第28話 自重したい
「SHR始めるぞ~、さっさと席に着け~。……何だお前ら、妙に浮足立って」
チャイムの少し後に教室にやってきた吾妻先生は、クラスに漂う若干浮ついた雰囲気に首を傾げた。
それに対してクラスメイト達は、俺と陽華の間で生暖かい視線を彷徨わせる。若干居心地が悪い。
事情を察したのか、にやりと口の端を歪める先生。
「ははぁ、なるほどなぁ。青春真っ盛りで羨ましいこった。俺なんて今年で三十路なのに彼女すら居ないんだぜ……」
「せんせー婚活とかしないのー?」
「先生は忙しいんだ、そんな時間はありません。……お前ら、その可哀想なものを見る目を辞めなさい。日直、号令よろしく」
きりーつ、れーい、ちゃくせーき。
日直の女子生徒のやる気なさげな号令と共に、朝のSHRが始まった。
まず欠席者の確認と簡単な健康観察を行い、各教科の教科連絡係や図書委員や放送委員からの連絡事項の伝達。
天気も安定しているので五時間目の体育は外でサッカーをするらしい。前の席の橋本が大きくガッツポーズをしていた。
「他に何かありませんかー? ……じゃ、先生のお話ー」
「おう、ありがとう。さて、まずはみんなおはよう。週末はしっかり休めたか?」
「はーい、カラオケ楽しかったでーす」
「おお、そういやカラオケでお疲れ様会したんだったな。リフレッシュができたなら何よりだ……なにせ、二週間後には一学期の期末テストがあるんだからな。しっかり切り替えて行けよ」
吾妻先生の言葉に、クラス中から小さな呻き声が漏れた。
つい先々週に中間テストがあったばかりだと言うのに、何とも忙しない。
「期末テストは中間テストと違い、保健体育と家庭科の二教科を加えた、合計十二教科で行われる。火曜日から金曜日までの四日間で三教科ずつ実施されて、月曜日の授業は四時間で終わることになってる。テスト範囲は今週中、遅くても来週の月曜日までには各教科の授業で発表されるから、今からしっかり復習をして備えておくように」
教科数が増えれば当然必要な勉強量も増える。
特に期末テストは中間テストの内容も範囲に含まれるので、普段から復習に取り組んでいなければ到底カバーし切れない。一夜漬けなんて以ての外だ。
……陽華との勝負をきっかけに、勉強の習慣づけができていてよかった。
チラリと陽華の方に視線を向ける。頭を抱えたり渋い顔をしている生徒が多い中で、涼しい表情で先生の話を聞いていた。
流石の貫禄だ。少し心苦しいが、以前の勉強会の時の発言を信じて頼らせてもらうとしよう……。
何かに気が付いたように、ふと陽華が振り返った。
驚いて目を見開く俺に、陽華はふわりと笑って笑って小さくガッツポーズを見せてくる。
その可愛らしい仕草に思わず吹き出して、軽く手を振って返し──……
「そこのカップル、いちゃついてないでちゃんと先生の話を聞きなさい」
……すいません。
半笑いの先生に注意され、顔を赤くして恐縮する俺たち。教室に満ちるくすくすとした笑い声に羞恥心が更に煽られる。
こほんと咳払いを挟んで、吾妻先生は言葉を続けた。
「後は……今日は職員会議があるから五時間の短縮授業になってる。部活のある生徒以外は十七時までに下校するように。週明けだがしっかりメリハリをつけて……節度を守った生活を心がけて、一時間目から頑張ろう!」
”節度を守った~”の部分で露骨に俺たちを見渡して、話を締め括る吾妻先生。
抗議したいところだが、ついさっき醜態を晒してしまっ手前何も言えない。高宮さんにも自重しろと言われたばかりなのに、迂闊が過ぎるぞ俺……。
挨拶を終えた先生が退室して、教室は再び活気に包まれる。
ふぅ、と溜め息を吐いていると、こちらを振り返った橋本が茶化すような声を掛けてきた。
「おいおい柳田サンよ。SHRからかましてくれるじゃないの」
「うるさい、授業の準備しろ」
「いやお前がその態度取るのおかしいだろ。俺、前から色々注意してたと思うんだが?」
「……すまん」
「おう」
渋面を作って言い返せば、呆れ顔で返り討ちに遭った。ぐうの音も出ない。
そんな会話をする俺たちの下へ近づいてくる人影が複数。南や赤坂たちと言ったいつもの面々と、濵崎も居るな。
何やら妙に神妙な表情をしているが……かと思えば、俺の机の前に着いた途端、いきなり頭を下げてきた。
「師匠! 俺、心の底から感服しました……っ!」
「師匠じゃないが……いきなり何だよ」
「あの明瀬さんと付き合い始める前から散々いちゃつきまくって、いざ正式に付き合い始めたかと思えば、朝から見せつけるみたいに手を繋いでのご登場! クラスのみんなの前で恋人宣言、更にはSHRの真っ最中までいちゃいちゃと……! もう頭上がんねぇっすわ、マジでリスペクトしかねぇっす」
「……お前普通にバカにしてるだろ」
「別にバカにしてるつもりはないっすよ。半分ぐらい揶揄ってはいるけど」
いけしゃあしゃあと宣う濱崎。この野郎、と睨みつけるがどこ吹く風だ。
南や赤坂たちも笑いながら口を挟んでくる。
「まぁ言いたくなる気持ちもわかるけどな。この朝だけでお前らどんだけいちゃついてんだよ」
「付き合い始めたら逆に落ち着くのでは? と思っていた時期もありました」
「俺らこれから一年間これを見せつけられるってマジ?」
「……すまん、気を付ける」
口々に言い募られて、流石に申し訳ない気持ちが湧いてきた。
もし俺が逆の立場であれば、確かに見せつけられていい気分はしないだろう。陽華と知り合う前の俺なら舌打ちぐらいはしていたかもしれない。
……が、しかし。しかしだ。
「善処はするが……陽華を悲しませたくないから、ある程度は許してくれ」
「お、おぉ……」
堂々と言い放った俺の言葉に、周囲の男子たちはいっそ感心したような目を向けてきた。
「どう思うよ、橋本」
「処置なしだなこりゃ」
「くぅっ! 独り身にはつれぇぜ」
「まぁ俺は彼女居るからお前らよりはましだよ」
「あっ、てめっ! この裏切り者ぉ!」
濱崎たちが俺に平伏する一方で、不用意な発言をした橋本が赤坂に襲い掛かられていた。
どうでもいいけど、お前ら一時間目の準備はしなくていいのか?
§
「柳田くーん! ちょっといい?」
「ん?」
一時間目の授業を終えた休み時間。
授業中に配られたプリントの整理をしていると、明るく弾んだ声に話しかけられた。
顔を上げれば、クラスの中でも如何にもギャルっぽい風貌の女子生徒が三人。興味津々と言った表情で俺を見ていた。
「……何か用か?」
「え、ちょっと冷たくない? いちおーあたしらクラスメイトっしょ? 話ぐらいしていいじゃん」
少しムッとした様子で返してくる、癖っ毛で色素の薄い茶髪が特徴の、いかにも気が強そうなギャルその一。
返事がそっけなさ過ぎて誤解を招いてしまったらしい。慌てて訂正する。
「あー、すまん。無愛想なだけで、別に話しかけられていやってわけじゃないんだ」
「陽華と話してる時はメッチャ優しい目と甘い声してたじゃん」
そう口を挟んできたのは、茶髪ギャルの後ろに居た黒髪ショートに黒マスクの、背の高いギャルその二だ。
無感動な目にじろりと睨まれるが、恐らく元々目つきが悪いだけで本人は睨んでいるつもりはないのだろう。少しシンパシーを感じた。
「それは相手が陽華だったからで……そんなにわかりやすいか?」
「今のアンタとじゃ別人みたいだよ」
「そうだったのか……」
「う~~ん……ねっ、たつみん! ちょっと立ってみてくれるっ?」
「た、たつみん?」
珍妙なあだ名で呼ばれて驚く俺を、くりくりと輝く瞳が見上げてくる。
最後の一人は明るい色のサイドポニーとちんまりとした体躯のギャル……ギャル? その三だった。どこか向井さんにも通じるものを感じるが、より小動物的な人懐っこさを強く感じさせた。
困惑しながら、とりあえず指示通りに椅子から立ち上がると、その一とその三から歓声が上がった。その二も少し目を見開いている。
名前がわからず数字で読んでしまっているが、心の中でだけなので許してほしい。
「やっぱ間近で見るとでっか。身長どんぐらいなん? 肩幅も広いし手足も長いし、何かスポーツやってた? けど猫背気味なのがちょい減点かなー」
「アタシより頭半分ぐらいデカいってことは180超えてそうだね。目つきもちょっと怖いし、ケッコー威圧感あるかも。まぁ陽華と付き合うならそんぐらいの方がちょうどいいんじゃない?」
「目は怖いけど顔立ちは優しーよね~。守ってもらえる安心感みたいなの感じちゃいそ~。もうちょっと前髪短くしたら、さっぱりしていー感じになると思う!」
品定めをするように全身をじろじろと観察され、好き勝手に感想を投げられる時間。
”あの陽華の彼氏”がどんなものか、単純な興味で観察しに来たと言ったところか。まぁ基本的に褒められているようだし、女子目線の意見というのも参考になるかもしれないので好きにさせておくことにする。
清潔感には気を付けているつもりだが、陽華の隣に立つに当たってできるだけ身嗜みを整えておくべきだ。
少しずつヒートアップしてきたのか、段々距離を詰めてくる三人。そろそろ止めるべきかと考えた、その時のことだった。
「──辰巳くん?」
「は、陽華……?」
ぞくり、と背筋に寒気が走る。
きゃいきゃい騒ぐギャルたちの声を切り捨てるように、その声は静かに響いた。
いつの間にか三人組の背後に、笑顔の陽華が立っている。
笑顔……笑顔のはずだ。口角は上がっているし、眦も下がっている……けれど目だけが笑っていなかった。
驚いて振り返ったギャルたちが、「あ、ヤバ」と口元を引き攣らせた。
陽華の全身から放たれる謎の威圧感にその場の全員が委縮する中で、真っ先に口を開いたのは黒マスクのギャルその二だった。
「ご……ごめん、陽華。アンタの彼氏がどんな奴か気になっただけで、別に他意はないから、ほんとに!」
早口で謝罪しながら頭を下げる彼女と、コクコクと頷く残りの二人。
ちらちらと陽華の表情を窺う様は完全に怯え切っていた。俺でさえ、若干震えが来ている。
そんな彼女たちをじっと見つめていた陽華は、ふっと表情を緩めた。
「……そうなんだ。じゃあ改めて紹介するね! こちら柳田辰巳くん、私の彼氏です! えへへ……カッコいいでしょ?」
ぶんぶん、と必死の形相で首を縦に振るギャル三人。……可愛らしくはにかんでいながらも、謎の圧を感じる笑顔だ。
その笑顔が俺に向けられた時には、その圧は綺麗さっぱり消え去っていた。
「それじゃ辰巳くん、また後でね! もうすぐ授業始まっちゃうし、みんなも準備した方がいいと思うよ」
そう言い残して、自分の席に帰っていく陽華。
その背中を見送った三人組は、酷く脱力した様子で大きな溜め息を吐き出した。
「……こ、怖かった~。はるるってあんな顔するんだぁ~……」
「陽華ってケッコー嫉妬深い方だったんだ……アンタ愛されてんね」
「目ぇ全然笑ってなかったね……。柳田もごめん、調子に乗りすぎた」
その一の謝罪に続いて頭を下げたギャルたちは、足早に去って行った。
……なるほど、あれが陽華の嫉妬なのか。
何だか奇妙に胸が躍る。今朝の通学路で、嫉妬を露わにする俺を見て上機嫌そうにしていた陽華の気持ちが、少しわかったような気がした。
わざと嫉妬させるようなことはしたくないが……愛されている実感を得られるのは、気分がいいものだ。
§
「たーつーみーくんっ♪」
二時間目が終わり、移動教室のために席を立った俺の腕に、何かが飛びついてきた。
何かの正体は、もはや言うまでもないか……視線を下げれば、満面の笑みの陽華に俺の右腕が捕獲されていた。
「理科室まで一緒に行こっ」
「それはいいけど……この腕は?」
聞いてみれば、陽華はぷくりと頬を膨らませて、
「だって辰巳くんってば、ちょっと目を離した隙に女の子に囲まれちゃってるんだもん。ちゃんとアピールしておかないと!」
「俺が陽華の彼氏だから注目されてるだけだろ。向こうはただの興味本位だし、俺も何とも思ってないよ」
「ほんとにー? 可愛い女の子にちやほやされて、実はちょっと楽しかったんじゃない?」
「ないよ、俺は陽華一筋だし……俺は彼女たちと話したこともなければ、名前も知らないぐらいだ」
冗談っぽく責めてくる陽華に「そのぐらい興味がないんだ」という意図で言い返してみたが、何だかとても微妙な顔をされてしまった。
「辰巳くん、流石に同じクラスの子の名前ぐらいは知っておいた方がいいと思う」
「はい……」
仰る通りである。
まさかこの話の流れで、こんな真っ当な指摘を受けるとは思わなかった。
こほん……それはともかく。
「一緒に行くのはいいけど、腕を組むのはダメ。先生と高宮さんも言ってただろ、節度を守れって」
「えー? ……手を繋ぐのは?」
「……だ、ダメ」
「そんなぁ~……」
うるうると悲しそうに目を潤ませる陽華に、決意が揺らぎかける。
が、ダメなものはダメだ。俺はここに至ってようやく覚悟を決めたのだ。いい加減に自重と周囲への配慮を覚えるべきだと。
決然と首を振る俺に残念そうにする陽華は、
「……これぐらいなら、いいでしょ?」
そう言って右手の小指を、俺の左手の小指にきゅっと絡ませてきた。
傍目には手を繋いでいるのとほとんど変わらないかもしれないが……これ以上、陽華のお願いを突っぱね続けるのも心苦しい。
と言うか俺がこれ以上罪悪感に耐えられない。
あいつらにも”ある程度は許せ”と言ってあったし。許せよ。
「時間もないし、そろそろ行くか」
「……うんっ」
俺の方からも軽く握り返せば、心の底から嬉しそうな満開の笑顔が返ってきた。
その笑顔を見てしまえば俺にはもう何も言えなくなる。
きっと俺はこれからも、こうして陽華に甘くなっていくんだろうな……内心で小さく苦笑して、並んで次の教室へと歩き始めた。
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