第23話 告白
「……いいよ」
俺の様子から何かを感じ取ったのか、陽華は静かに頷いた。
そして直前まで話していた向井さんたちに振り返り、
「ごめん、私行くね」
「わかった! 佳凛のことは任せて。陽華……それと柳田くん! 頑張ってね!」
そう笑顔でサムズアップをしてくれる向井さん。気を遣ってくれているらしい。
……うーん。
「……俺ってそんなにわかりやすいのか? 仏頂面とか無愛想とか言われることが多いんだが」
「確かにあんまり表情は変わらないけど……雰囲気なのかな。何だかいつもと違うなーって」
「なるほど……」
橋本にも察せられてしまったし、自分で思っているよりも隠し事のできないタイプなのかもしれないな。
明るい笑顔で隣を歩く陽華に、思わず問いかける。
「それならもしかして、俺が話したいことも察しがついてたりするのか?」
「んー……」
陽華は俺の問いにどう答えるべきか考えこむ様子を見せた後、小さくはにかんで、
「もし私の思ってる通りのことだったら……もうちょっと可愛い服を着て来たかったなーって」
「陽華はどんな服でも可愛いと思うけど」
「お、おー……辰巳くんも言うようになったね」
何故か顔を赤くしているが、そもそも陽華が言わせ続けてきたことだろうに。いい加減羞恥心も麻痺してきた。
「……ちなみに、ご希望のシチュエーションとかある?」
「うぅーん……色々考えてたことはあったはずなんだけど、いざとなると思い浮かばないなぁ。漫画とかだと二人きりの屋上で、とか定番だよね」
「確かによく見るな。他は……夏祭りの後とか、クリスマスとか?」
俺の挙げた例に、陽華はくすくすと微笑む。
「辰巳くんって結構その場のムードとか気にするタイプなんだね? 意外とロマンチストなんだ」
「俺は知っての通り口下手だからな。そういう……何て言うか、場の雰囲気に助けてもらえれば、言いやすいんじゃないかと」
「ふふ、君らしい。でも私は……雰囲気に流されて、とかじゃなくて。辰巳くんがいっぱい考えてくれた言葉の方が嬉しいな」
「……参考になるよ」
取り留めのない会話を交わす中で、通行人を避けた陽華の指先が、俺の手と触れ合った。
ほとんど反射的に、その指先に手を伸ばす。陽華も驚いた様子もなく、俺の手を握り返してくれた。
しかしそのままでは歩きにくい。無言で試行錯誤を重ねた結果、手の平を重ねて指先を絡め合う……所謂恋人繋ぎの形に落ち着いた。
お互いそれに触れることはなく、話を続けていく。
「じゃあまぁ……俺の家でいいか?」
「ふふ……辰巳くんってば、遊びの後に女の子を家に連れ込もうだなんて、大胆だね。私じゃなかったら下心があると思われちゃうよ」
「陽華以外にこんなこと言わないよ。……嫌なら、どっか二人きりになれる場所を探すか」
「いいよ、辰巳くんの家で。君のこと信じてるし、それに……ううん、何でもない」
「……そっか」
陽華が頬を染めて言い淀んだ言葉を、聞き返そうとは思わなかった。
駅から俺の家までは徒歩で三分程度。今日のカラオケであったことを振り返りながら歩いていると、あっという間にマンションが見えてきた。
手を繋いだままエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。
目的の階のボタンを押しながら横目で陽華の様子を窺うが、とてもリラックスしていて、特に緊張している様子は見られなかった。
……それは俺も同じかもな。今から告白するって言うのに。
目的の階に着き、家の鍵を取り出そうとしたところで、
「あー、陽華。一旦手を離してもいいか?」
「……仕方ないよね」
そんなに残念そうにしなくてもいいだろう……と思いつつも、手を離した瞬間に妙な寂しさに襲われる自分もいた。
贅沢なやつだ、と自嘲しながら鍵を開け、陽華に入室を促す。
「どうぞ」
「お邪魔します」
折り目正しく頭を下げる陽華を伴ってリビングへ向かい、電気を点ける。
六月中旬の十八時頃ということもあって外はまだ明るい……夕日の中で告白というのも風情があるかもしれないと一瞬思ったが、先程雰囲気に頼らないと話をしたばかりだ。
とりあえずソファーに座ってもらって、麦茶を用意して手渡した。
「ありがと。ちょっと喉が渇いてたんだ。最近段々暑くなってきてるね」
「梅雨真っ只中で湿気も凄いしな。雨のせいでサッカーができないって、橋本がぼやいてたよ」
「あはは、屋外競技は季節の影響が大変だよね。今日は晴れてよかったよ」
ソファーに並んで腰掛け、他愛のない話をする。
最初の頃……例の噂が流された直後、校舎裏のベンチで初めて隣に座ったあの日。思い出してみれば、当時は出会ったばかりで、陽華が何を考えているかわからず困惑しているばかりだった。
……なら、今は? 今の俺は、陽華のことをきちんと理解できているのだろうか。
「朝は緊張してたみたいだけど、辰巳くんはちゃんと楽しめた?」
「色々あったけど……まぁ、結構楽しめたよ。大人数でのカラオケってあんなに楽しいんだな」
「ふふ、よかった。私もすっごく楽しかったよ! 辰巳くんとのデュエットもできたしね?」
「デュエットね……歌には本当に自信がなかったから、正直盛り上がってくれてほっとしたよ」
心底安堵したとばかりに息を吐く俺に、陽華は朗らかに笑って、
「だから言ったでしょ? 歌の上手さよりみんなで集まって楽しむことが大事なんだって。どうしても気になるなら、次までに練習しておくといいんじゃないかな。私ももちろん付き合うよ!」
「次、次か。……次があるのか」
「もちろんあるよ! あ、今度は辰巳くんが声を掛けてみたら? 私と美樹たちはもちろん、橋本君たちも来てくれるだろうし!」
陽華が口にした提案に、そして、それもありかもしれないと考えている自分自身に、俺は驚いた。
つくづく、数週間前の自分からは考えられないほどの変化だ。
あの頃の俺が今の俺を見たら、どう思うだろう。羨ましがるか……とても同じ人物だとは思えず、信じられないかもな。
そんな……自分でも信じられないほどの変化が訪れる、きっかけになってくれたのは──……
「──ありがとう、陽華」
無意識の内に零れ出た感謝の言葉に、陽華は目を瞬かせた。
「私、何かしたっけ?」
「陽華が俺にしてくれたことは……いっぱいありすぎて、どうやって返せばいいのか困るぐらいだよ。でも、今の”ありがとう”は……そうだな」
思い浮かんだ台詞の”気障ったらしさ”に思わず笑ってしまいながら、俺はその言葉を口にした。
「──俺と出会ってくれて、ありがとう」
ずっと、そう言いたかったんだ。
「陽華と出会って、二週間足らずの内に……本当に色んなことがあった。いいことばかりじゃなかったけど、それでも……少し前の俺からすれば想像もできないくらいに、いい方向に変わったと思う」
たった二週間。けれどこの時間は、俺の人生の中で最も密度の高い二週間になるだろうと断言できる。
あの日、陽華との出会いから、俺の青春は再び始まったのだ。
「……私は何もしてないよ。今の辰巳くんがあるのは、辰巳くんが自分で前に踏み出せたからだよ」
「踏み出す勇気をくれたのは、陽華なんだ。君が、君が居てくれなきゃ……俺は、きっと昔のままで。悲劇の主人公ぶってうじうじ悩んで、何もできない、ままで……」
ずっと立ち止まっていた俺が、最初の一歩進むことができたのは、
「陽華が居たからなんだ。辛い過去を背負っていても、明るく笑って歩き出せる君が、格好よくて……憧れたんだ」
俺もそういう風になりたいと、思ったから。
中間テストでいい結果を残そうと努力できたのも。
体育の授業で少しでも活躍しようと頑張れたのも。
真壁たちの脅しに怯まずに解決に尽力できたのも。
カラオケで盛り上がりに貢献しようと思えたのも。
……恥ずべき過去を、陽華に打ち明けたいと思ったのも。
全ては、君の隣に居てもいいのだと、自分で納得したくて。
「そんな君が、俺が隣に居ることを、許してくれたから──だからせめて、君に恥じない自分でありたくて……」
こんな俺があの”明瀬さん”に吊り合うはずがないと、諦めてしまうのは簡単だった。
でもそうしたくはなかった。
何故? 陽華の隣に居たかったからだ。
何故、隣に居たいと思ったんだ?
そんなもの、決まっている。俺は、柳田辰巳は、明瀬陽華のことが──……
「好きだ」
……あぁ、やっと言えた。
あれだけ、こんなにも悩んで苦しんだのに。
一度口にしてしまえば、気持ちの蓋を開けてしまえば……もう止まらなかった。
「君のことが好きなんだ、陽華。本当に、どうしようもないほど。……たぶん、最初に会ったあの時から君のことを好きになっていて。君と一緒に過ごす時間を積み重ねていく度に、君のことを知る度に……どんどん君のことが好きになっていった。そしてきっと……これから先も、君のことをもっと好きになるよ」
あれほど抵抗があった”好き”という言葉が、感情が、溢れて止まらなかった。
何だか心が晴れやかだ。勝手に口の端が上がって笑顔を形作る。
一方的に想いを伝えただけなのに、何故か全てが終わったような達成感や満足感すら浮かんでくるが……告白をしたのならば、返事をもらわねばならない。
さて、陽華の反応は……おや、姿が見えない。どこ、に……っ!?
「ぐぉっ、は、陽華……!?」
気付いたら、腹の辺りに勢いよく抱きついてきた陽華によって、ソファーの上に押し倒されていた。
俺の体を上から押さえつけたまま、頭をグリグリと俺の胸元に擦り付けてくる。
何かを抗議しているようにも見えるが……あまりにも可愛らしい仕草に気持ちが和んでしまう。頭を撫でてもいいだろうか。
そう思って手を伸ばした時、陽華がガバッと顔を上げた。
まるでリンゴのように耳まで顔を真っ赤にした陽華は、実に不満そうな顔で、
「……ずるい」
「ずるい? な、何が?」
「辰巳くんだけ、何度も何度も好きって……私はずっと我慢してたのに!」
……何やらとんでもないことを口走っているような気がするが、本人は気付いていないらしい。
見るからにパニックに陥っている様子だ。
内心では俺も大差ないのだが。
「……じゃあ、言えばいいんじゃないか?」
「辰巳くんは、言ってほしい?」
「あぁ、聞きたい」
「……好き。好きだよ、辰巳くん。私も、君のことが好き。ずっとずっと好きだったの……!」
……まずい、泣きそうだ。
陽華が”好き”と口にする度に、頭の中で無数の色が散る。それは花が咲き誇る様か、はたまた火花が舞い散る様か。
身体を芯から揺らすような衝撃が全身を貫き、身動ぎすらできない。
混乱の極地に居る中でも、俺の腕は勝手に動いて彼女の体を抱き締め、俺の口は勝手に言葉を紡ぎ出していた。
「俺の方が好きだよ。本当に、好きなんだ。好きすぎて、どうしたらいいかわからなくなる」
「私の方が好きだもん! 君の傍に居るだけで胸が高鳴って、優等生でいられなくなっちゃうの! 辰巳くんのことが大好きな私が私を押し退けて、制御できなくなっちゃって、もう大変なんだよ!」
「そんなのは俺も同じだ。陽華が傍に居ると思うと、どうしても視線を外せなくなって……君の笑顔も、君の言葉も、何一つ取り零したくなくて……陽華のことが好きだって気持ちで、胸がいっぱいになるんだ」
「私だって──……」
「いいや俺が──……」
お互いにぎゅうぎゅうと抱き合ったまま、至近距離で「自分の方が好きだ」と言い合う、バカップルでもこうはならないだろうと言う珍妙極まる光景の中で。
正気に戻ったのは、ほぼ同時。顔を見合わせていると何だかおかしくなって、笑い出してしまった。
「はぁ……何やってるんだろうな、俺たちは」
「あはは、そうだね! ……でも、こんなに誰かのことを好きになれるなんて思わなかった。まだ出会って二週間なのに……私って惚れっぽいのかな」
「それならたぶん、俺も同じだ。……けど、最初に惚れたのが陽華で、本当によかったよ」
「私も……初恋が辰巳くんで、本当にうれしい……」
俺の胸元に頬をぺたりとくっつけて、幸せそうに笑う陽華の姿は、本当にいじらしく可愛らしいもので……あと一回ぐらいは、いいよな?
「好きだよ、陽華」
「むっ……私も、辰巳くんのこと好きだから」
「……この辺りで一旦止まろう、流石に話が進まない」
「そうだね……。はぁ~~っ! すっきりしたー!! ずっと我慢してたんだからね!」
「すまん……。こっちもいろいろ悩んでたもんで」
「ちゃんと告白してくれたから許す! んふふ」
陽華はとんでもなく可愛い照れ顔で俺を見上げて、
「これで私と辰巳くんは恋人同士、ってことでいいんだよね?」
「あぁ。これからよろしく、陽華」
「こちらこそよろしくね、辰巳くん! ふふっ♪ 辰巳くんが私の彼氏、彼氏かぁ」
心から嬉しそうに、”彼氏”という単語を反芻してくすくすと笑う陽華は、頭がおかしくなりそうなほど可愛かった。
……ダメだ。さっきから脳内がバグっている。
陽華のことを可愛いとしか思えな……いや、それならむしろこれ以上なく正常な状態なのではないか? だって陽華は世界一可愛いし……。
しかしいくら何でも可愛すぎる。こんな可愛い女の子が俺の恋人……えっ、恋人? つまり彼女ってことか? 誰の? ……俺の!?
「辰巳くん? 辰巳くーん? ……もうっ」
物思いに沈んで反応を示さない俺に焦れた陽華が「ちゅっ」…………ほあっ?
唇の端に触れた柔らかい感触。ごく至近距離にある真っ赤に染まった陽華の顔。やけに耳に残るリップ音。
…………これは、まさか。
「……私たち、もう恋人なんだから。前のキス未遂のリベンジ、ってことで♪」
そう言って、真っ赤な顔で悪戯っぽく笑う陽華。その表情には見覚えがあった。
あの時の──固唾を飲んで返答を待つクラスメイト達に、「……秘密、ってことで♪」と言い放って混乱の坩堝に叩き込んだ時の、あの笑顔だ。
なるほど、あの時の彼らはこんな感情だったのか……目の前の情報を脳が処理しきれず、呆然と立ち竦む。今更ながら彼らへの同情の念が湧いてきた。
たっぷり数秒の沈黙の後に、ようやく再起動した俺が発した言葉は、
「……も、もう一回、今度は俺から、してもいいか?」
さっきは一瞬すぎて、そして突然のことで驚きすぎて、キスの感動に浸る間すらなかった。
だからもう一度、今度は俺の方からすることで、自分のペースで楽しみたい。せっかくの、一生に一度の陽華とのファーストキスだ。全力で味わい尽くし、脳に刻みつけなければ一生後悔するだろう。
そんな必死さの滲む俺の懇願に、陽華はふっと笑って、
「ん、どーぞ……♪」
目を閉じ、唇を軽く突き出す……所謂キス待ち顔を見せる陽華。
……まずい。これだけで破壊力が高すぎて気絶しそうになる。
落ち着け俺……この表情を堪能するだけなら、今じゃなくてもいい。ファーストキスは今回限りでも、キスをする機会はこれからいくらでもあるのだ。
……いくらでもあるのだ!? 幸せ者すぎるだろ、俺。
だから落ち着けよ、俺。
溜め息……は目の前の陽華に当たるからナシ。拳を握っては開きを数度繰り返し、意識を切り替える。
徐々に顔を近づけていき……そうだ、鼻が当たらないように、少し顔を傾ける必要がある。
歯が当たらないよう、ゆっくりと──……
「……んっ」
……………………。
「……ん、ぷはっ」
……はっ。俺は今、一体何を……?
「ど、どう、だった……?」
陽華の問いに飛びそうになっていた意識が蘇り、そのとろんと蕩けるような煽情的な表情に、また気絶しそうになる。
どうだった? どう、と言われても……。
「柔らかくて、温かくて……すまん、何か色々衝撃的過ぎて、よくわからなかった……」
「えぇー? なにそれ……」
呆けたような俺の返答に、陽華はふにゃりとした笑顔を浮かべて、
「いーよ、わかるまでしよ♪ 私も、もう一回したいから──」
「あぁ、そうだな──」
よく、初めてのキスの味をレモン味やイチゴ味と、果物で例えることがあるが……実際に体験してみて、俺はその本当の意味を思い知った。
あれは本当に果物の味がするのではなく、それらを口にした時と同じような──口の中や唇が蕩けそうなほどに甘美で、脳が弾け飛びそうなほど刺激的なものであるということを、”果物”という比喩を用いて表現していたのだ。
本物の果物よりもずっと甘美で刺激的なキスの味に、俺は完全に陶酔し、夢中になっていた。
何度も何度も唇を重ね合い、息継ぎのために唇を離しては、その時間すら惜しいとばかりに再びキスをする。
お互いの境界が曖昧になり、体が融けあっていくような錯覚が生まれるほどに、ひたすらにキスを重ねて……俺たちが正気に戻った時には、既に外は真っ暗になっていた。
「……流石に自重しないとな」
「……そうだね。我慢しなきゃ……が、我慢……」
「陽華……?」
「明日から我慢するから! もう一回だけ、しよ……?」
「……そうだな、我慢しすぎるのも、よくないし……」
……本当に自重できるかは、神のみぞ知ると言うやつだ。
斯くして、俺と陽華はお互いの気持ちを確かめ合い、晴れて恋人同士となった。
けれど俺たちの青春はここがゴールではなく……むしろ、ようやくスタートラインを切ったところだ。
これからの高校生活、体育祭や文化祭、修学旅行など楽しみなイベントが待っている一方で、多くの困難な試練も待ち受けていることだろう。
それでも、かつて誓ったように──陽華と共に、二人で一緒に……少しずつ、前に進んでいこうと思う。
これにて第一章、”青春の始まり”は一旦の幕引きとなります。しかし彼らの青春はまだまだ始まったばかり。第二章もできるだけ早くお届けしたいと思っております。
ここまでの応援、本当にありがとうございました。いただけるブックマーク、評価、感想、その全てが大きな励みとなりました。
完走した感想は長くなるので近況ノートにまとめてあります。第二章の予定についても軽く触れているので、興味がある方は是非ご覧ください。
これから繰り広げられる彼らの青春を、温かく見守っていただけると嬉しいです。
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