が席に座ったままの俺に意外そうに声を掛けてきた。


「おっ? いつもは昼休み始まった途端どっか行っちまうのに、今日は教室なんだな」

「まぁ、今日は暑いからな。そういうことになった」

「ふーん? てかお前飯は? 早く行かないと購買混むぞ」

「あー……まぁ、大丈夫」


 曖昧な返答と共に視線を逸らした先に、橋本も目を向ける。

 そこには、向井さんをはじめとした友達と談笑する陽華の姿があった。


「陽華ー。一緒にご飯食べよー」

「ごめん、今日は辰巳くんと食べるって約束してたんだ」


 申し訳なさそうに誘いを断った陽華は、二つの弁当箱を掲げてみせた。

 それを見て女子たちは俄かに色めき立つ。


「ちょっと前から、昼休みにお弁当二つも持ってどっか行ってたのって……」

「やっぱカレシと一緒に居たからだったんだ。聞いても答えてくれねーから怪しいと思ってたんだよねー」

「てかもしかして、その大きい方の弁当って……」


 目を輝かせた向井さんの問いに、陽華は自慢げに笑って、


「うん♪ 辰巳くんのための手作り弁当だよ!」


 途端にわっと湧き上がる、陽華の友人たちと傍で聞き耳を立てていたクラスメイトたち。

 同時に俺の方にも視線が向けられるが、そこにある感情は嫉妬より呆れや揶揄いの方が多い気がした。


 橋本もあからさまに茶化すような笑みを浮かべて、


「おいおい愛妻弁当かよ、しかも今日が初めてじゃないんだって? 毎日彼女の手料理をご馳走になってやがるなんて、羨ましい野郎だぜ」

「毎日じゃなくて週二回だし、ちゃんと材料費と人件費も払ってる。羨ましかったらお前も彼女に作ってもらえよ」

「お、おぉ……やっぱ真面目というか、律儀なやつだなお前。あとウチの彼女の料理は……まぁ、うん」


 何やら気まずげに口ごもる橋本。

 カラオケの帰りに「彼女の手料理を食べさせてもらう予定がある」などと口走っていたから、てっきりコイツの彼女も料理が得意な人なのかと思っていたのだが。


「……あー、あんまり得意じゃない、のか?」

「…………かなり個性的な味、と言っておこうか」


 それでも何とか気合と彼女への愛で完食したらしい……青褪めた顔の勇者に、俺は労わるように背中を叩いてやった。

 そんな話をしている内に、向井さんたちとの話を終えた陽華がこちらにやってきていた。


「お待たせ辰巳くん! ……あれ、橋本くん顔色悪いけど、大丈夫?」

「だいじょぶだいじょぶ、ちょっと思い出しちゃっただけで……」


 心配そうに言う陽華に、未だ若干青い顔で応える橋本。

 あまり触れてやるなと陽華を制して、弁当を受け取る。きちんとお礼も欠かさない。


「今日もありがとう、一日楽しみにしてた」

「ふふ、辰巳くんはとっても美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があって楽しいよ」


 実際とても美味いものを食べさせてもらっているので、感謝を込めて称賛を欠かさないよう気を付けているだけなのだが……こんなに喜んでもらえるのなら、これからも続けて行こうと思う。

 どうせもう陽華の料理の味からは離れられないのだし。


 さて、弁当を受け取ったはいいが……陽華はどこに座ってもらうべきか。考える俺に、当の陽華は悪戯っぽく笑って、


「昨日みたいに辰巳くんのお膝の上とかいいんじゃないかな? 椅子も一つで済むし!」

「却下。橋本」

「俺の椅子でよければどうぞご自由にー」

「むぅー……まぁ、節度は大事だもんね。ありがとう、橋本くん!」

「いやいやお気になさらず……昨日は膝の上に乗せて飯食ってたんだな」

「…………」


 ノーコメントで。


 呆れを通り越してもはや畏怖の視線を向けてくる橋本をスルーして、一回り大きいサイズのランチバッグを開く。

 中から取り出した弁当箱は、いつもよりずっしりとしている気がした。

 首を傾げる俺に、前の席に腰掛けた陽華が得意げに胸を張る。


「今日はお昼休みの後に体育があるからね。しっかりエネルギーを補給できるように用意してきたよ!」

「おぉ……!」


 いそいそと弁当箱の蓋を開けた俺は、驚嘆の声を上げた。


 中身を見た俺の脳裏に浮かんだ言葉は、即ち”肉”。

 ど真ん中にどーんと鎮座するのは、濃厚なタレを纏った照り焼きチキン。その横に甘辛い香りを漂わせる生姜焼き、アスパラの肉巻きとポテトサラダが彩りを加え……俺の大好物の金平ごぼうもしっかり詰め込まれている。


 量自体はそれほど多いわけではない。食べ盛りの男子高校生の食欲であればぺろりと平らげられるだろう。

 この弁当の凄まじいところは量ではなく、その密度だ。

 敷き詰められた”肉”の圧力と、押し寄せてくる”タレ”の香りに、ただただ圧倒される。


 その威容に戦慄を覚えながらも、確信する。

 ──この弁当は、確実にめちゃくちゃ美味い。


「いただきます……!」


 うるさく鳴く腹の虫に急かされるように、両手を合わせてから箸を手に取った。


 最初に選んだのは、所狭しと並ぶおかずの中で最も強く存在を主張する照り焼きチキンだ。

 濃厚なタレを滴らせるチキンを一口で頬張る。……美味い。めちゃくちゃ美味い。

 以前にも陽華の作った照り焼きチキンを食べたことがあったが、サンドイッチという形で味わったあの時とは違い、タレで強烈に彩られたジューシーな肉の旨味が直接ガツンと味覚を殴ってくる。


 夢中になって咀嚼して、呑み込む。口の中の虚無感に耐え切れずもう一切れ。今度は白ご飯と一緒に味わってみよう……美味すぎる。

 恍惚とした気持ちで弁当箱を見て、俺は驚愕した。信じられないことに、この弁当のおかずはこれだけではないのだ。


 期待感と興奮が盛り上がりすぎて、恐怖すら感じてしまった。

 何が”食べ盛りの男子高校生ならぺろり”だ。あれほど陽華の料理を何度も味わってきたと言うのに、見通しが甘いなんてものじゃない。

 果たして俺はこの弁当を食べ終わった時、俺という自我を保ったままでいられるのか……?


「美味い、美味すぎる……!」


 美味のあまり何かおかしなテンションのまま、俺は陽華の弁当を味わうことに没頭していた。

 子どものように夢中でがっつく俺を見て、陽華は自分も弁当を摘まみながら心底嬉しそうにニコニコ笑顔を浮かべている。


「辰巳くん。ちゃんとお茶も飲んで、喉を詰まらせないように気を付けてね?」


 口一杯に詰め込んだおかずを咀嚼しながらコクコクと首を振る俺に、陽華は更に声を上げて笑った。


「あははっ、辰巳くんってばほんとに子供みたい。もっとたくさん作って食べさせてあげたいって気持ちになっちゃう。……あ、辰巳くん。ちょっと止まって」

「?」


 陽華の指示に従って動きを止めた俺の頬に、そっと陽華の指が触れる。

 すぐに離れて行った陽華の指先には、白い米粒が一粒。どうやら頬についていたものを取ってくれたらしい。

 それすら気付かないくらいがっついていたことを自覚して、流石に恥ずかしくなる。


「…………」

「……陽華?」


 指先の米粒をじっと見つめる陽華。

 訝しむ俺を他所に、何かを閃いたように頷いた彼女は、


「ぱくっ」

「あっ」


 何とその米粒を自分の口に運んでしまったのだ。

 人差し指を咥えたまま、にんまりと目元を緩める陽華に、俺は唖然とするしかなかった。


「んふふ……教室でキスはダメって言ってたけど、このぐらいはいいでしょ?」

「あ、あぁ……」


 僅かに濡れた指先をぺろりと舐める仕草が、妙に色っぽい。

 真っ白になった頭の奥で、「間接キスでもキスはキスだろ」なんて的外れなツッコミが浮かんだが、それを口にすることはできなかった。

 呆然と固まる俺を眺めてしてやったりと言いたげに微笑んだ陽華は、素知らぬ顔で箸を動かし始めた。


「ほら! 早く食べないと着替えの時間なくなっちゃうよ?」

「……そうだな」


 ……陽華の突拍子もない行動には大分慣れていたつもりだったが、まだまだ甘かったらしい。

 と言うより、俺が思っていた以上に陽華の”いちゃつきたい”欲は強いのかもしれない。

 降り注ぐ周囲の視線を感じながら、どうにか発散させてやらないとなぁと考え……アスパラの肉巻きうまっ。




§




「んじゃ柳田、お前キーパーな」

「は?」


 昼休みを終えて五時間目の体育。

 準備体操と簡単なシュートやパスの練習を終えて、早速男女でそれぞれ二チームに分かれて試合をする運びとなった。


 割り当てられたチームの陣地でぼーっと突っ立っていたところに投げかけられた言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げた。

 同じチームに決まった、最近俺に無茶ぶりを投げてくることに定評のある橋本が、真顔でビッとゴールの方を指差していた。


「何を考えてるかは知らんが、これは俺の発案じゃなくてウチのチームと相手のチームの総意だぜ」

「……と言うと?」

「みんなお前に見せ場を作ってやりたいんだとさ」

「本当は?」

「相手の方は明瀬さんと人目も憚らずいちゃつくお前を合法的にシバきたい。ウチの方は明瀬さんの愛妻弁当なんて食べさせてもらっといて半端な活躍は許さない。だから絶対に逃げられなくて一番目立つキーパーやれって話」


 ……なるほど。


「ちなみに断れたりは」


 一応そう聞いてみる俺に、やれやれと肩を竦めた橋本は、きょろきょろと周囲に視線を彷徨わせた。

 その目が留まった先には友達と談笑する体操服の陽華の姿。

 嫌な予感がして邪魔しようとする俺をひょいと躱して、橋本は大声で呼びかけ始めた。


「おーい、明瀬さーん! 柳田がゴールキーパーすることになったからさー! うおあぶねっ……応援してやってくんなーい!?」

「えっ、ほんと!?」


 橋本の言葉を聞いた陽華が目を輝かせ、周囲のクラスメイトたちの視線が俺と陽華の間を行き来する。

 それらを一切気にすることなく、動きやすいようまとめた髪をフリフリと揺らしながら、大きく手を振って、


「辰巳く~んっ♪ が~んばって~!!」


 明るく弾んだ声で叫ぶ陽華。

 その応援を受けて俺の頬は引き攣り、敵味方問わず男子たちは一気に沸騰した。

 男子側のコートが殺気立つ中で、女子側は陽華を囲んできゃいきゃいと盛り上がっている。正しく天国と地獄だ。


 そんな惨状を招いた元凶たる橋本は、愉快そうににやにやと笑っている。

 ……色々言いたいことはあるが、陽華の期待を裏切るわけにはいかない。抗議の意味を込めて橋本の肩を強めに叩いて、大きく溜め息を吐いた。


「……俺キーパーの経験なんてないぞ」

「マジではあるがガチじゃないから気にすんなよ。お前は背が高いし手足も長いんだから、バスケの時みたいにひたすらシュートされたボールに食らいついてくれればいい」


 俺の緊張を解すように軽く笑う橋本。ありがたくはあるが、若干のマッチポンプを感じて微妙な気分になった。

 そんな風に話す俺たちのもとに、一人の男性生徒が近寄ってきた。


「あんまり緊張しないでいいよ。サッカー部はシュート禁止ってことになったし、僕と橋本でしっかり守備に就くようにするからさ」

「ありがとう、えっと……」

「サッカー部の森山だよ。同じクラスの仲間なのに傷つくなぁ」


 そう言って柔和な笑みを浮かべる男子生徒……森山。

 彼が差し出してくるキーパーグローブを受け取りながら、名前を覚えられていなかった申し訳なさに頭を下げた。


「本当にすまん、人付き合いが苦手な性質で……」

「そうそう、もう三か月経とうとしてんだから、クラスメイトの名前ぐらい覚えとけよー」

「わかってるよ……」

「ははは、これからは僕とも仲良くしてくれると嬉しいな」


 俺たちのやり取りを見て森山は爽やかな笑い声を上げた。

 ……サッカー部は陽キャでコミュ力が高いやつが多いという勝手な偏見があったのだが、意外と間違いではないのかもしれないな。


 それはともかく、サッカー部はシュート禁止と言うのは朗報だ。気を抜くわけにもいかないが、少なくとも経験者のシュートの前に立つよりは気が楽だろう。

 楽観的なことを考えながら試合開始前の挨拶のためにコートの中心へ向かう。

 目の前に並んだ男子の顔を見て、俺は思わずうげっと声を漏らした。


「ククク……よォ柳田。お前とこうしてコートで相見える日が来るとはなぁ」

「栗山……」

「バスケの時は橋本のせいでお前に見せ場を譲っちまったが、今回はそうはいかねぇ! 明瀬さんの前でお前を血祭りにあげてやるよ……!!」


 こいつはサッカーを何だと思っているのだろうか。

 フハハハハ! と悪役チックな笑い声を響かせながらも、握手は意外と丁寧だった。

 

 高笑いを続ける栗山から目を横に滑らせると……これまた気まずい相手が居た。

 仏頂面で佇むその男の名は岡。陸上部所属しており、俺とは因縁浅からぬ……浅からぬ? まぁ色々あったやつだ。


 無言のまま差し出された手を握れば、グッと力を込めて握り返された。

 岡は俺の目をじっと見つめて、徐に口を開く。


「一応言っておくが、俺はお前が嫌いなわけじゃない。明瀬さんのことも、納得はあまりできていないが……理解はしている。あれほど幸せそうに笑う明瀬さんを見て文句など言えるはずもない」

「……そうか」

「だがそれはそれとして、俺はお前に負けたくない。これは明瀬さんとは関係ない、俺個人の対抗心だ。俺が勝手にお前をライバル視しているだけで、お前にとってはいい迷惑かもしれんが……」


 いつになく饒舌に話す岡の目と言葉には、溢れんばかりの闘志が漲っていた。

 多少困惑はするが……ライバルとまで言われて、嫌な気分ではなかった。


「いや、光栄だよ」


 笑って手に込める力を強めれば、岡も微かに笑ったように見えた。

 そうして心地よい高揚感の中で、試合が開始された。


 ゴール前でグローブの微調整をしながら、思う。

 陽華と出会ってから、俺の生活は……俺を取り巻く環境も含めて、大きく様変わりした。

 俺個人の人格や考え方も、少し変わったような気がする。それを変化と呼ぶか成長と呼ぶかについては、議論の余地があるが……。

 それはきっと、これからの俺にとって大きな価値を持つものだ。


「……弁当分ぐらいは働かないとな」


 女子の試合が行われているコートで、笑顔で駆け回る陽華に目をやり、小さく笑う。

 一瞬の瞑目で頭を切り替え、与えられた務めを果たすべく、目の前で展開される試合に意識を集中させた。




 ニ十分間の死闘の末、点数にして三対一……俺たちのチームの敗北という形で試合は幕を閉じた。

 敗因としては、栗山と岡の獅子奮迅の活躍と、嫉妬と憤怒を原動力とした相手チームの士気の高さ……同じ要因による味方の序盤の士気の低さが挙げられるだろう。

 橋本と森山の指揮によって後半何とか持ち直したものの、状況を覆すには至らなかった。

 結果として敗北してしまったが……俺自身も何度か相手のシュートを阻止できて、なかなか楽しい時間を過ごせたと思う。


 ……今日が短縮授業で助かった。六時間目の授業があったら、確実に寝落ちしてた。


 ブックマーク・コメント等よろしくお願いいたします。

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